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日本教育社会学会第49回大会理論部会発表要旨(1997/10/11)
「方法と反省」
発表者:石飛和彦(天理大学)

0:はじめに
恐らくはいわゆる「パラダイム論争」以降、教育社会学的研究における方法論的反省が試みられる度に、誰がいつ発話したとも同定できないほど繰り返し気軽に口にされている「批判」がある − 曰く、「ナイフの切れ味を競い合うあまり、刃の研ぎ過ぎで使いものにならなくなってしまう」。この奇妙に執拗な比喩が、本発表の出発点である。この比喩の奇妙な点は、あたかも反省さえしなければ方法論を自由に活用しうるかのごとき口振りにある。言う迄もなく、「パラダイム論争」の一つの中心であるはずのエスノメソドロジーが提起し続けてきた問題は「方法」と「反省」をめぐるそうした比喩それ自体をめぐるものであった。すなわち、ガーフィンケルにおいては、@「方法」は「素人であれプロであれ社会学しつつある成員」によって常に用いられているものであり、言い換えれば、「使う」ものではなく「遍在している」ものである;A「反省」は、"'uninteresting' essential reflexivity"として、すなわち、あらゆる成員の「方法」に常にまとわりついているものとして把握されている。"uninteresting"とは、成員が「方法」を用いる際にそれだけは見て見ぬ振りをし抑圧することによって初めてリアリティを産出し得ている、という程度のいみである。そして抑圧というからには、それを指摘された際の反応は、論理的と言うよりはむしろ感情的な非難・揶揄といった色彩を帯びるだろう。冒頭に紹介した比喩(揶揄)こそは、ガーフィンケルが30年前に指摘し、かつそれをめぐって議論を展開した当の社会現象の反復なのである(ナイフの比喩で言えば、ガーフィンケルは、「方法」と「現実」の存在論的位置づけについて"No cutting, no cake."という比喩を用いている)。本発表は、こうした点を出発点にし、教育社会学実践における「方法」と「反省」の位置づけを再検討することを目的とするものである。

1:「眼鏡」の比喩
議論の簡便のため、ここで、社会学者に親しみ深い「眼鏡」の比喩に注目しておく。曰く、我々は「現実そのもの」を見ることはできず、ある「眼鏡」を通して見ているのだ。一般社会成員は「常識」という「眼鏡」で、また社会学者は「理論」という「眼鏡」で現実を見るが、ところがその「眼鏡」は実は社会が我々にかけさせたもので、透明不偏でも普遍的でもないいわば「色眼鏡」である。さて、そこから導かれるのは相対主義的な「リアリティの多元性」であり、恐らくP.L.バーガーに代表されるいわゆる「リアリティ構成論」がそうした認識論を最も先鋭に理論化しているだろう。ただし、こうした「眼鏡」的な認識論そのものは「より伝統的な」社会学においても実は一般的であり、例えば「理論」や「方法論」という「眼鏡」によって、「常識」の「眼鏡」で見えなかったものを見る、といったいささか異なるニュアンスではあるが基本的構図そのものはバーガーのものと変わらない。さらに言えば、一般社会成員の認識観も実はこの「眼鏡」の比喩で言い当てられるようなものであるといえる(例えば、「現場」においてはしばしば、社会学的な知見は、「そういう見方もあるかも知れないが、だから、何なんだ?」と言われ、「机上の空論」と呼ばれる)。そうした意味では、冒頭に触れた「パラダイム論争」そのものじたいを含めた我々の認識観・「方法」観じたいが、この「眼鏡」の比喩の内部に大掛かりなやりかたで閉じこめられているのではないか、と考えられるかもしれない。

2:E.デュルケームにおける「方法」の叙述
しかし、現代社会学のひとつの出発点、E.デュルケームにおいては、社会学とはまさに「眼鏡」の比喩との闘争ではなかったのか。
彼は『社会学的方法の規準』という彼の方法論的主著において、社会学という「方法」についての「規準」を考案し発表した、というわけではない。『規準』の読者が第1章として読むのは「社会的事実とは何か」である。すなわち、「方法論」的な叙述に先だってデュルケームが直面していたのは、その科学の対象たるべき社会的事実なるものの存在すら知らない読者(=社会)に対してその存在を捏造してみせることに他ならなかったのだ。「捏造」とはすなわち、「社会的事実」の観察が「社会学的方法」を通じて初めて可能なはずである以上、「社会的事実」と「社会学的方法」は相互にその事実性を反映的に確定し合う相関項であり、デュルケームは『規準』のテキストによってそうしたそれ自体としては自己完結的でトートロジカルな「社会学的方法」と「社会的事実」と(cutting/cake)を同時にこの世界に現出せしめた、といういみである。
そしてここで重要なのは、『規準』のテキストがテキスト内の矛盾・揺らぎ・断絶を通じてその「捏造」の過程をむしろ露わにしている、という点である。我々はデュルケームの語る「方法」を真に受けるべきではないのかもしれない。むしろそれを、局所的には破綻なくなめらかに一貫しながら全体を見るとなぜか矛盾をきたす、あるいは逆に局所的な破綻をぬけぬけと積み重ねながら最後の結末に破綻なく到達してしまうような、ある種のジョークとして受け止めねばならないのかも知れない。それはすなわち、社会学的な方法を、それ自体完結した「眼鏡」として見るのではなく常に「反省」への契機を抱え込んだ、むしろ「眼鏡」という比喩じたいを破壊していく装置として見るということにほかならない。

3:理論と実践 − アイデンティティ問題・再考
「現実」を「眼鏡」を介して「認識」するという比喩の内部にある限り、我々は「理論と実践」という二項対立に囚われることになる。しかし、「反省」を免れる自己完結的な「眼鏡」があり得ないとすれば「理論」は既に一つの「実践」であるし、また「眼鏡」から独立した「現実」が存在しない以上、「実践」は既にひとつの「理論」である。
こうした命題は、実はたんなる言葉の遊び以上の切実さを帯びている。なぜなら、そこでは、真の意味において「プロの理論=実践」と「一般社会成員の理論=実践」とが競合しているという事態が指摘されているからである。それはバーガー的な「多元的リアリティ」の並存ではなく、『規準』序文のデュルケームが宣言していた通り、社会学と一般社会成員とは「現実認識」の産出を巡って積極的な闘争関係であるといえる。しかも、社会学者として(少なくとも概念上は)大学ないし学会という制度的な場において、かつ、科学の名に於いて活動をする以上、我々は構造的には常に「現実」から距離を置いた「理論」の側に位置づけられかねない立場にあるのであり、その意味では、例えば「当為か存在か」「純粋科学か政策科学か」といった二者択一以上に切実な問題として、自らの「理論言説」を組織し「現実」の側へ闘争を仕掛けていかねばならないはずなのである。
ここで、デュルケームの『規準』に続く闘争の試みとして、エスノメソドロジーを位置づけ直すことができる。エスノメソドロジーに於いては、「眼鏡」に代表されるような視覚的な比喩に代えて、触覚的な比喩によって「反映性」が言い当てられている。ろくろの上で形を成していく壺と掌の関係、あるいはエッシャーの「手を描く手」という比喩は、単なるミクロ社会学のモデルとしてではなく、社会学における「方法」と「反省」、「実践」と「理論」との無媒介的な同時性を言い当てるものとして捉えられねばならない。

4:おわりに
以上のような闘争は、あらゆる社会的な場面の「いま−ここ」に潜在している。エスノメソドロジカルな研究がありとあらゆる「局所」に向かうのは、そのためである。逆に言うならば、ミクロな「局所」に拘ることにのみ拘泥しては、「いま−ここ」でまさに起こりうる闘争を回避することになるだろう。そのいみにおいては、大学の授業という場・あるいは研究を発表し論争し流通させる学会という場そのものこそが、教育社会学領域に於けるエスノメソドロジカルな研究の特権的な「いま−ここ」ということになるだろう。ミクロ/マクロ、あるいは量的/質的といった二者択一ではなく、まさに理論が行われつつある場においてその方法に反省的に関わっていくこと。そのための戦略的な装置として社会学を組織していくことが、本発表の提案である。

【文献】
石飛和彦(1997a)「教育社会学教育の社会学」『天理大学生涯教育研究』no.1
− (1997b)「神話と言説」『教育・社会・文化』no.4

【当日配付資料】

補注A:デュルケームによる(方法/対象)=「社会学言説流通空間」の設定

『規準』第2版序文は、デュルケームが社会学言説流通空間を切り開いていった際の困難に満ちた経緯を伝えている:

この書物が最初に世に問われたとき、かなり激しい論争を引き起こした。一般に流布していた諸思想は、いかにも面くらい、当初ひじょうに強い抵抗を示したため、しばらくのあいだ本書のいわんとするところをほとんど理解してもらうことができなかった。(p.21)
社会的諸事実は物のように扱われなければならない、というわれわれの方法のまさしく根底をなしている命題は、もっとも多くの反論をよびおこしたもののひとつである。筆者が社会的世界の現実を外的世界の現実と同じように扱っていることを、人は奇妙で言語道断なことと考えた。(p.23)
興味深いのは、デュルケーム自身が、自分がそうした空間を創出しつつあるということに十分すぎるほど意識的だということである。同書の結語付近にある有名な、奇妙な記述はそれを示しているだろう:

…多数の顧客をあつめることはわれわれの目的ではない。むしろ反対に、社会学はいわゆる世俗的成功を放棄し、およそ科学というものにふさわしい秘教的な性格を獲得すべきその時点に立ちいたっていると思われるのだ。そうすれば、社会学は、おそらく通俗的な親しみにおいて失うであろうものを、威厳と権威において取り戻すにちがいない。というのも、社会学が…いかなる専門的な能力も前提としないかぎり、それは、情念や偏見を沈黙させるにたるほど堂々たる声で語る資格をもたないからである。(p.269)

補注B:『規準』における「眼鏡モデル」批判と「揺れ」

第1章の概念規定を受け、第2章においてデュルケームは具体的な「方法規準」を語り始める、かに見える。しかしながら第1章に対する第2章の関係は理論とその実現プログラムといった単純な関係ではないということに注目しておこう。第2章のデュルケームは第1章における自らの自制にいきなり抵触する視点を導入しながら語り始めているのである(そのために第2章のデュルケームはいささかの居心地の悪さを抱え続けることになるだろう)。その視点とは、他ならぬ「(諸)個人の意識」の視点である − すなわち、社会学を実践していこうとしているデュルケーム本人・読者をふくむ「われわれ」、あるいはより通俗的な「人々」といった登場人物の視点が導入され随時参照されることによって議論が進んでいくのである。例えば第2章第1節は次のように語り始められる:

ひとつの新たな種類の諸現象が科学の対象となってくるとき、ふつうそれらは感性的なイメージによってばかりではなく、大ざっぱながらすでに形成されている様々な種類の概念によって、精神の中にあらかじめ表象されているものである。…人間は、諸物からなる環境のなかにあって、それらについて種々の観念をつくりあげ、これをもってみずからの行為を律することにより、はじめて生きていくことができる。ところが、それらの観念は、これが対応づけられている実在よりも、われわれにより近しいものであり、より手のとどく範囲にあるため、われわれはおのずと、それらを実在に置き換え、思弁の対象とさえしがちである。…実在にかんする科学に代えて、もはや観念論的分析を行っているにすぎない。(p.71-72)

そうした観念は、「遮蔽幕」として、あるいはF.ベーコン言うところのイドラとして、科学者の前に立ちふさがるという:

つまり、諸物の真相をわれわれの目にゆがめて映じさせながら、しかも物そのものであるかのように感じさせる一種の幻影なのだ。しかも、この仮想の環境は人間精神に何の抵抗ももたらさないため、精神はいっさいの制約を課されていないと感じ、はてしもない大望にみずからをゆだね、独力でおのれの欲するがままに世界を構成できる、いな再構成できると思いこんでしまう。(p.75)

しかも、そうした困難にもっともおそわれやすいのが他ならぬ社会学だというのだ:

…ベーコンの表現をふたたび借りれば、これら[通俗的観念ないし]予断が精神を支配し、事物にもとって代わろうとする状態にあるのが、他にもまして社会学の場合だということになる。事実、社会的なものは人間によってのみ実現されるのであり、人間の活動の一所産にほかならない。このため、社会的なものは、生得的なものであると否とを問わず、われわれの内なる観念の所産、すなわちこの観念を人間相互間の関係に伴って生じるさまざまな状況に適用したものにすぎないかのように映じる。(p.76)

ところで、デュルケームが筆を進め社会学者の困難を次のように説明するとき、そこで参照されている登場人物(「我々」ないし「人」)は、科学者としてよりも、より一般の社会成員として語られ始めているように思われる。つまり、ここで論じられている困難は、素人であれプロであれ社会学しつつある成員が直面している現象を指している:

このような見方が信じこまれているのはなぜか。それは、社会生活のことこまかな事実が、あらゆる面で意識の外部に逃れでていて、意識はそれらの事実の実在性を感じ取るだけのしっかりした知覚をそなえていないからである。…しかも、社会生活のことこまかな事実、すなわち具体的な個々の形態は、われわれの意識から逃れていながら、少なくとも集合生活のもっとも一般的な諸側面だけは大ざっぱに近似的にわれわれのうちに表象されている。この図式的で大ざっぱな諸表象こそが、ほかでもない、われわれが日常生活のなかでなにげなく依拠しているあの様々な予断を形成している当のものである。このため、われわれは、自分の存在を認めると同時にこれら予断の存在を認めることになり、それに疑いをさしはさむことなどは思っても見ない。これらの観念は、われわれの内部にありながら、それにとどまらず、くりかえし行われる経験の所産であることからして、反復およびそれに由来する習慣のおかげで、一種の支配力と権威を獲得する。…こうしたもろもろの事情が働いて、人はこの予断のうちに真の社会的実在を見てしまうことになる。(p.76-77)
以下、デュルケームはしばらく、コント、スペンサーの社会学、道徳理論、ミルの経済学といった諸科学を例に取りながら、その観念論的なロジックとそれ故の困難(というより、観念から出発してしまっているがゆえの、通俗性への転落の危険)を示していくのであるが、その叙述に区切りがついたところでやおら、段落を改めて次のように宣言する:

ともあれ、社会現象は物であり、物のように取り扱われなければならない。この命題を証明するには…それらが社会学に提供される唯一の与件であることを確認するだけで足りるのだ。…なるほど、社会生活は若干の観念の展開にすぎないと考えることは可能である。ただ、そのように仮定してみたところで、それらの観念は直接的な与件を構成はしない。だから、それらに到達しようにも、直接というわけにはいかず、それらを表現してくれる現象的な実在を通して迫っていくほかはない。…さればこそ、社会諸現象は、それらを表象する意識的主体から切り離して、それ自体において考察されなければならないのだ。すなわち、外在する事物であるかのように、外部から研究されなければならないということである。(p.90-91)

「ともあれ」…! いかにも唐突に、第2章第1節の結論となるべき命題が示され、以下数ページ、その命題への様々な角度からの注釈が続いて節が結ばれることになる。この修辞上のいささかの不整合も、先に注意しておいた第1章と第2章との論理的なズレを考慮に入れれば容易に納得できるだろう。無論、その点についてデュルケーム自身十分に自覚的なはずだ − もし不連続を回避したければ、デュルケームは社会学者の困難など最初から説明しなければ良かったはずのだ。第2章においては、第1章に引き続く形でトートロジカルに、ただ「社会現象は物であるから物のように取り扱わなければならない」とだけ語り、その注釈のみを記していればよかったはずなのである。にもかかわらず実際のテキストがこのような形を取っている限り、そこに我々はデュルケーム自身の意図的な選択を読みとるべきなのである。
『規準』第2章第2節のデュルケームは、「社会的事実」を観察するための具体的方針を提起しようとしながら、ある揺らぎを見せている。彼が提起した方針は

@すべての予断を系統的に斥けなければならない(p.97);
A[まず研究対象に客観的な定義を与えること]共通に見られる若干の外部的特徴によってあらかじめ定義されている一群の現象しか決して研究の対象としてはならない、またこの定義に当てはまる現象は、すべて同一の研究の中に包含しなければならない(p.102)
感覚を経ないでつくられた概念からではなく、感覚によってつくられた概念から出発しなければならない(p.114);
B[とはいえ、感覚も主観的なものになりやすい]したがって、社会学者は、なんであれ、ある種類の社会的諸事実の研究を企図するにあたっては、それらの個人的な諸表現とは別個のものとして現れてくる側面から、これを考察するようにつとめなければならない(p.117)

の3つの系である。既に見たとおり、『規準』第2章のデュルケームはひとえに、イドラとしての社会通念を超出する逆説的方略として社会学的方法を構想している。そのいみでは、上記の3つの系のうち第二のものが最も先鋭的な問題を孕んでいる事がすぐさまわかるだろう。というのも、社会学者が「定義」のために用いる概念が「通念」の汚染から自由であるという保証はなく、それどころかむしろ社会学者自身が元々「通念」に満たされた存在である事こそがここでの議論の前提であるはずなのだ。無論その点についてもデュルケームは十分に承知しており、それが上記第三の系の提起につながっていると理解できるだろう。しかし、それより重要だと思われるのは、第二の系の中にデュルケームが記した有名な註である:

実地においては、われわれが出発するのはつねに通俗的概念、通俗語からである(p.105)
つねに通俗語から出発するデュルケーム − しかも、「客観的定義」の必要性を説く瞬間に同時にその実地における不可能性を説いているデュルケームの揺らぎに、我々はあらためて驚くべきだろう。

補注C:視覚的比喩・対・エスノメソドロジー的実践

例えば、H.S.ベッカーが次のように言っている:

論文を書く人たちの中には − そして僕自身もこういうタイプの書き方をしたいんだが − ウィル・ロジャース式のやり方で行く人がいる。僕たちは気取らず、一般の人たちとどんなに違っているかを誇示するんじゃなくむしろ共通な部分を強調するんだ。僕たちは他の人たちの知らないことを確かにちょっとだけなら知っているかもしれない、でもそれは特別な事じゃない。「まあ、君だって僕と同じ事を考えるだろうさ、君がそこに居合わせて僕の見たものを見てさえいればね。要するに、僕はそこに行ってみるだけの時間と手間をかけたわけだし、君はそうしなかったか、それともできなかったか、それだけのことさ。それだけのことだけれど、ちょっと僕の言うことを聞いてくれるかい。」とまあ、そういうわけだ。(Becker(1986),p36-7)

社会学者と「人々の活動」との共通性を語るかに見えるこの態度は、しかし、ある重要な一点において両者の原理的な距離を確保している。なぜなら、ここでは社会学者が、ある「客観的現実」を「知り」、それを「素人」に「伝える」という形式が踏襲されているのである。そして、ここで興味深いのが、ここでの「視覚的比喩」の働きである。このテキストの中で社会学者の語る「客観的現実」の「客観的現実性」を支えているのは「君も見ることができたはずのものを僕は見てきた」というレトリックであり、「見ればわかる」として社会学者の「方法」から目を背ける抑圧の働き("uninteresting"reflexivity)だからである。
例えばガーフィンケルが学生に行わせた実験では、別のことが目指されている:

背の低い太った男が家に入ってきた。わたしの頬にキスをし「学校はどうだったい」と尋ねた。わたしは愛想良く返事した。彼は台所に入っていき、二人の女性のうち若い方の女性にキスし、もうひとりに「やあ」と言った。(…)(Garfinkel(1967),p.45)

ここでは、学生は「自宅で自分が下宿人になったつもりで」観察し、報告することを命じられているのだが、それは言い換えれば、「(家族ではない)誰が見ても明らかなこと」を、「一般」の視線で観察し、報告することの要求である。
この実験が明らかにしている第一の点は、我々が日常生活において決して「一般」の視線によって生きているわけではなく、ある「方法」を用いて現実を捉えているということ(「方法」の遍在性)である。
しかし、注意しなければならないのは、上の学生の報告が、本当に「一般」の視線になりおおせているわけではない、むしろ、「一般」の視線などあり得ない、ということである。例えば「父親が帰宅し、自分と台所にいる母と姉とに帰宅の挨拶をした」が社会的なフィクションであり「背の低い太った男が…」が本当に起こった事実である、とは言えないはずなのである。「背の低い太った男が…」というのもまた、学生がガーフィンケルに対して語った報告であり、それはそれなりの「方法」によって作り出された「現実」であるに過ぎない。もし、本当に究極的に「一般」の視線に仮託して「誰が見てもわかる」ような事実を言い当てようとするならば、我々はその不可能性にすぐさま気付くはずだ。そこでガーフィンケルが提案するのは、「客観的現実」を「知り」それを「伝える」という図式そのものの廃棄である。例えば上の実験でガーフィンケルが俎上に乗せているのは、学生の家で何が起こったか、という事実関係ではない。むしろその事実関係それじたいを捏造するところの、学生がいま−ここでなお用いつつある「方法」こそが俎上に乗せられ反省的に検討されているのである。
ガーフィンケルは、そうした「方法」のありようを語る「エスノメソドロジー言説」の流通する空間を、新たに切り開いた、ということができるだろう。そして、デュルケームがそうしたようにまた別の空間を設定し、それを「普通の人々」の社会的言説流通空間と競合させることによって(つまり、ここの命題の次元ではなく命題流通の空間どうしの競合をつくりだすことによって)、自らの固有の「科学性」を、すなわち「人々の」ものとは違う固有の「方法」を、手にしようとしているのだといえるだろう。

【文献】
Becker,H.S.(1986) Writing for Social Scientists,The Univercity of Chicago Press.
E.デュルケーム(1895=1978)『社会学的方法の規準』岩波文庫
Garfinkel,H(1967) Studies in Ethnomethodology,Prentice-Hall.