教 育 社 会 学 教 育 の 社 会 学
石飛和彦
0:はじめに
教育社会学を教え/学ぶという活動には、ある「奇妙さ」が含まれている。本稿の目的は、その「奇妙さ」の構造を社会学的に明らかにすることにある。
1:問題の所在
私たちは大学で教育社会学を教え/学んでいるが、そうした活動には(例えば家でテレヴィを視たり、友人と世間話をしたり、あるいは実際に学校や生涯教育機関で教育に携わる事と異なる)いかなる固有の意義があるのだろうか?
家でテレヴィを視ていたっていいものを、現に私たちはわざわざ授業料を払い・電車にまで乗って大学に来て教育社会学を勉強している。そうすることの意義を、いかにして論証することができるのだろうか?
学としての教育社会学の固有の特性と存在意義については、その草創期以来繰り返し議論がなされてきた。その理由はほぼ次のように考えられている:教育社会学は、読まれる通り「教育学」と「社会学」との中間領域に成立した為に、教育学と社会学という別々の特性を持った科学を融合させ、かつその両者のいずれの下位領域にもならない一個の独自性を持った科学として確立されようとしたためである、と(1)
。そしてそこで重要な論点となってきたのが、教育実践と教育社会学的研究との関係の問題であった。この問題は、まず教育社会学の基本的な性格付けを「教育学」に見るか「社会学」に見るか、という形で議論され、「教育的社会学」(教育実践の諸問題に指針を提供すべき”当為”の学としての「教育学」に属する)と「教育の社会学」(教育現象を客観的に認識することを目指す”存在”の学としての「社会学」に属する)とが対比された。同じ問題はまた、「(日本の)教育現実から出発すること」と「(欧米から輸入された)最新の社会学理論を援用すること」との対比、「政策科学」と「純粋科学」との対比、「経験的研究」と「理論研究」との対比等々変奏されながら、現在にまで至っているといえる。
ところが興味深いことに、そうした議論において焦点となるのはあくまで(学校をはじめとするいわゆる「教育現場」における)教育実践と(研究者としての教育社会学者が産出する)教育社会学的研究との関係であって、教育社会学者が教育者として大学の授業で教育社会学を教育するという実践については議論がなされていない。本稿で問題としたいのは、まさにこの、教育社会学を教え/学ぶという実践的活動である。すぐさま想像できるように、この問題はある種の屈折した自己言及的な構造を持っている(教育社会学の教育を社会学する…)。しかし、この屈折こそは教育社会学という学問領域に固有な特性であって、それを措いては教育社会学のアイデンティティ問題そのものが成立しないということを、以下に確認していきたい。
2:教育社会学教育の制度的文脈 −
学歴社会と教育社会学
最初に確認されなければならないのは、教育社会学に限らないほとんどの学問領域が、現代社会においてはもっぱら大学という場をその基盤としているということ、そしてその大学という場が現在あるほどの規模で存立しているのはひとえに学歴社会という制度的文脈においてであるということ、である。
教育社会学の学歴社会論の知見に従うならば、現代の学校教育システムはある意味において過剰に肥大することによって学歴社会を形成している
− 逆に言うならば、学校で教えている教育内容の具体的な効用は、学校教育システムの肥大ぶりに比してあまりに小さい
−
平たく言えば、学校生徒達は「役に立たない」勉強をするために(しかもしばしば自分でもそれに気付きながらなお)上の学校に進学し、また学校卒業生を受け入れる社会の側でも学生達が「役に立たない」勉強をしてきた事を半ば承知の上でなお高学歴者を優先的に採用しようとしている、と言うことができるのである。こうした学歴社会がなぜ成立するかという社会学的メカニズムについてはここでは詳しく論究できないが(2)
、さしあたり本稿の関心にとって重要なことは、現代社会に於いてアカデミックな知というものが決してそれ自体として正当性を持たずあくまでも学歴社会という文脈の中に埋め込まれることによって初めて意味を持ち得ているということである。
こうした問題は、教育社会学の研究対象であると同時に、また教育社会学という学問領域そのものの問題でもある。例えば我が国の第二次大戦後の教育社会学の発展について柴野(1986)は次のように述べている:
戦後の発展期は、「幸運なる出発」(清水義弘)で幕を開けた。その意味は、占領下の学制改革によって教育社会学が教職課程のなかに組み入れられ、講座開設という制度的保障のもとで学問的市民権を得たということである。つまり教育社会学は、その学問的成熟という内発的要因の発展的帰結によってではなく、教職のための実践的学問として期待されるという制度的要請に導かれて「再出発」したのである。
(…) 従って、日本の教育社会学界特有の教育社会学をめぐる学問論議は、
…
戦後の再出発にともなう制度的、方法論的課題を精算するための不可欠な作業でもあったというべきであろう。(p.6)
この指摘は、本稿前節で紹介した教育社会学の学的アイデンティティをめぐる議論に対する新しい視角を含んでいる。教育社会学は教育実践に寄与するべきであるか・あるいは客観的認識を志向すべきであるか、という二者択一的な問題設定は、教育社会学みずからの「出生の秘密」
−
すなわち、教育社会学という学問領域そのものが、教職課程という学歴資格制度に相関する形で初めて(再)誕生し得たということ
− から我々の目をそらす仕掛けとなっている。教育社会学が、学歴社会の制度的文脈を離れて学そのものの内在的要因のみの次元では固有性も存在意義も持たずそれこそ「役に立たない」かもしれない、という危機的事態がそこではそっくり隠蔽されていると見る事ができるのである。
さて、少し話を戻すならば、こうした危機は、教育社会学に限らず、現代の学歴社会において営まれているほとんどの学問領域が何らかの形で抱え込んでいるものである。ところが
− これを本稿では強調するのだが − 教育社会学は、みずからの存在の基盤である学歴社会を社会学的に解明していくことによって、かろうじて逆説的に学としての固有性と科学性を獲得するのである。
学歴社会における科学的思考の自己批判としての教育社会学
− 教育諸科学の中で他ならぬ教育社会学を特にそのように規定する所以を、以下では、社会学という方法の特性を検討することによって確認していくことにする。
3:社会学的方法の規準 − E.デュルケームの「方法」
社会学者は、社会について語る。しかし、社会については社会学者ではない「ふつうの」人々もまた日常生活の中で同様に語っている。しかも、「ふつうの」人々として私たちは、社会学など知らなくても社会について過不足なく「知って」いるし、現にそうやって日常生活をつつがなく送っている。では、社会学者はいかなる意味において「ふつうの」人々と異なる「科学的」な活動をしていると主張しうるのだろうか?
『社会学的方法の規準』を著し現代社会学を出発させたE.デュルケームにとっての問題は、そこにあった。『規準』第一版序文は次のように書き出される:
人は社会的事実を科学的に取り扱うことにほとんど習熟していないので、この書物のなかに記されている若干の命題は、読者を驚かせることになるかもしれない。しかし、いやしくも社会についての一科学が存在するとすれば、それは、種々の伝統的偏見の単なる敷衍にとどまるべきではなく、一般人の目に映じるのとは異なった仕方でものを見るようにさせることを予期しなければならない。(…)従って、他の諸科学ではすでに常識の権威はとうに失われている以上
−
なお、なぜ常識に権威が付与されうるのかは知る限りではないが
− 社会学においても、科学者は、それが方法的に導かれたものである限り、自分の研究の到達した結果にたじろぐことのないよう断固たる決意を持たなければならない。(…)われわれはいまだこうした問題すべてを常識のおしえるところによって割り切ることを習い性としているので、常識を社会学的議論から切り離すことは容易ではない。常識から自由になっていると思っているときでも、我々の無防備を突いて、常識はその判断を押しつけてくる。(…常に注意せねばならないのは)もっとも一般的に行われている思考の様式は、社会現象の科学的研究にふさわしいものであるよりは、むしろそれに反するものであることを心に掛けておくこと、従って、社会現象についての第一印象に警戒を怠らないことである。(邦訳書p.15-6)
ちょうど100年前のデュルケームにとって社会学の「科学性」はいささかも自明なものではなかった。まさに社会学だけが「常識の権威」との競合状態にあり、そうした地点から、まさに「常識」との闘争(特に自らの内部に巣喰う「常識」との闘争)を通じて科学性を勝ち取っていく「方法規準」として、現代社会学は出発したのである。
デュルケームが具体的に示した規準、「社会的諸事実を物のように考察すること」というテーゼについてここで詳しく論究することはできないが、本稿の文脈に重要な点をいくつか指摘することはできる。彼によれば、社会におこる諸現象は、その社会の人々の個人心理を全員ぶん合計すれば導ける、というものではない。社会はそれ自体として固有の、「物のような」具体的な存在であって、むしろ「常識」を介して人々を「外側から」「強制力を持って」動かすものである。こうした「社会現象」を認識するとは、@「ふつうの」人々の「常識的思考」を批判的に検討しその基盤である「社会的な力の作用」を見出すことである。しかし同時に、先に触れたとおり、その認識がA社会学者自身のそれを含む「常識」との闘争を経ることによって、言い換えれば科学としての自らの思考の基盤を批判的に探っていくことを通じて初めて達成される、ということに注目がなされねばならない。このような意味において、社会学はその方法の核心において、自己言及的に奇妙に屈折した、思考の自己批判だと言えるのである(3)
。
4:教育的関係と社会学教育
ここで、(教育)社会学を教育するという実践に含まれるもう一つの「奇妙さ」が現れてくる。それは、「教える」ということそのものに内在する問題に起因している。
「教える」とは、どういうことか。最もナイーヴに考えるならば、それは「知識の伝達」に還元される。教師は専門知識を有している。学生は白紙の状態である。教師が学生に知識を伝える。学生が知識を習得する。試験が行われ、教師の知識を学生がどれだけ精確にコピーしているかチェックされる。こうした教育観は単なる観念にとどまっておらず、現在私たちが親しんでいる教室はまさにこうした教育観を物質的に表現したものだと言える。教壇と学生全体を結ぶ斜めの視線、ちょうどその傾斜に沿って、水位の高い方から低い方へ向けて、知識が流れ込む、というわけだ。
ところが、この図式は社会学を教える際にはうまく当てはまらない。先に触れたとおり、社会学においては「ふつうの」人々
− この場合は学生 −
の中には既に「常識」が充満している(それは、テレヴィでタレントが喋っていたことや、友人とのお喋り、あるいは自分の実体験から得た経験則などを含むだろう)(4)
。こうした常識は既に過不足なく社会について説明を与えてくれるし、学生は現にそうやって彼らの人生をリアルに生きてきた、ということは、そうした常識は至上のリアリティを持っているということをいみする。一方、社会学者の側は、先に述べたとおり、自らの中に巣喰う「常識」を疑う(ソクラテス的な意味における)「無知」のスタンスを取っている。もちろん、社会学にも100年の理論的蓄積があり、そういう意味での「専門的知識」を社会学者は持っていないわけではない。しかし、そうした「専門的知識」を含めて自ら批判的に検討する事こそがデュルケーム以来の社会学の「方法」である以上、社会学者は絶対的に「無知」なのである。ここでは知識についての先の「傾斜」が逆転している。それが、先に述べた「奇妙さ」なのである。最初学生は、知識が自動的に自分の方へ流入して来ることを期待するが、どうやらそうなってはくれないと気付くと、今度は授業の中に登場する「専門的知識」を拾い集め、それを自らのリアルな「常識」に照らして、合致するものを取り込んだ上で、合致しないものを「机上の論理」(この単語はレポート等の中で実に頻繁に登場する)と断じる。かくして、油断していると、半期ないし通年の授業終了時には、学生の人生観(というか、それじたいが社会通念的な「常識」の複製なのだが)と社会学の専門用語とが奇怪に混合されたレポートがほぼ学生の人数分、社会学者の元に届けられることになる。
こうした逆倒した構造の中で、社会学教育は必然的に「闘争」たらざるをえなくなるだろう。それは、社会学レポートの名において人生観を表現("ex-pression";まさに「押しつけ」)しようとする学生との「闘争」であり、またそれ以上に、知識と教育の傾斜的な構造の上に成立している学校制度との「闘争」であり、またそうした学校を自明視して疑わない我々の社会(話を戻すならば、それを「学歴社会」と特徴づけることができるだろう)それ自体との「闘争」でもあるだろう。こうした幾重にも重なった闘争の場であること、しかも社会学者は「無知」だけを手がかりにその闘争を戦わねばならないということ、これが、「教育社会学を教え/学ぶこと」の「奇妙さ」の社会学的構造である。
5:おわりに −
教育社会学のアイデンティティ問題・再考
教育社会学は教育の実践的指針を示すべきか、あるいは教育現象の客観的認識を目指すべきか?
本稿第1節に紹介したこうした「アイデンティティ問題」を、ここで再び取り上げてみよう。
既に述べた通り、こうした議論じたいが、教育社会学の固有の「奇妙さ」を隠蔽している。「実践的指針を示す」にせよ「客観的認識を目指す」にせよ、それにはまず教育社会学が「ふつうの」人々(この場合は「教育界」)に対してより多くの知を所有し得ることが前提とされているはずなのだ。しかし、既に述べた通り、教育社会学は他の多くの諸科学と同様、さしあたり、その科学性の社会的基盤を「学歴社会」という制度的文脈に負っている。あるいは、前節の文脈に言い換えるならば、教育社会学研究者が「ふつうの」人々にたいして実践的指針なり客観的認識なりを与え「ふつうの」人々がそれを受け入れる、という図式じたいが、通念的な「学校教育」の模倣となっているのである(5)
。
教育社会学にアイデンティティがあるとすればそれは「研究」の局面でなく「教育」の局面に見出されるものだろう、という本稿の立場は、おおまかにはこういう理由にもとづいている。そこには、実践的か客観的か、などという暢気な議論を基盤から浸食する形で、何重にも重なった「闘争」の場が広がっている。そしてもし、教育社会学的研究が大学の教室の外の教育実践に対して関わりを持つとすれば、それは教育社会学的な意味での教育への「無知」を「闘争」の装置として社会的言説空間の中に戦略的に流通させていくことをおいてほかにないのである。
【註】
(1)
教育社会学の学としての成立の経緯については、柴野・麻生・池田編(1986)の序論及び第1部を参照されたい。
(2) 学歴社会の構造については、R.コリンズやS.ボウルズ=H.ギンタスの「葛藤理論」、あるいはL.C.サロウの「スクリーニング理論」、J.W.マイヤーの「正統化理論」等の古典的研究があり、また最近では薬師院(1995a,b,1996)が興味深い視点を提示している。
(3)
この点については、社会学の最新の学派の一つである「エスノメソドロジー」が追求している。H.ガーフィンケル(1967)、H.サックス(1963)を参照されたい。
(4)
特に、「教育」という分野にはこうした「常識」が「教育の理想」という形で充満している。教育の理想と社会学的認識との奇妙な関係については、森(1990)が明快な議論を展開しており、本稿の文脈と重なる部分で大きな示唆を得た。
(5)
例えば、この問題についての最新の成果(志水(1993,1996))の中で志水氏は、「分析的・操作的な知」に対する「臨床の知」のあり方を強調する。その議論は本稿でいう意味において「闘争」的であり大きな示唆を得たが、ただ、「臨床的学校社会学」としてそこで提起されている立場が、「教育現象のよりよい理解」を目指しそれによって「教育現場に根ざした研究を蓄積することによって、間接的なインパクトを教育現場に与えること」(p.63)である、とされるとき、何かしら奇妙に後退した「科学主義」的印象がふと漂うように思われる。言うまでもなく氏の立論は極めて現実的であり、その意味で実践的でもあり、実際にその成果(志水・徳田編(1991))も産出されているという意味で、極めて正当である。にもかかわらずここでは一つの疑問を提起してみたい。教育社会学者が学校教育の「現場」で「学校・教師との協働関係」を取り結ぶ場合、名刺に書いてある肩書き以外の何が研究者の「科学性」を保証し、「現場」との間に固有の立場と存在意義を確保してくれるのだろうか?
また、「研究者と現場との共同作業の果実としての研究成果」は、いかなる権利において「単なる経験則」を越えた科学性を主張しうるのだろうか?
【文献】
デュルケーム、E. 1895=1978
『社会学的方法の規準』岩波文庫
Garfinkel,H. 1967 Studies in Ethnomethodology. Prentice-Hall.
森重雄 1990
「教育社会学における理論」『教育社会学研究』第47集
Sacks,H. 1963 'Sociological Description' in Berkeley Journal of
Sociology,8,pp.1-16.
柴野昌山 1986「概説 日本の社会学
教育」柴野他編(1986)所収
柴野昌山・麻生誠・池田秀男編 1986『リーディングス日本の社会学
16・教育』東京大学出版会
志水宏吉 1993
「変化する現実、変化させる現実:英国「新しい教育社会学」のゆくえ」『教育社会学研究』第53集
− 1996「臨床的学校社会学の可能性」『教育社会学研究』第59集
志水宏吉・徳田耕造編 1991
『よみがえれ公立中学』有信堂
薬師院仁志 1995a「消費社会と学歴社会」『京都大学教育学部紀要』第41号
− 1995b「学歴社会の仮想現実」竹内洋・徳岡秀雄編『教育現象の社会学』世界思想社所収
− 1996
「正当化理論の陥穽」『教育・社会・文化』第3号
( いしとび・かずひこ 教育社会学担当非常勤講師 )