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(2023/7/1 - 2023/12/31)


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7月17日。気がつけば今年も後半。このところなにをしていたのか。

この前ここになにか書いていたのは5月で、いつのまにか月日が過ぎている。気がつけば今年も後半にはいったことになる。まぁ4月3月の年度で動いている身としては、折り返しだといっても実感がわかないところではあるけれど。あとまぁ、何かの変わり目というのなら、季節が変わるのを実感したら何かの変わり目感は出るだろうけれど、梅雨はまだ明けていない感じ。たぶんさいきんは気象庁も梅雨入り梅雨明けのきっぱりとした「宣言」をしなくなっているというはなしで、梅雨が明けたと見られるとかなんとかいっているうちになんとなくなしくずしてきに気がつけばいつのまにか夏になっていることになるのだろうか。

しかしそういわれてみれば春学期のゴールがちらちらと見えてきている。春学期の授業でおもしろかったのは久しぶりに1年次生の「基礎ゼミ」というのを担当したことで、全学共通のテキストに従って進めていく。こういうのもなかなか楽しいなと思った次第。自分のようなものが大学新入学しょっぱなの演習の先生だと、1年生にマイナスのオーラが伝染してしまうのではないかと心配していたが、テキストがきちんと決まっているので、想像したよりはちゃんと基礎ゼミの先生できてるんじゃないかと思う。そのなかでも、テキストのプレゼンテーション(発声)の章にちらっと鴻上尚史の名前が出てきたのにかこつけて、まぁ鴻上尚史の発声法レッスンのDVD(私物)が面白かったのでといって1時間にわたり紹介したり、パラグラフリーディング/ライティングの章のあたりでは、三森ゆりか「言語技術」が参照されているのにかこつけて、同時並行している専攻専門科目のほうの基礎演習の時間をいただいて言語技術的なワークをちょっとしっかりめにやってみたりして、まぁそのあたりでは自分としては面白くできた。まぁ、授業で何回か練習してもそれだけであれば何かの能力がつくわけではなくて、だからけっこう繰り返し、「基礎ゼミでやってることはこれからずっと使うようなことなので、ほかの授業とかいろいろな場面で思い出しては繰り返しやっていくことで4年間でしっかりと身につくんだからね」みたいに言ってる。まぁそんなもんかなあと。

まぁ、他の授業では、たとえば「格差社会」について何かやれるかなと思ってやっているうちに「格差」って何だ?とわからなくなってきてあれこれ読んだり考えたり、あるいは「社会」って何だ?というのでこれまたあれこれ「社会的なもの」について昔読んで面白かったものを読み直したり考えたりして、まぁいろいろわからなくなってきて勉強するのは自分としては面白いわけである。まぁ、学生さんたちとしては、「格差社会について講義をします」とか言ってた教師が急に「格差というのがわからなくなってきて勉強していたらもっとわからなくなって」みたいなことを言い始めたんだからそれなりに困っているのだろうけれど、まぁこの授業を受けているのは2,3年次生なので、私のことは既にもうそういうジャンルの人だと思ってくれているのでありがたい。

世間ではツイッターがなんだかそろそろ使えなくなるのではないか、ということになっている。イーロン・某がツイッター社を買収してから機能の改悪ばかりしてせっかく出来上がっていた生態系を破壊してしまってユーザーもスポンサーも逃散しているよ、ということになっているわけである。もっとも、ユーザーやスポンサーにとって居心地のよかったその生態系に、なぜかツイッター社にお金が落ちる仕組みがいまいち欠けていた − それが欠けていたからこそ居心地がよかったわけなんだが − のが問題なわけで、それをイーロン・某が破壊したい気持ちはわからないではない。もっとも、ツイッターというのがそもそもそんなかんじの、いかにも金儲けの下手そうな、もっといえばあおくさい甘さみたいなものをずっと捨てられずにここまで来ていた愛すべきSNSだった、という印象はある(創業者のひとりビズ・ストーンの『ツイッターで学んだいちばん大切なこと』はぐっとくる本だ)。
まぁ、自分はとうぶんツイッターを使っていようと思っているし、おおよそツイッターがSNSだという実感もない。自分が読み返すために書き、それがたまに数人の目に触れる、というぐらい。あるいは、そう多くない人や会社やメディアをフォローして、あるいはリストを作って、他人の言葉や考え方に触れたり面白そうな本を知ったりするぐらい。それはそれだけのはなしで、ソーシャルなネットワークがそこにあるかというと、まぁたんに往来で独り言をいったり他人の会話をきいたりしているようなもので、とくに交流はないわけだから、まぁ生態系なるものがどうなったってかまったことではないってのもある。プロレタリアートは祖国をもっていない、そのひとのもっていないものを、そのひとから奪うことはできない、というわけである。

某日、国民の休日だというのに大学は授業かァ、と思いつつ電車に乗って学校に行くとなんだか人の気配がない。おや、と思って学年暦を見直すと、休みとなっている。まったく、大学を信じることができなかった自分が悪かったのである。それはそうなのだけれど、いったい奈良の大学が海の日に休んで何をしようというのか。しかたないので家に帰って焼きそばを作ってビールを飲んだ。  


 


9月6日付でひとつ書いてたのを、どうやら過去ログに移し忘れていたらしい。消えてしまったわけである。ふしぎなもので、消えてしまったら、そこに何を書いていたのか思い出せない。消えてしまった。

少し思い出した。重要なことは、お盆があけたあとぐらいに短い帰省ができたことだった。ちょっといい肉などもごちそうだったけれど、案外と、塩サバのパリっと焼いたやつにきゅうりの塩もみなんかをしみじみいただいておいしかった。それが重要。あとはまぁ、お盆休みあたりからYouTubeでリアクション動画を見るようになった等。  


 


10月26日。あれっと思ったら肌寒くなってた。このところなにをしていたのか。

秋学期もだいたいひと月が経過、ことしは残暑が続いていたはずでしばらく半そででうろうろしていたのだけれど、あるときあれっと思ったら肌寒くなってて、もうスーツを着込んで通勤している。秋学期の時間割の調子もだんだんわかってきたというかけっこう毎日たいへんのようだ。まぁ毎朝スーツを着て通勤して晩に帰宅する毎日というのは、もちろん世間ではそれが当たり前のことである。

ところで勤務先の大学が改組することになったわけである。就職していらいながねんなじんだ「人間学部人間関係学科生涯教育専攻」は、来年度から定員を一学年20人から40人に倍増して「人文学部社会教育学科」になる。まぁ、のびしろを見込んでいただきました、ということである。まぁしょうじき自分が学部長が当たっていた2年間はコロナの話と改組の話をずっとしていたわけで、まぁそのうち前向きにがんばってたほうがここでいよいよ現実になるということである。まぁ、おもいおこせば大学全体で、みんなでああでもないこうでもない、せっかくなんだからおもしろいことをやりましょう、と言いあいながら形になってきたんで、まぁそれがいよいよ来年度にスタートなんだなあというと、なにか感慨もなくもない。まぁ、タイミング的に初年度いっぱつめの広告宣伝がちょっと遅くなってしまったあたりは、まぁいかにもうちの大学だなあというかんじもあり、まぁよくもわるくものんびりとしたところはあいかわらずでやっていくのかなあと思うけれど、まぁともあれ、じつはかなりの工夫を込めたリニューアルである。こうごきたい。

で、まぁ、看板の話ではあるが「生涯教育専攻」から「社会教育学科」へ、さいしょはまぁでも、いろいろネーミングの候補のアイディアがあがっていたうちでいえば結局かなり無難なところに着地したなぁ、似たようなもんかなあと思っていたけれど、新しく加わる先生方をまじえてコンセプトをひとつひとつ再確認したり内容を詰めたり、また今年から新採用の先生といっしょに来年度を見据えつつ授業をやっていくなかで、うーむ、けっこう変わるなあ、そして、新しいエッジを利かせながら、これまでにあった面白い部分もどうふくらませていくか、けっこう新しく考えることはあるなあと思っている。

たとえばそれにかかわってかどうか、「社会教育」ってなんだっけ、というか、「社会」ってなんだっけ、というところを、また考えたくなってきている。「社会的なもの」についてまたおさらいすべしかなぁと思っている等々。

おどろくまいことか1か月以上ずっとYouTubeを見ている。花冷え。というメタルコア?だかなんだかのガールズバンドがあって、夏前にメジャーデビューアルバムをリリース、自分が見始めたあたりでちょうど欧米ツアーを始めてずっと毎日のように新しいライブ動画(たぶんファンかライブハウスの人?がスマホで撮影してYouTubeにアップしたもの、ファンカムとかいうらしい)がアップされたり、また、あれこれの曲のリアクション動画というのが毎日のようにアップされるので、まぁとうぶん飽きないかんじなのである。アメリカ中西部あたりの、黒Tシャツから入墨だらけの二の腕を出し長いひげを伸ばした、ヘビメタ一筋40年みたいなおっさんとかが、壁にBABYMETALのポスターとか貼ったりアニメフィギュアを飾ったりした部屋から、日本のガールズメタルバンドに驚いたり盛り上がったり、逆に「俺はこんなもんは認めん!」みたいに頑なに全否定したりしているYouTube動画を見ると、なんかもう飽きないわけである。あるいは、じっさいにメタルのミュージシャンだという人とかが、曲が始まる前は気楽そうだったのが演奏が始まるとふと真顔になったりニヤリとしたり、目を細めたり嬉しそうに笑ったりすると、ああ、いいなあと思う。コメントの中で「『キル・ビル』みたいな」などという表現が出てくると、そうそう、と思うわけで、タランティーノがレンタルビデオ店で働きながら古今東西のアクション映画を見まくって自己形成したというのと同じように、花冷え。のソングライター&ギター&ボーカル&リーダーのマツリって人は、レンタルCDを10枚ずつ借りてきては聴きまくりながら中学時代からニコ動のボカロ曲にはまったりアニソンにはまったりしながら高校の軽音部で花冷え。を結成してライブハウスで暴れながら現在に至っている、というわけで、まぁ東京の音楽的環境というのは、ヘビメタ一筋40年のおじさんとは違う何者かを形成してしまうようなのだった。

肌寒くなると肉豆腐が恋しくなり…といったことを書きかけて、しかしこれはきっとこの季節に何度も書いているぞと思い直し、過去ログのファイルを検索してみると存外簡単に出てくるのだからITというのは便利なものである。去年も書いていたし、15年前も書いていた。十年一日ならぬ、15年の歳月がまるでなかったかのように変化のない日常というのはありがたいことである。ともあれ今年も既にいちど作っておいしくいただいたものである。善哉善哉。

 

 


12月24日。このところなにをしていたのか / 天井にドラマが。 / 人生でもっとも上等な悩み。

月日のたつのは早いものである。この前ここに書いたのが10月の下旬となっている。いまは12月の下旬、年末に差し掛かっているので、気がつくとまた二カ月がすぎている。そのかん何をやっていたかというととくに画期的なことは何もやっていない。授業をやって会議に出てうちにかえってぼんやりしていたら二カ月がすぎていたというしだい。季節的には晩秋から冬へ、といいつつこの冬はおおまかには暖冬になるのだそうで、たしかに暖かい日がかなりあり、しかしその中で急に寒くなる日が何日かあるというぐあいなので寒暖差に注意が必要である。まぁいまのところはなんとかなっている。お天気のはなしをするぐらい他には特になにも印象に残ることがないわけである。この秋学期は特に、けっこう毎日、あさイチの授業から夕方の会議まで、授業がない曜日にも会議とか用事がひとつぐらいずつぽいぽいっと入って、まぁそれなりにちゃんとべったりと働いてる。

このところなにをやっていたかというと、おどろくべきことに、この前もここに書いていたYouTubeのリアクション動画というのをずっと見ている。3か月ぐらい毎日欠かさず、花冷え。のリアクション動画とライブ動画を見ているわけで、さすがにそこまでいくと音楽がどうこうというよりもたぶん意地になってきてるというか、とにかく毎日あたらしく公開される動画をもれなくすべて見尽くさないと気が済まないいささか強迫的気分だからじゃないかという気もしなくもない。毎日のあたらしい動画に加えて、そもそも2年ぐらい前から流行り始めたわけなのでそのころからの動画は検索を掘っていくといくらでもあるわけで、2年前に流行ったものを今見るのだからとくに情報価値はないものの、まぁYouTubeとはそういうものなのだろうから、ともあれさしあたりはおもしろく見聞きしているのだからいいことにする。曲そのものについても、CDを買って通勤電車でウォークマンで飽きもせず聴いてるわけなので、気に入っているということになる。メタルではあるのだけれどむしろメタルを引用したメタルのカットアップ的なパロディであるようにも聞こえる。YOASOBI「アイドル」とAdo「唱」と花冷え。「我甘党」がおなじようなやりかたで、つまり短い時間の中でたくさんのことが起こっている情報圧縮的な曲として外国のリスナーを驚かせ受けているのを見るのは楽しいわけである。それがいつまでつづくのかは知らない。とりあえずこの年のこの時期にそうだったということを記録しておく。

ある朝、枕もとのテレビの音声が出ないことに気づく。あれこれ試して調べてみると、どうやらhdmiの音声入力ができなくなってるようだ。いつもブルーレイレコーダーをチューナーがわりにしてテレビを見ているのでそうなるわけで、テレビ本体のチューナーで見る分には問題ないようだ。ただしようするに録画した番組が見れないわけなので、困ったことではある。それでまぁ小型のテレビなのでいくらでも買いかえるべしとなるのだが、しかし、あれこれ試して調べる一環としてつないでみた小型プロジェクタをさしあたりのモニタ代わりにしているうちに、テレビを買いかえるのが面倒になりつつあるのは困ったことである。ブルーレイレコーダーにプロジェクタをつないで、プロジェクタを天井に向けて置くと、ちょうど畳一畳ぐらいの大きさの画面になる。下宿の天井が白いのでちょうどスクリーン代わりになるわけで、布団で寝ているちょうど真上に映るのでちょうどいいかんじにはなるわけである。昼間はカーテンを閉めても部屋が明るいのでぱっとしないけれど、夜であればそこそこたのしく見れる。それで、まぁさすがにそれで映画を一本見るかんじにはならないけれど、録画してた連ドラなどはまぁ見れる(BS12で朝ドラ『梅ちゃん先生』の再放送をやっていて録画して楽しみに見ていたが、これは毎週6話ずつ放送なので合計90分、それが見れるなら映画も見れるのでは?と思わなくもないのだがまぁそれはそれ)。この秋クールは「生きづらさをテーマにした作品が多い」とかヤホーで書いてあったが、なんだそのくくりかたはといいつつ『いちばん好きな花』をまぁねぇといいつつ見て、それと『セクシー田中さん』は原作マンガがいいうえにドラマもちゃんとよかったので楽しみに見た。のちにこれらのドラマを思い出すときには天井に映った画面で思い出すのかしらん。

卒業論文、今年もまぁばたばたしつつみなさんなんとか完成。学生さんたちが論文作成に呻吟しているのはよい光景である。共同研究室で4回生たちがパソコンの画面を覗き込みながらうーうーいっている。いやねえきみたちねぇ、卒論の文章をどう書いたらいちばんいいのかで悩むなんてのはねぇ、人生でもっとも上等な悩みですよ。金がなくて悩むとかさあ人間関係で悩むとかさあ人生で悩みはいろいろ出てくるわけじゃん、そんなかでいったらさぁ、どうすれば自分の研究をうまく伝える文章になるかで悩んでるなんて幸せなことじゃないですかぁ。とかゲラゲラ笑いながら激励の言葉をかけると、「うー!そうだけどー!やだー!」等々言って苦しんでいるのでたいへんに楽しかったわけなのである。