更 新 メ モ 過 去 ロ グ
(2022/7/1 - 2022/12/31)


最終更新箇所へ / 表紙へ戻る

アーカイヴ (2002/8-12) / (2003/1-6) / (2003/7-12) / (2004/1-6) / (2004/7-12) / (2005/1-6) / (2005/7-12) / (2006/1-6) / (2006/7-12) / (2007/1-6) / (2007/7-12) / (2008/1-6) / (2008/7-12) / (2009/1-6) / (2009/7-12) / (2010/1-6) / (2010/7-12) / (2011/1-6) / (2011/7-12) / (2012/1-6) / (2012/7-12) / (2013/1-6) / (2013/7-12) / (2014/1-6) / (2014/7-12) / (2015/1-6) / (2015/7-12) / (2016/1-6) / (2016/7-12) / (2017/1-6) / (2017/7-12) / (2018/1-6) / (2018/7-12) / (2019/1-6) / (2019/7-12) / (2020/1-6) / (2020/7-12) / (2021/1-6) / (2021/7-12) / (2022/1-6)











 


7月31日。春学期おしまい。

気が付けば春学期の授業期間が終わっていた。授業もだけれど、今年は授業以外のあれこれの仕事がせわしなくて、一山こえてまた一山、というところはある。春学期は終わったが授業以外のお仕事に宿題があれこれあって今年ばかりは夏休みという感じがさっぱりないのはどうしたものか。
まぁいい。わたくしたちは新しいことをやろうとしているのだ。

一昨年末に、2万3千円という意味不明な値段で買った下宿のノートPCだったが、1年半と少したったところでかなりクリティカルな壊れ方をして一線引退となった。なんとなく、壊れるのであれば物理的なところかなと思っていたけれど、やはりそういうかんじで、使っている時に突然、キーボードの一部のキーが反応しなくなった。USBで外付けキーボードをつないだらそれはちゃんと打てたので、やはり本体キーボードの物理的な接触不良とかが起こったんじゃないかと思う。まぁ、安いからといって扱いを雑にしていた(軽いので、筐体の端っこをもって持ち上げたり動かしたりして、まぁそこでたわみの変な力がくわわったかなあという気もする)のもある。ともあれ、1年半で2万3千円というのは、そう高くもないけれどそう安くもないなあ、というところで、それなりの納得とともに引退、ということになった。で、いま、すぐ買った後継機でこれを書いているわけだが、
そのまえに、大学の研究室に置いててあちこちの会議とかに持っていく用のノートPCというのを先日、購入していた。これは3万5千なにがしで、やはり聞いたことのない「CHUWI」と書いて「ツーウェイ」と読むらしいメーカーのPC。これも安物路線というつもりで買って、しかしそれなりに不足なく動いているし、コロナ以降、学内のWifi環境がよくなったので、便利に使っている。安物の何がいいかというと、気兼ねなく雑に扱えるということで、まぁさすがに1年半で壊れられると残念にせよ、学内で会議なんかのときにひょいとかばんに放り込んで持って歩いている。
でまぁ、しかし、だから、それを買って間もなく下宿のほうのノートPCも買い替えることになったわけで、さて、そろそろさすがに激安路線に飽きてきたところもある。だいいち、安いPCを買ってもしそれでよければ金欠の学生さんに勧められるのではないか、という人柱的な目論見もあったのだけれど、さすがに1年半で壊れるものを学生さんに勧めることはできなかろう(そのばあい最低4年は持ってもらわないといかんわけである)、というわけで、ちょっとこう、安いものを買ったらどうなるかの納得いく事例ができたので、あるいみ自分の使命は果たせたと。まぁ、とはいえ、いまさらべつに高いマシンを買いたいともさっぱり思わない。
で、結論、ASUSのノート、MSOffice2021が載って8万9800円、というのにした。これが妥当なのかどうかはよくわからない。とりあえずいまのところ普通に動いている。

そうこうするなかで自分のパソコン歴、というのをふと思い起こし、そろそろ途中を思い出せなくなってきていることを感じる。中学時代からのポケコンや大学時代のBASIC機は前史とするとして、Windows機についていえば、就職する前の年末にNECの98LavieっていうWin95ノートを30万ちょいで買ったのが最初だった。その2年後ぐらいに下宿の近所のスーパー(?)で98AileとかいうB5サイズのWin95サブノート(これは中古だったかしら?たしか20万くらい)を買い、それから下宿のメインPCとして東芝のDynabookを買い(これはWinXPになってたか?このあたりは十数万円だっただろう)、えーと…というかんじで記憶が定かでなくなってくる。工人舎というメーカーのaperaというWinXPノートはけっこう気に入っていた記憶があり…おなじ工人舎の、有名なSa1fというのも買ったがこれはキーボードが打ちにくくてあまり実用にはせず…オンキョーソーテックの安物マシンはプチフリーズでこれもあまり実用にならず(ここまでがたしかWinXPだったと思う)…で、AcerのWin8マシン、で、ギャグで買った9800円のWin7タブレット、コロナの緊急事態に入ったとき電気屋の店頭で衝動買いしたAsusの2in1マシン、で、このまえの激安Jumper、で、このたびのAsusということになるか。ここにさらに、下宿のメインマシンとして、Dynabookのあとはデスクトップを買っていてそれがOnkyo、つぎにmouse、でいまHP、となっている。また、大学のメインマシンを最初にいつ買ったかがさだかでないけれど確か最初はiiyamaのWin98マシンを電気店でバイトしていた学生さんに都合してもらったんじゃないか、そのあとにNECのLavieの女子っぽい感じのデザインのノートパソコン(これはWinXPだったのかな)を買い、そのあとはまたデスクトップにもどって大学の出入りの業者さん経由でNEC98を買っていて今が2代目じゃないか。そして、これも試しみたいな感じでいちど激安中古パソコン(企業か何かで使ってたのをレストアしたもの)の東芝のWin7機を買ってそのあとがいまのCHUWI、というかんじ。
まぁ、じぶんのばあいちょうど就職のタイミングとほぼかさなっているので、自分が勤め始めてからの歴史を振り返るような趣にもなる。そして、途中のところをなんとなく思い出せないあたり、まぁ自分の歴史などそんなものだなという、まぁいい湯加減の気持ちに落ち着くわけである。

そうそう、7月ぐらいからか、肉食解禁してるのだった。3月ぐらいからプチ肉断ちで魚ばかり食べていたけれど、まぁ春学期けっこうタフだったということもあってようやくじゃっかんダイエットができてきた感もあり、まぁ魚ばかり毎日でも飽きてきたってこともあり、きりのいいところで肉食解禁にした。まぁしかしそれで料理のレパートリーが増えたということにもならず、まぁ比較的、麻婆豆腐の出番が多い感じ。柚子胡椒でつくる赤くない麻婆豆腐とか。でも授業期間が終わったのだからまたちょっとちゃんと料理をすべしであるね。  


 


9月2日。夏の終わり。このところなにをしていたのか。/ レーダーマン。

あっというまに8月もおわって9月。この夏は暑かったのか涼しかったのかの記憶もない。そもそも梅雨明けが早かったとか、そのときむやみに暑かったとか、そのあとまた梅雨が戻ってきたとか、なんかなし崩し的な夏で、宿題も多いし、コロナは蔓延しているし、帰省はできないし、うんざりしつつぐだぐだと過ごして今に至る。

某日、夕方に研究室でそろそろ帰ろうかしらと思っていたときに、たしか天気予報では雷とか言ってたなと思い出して、webの「雨雲レーダー」というのを見てみたら確かに雨雲が接近して雷も近くに来ていた。それで程なく本当にゲリラ豪雨のような雨と雷が来て、なるほどさすがであると感心しつつ雨雲レーダーの予報を見ていたら、いついつに雨は止むであろうと。それでじっさいに雨が止んだようなので、これはやはり面白い。で、携帯電話に入れていたお天気アプリのうち調子が悪くなってたのをはずして、雨雲レーダーの予報をがっちりやってくれそうなのを二つばかり新しく入れて、これでゲリラ豪雨にも安心であると。
さてそれで様子を見ているのだけれど、どうも雨雲が近づいているとかいつ頃雨が降るであろうとかのアラートがちょくちょく来て、なんかそうなるといよいよ下宿から出なくなってきた。まぁ結局どのぐらい予測が当たったのかはよくわからないが、結果としてまたしてもよりいっそう下宿の壁や天井をぼんやり見ながら一日が過ぎるようになった。

ここの過去ログを見るに、2002年の8月からここになにかを書いている。その前から「個人ホームページ」は1997年には作っていて論文など載せていたけれど、2002年にデザインを変えてから今まで、気がついたら20年たっていた。いまなんとなく10年前のこの欄を見ていたら、気がついたら10年たっていたと書いている。それからまた10年たっていたということに感心するし、なんの発展性もみられないということにまた感心する。

大学の9月は奇妙な宙吊りの月ではある。8月が終わっていろいろなことがまた始動しつつ、秋学期の普通授業がはじまるまでの少しの期間は、まだ夏休みの気配もある。この秋学期には、しかし、社会人向けのオンラインの授業というのを担当することになっていて、これがかなり大変そうだということがようやくわかりつつある。
このところ考えていることを話のとっかかりにしようかなと思っているのだけれど、それは、「生涯教育」とか「学習」とかいうことばのちょっとしたニュアンスのひっかかりにかかわってくる。以前から授業で、「私たちは学校だけで学ぶわけじゃなくて、学校を卒業してもずっと成長していくわけでしょ、そのためにいろんなことを学んでいくわけで」みたいな言い方はしていて、つまり、「学習」ということばのニュアンスがちょっと強いのでそれをもうすこし自然にするために「成長」ということばで言い換えて繋げるというのをしていたのだけれど、最近はもうちょっとさらに「変化」とか「経験」とかいうことばでいいかなあと考えてそういうふうに言ってみたりしている。私たちは生きてていつでも変化をしているし、色々なことを経験している、その積み重ねで、たぶん、気がついたら成長しているものでしょう?そういうのが生涯学習、ということなわけで…ぐらいに繋げていくと、いまのところ自分の中でしっくり落ち着きがいい。つまり「教育/学習」ということばをぱっと使うと、出発点から価値とか規範が措定されてそこから導かれる活動、みたいなニュアンスになってしまう気がするんである。たとえば時々学生さんが卒論を「生きがい論」みたいなテーマで書くことがある。そうすると、生きがいがある人生はよくて生きがいがない人生はつまらない、みたいな価値が出発点になってしまいがちで、たぶんそれは落とし穴ということになるだろう。特に何もなくふつうに毎日を生きる、わたくしたちのほとんどが送るような人生で起こっていることをちゃんと見ようよ、と思う。俯瞰的に見れば立派な人生、豊かな人生や、貧しい人生、取る足らない人生を、わたしたちは送っているだろうわけで、そりゃ立派で豊かな人生のほうが貧しくて取るに足らない人生よりいいでしょうと言われればそうだし、そのために生きがいをもちましょうとか学びましょうとか言うのであれば理屈はそうだなあと思いながら、しかしそれは「生きがい」とか「教育/学習」ということばが持っている効果によって俯瞰的な視点から出発してるからそういう言い方になるのでしょう、というふうに思える。たぶんそこに、それらのことばの手っ取り早い魅力があり、また、手っ取り早いゆえの落とし穴があるんだろうと思う。もうすこしていねいに見ていきましょう、特に何もなくふつうに毎日を生きる、わたくしたちのほとんどが送るような人生で起こっていることをちゃんと見よう、何もない私たちの毎日には、しかし、いつでもいろいろなことが起こっているし、かわりばえしないと思っていても毎日いろいろな変わった新しいことがそのばそのばで起こっている。そして、その「いま起こっていること」は、さらにさまざまな「可能性」に開かれている。その「可能性」が刻々「現実に起こること」に推移していって、私たちはつねにいろいろなことを「経験」してそれを積み重ねながら「変化」をしている、として、そうしたミニマムな場において私たちは、たぶん、その変化を、多少なりとも「良い変化」にしようとする、「可能性」のバリエーションのなかからより望ましい可能性を実現しようとする、として(それはプラトン的でもスピノザ的でもニーチェ的でもなんでもいいとして)、そうしたミニマムな場を注視することができたら、とかなんとかいうことをぼんやりと考えている。俯瞰的な目からは見ることのできないミニマムな生、生暖かいスコールの中を歩く湿った匂いと傘に当たる雨粒の音、等々…。そしてそれは、エスノメソドロジー、ということにもなるはずなのだけれど、さて、そんな入り口から出発して、授業ができるものかどうか…。

授業がある時期の朝はチーズトーストとコーヒーをそそくさと食べて急いで下宿を飛び出すと決まっているわけだけれど、この時期は、みょうがをのせたにゅうめんとかになりますな。なすびとか万願寺とうがらしの煮びたしをつつきながらとか。ひきこもっていたぐだぐだな夏にもやはり夏の疲れというのはあったのだろう。  


 


10月10日。季節はめぐるよ。このところなにをしていたのか。

いつも冷蔵庫で紙パックの水出し麦茶を作ってごくごく飲んでいたのがある日、ひとくちも飲まないで作ったそのままをざあっと捨てることになって、つまり季節はめぐる、もう秋なのだと実感するわけである。このところなにをしていたのか。

いや、なんということもなく、授業と会議(研究日と称されている日にストンストンと入れ込まれる)、週末にオンデマンド講義の動画づくり、ちょいちょい学校行事、でまた月曜がはじまる、というかんじで、まぁ過ぎていく。不思議だ。季節はめぐるし日々は過ぎる。

ゴダールについて、何かが言えるのかというと、まぁけっきょくのところ何が言えるわけではない。世代的に、学生ぐらいのタイミングで、あれこれ読んだり追っかけたりしている本の中で出会い、ちょうどそのぐらいのタイミングで、深夜テレビの映画番組で見て(つまりそのころのテレビは深夜枠とはいえ、ゴダールの特集をやったりしていたわけで、いい時代だったわけである)、まぁおおよそは「80年代ゴダール」になんとなく間に合い、というかまぁ映画館に行かない人間なので新作の上映に間に合ったというより深夜テレビとか百万遍のレンタルビデオでいろいろ借りては、およそ『マリア』とか『カルメンという名の女』(これらはたしか深夜テレビ)とか『リア王』『右側に気をつけろ』(これらはたしかレンタルビデオ)あたりぐらいからほぼ同時代的なものとして見ていたとか、その後就職して、見れなかった作品がソフト化されて、VHSビデオとかDVDを買ったりして、関連の本も追っかけて買ったりして、まぁ見るだけは見てもまぁやはりわかりましたかというとそれはわからない、わかったかわからないかもわからないし、わからないといけないのかどうかもわからないじゃないか、というぐあいで、まぁそういう調子で、けっきょく『ソシアリズム』のブルーレイまでは見てこれはやっぱり相当わからないかなあ等々いいつつ、そんなこんなの現在であるわけだった。それで仕方ないので、ジョン・ゾーンが『Naked City』で演っていた『軽蔑』のテーマを繰り返し聴いたりして、まさかこの演奏をこんなかんじで胸に迫るかんじで繰り返し聴くことになるとは思わなかったんだけれど、このところはもっぱらずっと頭の中でジョン・ゾーンが流れている。

ふと気づいたが、深夜テレビでゴダール特集をやっていた時代が良かったというよりは、そういうあれでいえば現在のほうが供給されているコンテンツの総量は桁違いに豊富なのではないかと思う。テレビだけでいっても衛星放送とか有料チャンネルとか多チャンネル化が進んでいるわけだし、それ以外にもWebのオンデマンドコンテンツ?とかもあるわけで、供給されるコンテンツの量も、選択の幅も、拡大しているはずではないか。そして、だとすれば、昔にゴダール特集をやっていたような地上波の深夜テレビが通販番組と若手芸人番組と深夜アニメ番組ばかりになっているとすればそれは、ゴダールを放映するようなチャンネルが別にある、ということなのだろう。自分は、いつのまにやら、ゴダールを見るような人たちの位置から、相対的に遠く離れてしまったのかもしれない。自分が見るような地上波の(あるいはキー局BSチャンネルの)番組は、有料契約もせずただ電源を入れたら映るような番組を見る人たちに向けられた番組で、まぁそういわれればそうだな、と妙に納得してしまった。そして、だからといってそれでは自分も有料映画チャンネルを契約しようか、とか、そもそもゴダールを上映しているところを探して観に行こうとか、じつはそんな気にはさっぱりならない。これしきで気が変わるようならハビトゥスとは言わないのだった。

数日前まで半袖シャツを着て通勤していたのが、急に寒くなった。すごしやすいさわやかな気候はほんの一瞬なのかしらん。なにかあわただしさにかまけて休日もあまり散歩に出歩くこともなくすごしていたのだけれど、もう少し、いい季節を楽しんでおけばよかったかしらとも思う。まぁ、ここからもしばらくは天気は行ったり来たりするだろうし、まぁできることなら気持ちのいい秋の空気を楽しむようなすごしかたをしたいものである。ベランダのバジルたちは、台風をきっかけに部屋に入れて、まぁもうそろそろ今年は終わりかな、という気配。これもまぁ季節ということですな。いよいよ寒さを感じるようになってくると、まぁ今年も肉豆腐とかそういうのをつつきながら晩酌、のような絵がすこしずつ脳裏に浮かんでくる。季節の変わり目というのは寒暖差が身体にこたえるのでなにかやさしくてほっとするおいしいものを食べたりしながら、まぁぼちぼちとなるべく楽しいことをみつけて暮らしたいものである。
 

 

 


11月27日。晩秋はありがたい季節。/ Give me the simple life.

さすがにはだざむくなってきて、学校帰りには日が暮れた道を枯葉をふみながら歩く。去年までの役が終わったもののどういうめぐりあわせか放課後の会議があれこれ残り、やれやれといいながらつとめているのだけれど、思い出したのは、役が当たっていた時はその放課後の会議が二段三段と重ね餅になってたんだったということで、今年はその会議をひとつで失礼して帰るときにそのことを思い出して、やはり大変だったのだな、と思いつつ、いま役が当たっている先生にちょっと黙礼して会議室を出る。

この季節は、10月に姉の誕生日が、11月には不肖わたくしの誕生日があり、そしてなにかめでたいことにあやかってはありがたい気持ちになりたい自分としてはそのつど鯛を買ってきてお赤飯を炊いて祝うことにしているのである。実家に電話をかけて催促し、両親からおめでとうを言ってもらうことにもぶじ成功し、今年もたいへんにありがたい気分である。なぜかしらいつのころからか誕生日には丹生谷貴志のなにかを読むならいができていて、それはどうやらここの欄の2003年の誕生日の前日に、学校帰りに雑誌を買って丹生谷貴志のヴォネガット論を読んで、ぐっとくるなあと思いながらまた、ヴォネガットの誕生日がちょうどその日(つまりロラン・バルトやミヒャエル・エンデ(やまぁついでに自分)の誕生日と一日違いの前日)であることを知ったということが書いてあり、またその翌年にも丹生谷貴志を読んでいた、というあたりから恒例化したようすが読み取れるのだが、今年もまた読んで、また、その後、高野文子も同じ日が誕生日であるということを知るに至り、ちょうど買っていた高野文子のかかわった本たちも読み、ひさびさにひとごこちのついたよい誕生日になった。ありがたいことである。誕生日というものにはなにか前向きなところがあり、むかしのことばかり思い出しては書いているこんな場所に書くにしても、まぁやくたいもない習慣の起源をたどることぐらいはあるにせよ、それでもその習慣をありがたく毎年更新していく、また今年も更新できた、という前向きの − すくなくともその事実が − 確認されるわけで、めずらしくありがたいことである。

ことしの秋学期は、「生涯学習支援論2」という初めて担当する科目のオンデマンド動画を作るのにあたふた過ごしている。しかしせっかくなので、エスノメソドロジー系のワークプレイス研究をあれこれ紹介してみたり、それから自分が以前書いた論文のネタをあるていどじっくり紹介したりすることにしていて、自分的にはけっこう面白い。動画を撮影してはYouTubeに限定公開する。できるだけローテクで、本棚を背にしたバストショットの固定カメラでワンカット長回し編集なし、テロップもなし(タイトルはスケッチブックに手書き)。とうとうユーチューバーかぁ、と思いつつ、しかしYouTube的なことは一切せず、それはつまり映画に対するイデオロギーがちがうということなわけである。バストショット固定カメラといってもぴしっと決まった構図かといえばそうでもなくて、扇子をぱしぱしと叩きながらおちつかないようすでしゃべっているのは、まぁ人間性がそのようなものであるということで、つまり欠落した人間性をその欠落のまま映像として記録するという酷薄さがすなわち自分の映画に対するイデオロギーということになる。とかなんとか。

そういうわけで消耗の激しい晩秋、先月にはジョン・ゾーンを聴いていたのだがこのところはそういうわけでやはりカーメン・マクレエとかである。カーメン・マクレエがしみじみと、あるいは軽快に、あるいはテクニカルに唄う、みたいなのを聴きながらPCでソリティアをやっていると時間が音を立てて溶けてゆく。いままでピンときていなかった「I Cried for You (Now It's Your Turn To Cry Over Me)」を何度でも繰り返したのしく聴く。噛んで含めるように唄われる「God Bless the Child」を聴くと、自分が説教されているような気がして頭が下がりつつこれも繰り返し聴く。軽やかな「Give Me the Simple Life」など聴いて、ああ、シンプルな生活がしたいなぁ、と思いつつこれも繰り返し。

そうそう、この秋は『うる星やつら』のリブート版が始まったり(これは令和の人にどう見えるかは知らないけれどむかしのことばかりで生きている人間からすれば当たり)、それから黒沢清『勝手にしやがれ!!』シリーズ全6作を放映したり、かなり盛り上がっているのである。なんかもうこれからは20世紀のコンテンツの再生産だけしているほうがよいのではないか、と悪い考えが出てくる。

ふと塩鯖を焼いて食べておいしくてまた買ってくる。魚焼きロースター(ガスレンジに乗せて使う、魚焼き器にふたが付いたやつ)を引っ張り出して使ったら意外と便利で、電気の魚焼き機より皮目がパリっと焼ける気がするし、ちょっと燻製チップなんかを入れて目先を変えてみたりもしている。なにかおいしいものを食べるというのは、自分の機嫌をとるのにいちばんてっとりばやいやりかたである。