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・「Harold Garfinkelの社会学的営為」京都大学大学院教育学研究科 修士論文(1991/1/10) 
 / 付:「第13回 教育社会学・若手の会」発表レジュメ「H.Garfinkelの社会学的営為 − あるいは、社会学は実践である、ということ」(1991/7/24/14:00〜 於・関西大学)




京都大学大学院教育学研究科 修士論文
「Harold Garfinkelの社会学的営為」
石飛和彦

 社会学者が社会学をする、とはどういうことか。本論文は、いわばこの問題の周辺をめぐる議論に終始することになるだろう。少なくとも筆者自身にとって重大な意味をもっているこの問題を、<社会学>の問題系の一角を占める一般的なレヴェルの<問題>へと転化するために、本論文では、H.ガーフィンケルの提起したエスノメソドロジーをとりあげることになる。ガーフィンケルは、社会学者が社会学をするということについて、もっとも徹底した反省を行ない、しかもその反省から導きだされたものを実践しつつある社会学者だと思われる。そしていまやガーフィンケルの名には、<社会学>の諸理論を概観するうえで無視しがたい重要性が認められている。しかしながら、彼の徹底した反省・あるいは彼の行なってきた実践そのものは、いまもなお理解されてはいないのではないだろうか。すなわち、<社会学>は、自らの従来の問題系の中に当て嵌まる範囲内でガーフィンケルの活動のうちの<理論的>な部分を受容したに過ぎないのではないだろうか。
 以上のような問題意識に従って、本論文は以下のような構成をとる。
 第一に、ガーフィンケルの提起したエスノメソドロジーが<社会学>によっていかに理解され・受容され・「乗り越え」られてきたかを辿りながら、社会学者が社会学をするということがどのように考えられて(あるいは考えられないままで)いたかを探る。そこでは、<社会学>の問題系に見られるステレオタイプ的な図式によってエスノメソドロジーが理解され、その範囲において受容され、その範囲内で「乗り越え」られていながら、社会学者が社会学をするということ自体への反省的視点が無視(ないし隠蔽・ないし抑圧)されている、ということが明らかになるはずである。
 そこで、第二に、従来のエスノメソドロジー理解とは異なるエスノメソドロジー像を描きながら、本論文の問題意識と重なるあの問題をガーフィンケルがいかに徹底して問うているかを明らかにする。そのために、ガーフィンケルの理論的系譜を学説史的に辿り直すという戦略が採用される。具体的には、従来のエスノメソドロジー解釈が依っていた解釈学的系譜すなわちウェーバー〜シュッツ〜ガーフィンケルというラインに対置されるべき社会学主義の系譜すなわちデュルケーム〜ゴッフマン〜ガーフィンケルというラインを確定する試みがなされる。
 第三に、結論として、ガーフィンケルがその理論的背景の下で実践しているエスノメソドロジーを、社会学者が社会学をするということについての彼独自の回答として、すなわち「科学としての社会学」ではなく「教育としての社会学」として評価する。*


第一章 <社会学>によるエスノメソドロジー受容

 本章では、本論文の「問題設定」に相当する作業が試みられる。
 その作業は、具体的には、制度としての<社会学>がエスノメソドロジーを受容する際に産出してきた議論を整理し、そこでいままでに描かれてきたエスノメソドロジー像を再現しながら、その不備を指摘することで次章以下で展開することとなる議論を準備するはずのものであろう。しかしながら、その作業にはあらかじめ本質的な困難が予測される。なぜなら、ここで言う従来のエスノメソドロジー像には、明確な「不備」を見出すことができないと思われるからである。
 現在、エスノメソドロジーは<社会学>の諸理論の布置の一角に確固とした位置を確定している。そこでは、エスノメソドロジー的な理論的・経験的研究が少なからず産出されてさえいる。すなわち、エスノメソドロジーは確かに<社会学>によって正当に受容されることに成功しているのである。本論文の立場は、現在行なわれているエスノメソドロジー的研究の有効性を否定し得るものでは全くない。
 にもかかわらず、本論文は、ひとつの「問題設定」を行なうことになるであろう。それは、従来のエスノメソドロジー像の「不備」をめぐるものではなく、逆に、エスノメソドロジーが制度としての<社会学>の中に過不足なく受容されその中で有効に機能し始めているという事実そのものをめぐって行なわれるものである。このような文脈においては、エスノメソドロジーに対する批判を紹介しながらその「誤解」を指摘し反批判を展開するという方法は適切ではない。むしろ、エスノメソドロジーをめぐって産出されてきた議論の全体を対象とし、エスノメソドロジーに対して批判的であるような議論ばかりでなくエスノメソドロジーを積極的に肯定する議論までを検討するという方法が必要となる。
 エスノメソドロジーに対する肯定的・否定的な議論は、多くの文献の中に見出すことができる。本論文では、まずA.W.グールドナーの議論を辿りながら、いかなる理解がエスノメソドロジーに対してなされてきたかを整理することにする。言う迄もなくグールドナーは、エスノメソドロジーについて論じた多くの論者達のうちの一人に過ぎない。従って、その議論を取り上げてエスノメソドロジーに関する議論全体を代表させるというやり方は正当ではないかに見える。にもかかわらず本論文がそのような手続きをとるのは、実際に多くの論者によって様々な形で産出されてきた評価が、そのじつ、極めて限定された幾つかの論点をめぐって下されたものであり、その論点自体は、例えばグールドナーの議論の中にも、ほぼ出尽くしていると考え得るためである。そこで、本章の第二の作業は、エスノメソドロジーに対して否定的・肯定的評価を下していると見做される議論を幾つか取り上げながら、そこで扱われている論点がグールドナーの議論から抽出された論点のヴァリアントと見做し得ることを示すために充てられる。

1.1. グールドナーのエスノメソドロジー解釈

 グールドナーによるエスノメソドロジー解釈はその著書『西欧社会学に迫り来る危機』の中に示されている。
 同書では社会理論じたいの「下部構造」を社会学的に理解しようといういわゆる「社会学の社会学」が一貫して試みられているが、そこではガーフィンケルのエスノメソドロジーは、G.ホマンズやE.ゴフマンとともに、パーソンズ的機能主義の支配的地位の揺らぎに伴って台頭しつつある新理論のひとつとして紹介されている。その論点は、以下のように整理されるだろう1 。

 @エスノメソドロジーは、機能主義への挑戦として位置付けられうる。

 ガーフィンケルの関心は、パーソンズのそれと同じく、社会秩序の成立条件の解明にある。すなわち、各々自由に目的追求を行なう諸個人の集合であるはずの社会が、そのじつ全体としては大きな混乱に陥ることなく秩序を維持している、そのメカニズムを問うのである。
 パーソンズの与えた解答は次のとおりである。社会は、一定の道徳的価値・規範のシステムを備えている。そして、それが社会化プロセスを通して各々の個人に取り入れられ、そのパーソナリティーを形成する(内面化)。こうして社会は、同じ価値・規範を共有しその範囲内で(「自由」に)目的追求を行なう諸個人を成員として持つことになり、以てみずからの秩序を維持しているのだ、と。
 ところが、「パーソンズとはまったく異なり、ガーフィンケルは明らかに、社会が安定するには規則なり価値なりが個体やかれらの性格構造に深く内面化されることが必要だ、などという考えはもっていない」2 。社会は、神聖なる至上性を帯びた道徳的価値・規範があまねく共有されることによって統合されているのではなく、「もっとも世俗的で<平凡な>事柄に関する暗黙の了解事項(人々が周知している事柄と、他の人々が知っているということを知っていること)が織りなす密度の高い集団的構成物によって統合されていることになる」3 。このような立場をとるために、ガーフィンケルは、いわゆる「社会問題」のような危機的かつドラマティックな公的出来事にではなく、より日常的なルーティン的活動に焦点をしぼることになる。

 Aエスノメソドロジーは、社会的状況を「内側から」理解しようとするものである。

 ガーフィンケルは、すべての人々が日常生活のなかで<実践的理論家>として活動していると考えている。すなわち、人々が互いに暗黙の了解事項を参照しながら互いの日常的活動について共同で意味を見出していくことによって、社会秩序が維持されていると考える。そこから彼は、社会学者とそれ以外の人間との間に根本的な相違を認めないという立場をとることになる。そして彼は、「専門的な社会理論家が常識的世界への彼ら自身のかかわりを自覚化することによって、実践的理論家よりもより自己反省的な形でふるまうことを要求するわけである」4 。
 そのために、彼は「社会的状況をいわば<内側>から、つまりそこで生活する人びとにとってそれが現われるがままに、理解しようとする。かれはほとんどニーチェ的ともいえるほどの概念化と抽象化への敵意も顕わに、しかもとりわけ通常の社会学に踏襲されている概念化を回避することによって、市井人のものの考え方を伝えようとする」5 という方法論をとることになる。

 Bエスノメソドロジーは特定の歴史的文脈における社会的権力構造を扱わない。

 例えば政治的・イデオロギー的問題といったより危機的な社会現象よりはむしろ日常の些事に焦点を絞り、しかも通常の社会学で行なわれているような概念化を回避しながら、ガーフィンケルは、A.シュッツの現象学の影響を受けて、安定した社会的相互行為が可能となるための諸条件の「没歴史的な」定式化に専念している。「かれは一方では社会的現実についての定義がいかにして確立されるに至るのか、という問題に深い関心を寄せながら、なぜ社会的現実についてのひとつの定義が、ある特定の時代、場所、あるいは集団、等々で支配的になるのか、という問題については、関心を持ってはいない。ガーフィンケルにあっては社会的現実が定義され、確立されるに至る過程は、競争し合う様々な集団の現実規定が相互に抗争し合う過程を伴うものとしては見られていない。それにまた、こうした抗争過程の結果として生まれる常識的な世界観も、制度的に保護された力の相違によって形成されたものとしてはみられていない」6 。

 C文化的基盤が脆いものだという指摘はするものの、具体的な規則の内容については扱っていない。

 ガーフィンケルに従えば、社会秩序は機能主義において考えられている以上に不安定なものだといえる。「要するに文化的基礎などというものは壊れやすいものであって、その安全性は、部分的には、明らかにそのまったき不可視性ないしは自明性に依拠している、というわけである。しかしながら、ひとたび可視的となるや、文化的基礎は比較的簡単にその力を喪失する。パーソンズとは異なり、ガーフィンケルには社会的基礎の揺るぎない安定性などという考えを説こうとする意思はまったくない」7 。
 ところが彼は、社会的相互行為を安定させる「暗黙の規則」の存在を指摘してその役割を明らかにするにとどまり、その具体的な内容については触れない。「こうして明るみに出された各規則には、どことなくそれらが恣意的なものにすぎないのではないか、という感じが強くつきまとう」8 のである。

 Dむしろ、それは現実性についての常識に対するサディスティックな攻撃である。

 ガーフィンケルが文化的基礎を解明しようとするとき、彼はそれを主として学生たちを使った小規模な世界の破壊を通じて行なう(例えば彼の学生たちは、友人との会話の中で「日常的な言葉の意味がまったくわからないふり」をするよう指示を受ける。「調子はどう?」「何についての調子がどうだと聞いているんだ? 身体か、金か、勉強か、それとも気分のことか…?」「(顔を真っ赤にして、急に自制を失い)そうかい! お愛想で言ったまでだ。本当のこと言えば、お前がどんなであろうと俺には全然関係ないよ」9 )。
 そういう実験に巻き込まれた<犠牲者>の「苦痛の叫び」こそは、ガーフィンケルの主張するような暗黙の規則の存在とその重要性をドラマティックに証言するものにほかならない。「ここでは客観性とサディズムが微妙な形でからみ合うことになる。実験行為はメッセージなのであり、このメッセージからすると、アノミックな無規範性は、もはや単に社会学者が社会的世界の中で研究するなんらかの研究対象としてあるのではなく、いまや社会学者が犠牲を強い、彼の研究方法の基礎をなす、なにものかでもあるように思えてくる」10。

 Eそういう意味で、エスノメソドロジーの実験行為は<ハプニング>に似ている。

 「ガーフィンケルの実験行為的な方法論ほど<ハプニング>を彷彿させるものはない。しかし、ハプニングというのは、ふつう、ガーフィンケルの手法に見られるような陰湿な罪深さをもっておらず、またより大きな社会的目標をもつこともある。<ハプニング>においてはつぎのようなことが起こる。たとえば正午まじかのアムステルダムで若者の一団が賑やかな街通りに集まり、昼食時で交通量が増えはじめたちょうどその時をねらって、鶏を百羽ほど道路に放ったとする。車の運転手たちがこれをみてあわてふためき、びっくりすることはいうまでもない。事故も起こるかもしれない。交通は止まる。野次馬が集まってきて、よけいに交通が妨げられる。みんなが見物にやってきて、巡査が鶏を捕まえようとするのをみて大笑いするとき、ルーティンは停止することになる。ガーフィンケルならいうかもしれない、町の人びとはいまや日常生活の基礎にあってこれまで気づかれずにいた規則の重要性を学びとったのだ、と。昼食時のラッシュの真最中に鶏を道路に投げ出したりしてはならないのだ」11。
 エスノメソドロジーの実験行為は、ハプニングよりもさらに危険の少ない、非暴力的な種類のアナーキズムであって、「それは手に届きそうもない革命の代わりに、身近な反乱を提供する」12事によって若者の心情に訴えているのだ。「ゴッフマンの社会理論が政治的に消極的であった1950年代の心情に見合った<クール>な、あるいは<ヒップ>な、社会学であったとすれば、ガーフィンケルの社会理論は政治的に行動主義的な1960年代に、とりわけ現時点の政治的に反抗的な学園にこそ、よりふさわしい社会学である」13。

1.2. エスノメソドロジーの受容

 前節ではグールドナーの紹介を辿りながらひとつのエスノメソドロジー像を描出した。本論文の立場は、このエスノメソドロジー像がひとりグールドナーだけのものではなく、そもそも制度としての<社会学>の内部でエスノメソドロジーを扱う際には誰もがそのようなやり方で扱ってきたのではないか、と考えるものである。
 例えばT.P.ウイルソンは論文「社会学における規範的パラダイムと解釈的パラダイム」において、機能主義を規範的パラダイムに、エスノメソドロジー及びシンボリック相互行為論を解釈的パラダイムになぞらえることによって前節@と同じ主張を行なう事になる。さらに彼は、解釈的パラダイムにおいては行為者は不断の解釈を行なうものと捉えられるとした上で、その方法論的含意として「相互行為の研究を行なうには行為者の立場に立つ事が必要となるだろう…」というH.ブルーマーの宣言を引用し、「言い換えれば、一連の相互行為を理解し・辿る為には、研究者はドキュメンタリー的解釈に従事せねばならない…」と断言している14が、これは(より肯定的になっているものの)前節Aの主張とほぼ精確に重なり合うと思われる。
 エスノメソドロジーに対して批判的な論者(たとえば教育研究におけるJ.カラベル&A.H.ハルゼー、或いは逸脱研究のI.テイラー等15)も、@Aのようにエスノメソドロジーを理解しているという点ではウイルソンと共通している。その上で幾つかの点(それらをウイルソンは看過しているのだが)を批判しているが、その論点は前節BCあるいはから遠く離れるものではない。
 エスノメソドロジーを擁護する論者達によってそういった批判に対する反批判が展開されるに至って、<社会学>によるエスノメソドロジーの受容が準備されることになる。例えばA.V.シクレルは論文「分析におけるミクロレベルとマクロレベルとの統合についての覚書」において、次のように論じている。日常生活のミクロな相互行為において行為者が行なっている解釈は、必然的に、よりマクロな社会的知識を解釈図式として援用せざるをえない。そこで、ミクロレベルの行為者の解釈プロセスを研究することがマクロな社会構造の研究の本質的な部分を成すことになる、と16。
 或いは、A.ギデンスやP.ブルデュー、I.ロッシ等、高度に抽象的な理論を展開している論者たちもまたこういった議論の内部にいる点では相違はない17。エスノメソドロジーをそれぞれ「解釈学」「主観主義」「解釈的パラダイム」という形で捉えたという点で彼らは前節@Aを反復しており、またそれを踏まえてそれぞれ、エスノメソドロジーは権力関係を扱わない、あるいは、構造を見逃している、あるいは、非・弁証法的である、と批判している点でBCを再現し、そこからそれを「乗り越える」ものとして各々の理論すなわち「構造化理論」「実践の理論」「弁証法的構造社会学」を展開せんとしている点で、すぐれて<社会学>内部の流れに従って活動しているといえよう。
 こうした反批判ないし「乗り越え」は、批判という形で<社会学>の要請してきた<社会学>的問題系にエスノメソドロジーを適合させるものである。それは<社会学>によるエスノメソドロジーの受容に寄与しているが、同時に、それによってエスノメソドロジー独自の問題意識を排除してもいる。なぜなら、それらの議論はエスノメソドロジーのいわば<理論的>な部分に関する批判のみを問題として扱う一方で、エスノメソドロジーという活動そのものに対して行なわれた批判に応えてはいないからである。さきのグールドナーのDEの議論にあたるこれらの批判は、批判というよりもむしろある種感情的な色彩を帯びた誹謗・ないし揶揄として現われているという点が特徴的であると言えよう(例えばL.A.コーザーの批判18)。

1.3. 「問題設定」

 ここまでに、エスノメソドロジーが制度としての<社会学>の理論的布置の一角に定着する際に起った(或いは今も行なわれている)議論の素描を試みてきた。この試みは、言う迄もなく、原理的に、完成され得ない類のものである。ここで扱った幾つかの議論がそのままこれまで行なわれてきた議論の全体を代表し得ているのか、という問題は、これまでに行なわれてきた議論の総てを引用することが不可能である以上、解決され得ない19。にも拘らず本論文がこの手続を選択したのは、それによって、制度としての<社会学>の基盤にあって論争そのものを可能にしているようなある種の「作用」の存在をいわば陰画として可視的なものとする為である。その「作用」は、エスノメソドロジーについて論じようとする社会学者に、既存のステレオタイプ的議論を強いることによって、エスノメソドロジーを<社会学>の中で円滑に機能させている。しかし同時にこの「作用」は、エスノメソドロジーのある局面 − すなわちその実践的局面 − を、専ら理論以前の問題として感情的に排除・隠蔽・抑圧させてもいるものである。
 ここで可視的になった「作用」は、社会学者が社会学をするとはどういうことか、という本論文の問題意識にある輪郭を与えることになるだろう。本論文は、この問題に対するひとつの回答(ないし「戦略」)を、ガーフィンケルの社会学的営為の中でも特に<社会学>によって排除され隠蔽され抑圧されてきた部分に見出そうとするものである。そこで次章では、ガーフィンケルの活動の理論的側面を学説史的な文脈から辿り直しながら、従来描かれてきたステレオタイプ的エスノメソドロジー像とは異なるものを提起し、以て、本論文で注目すべきガーフィンケルの実践を評価する準備を行なうことになる。
 第一の問題とは、次のようなものである。仮に、本論文で示したように、エスノメソドロジーをめぐって産出されてきた議論が(その論者の立場の相違を越えて)数少ない論点に集約され得るとするならば − そして少なからぬ社会学者はこの仮定を認めると思われるのだが − 逆に、なぜ<社会学>はそれだけ「単純」な論点をめぐってこれほど多様なヴァリアントを産出しつづけ、あるいは「論争」を維持し続けているのだろうか。
 この問題は、さらに、第二の問題へとパラフレーズされることになる。すなわち、<社会学>は、エスノメソドロジーを自らの理論的布置の一角に位置付けるにあたって、それを自らの問題系の中に既に用意されている一定のステレオタイプに当て嵌めながら、それによって、ガーフィンケルの行なってきた活動のうちのある決定的な一点を排除し・隠蔽し・抑圧しているのではないのか。


第二章 ガーフィンケルにおける「社会学主義」

 ガーフィンケルは、その主著と見做されている論文集『エスノメソドロジー研究』の序章を次のように書き始めている。
 
素人や玄人が社会学するとき、「現実世界」について言及することは、つねに、すなわちそれが物理的・生物学的事象への言及であるときでさえつねに、日常生活における組織化された諸活動について言及することに等しい。従って、社会的事実の客観的現実性こそが社会学の基本原理であるとするデュルケームの見解とは対照的に、ここでは次のような考え方が採用され・研究方針として用いられることになる。すなわち、ごくありふれた・しかしなかなか巧妙なやり方 − 成員たちが知り・用い・自明視しているある種のやり方 − によって毎日の生活の協同的活動の中で刻々と達成されつつあることとしての、社会的事実の客観的現実性こそが、社会学している成員にとって、基本的な現象なのだ、という考え方である。それが実践的社会学にとって基本的な現象であるという理由によって・まさにそのようなやり方で、それはエスノメソドロジー的研究にとっても最大の主題となる。1
 
ここに見られるのは、デュルケームへの・そして特にそのいわゆる「社会学主義」への、あからさまな言及である。それどころか(いささか混み入った構文を整理すれば)ガーフィンケルの関心がデュルケームの「社会学主義」的見解を否定することにではなく読み変えることにあるのではないか、と考えられる。すなわち、「デュルケームの見解とは対照的に」という言い回しにもかかわらず、ガーフィンケルもまた「社会的事実の客観的現実性」を社会学にとっての基本的な現象と見做しているという点でデュルケームと変る所がない。この引用部分では、デュルケームの言う「社会学」を「(素人や玄人が行なう)社会学」に読み変え、また同じく「社会的事実の客観性」を「(…としての)社会的事実の客観性」に読み変えることこそが、エスノメソドロジーの主題を導出する契機になっているのである。
 デュルケームとガーフィンケルのこのような関係 − 「読み変え」の関係 − は、しかし、しばしば見落とされてきた2 。前章で概観したようなやり方で、<社会学>は両者をそれぞれ実証主義・対・反実証主義、あるいは客観主義・対・主観主義、あるいは方法論的全体主義・対・方法論的個人主義、等々の二項対立の両辺に振り分けることによってむしろ「対立」関係を強調してきた。そのために、ガーフィンケルの学説史的系譜は、従来、ウェーバー〜シュッツ〜ガーフィンケルという解釈学的系譜の方向にむかって辿られてきた。確かに、ガーフィンケルの出発点がハーバード大学社会関係学部における研究すなわち他ならぬT.パーソンズの影響の下にあったという事実は再三指摘されている3 。しかしその場合でも、強調されてきたのはパーソンズからの「離反」とシュッツへの「接近」という文脈4 であり、<社会学>の理論的布置におけるエスノメソドロジーの位置づけはあくまでも維持されているのである。  本章では、そこで、ガーフィンケルの学説史的系譜をデュルケームの「社会学主義」の方向にむかって辿り直すことによって新たなエスノメソドロジー理解の契機を見出すことを試みる。この試みは、ある意味では、相当程度まで困難なものであろう。なぜなら、ガーフィンケル自身がデュルケームに関してまとまった論述をしているわけでは(その論文を見る限り)ないからである。そこで、本章の作業は以下のようなものとなるであろう。第一に、デュルケームの「社会学主義」を確定する。次に、ガーフィンケルの初期の諸論文からデュルケーム的主題を取り出す。然るのちに、それらがその後彼自身によって展開されたエスノメソドロジーに対していかなる位置を取っているかを確定し、以て、次章で試みることになるエスノメソドロジー理解を準備する。
 なお、デュルケームとガーフィンケルを結びつけようとする本章の試みに幾らかの傍証となる事実を指摘しておくことは有効であろう。すなわち、ガーフィンケルがデュルケーム的な問題意識の「影響」を具体的にいかなる経路によって受けたのか、という点に関してである。第一に考えられるのは、言う迄もなく、すでに述べたパーソンズの影響であろう。しかし、恐らくはより重要な経路として、E.ゴッフマンとの相互的影響が挙げられるのではないか。ゴッフマンの演出論的社会学とエスノメソドロジーとの親近性は、既に指摘されている5 ところである。特に後期のゴッフマンは『枠組分析』に代表されるいわゆる「社会認識論」的な方向へと進み、エスノメソドロジー或いは現象学的社会学の影響を顕にしているといわれる。しかし、ゴッフマンとガーフィンケルがきわめて早い段階で接触しているという指摘がなされていないのは不思議なことではないだろうか。ゴッフマンはその初期の論文の註で既にガーフィンケルの未発表論文に言及しており、またガーフィンケルもその初期にゴッフマン的なアプローチの論文を著している6 のである。そしてその共通点となるのが他ならぬデュルケーム的問題意識ではないだろうかと考えられる。ゴッフマンにおける一貫したデュルケームの影響は既に論じられている7 が、本論文の文脈は、むしろガーフィンケルの方が(ある意味において)デュルケームの「社会学主義」をより徹底した形で継承しえていると考えるものである。

2.1. 「社会学主義」

 「社会学主義」とは、一般にデュルケーム学派の社会学に対して与えられている呼称である。しかし、デュルケーム自身がそれを自称したわけではなく、従ってその概念規定を彼の著作のなかに見出すことはできない。そこで、ここで簡単に「社会学主義」をデュルケーム社会学の基本的前提・主題及び方法の中に見出し、その素描を試みる8 。
 デュルケーム社会学の基本的前提をなしているのは「社会的事実の客観的現実性」の観念である。すなわち、彼によれば、ある集合体における社会的事実は、第一にその個々の成員のいずれにとっても外在的であり、第二に彼ら成員に対して道徳的規制力を持っている、とされる。例えば『自殺論』において彼が明らかにしたように、自殺率の増減という社会的事実は、個々の成員のあずかり知らないものであるにもかかわらず、国ないし社会集団のレベルにおいて一定の固有性ないし法則性を帯びており、言い換えれば、各社会がそれぞれ固有の率で自殺者を産み出しているということができる。
 このような前提に立って、デュルケームはその社会学の主題を、制度についての科学、すなわち、制度の発生と機能とを扱う科学と規定することになる。ただしここで言う「制度」とは、デュルケームによって通常の用法よりも広い意味に解釈された概念であって、社会集団・集合体によって形成された(すなわち、社会的事実として存在する)あらゆる信念や行動様式を指しているのである。
 そのうえでデュルケームは、社会的事実に二つのレベルを認めていると思われる。第一には、彼の言う「社会形態学」的諸事実、つまり生態学的・人口学的諸事実のレベルであり、第二のレベルは、宗教・道徳・法・言語等に代表される「集合表象」のそれである。これを簡単に、社会的事実の量的なレベルと質的なレベル、と言い換えることもできる。そして、デュルケーム自身の研究の主題が前者のレベルから後者のレベルへと移行していったことは注目に値するであろう。
 こういった主題を扱うための研究方法としてデュルケームが挙げたのが、「社会的事実はものとして考察されなければならない」という規準である。すなわち、社会現象は、認識主体の主観からは独立した「もの」として、自然現象を扱うのと同じようなやり方で、つまり客観的なデータとして扱われねばならない。観察者は、内省によって、すなわち彼自身の内部を追求していくことによっては、社会現象を認識することはできない。彼は、経験的研究を通じて自己の外部に出ることによってはじめて社会現象を認識することができるのである。
 『自殺論』は、こういった研究方法を一貫して適用した成果である。しかし、統計的データの利用という側面ばかりが強調されてはならないということは言う迄もない。デュルケーム自身が、研究対象に応じて様々なアプローチを取っているのであり、特に後期の主著である『宗教生活の原初形態』における彼は、原始的宗教であるトーテミズムの体系を詳細に記述しながら分析を進めているという点で、「 「客観的」 現実を説明するのに素朴に官庁統計に頼っている 自殺論 の 「実証主義者」 」というカリカチュアから遠く離れている9 。そこでの彼の目的は、宗教及び認識論の問題領域に対する社会学的方法の適用であった。すなわち、従来は内省的・思弁的に扱われていた問題を、それが実際に遂行されている社会的事実のレベルに分析の視点を移すことによって、経験的かつ客観的に扱おうとする試みだったのである。これは、「質的なレベル」の社会的事実に対する社会学主義的アプローチにほかならない(また、恐らくは「実証主義」という言葉もこのように理解されるべきだと考えられる)。
 以上のように素描された「社会学主義」をガーフィンケルの初期の論文の中に見出すことが次の作業となるであろう。

2.2. 初期ガーフィンケルにおける「社会学主義」

 ガーフィンケルがパーソンズの指導の下でまとめたPh.D論文は「他者の知覚:社会秩序についての一研究」と題されているが、そこで彼は、『社会的行為の構造』のパーソンズが問題としていた「ホッブズ的秩序問題」について理論的考察を行なっている10。
 「ホッブズ的秩序問題」とは、功利主義的社会理論のモデルが必然的に陥ると思われるパラドックス、すなわち、各々の行為者がそれぞれ自らの利害関心に従って合理的に行為すると、それは「万人の万人に対するやむことのない闘争状態」を帰結せざるを得ない、というパラドックスである。パーソンズがこの問題に「内面化」の議論によって解答を与えていることは既に述べた。しかし、ガーフィンケルは次のような疑問を提起する。パーソンズがその主意主義的行為論において解決を図っている「ホッブズ的秩序問題」は、それ自体、問題の立て方を誤っているのではないか。つまり、合理的に行為する行為者の間に体系的・持続的なコンフリクトが必然的に生じるはずだという推論じたいの背後に、認知的なレヴェルでの社会秩序が暗黙のうちに前提とされているのではないか。
 こういったガーフィンケルの議論を、本論文の文脈に沿って検討するとき、それがパーソンズの議論の徹底化であり、イデアリスムとポジティヴィスムとの総合というパーソンズの試みを行為者の社会的認知メカニスムを手がかりとしてさらに推進するものであったことがわかるであろう。そしてその際に、例えばパーソンズが客観主義に立ちガーフィンケルが主観主義に立っていたのでは決してなく、むしろガーフィンケルの方がパーソンズの理論に残されていたある種の心理学主義を社会学的に解体したのだといえる。

マックス・ウェーバーの研究に端を発する重要な理論的展開が、少なくとも二つある。一方の展開は、既に十分に追求されている。それは、経験の構造化に関するある理論と「人間とは何か?」に答えるためのもうひとつの理論とを結合することによって、一般的な社会システムへと到達しようとするものである。単純な言い方をするならば、そこでは、社会構造の諸事実とパーソナリティーの諸事実とを総合する試みがなされているのである。もう一方の展開は、未だ十分には究明されてはいないのだが、経験の構造の分析だけから打ち建てられた一般的社会システムを追求するものである。(…)[この論文の目的は、この後者の方の展開を]社会的秩序という社会学的現象に関する経験的研究に利用できる作業図式へと変換するための理論的語意を探求する試みを、可能な限りすすめること[である。]11

 この引用部は、従って、次のように読まれねばならない。従来のウエーバー理解は、行為者が経験を構造化していくやりかた、プラス、ある種の人間観(すなわち「人間とは何か?」についての心理学的理論)から、社会システムをモデル化していた。従来の理解によるウェーバー・モデルには、あらかじめ心理学が組み込まれているのだ。パーソンズの主意主義的行為理論もまたしかりである。そして、本来社会学的な問題であるはずの秩序問題をそういうモデルで解決しようとするために、皺寄せがその心理学的な部分に暗黙のうちによっていくのである。したがって、ガーフィンケル自身の行き方は、経験を構造化していく行き方すなわちここでいう社会的な認知のメカニズムだけから社会システムをモデル化する試みになるであろう。そこに見られる理論的前提は「社会学主義」のそれとパラレルであるといえよう。なぜならそこでは、社会的事実としての「社会的秩序という現象」を個人心理(ある種の人間観)によっては説明しえないものと見做すことが、出発点となっているからである。
 ガーフィンケルの議論は、論文「降格儀式を成功させる諸条件」に於いてデュルケームに(或いはデュルケームの影響下にあるゴッフマンに)さらに接近していると言える12。そこで主題となっているのは、ある種の社会的場面における儀礼的相互行為のメカニズムである。ガーフィンケルは以下の様な議論によって、一方では、個人のアイデンティティーという心理学的な概念について社会学的説明を行ない、同時に他方で、社会的統合の促進という巨視的概念について微視社会学的説明を行なっているのである。
 例えば誰かがなんらかの失敗を犯し、それを別の誰かが公衆の面前で糾弾し・おとしめるという場合を考えてみればわかるように、一般に、ある個人のアイデンティティーが現状より低いアイデンティティーへと変換されようとするような社会的場面がある。そこで人びと(すなわち糾弾をする者とその場面を見ている公衆)によって行なわれるコミュニケーション作業を、ガーフィンケルは「地位降格儀式」と呼ぶ。彼は、そこで扱われているアイデンティティーの社会的性格に注目する。すなわちそれは、失敗に結びついたしかじかの行動という枝葉末節ではなく、そういった行動を引き起こす基盤と考えられている「動機」に関するものだという点である。この「動機」は、所与の社会集団によって制度的に類型化されたカテゴリーとして存在している。ここでいうアイデンティティーは、そういった諸々の「動機」が人びとによって合理的すなわち統一的に理解されることによって社会的に構成されているものであり、ガーフィンケルはそれを「全的アイデンティティー」と名付けている。
 降格儀式に代表されるような全的アイデンティティーの変換は、従来のアイデンティティーを破壊し新しいアイデンティティーを再構成する、というディジタルな作業である。それは、従来のアイデンティティーという「核」に新しい属性を付け加える、というプロセスをとらない。従来のアイデンティティーは、偶然的・非本質的な「見かけ」と見做される。「今にしてみれば、それは最初から違っていたのだ。」13そして新しいアイデンティティーが「結局、彼が常にそうだったところのもの」14として確立されるのである。
 すなわち、ガーフィンケルの言うアイデンティティーとは、その背後に何らかの人格的連続性を想定するような心理学的アイデンティティーではなく、むしろそういった人格的連続性そのものまでが社会的に構成されているようなものとしてのアイデンティティーなのである。
 では、「降格儀式」においてこういった作業を成功させる社会的条件・およびその機能とは、どういうものか。
 第一に、失敗者および失敗に相当する事柄は類型的に扱われねばならない。すなわち、糾弾の対象となるのは特定の人物ないし事柄であってはならず、失敗者ないしその事柄はあらかじめ社会的に配分されている類型の事例として扱われなければならない。しかも、糾弾が効果的に行なわれるためには、そこで喚起される類型として、社会的にあらかじめ負の価値を帯びているもの(例えば「殺人鬼」とか「国粋主義者」といった類型は、その極端なものである)が一貫して選ばれる事が重要である。
 第二に、糾弾を実行する者自身もまた、特定の人物として振舞ってはならず、あくまでも公衆の代表者として認められるように振舞わねばならない。すなわち、糾弾者は自らの主張の「客観的合理性」を強調しなければならず、そのために糾弾者は、公衆の誰もが共有している基盤に基づいたやり方で主張を展開しなければならないのである。仮に糾弾者が私的な経験に基づいたやり方で主張を展開したならば、たとえその結論が公衆のそれと一致している場合でも、正当な糾弾とは見做されない。
 同時に糾弾者は、糾弾行為を私的な利害から行なっているものと見做されてはならず、あくまでも公衆の利害の代表者として振舞わねばならない。その場合糾弾者は、公衆の共有する超−人格的な諸価値を喚起し積極的に際立たせることによって、その威信の下に糾弾行為を正統化するのである。
 こういったプロセスの結果として、失敗者のアイデンティティーは新たな(より低い)ものへと社会的に再構成される。しかしここで重要なのは糾弾という「降格儀式」を通じた失敗者の排除であり、またそれによって糾弾者と公衆の統合が弁証法的に高められるメカニズムなのである。ガーフィンケルがここで追求している主題が、デュルケームの主張している「犯罪の社会的機能」の議論15とパラレルなのは、明らかであろう。ガーフィンケルの目的は、デュルケームの行なった議論をさらに精緻に、すなわちそれを道徳的感情の問題としてではなく社会的に共有された合理性の問題として、追求することにあったと考えられるのである。
 この点は、論文「安定した協同行為の条件としての”信頼”に関する概念規定と実験」においてさらに追求されている。そこでは、いわばデュルケームが宗教生活における「信仰」の形態をその社会学の主題とした事に対応するように、社会的相互行為における「信頼」が研究の対象となっている。
 デュルケームはオーストラリア原始社会のトーテミズムを研究し、そこで信仰の対象となっているトーテム体系が彼らの神々を象徴するものであると同時に彼らの氏族社会自体を象徴してもいる、という事実を明らかにしている16。そこから彼は、宗教の起源が「社会」にあるということ(或いは、逆に「社会」というものが宗教現象としてあるということ)の論証を試みることになる。ところが、社会がなぜ宗教的な聖性の源泉となるかという点についての彼が与えている説明は、社会学的な説得力を欠いているように思われる。彼は次の二点を指摘する事によって説明としている。17第一点は、社会は個人の意識から独立し・世論を通じて道徳的に個人を拘束しているために、個人の側からすれば社会は聖性を帯びたものとして感じられる、という指摘である。そして第二点は、個人がそもそも社会によって形成されたものであり、したがって人々が集合することそれ自体が個人の感情を支え・昂進させる、という指摘である。前者は、しかし同語反復的であって、十分な説明となっているとはいえない。問題は、デュルケームがここで仮に世論と呼んでいるものがいかにして個人を拘束し得ているのか(「聖性」をおびていることによって?)ということではなかったのか。そして後者は、人々が集合することによって生ずる諸条件のうちの具体的な何が作用するのかという点について不明確であり、そのためにある種の神秘主義的な心理学主義に接近する危険をさえ含んでいると思われるのである。ここで、ガーフィンケルの「信頼」論文をこの文脈に置き、彼の議論をこれらの問題について徹底した考察を展開しているものと見做すことが可能になるであろう18。
 彼はまず、ゲーム(「三目ならべ」や「チェス」の例が挙げられている)の分析を通じて、ゲームの規則がゲーム競技者の従属をいかに導いているかを明らかにする。
 ある特定のゲームを定義するために列挙されるような規則を、「基礎的規則」と呼ぶことにする(例えば「三目ならべ」のそれは、「試合は3×3の格子の上に、2人の競技者が交互に手を打っていくことによって進行する」「競技者のうち一方が空いた升目のひとつに印をつける」「次にもう一方が残りの升目のひとつに印をつける」…等々)。基礎的規則は次に示すような3つの特性を有することによって成立している。すなわち、@競技者の立場から見た場合、基礎的規則は、競技の舞台・競技者数・手の繰りだし方・等に関して、一定の枠組を与えるものである。競技者は、彼自身の欲望・環境・計画・利害関心・あるいは彼自身の手や他の競技者の手が引き起こす結果・等の如何にかかわらず、その枠組の与える選択肢から選択を行なうことを期待する A競技者は、自分を拘束しているものと同じ選択肢が他の競技者をも拘束しているものと期待する B競技者は、上に述べた項目について彼が他の競技者に期待しているのと同様に、他の競技者もまた彼に同じ事を期待しているであろう、と期待している。以上の3つの特性を「構成的期待」と呼ぶことにする。従って、「基礎的規則」とは、ゲームの規則のうち「構成的期待」を付与されたものだということができる。
 「基礎的規則」のほかにも、ゲームを規範的に秩序づけている規則がある。すなわち、競技者がゲームを行なうにあたってはしかるべき戦略に相当するものがあり、それをガーフィンケルは「競技の選好規則」と呼んでいる。これは、効率性・審美性・定跡・等々に関する規則の複合体であって、そのうちのあるものが喚起され適用される。ゲームにおける競技者の判断は、「基礎的規則」のすべてと「選好規則」の一部を充たすものでなければならない。「選好規則」が全く存在しないゲームは、儀礼化されたゲームと定義され得るであろう。また、「基礎的規則」が充たされない場合には、そのゲームは意味を為さなくなる(或いは「別のゲーム」になる)。
 「基礎的規則」は競技者に、何が競技者にとっての「平常な」ゲーム事象として知覚されるか(そして逆に、何が「ゲームに関係のない事象」として知覚されるか)に関する定義を与える。「基礎的規則」によって定義され(そのために「構成的期待」を付与され)ている一連のゲーム事象可能態を、「ゲーム事象の構成的秩序」と呼ぼう。そして、ゲームに参加する人たちがまさに「競技者」として「ゲーム事象の構成的秩序」の内部にいる場合、すなわち、ゲーム環境という間主観的環境を扱うにあたって「基礎的規則」に従っている場合に、ガーフィンケルは彼らについて、互いに「信頼」し合っている、と呼ぶのである。彼らは「競技者」としてゲームに参加している限り「基礎的規則」に従わざるをえない − 「基礎的規則」を破ることはすなわちそのゲームをナンセンスなものにしてしまうのである。
 デュルケームにおいては、社会が個人を拘束するやり方は世論を媒介とするものであった。しかし、先に述べたようにこの説明は同語反復であって、個人が何を以て「世論」と見做すかという形へと変形された問題がそこに隠蔽されている。ガーフィンケルの議論をパラフレーズすることによって、デュルケームの議論を説明しなおすことが可能だろう。すなわち、ゲームの「競技者」がゲームの「基礎的規則」に従わざるを得ないのと同様に「個人」もまた社会の「基礎的規則」( 「世論」)に従わざるを得ないのである。もしそれを破るならば、その時彼は定義上、デュルケームのいう意味での「個人」ではありえない(なぜならデュルケームは「個人」を社会によって形成されたものと見做しており、また、げんに彼の「個人」は、「何が世論であるか」をア・プリオリに知っているらしい(!!)のである)。このことは丁度、ゲームの「基礎的規則」に従わない者にとってそれは既に「ゲーム」ではなく従って彼自身もその「ゲーム」の「競技者」と呼ばれ得ないのと同様である。デュルケームの言う「信仰」あるいはガーフィンケルの言う「信頼」とは、従って、社会ないしゲームという構成的秩序に参加している者がいわば必然的に抱いているものだと言うことができるのである。

2.3. エスノメソドロジーにおける「社会学主義」の位置付け

 前節で辿ったとおり、ガーフィンケルの社会学的営為はその初期においてきわめてデュルケーム的な問題系をめぐって展開されていると考えられる。ここで、先に素描した「社会学主義」の方法論に照らして初期ガーフィンケルの議論を整理してみよう。
 初期ガーフィンケルが基本的前提として「社会的事実の客観的現実性」の観念を持っていたのは明らかだと思われる。ただし、例えば『自殺論』のデュルケームが巨視的な社会現象を研究対象として選択することによって専らその観念の例証を求めているように見えるのに対し、ガーフィンケルはむしろその観念を微視的な社会現象に向かって追求することによって、「社会的事実」がいかにして「客観的現実性」を持つに至るのかを明らかにしようとする。
 そこから、初期ガーフィンケルの社会学の主題もまた「社会学主義」的なものとなる。すなわち、例えば「降格儀式」論文の主題は、降格儀式が成功するための制度化された諸条件の記述とその社会的機能の確定という作業にある。「信頼」論文が明らかにしているゲーム場面および日常生活場面の「基礎的規則」(或いはさらにその基盤を為す「構成的期待」)もまた、社会的制度の微視的な側面だといえよう。特にガーフィンケルは、社会的事実の質的なレベル(すなわち特に後期のデュルケームの追求した「集合表象」のレベル)に注目しており、そこから彼は認識の社会的基盤(ないし認識の秩序問題)を一貫した主題とすることになるのである。
 では、初期ガーフィンケルの社会学の方法的側面は、「社会学主義」的であるといえるだろうか。本論文はこの点に、ガーフィンケルのエスノメソドロジーへの展開の契機を認めるものである。
 「降格儀式」論文を見てみよう。そこでは、彼は必ずしも「社会学主義」的な方法を採っているわけではない。確かにその研究の前提及び主題に於いて彼は「社会学主義」に従っているものの、その研究を具体的に進めるにあたって採用されているのはいわば典型的な内省的・主観主義的方法であると思われる。すなわち「降格儀式」論文のガーフィンケルは、日常生活の中で実際に行なわれている「降格儀式」をデータとして蒐集し記述・分析するのではなく、専ら彼自身の思惟によって「降格儀式」の成功の「諸条件」を論理的に導出しているのである。
 言うまでもなく、その思惟を進めるにあたって具体的に彼が依拠したであろうものは、彼自身が(研究者として或いは日常生活者として)見聞きし経験した無数の「降格儀式」の具体的事例であろう。従って、彼が内省的方法によって探求した対象は、いわば彼の内部に「常識」として存在している「社会的事実」だと言うことは可能である。例えばゴッフマンの方法を彼が言うところの「粗削りな経験主義」19と呼びうるのと全く同じ意味においてであれば、「降格儀式」論文のガーフィンケルもまた「経験主義」的方法を採っていると言うことも可能であるかもしれない。
 しかしながら、彼が「社会学主義」を徹底しつつ認識論的な方向へと展開していった事によって生じた独特の方法的含意に照らすかぎり、「降格儀式」論文の採用している方法は明らかに不十分なのである。確かに、日常生活の中の降格儀式に於いて失敗者を非難するための主張がいかにして「客観性」を帯びうるか、という点に関しては、そこで適切に解明がなされているだろう。しかし、ガーフィンケル自身がその方法において依拠している(先に指摘したような)彼自身の内部に「常識」として存在している社会的事実としての「降格儀式」概念については、解明の試みがなされていないのである。或いは、さらに一般的な言い方をするならば、社会学者がある現象を「社会的事実」と見做し分析する場合に、いったい如何なるやりかたでそのデータが「客観性」を帯び得ているのかという問題じたいが、(特に社会的事実の「質的な」側面に注目する場合に)方法論に組み込まれそのあらたな焦点とされねばならないということである。
 本論文の立場は、ガーフィンケルのエスノメソドロジーを、彼が「社会学主義」をその基本的前提や主題のみならず方法的側面に於いても徹底的に推進した帰結と見做すものである。それはまた、エスノメソドロジーの問題意識が本論文のそれに重なっているという事をも意味している。ガーフィンケルをデュルケームによって読み直すという本章の作業は、同時に、ガーフィンケルによってデュルケームを読み直すこと、すなわち、専門科学としての社会学のアイデンティティーそのものを問い直すことにつながるであろう。社会学者が社会学をするとはどういうことか、という問いがここで繰り返される。


第三章 ガーフィンケルの社会学的営為:教育としての社会学

 社会学者が社会学をする、とはどういうことか。この問題をガーフィンケルと共に追求するという意図から、本論文第一章は<社会学>によるエスノメソドロジー受容の(或いは「受容」という形をとった「排除」の)様態を素描し、さらに第二章では、従来看過されてきたガーフィンケルの理論的背景を彼の初期の議論とデュルケームの「社会学主義」との関連において検討するという作業がなされた。本章の課題は、エスノメソドロジーという形で実践されつつある彼の社会学的営為をさらに辿りながら、本論文の問題意識に対するその含意を明らかにし、評価することにある。それはいわば「教育としての社会学」と呼び得るものとなるであろう。

3.1. エスノメソドロジーにおける実践的方法論

 エスノメソドロジーは、ガーフィンケル自身によるものに限定しても、なお様々な方法論によって行なわれている。しかし、それらが常に実践的な方法に結びついていることを考えれば、エスノメソドロジーを単に「理論的」側面からのみ検討することが不十分なのは明らかであろう。そこで本節では、エスノメソドロジーにおける実践的方法論を、便宜上、実験的方法と記述的方法という二点に整理し検討することになる。

@ 実験的方法

友達が私に、「急ごう、遅れるぜ」と言った。私は、遅れるってどういういう事だ、何を規準にしてそう言えるんだ、と聞き返した。彼の顔に当惑と冷笑の表情があらわれた。「なんだってそんなバカなことを聞くんだ? そんなこといちいち説明する必要はないだろ。お前、今日どっかオカシいんじゃないか? なんで俺がそんなことをいちいち分析してなきゃいけないんだ? 誰だって俺の言ったことは解るし、お前だけ違うわきゃないだろうが!」1
 
 恐らくは、ごく一般的なエスノメソドロジー理解において最も有名なのが、ここで扱う実験的方法であろう。それは「ガーフィンケリング」と呼ばれ、気の利かないジョークとして60年代のUCLAの学生達の間にちょっとした流行を引き起こすことになる。<社会学>がこれらの実験的方法を奇矯なものと見做し専ら揶揄の対象としてしか扱っていないのは既に述べた通りである。しかしながら、ガーフィンケルの社会学的営為が純粋に理論的なものから実践的なエスノメソドロジーへと展開していくまさにその地点にあるのがこの実験的方法であることは、看過されてはならない。この点を看過するならば、エスノメソドロジーの実践的方法論の理論的意図そのものを見逃すことになり、その後の記述的方法あるいは科学論への展開も、たんなる「主観的意味世界の解明方法」「実証主義批判」として評価することしかできなくなるであろう。
 ガーフィンケルは先に言及したPh.D論文において既に実験的方法を採用しており、また同じく先に述べた「信頼」論文の大部分を同様の実験に費やしている。ここでは「信頼」論文を検討することによって彼の実験的方法の理論的意図を明らかにすることになる。
 前章で素描したとおり、彼が「信頼」という概念を規定することによって明らかにしたのは、「ゲーム」が実際に行なわれているときには「競技者」によって「基礎的規則」が従われているのだ、という点である。しかしその点を指摘すること自体は、彼の議論の出発点に過ぎない。むしろそこに含意されている次のような議論が重要である。すなわち、「競技者」が実際に従っている「基礎的規則」は、その総てを列挙し得るものではなく、いかに厳密に規則を組み立てようと、実際に行なわれているゲームを記述するためには必ず、残余的な諸規則を「エト・セトラ」という形で付け加えざるをえないのである(ガーフィンケルは次のような例を挙げている。チェスで自分の手番の時に、盤上の駒をあちこち交換して − ただし駒全体の配置自体を変化させないように同種の駒どうしを入れ替える − それからあらためて自分の手を打つ。この操作によって「ゲーム」が台無しになったと感じた相手は、次の勝負をする前にガーフィンケルに「今度はなにもしない」という約束を取り付けたのである)。「基礎的規則」の持つこのような性質に注目することによって、「信頼」論文は実験的方法に向かうことになるのである。

協同的行為の諸特性の持続性ないし連続性を説明するために社会学者が採っている一般的なやり方は、その組織的諸活動から幾つかの安定的な諸特性を選び出し、それらの安定性を産み出す諸変数を求める、というものである。しかし、次のような手続きのほうがより実用的だと思われる。すなわち、安定的諸特性を有しているひとつのシステムからスタートして、何をすればそこにトラブルを作り出すことができるのかを問う、という手続きである。環境知覚のアノミーや相互行為組織の破壊を産み出し維持するために行なわねばならないであろう操作がどのようなものであるかを知ることによって、我々は、いかにして社会構造がごくありふれたルーティン的なやり方を通して維持されているのかという事について何らかの理解を得るはずである。2

このような方針の下でガーフィンケルは、ゲームの「基礎的規則」を破る実験を行なう。手続きは単純である。実験者は被験者に「三目ならべ」をしようと提案する。3×3の升目の線を引き、被験者を先手にして第一手目を書きこませる。実験者は第二手目を(それが実験であると悟られないように平然と)升目の線上に書き込み、被験者の反応を見るのである。
 実験の結果は次のようなものである。実験者の「手」は被験者の何らかの反応を引き起こす。しかしその反応のうち「当惑」と見做されるものは、その「手」を「三目ならべ」のゲーム秩序の内部で理解しようとした被験者(例えば、それを「ズルい手」と言った場合)に最も多く認められ、逆に「三目ならべ」以外の何か(或いは「他のゲーム」)がそこで行なわれていると理解した被験者には殆ど見られなかった。しかも、この「当惑」の度合いはその他の要因(彼はここで被験者の年齢・実験者との親密さ・実験者との性別の異同を検討しているのだが)からは独立に、専らその「手」を理解するやり方によって変化している。すなわち、ゲームの「構成的期待」を維持しながらうまく「手」を理解していくことこそがゲームという協同行為を安定的に(すなわち当惑や不安を発生させずに)維持していくものだという点が明らかにされているのである。そして、本項冒頭に挙げたような日常生活場面における実験もこの「ゲーム」実験の延長上で行なわれているものとして文脈づけられねばならないのである(そこでいわば日常生活における「構成的期待」の定式として導入されているのが、シュッツによって定式化された「日常生活の態度」である。例えば冒頭の事例はシュッツの言う「レリヴァンス体系の一致」という期待、すなわち「各個人の個人的な生活史の相違から発生するパースペクティヴの相違は、互いにとっての目下の目的にとってはレリヴァント(有意)ではない。両者は顕在的・潜在的な共通の客体を 「経験的にみて同一の」 やり方で見出し・解釈しているのであって、目下の目的にとってはそれで十分である」ということに関する期待・相手が同様の期待をしている事への期待・及び自分が彼に対してしているのと同様の期待を彼が自分に対してしている事への期待、を破壊することによってアノミー的効果や秩序の混乱を実験的に産み出す目的でなされたものである)。
 これらの一連の実験の含意はふたつある。第一に挙げられるのは純粋に理論的な含意であろう。すなわち、安定した協同行為を破壊することによってその秩序を可能にしていた諸条件(本項及び前章で明らかにしたように、「構成的期待」ないし「日常生活の態度」がそれにあたる)を可視化するという意味において、実験は理論的仮説の検証ないしデモンストレーションと位置付けられる。
 しかし、この実験的方法のいまひとつの含意は、本論文の文脈からは極めて重要なものである。それはすなわち、実験じたいが実験者および被験者に変容を引き起こすという極めて実践的な含意である。
 ガーフィンケルは「信頼」論文の結論部を態度及び状況の変容に関する考察に充てており、そこでは乳幼児の学習・(ゲームや演劇、儀式等の)儀礼的変容・脳損傷やLSD等による変容・社会学による文化の発見・(シュッツの言う意味での)「異邦人」となることによる変容・そして実験によって産み出すことのできた変容が挙げられている3 。ここで注目されるのが、社会学に関する彼の扱いであろう。彼は社会学における変容をふた通りの文脈で論じていると思われる。第一には、社会学による「発見」が常識的世界を組み替えるという可能性である。しかし、彼はむしろ、社会学者が「発見」をするプロセスそのものに含まれている社会学者自身の態度変容に注目している。それは、社会学者自身が常識的世界の内側から出発しながら常識的世界の事象を社会科学の理論的関心の対象として扱うために行なっている、日常生活の態度から科学的な態度への変容である。
 社会学的な「発見」が科学的態度によって見出されているという指摘は、ガーフィンケルがその直前で科学的態度への変容を(ゲームや演劇と同様に)儀礼的変容のひとつと見做していることと考えあわせれば、極めて興味深いと言えよう。なぜなら、そういった社会科学的「発見」が属しているのは科学的リアリティーであって、日常生活の常識的リアリティーとは別のものだ、という事を示唆するからである。例えば現在、多くの人々が宇宙物理学の進歩を知っており、ブラックホールの存在についても特に疑ってはいないにもかかわらず、日常生活において宇宙物理学の知見やブラックホールの存在をいちいち気にしながら生きている者は殆どないであろう。同様に社会学的な知見も、それが科学的態度によって「発見」されている限り、あたかも出入り自由な劇場で行なわれているドラマを見るようなやり方でしか扱われ得ないのではないか。そして、社会学による「発見」が常識的世界を組み替え変容させることもまたそのために困難になっているのではないか。ガーフィンケルが自らの実験を態度変容の諸項目に付け加えていることの意味は、この文脈から明らかである。科学的態度による「発見」という経路を介する事なく、日常生活の常識的リアリティーの内部においてそこに作動している社会学的現象を顕在化せしめ、それによって実験者及び被験者双方の日常的リアリティーにより直接的に社会学的な変容を生じさせることこそが、そこで行なわれている実験的方法の実践的な含意なのである。
 ただし、言う迄もなく、「信頼」論文はガーフィンケルの社会学的実践の端諸でしかない。そこで理論的及び実践的に追求されているのはゲームの「構成的期待」やシュッツの言う「日常生活の態度」そのものであって、それ以上のものではない。そこで行なわれたのは問題の所在を確定するという最も基礎的な作業に他ならない。彼はここからさらに実践の領域を拡大していく。

A 記述的方法
 
 本論文はここまで主に初期ガーフィンケルの議論を検討してきたが、それによって、いまや、主著『エスノメソドロジー研究』以降の彼の社会学的営為を正当に位置付けうる文脈が準備されたと思われる。従来のエスノメソドロジー理解においてエスノメソドロジーの記述的方法が一種の言語的データ蒐集の方法論であるかに扱われていたのではないかという点については、既に一章で触れたとおりであるが、本論文の文脈は、エスノメソドロジーの記述的方法もまた先に検討した実験的方法と同じく極めて実践的な意図を持った試みであると理解するものである。『エスノメソドロジー研究』の第一章「エスノメソドロジーとは何か?」を見てみよう。
 
以下の諸研究は、実践的活動・実践的環境・および実践的社会学的推論を経験的研究のトピックとして扱う試みである。そこでは、ふつう異常な事象に向けられているような関心を最も平凡な活動に対して寄せることによって、そういった平凡な活動をひとつの現象として、それ自身の権利において研究しようとする。ここでの中心的な主張は、次のようなものである。すなわち、[ある社会組織の]成員が日常的な出来事の舞台となる組織化された状況を産出・操作するために行なっている活動は、彼ら成員がそれらの舞台状況を「説明−可能」にしていく作業に等しい、ということである。そして、説明作業や説明そのものが「反映的」・「具現化的」性質を持っているという点が、この主張のなかでも重要な点をなしている。4

ここでガーフィンケルの設定している方針は、意外にも明快である。そこでは、最も平凡な日常的活動の平凡さそのものが研究の対象とされるという宣言によって、研究者(及びその読者)と研究対象との距離がごく端的に破棄されている。自らもそれに属するはずであるところの「日常性」を対象とすることによって、研究者(及びその読者)は、研究対象を「異常」なものとして「客観的」にあるいは「科学的」にレッテル付けし説明するという態度をとり得なくなるであろう。そこで彼が始めようとしているのは、前項で実験的方法に関して既に指摘した「実践的」な試み、すなわち、研究者・研究対象・及びその研究に接する読者といった様々な立場にある者をそれぞれその日常的リアリティーの内部から変容せしめんとする試みに他ならないのである。
 研究対象とのスタンスの取り方をこのように設定した上で、ガーフィンケルの取る研究方法の戦略は、そこで用いている術語が言語学あるいは哲学に由来するものであるにもかかわらず、既に繰り返し素描している彼の社会学的理論枠組の延長上にある。
 「信頼」論文では、リアリティーというものの原理的な不確定性を露呈させるという目的の為に、単純なゲーム・或いは日常生活の常套句といった相対的により秩序的であると見做し得る場面をあえてその対象とし、それを実験的に破壊するという戦略が取られていたものと考えられる。しかし、実際のエスノメソドロジーの展開においては日常生活のより広範な場面が対象とされる。日常生活が一般に単純なゲームや常套句のみによって進行している訳でない事は言う迄もなく、そこではむしろ互いの言動の意味の不確定こそが常態であると言える。ガーフィンケルの議論の重心は、従って、安定した協同行為システムの靜態的分析ではなく、より不安定な協同行為システムの再生産プロセスの動態的分析へと移行することになる。すなわち、「実践的行為の合理的説明可能性が刻々と実践的に達成されていく」そのプロセスが研究対象となるのである。そして、この文脈において「インデックス的表現」「説明の反映性」が注目されるのである。
 「インデックス的表現」(或いは直訳して「”見出し”的表現」)という概念は、本論文で先に素描した「ゲーム」のモデルに即すならば、次のように説明され得るだろう。
 ゲームにおいて競技者の繰りだす「手」は、「基礎的規則」の組み合わせによって定義されている一連のゲーム事象可能態すなわち「ゲーム事象の構成的秩序」というひとつのリアリティーの内部において、一定の意味をもっている。すなわち、逆に言えば、競技者の「手」の意味(その「手」によってゲームに「何が起こっているか」)は、しかるべき「基礎的規則」を参照することによって初めて理解され得る。そのいみにおいて、ゲームにおける「手」は、それ自体で意味を持っている訳ではなく、しかるべき「基礎的規則」のインデックス(見出し)として働くことによって初めて意味を確定されるということが言えるのである。
 エスノメソドロジーが研究対象を単純なゲームから日常生活場面へと展開するばあい、「インデックス的表現」概念はその重要性を増す。なぜなら、日常生活においては、ある言語的・非言語的表現がいったいどの規則のインデックスであるのかを一義的に確定することが困難だからである。単純なゲームにおいてさえ「基礎的規則」が常に「エト・セトラ」という形の曖昧さを原理的に含まざるをえない事は既に述べた。ましてや、日常生活は、比喩的に言うならば、無数のゲームが潜在的に錯綜している場なのである。まさにこのために、言語的・非言語的表現の「インデックス性」は日常生活を生きる社会成員たち自身にとって重要な問題となる。そして「インデックス的表現」にその都度適切な規則を補填しながら「修復」することによって「客観的表現」として説明可能にしていくという作業は、安定した協同行為を維持するために成員たちが絶えず従事し続けざるを得ない課題となるのである。
 ところがここで、そのように成員たちが従事している「説明」作業の「反映性」が重大な問題性を帯びることになる。「説明」作業とは、「インデックス的表現」を修復し一義的な意味へと確定することであると同時に、先に用いた比喩を使うならば、潜在的に錯綜している無数のゲームから一つのゲームを選び出すことでもある(ゲーム実験において、「基礎的規則」を破るような「手」が打たれた時、アノミー状態を回避し得た被験者の多くが「何か別のゲームが行なわれている」と判断していたという事を想起されたい)。すなわち、「説明」作業によって成員が行なっているのは単なる個々の「表現」の修復なのではなく、いわばその「表現」を直接の契機とする、リアリティーそのものの確定作業なのである。「説明」作業を介して、個々の「表現」がその背景である「リアリティー」を反映し・同時に「リアリティー」もまた個々の「表現」を反映する。両者は、ちょうど合せ鏡のように互いを反映させながら、その限りにおいて成員にとって客観的事実性の様相を示すのである。
 成員は、しかし、このような「反映」的メカニズムに注意を向けない。むしろ、それは意図的に関心外へと排除されているとさえ言える。なぜなら、ちょうど「競技者」が自分の行なっている「ゲーム」を否定し得ないのと同じく、「成員」がまともな「成員」である為には、自らの属するリアリティーじたいの根拠を危うくするような問いを発することは不可能なのである。5
 エスノメソドロジーに於いてガーフィンケルが採用する記述的方法の実践的含意は、すでに明らかであろう。不確定的な「インデックス的表現」が一義的な「客観的」事実性へと編成されていく「反映的」様態そのものを記述し、成員がいわば「抑圧」しているプロセスに光を当てることによって彼は、ちょうど彼がその実験的方法によって引き起こし得たのと同様の変容を作り出すことになるのである。
 ガーフィンケルは、この研究戦略を、『エスノメソドロジー研究』所収の諸研究から現在の研究実践に至るまで一貫して採用している。例えば『エスノメソドロジー研究』に於いては学生の日常会話・陪審員の審議過程・「両性的」人間の性別アイデンティティー維持過程・UCLA医療センターの精神科外来診療所における診断記録の解釈過程・精神医療に関する計量的研究における研究者のデータ分析過程、等々が研究対象として選ばれ、そこで成員たちが曖昧な情報をいかに扱い・客観的な事実性を作り出しているかが描きだされている。また、彼が現在進めている研究プログラム「成員の”作業”に関するエスノメソドロジー的研究」は、この方針をさらに徹底していると思われる6 。例えば彼はM.リンチ、E.リヴィングストンと共同で科学社会学的研究を展開しているが、その論文「パルサー発見時の資料から見出された発見的科学の作業」7 は、何よりもまずそこに提示されている資料によって読む者を驚かせる。そこには、ガーフィンケルらが研究対象とした天文台の研究者たちの会話トランスクリプトのほかにパルサー発見を発表する論文(全文)や計算ノートがそのまま複写されて資料とされており、これが論文の半分以上を占めているのである。ガーフィンケルのここでの論点自体は『エスノメソドロジー研究』のそれをほとんど繰り返している(すなわち、天文学者たちによって「発見」されたパルサーは、しかし最初から「客観的」に存在して「発見」されるのを待つばかりだった訳ではなく、天文学者たちの「発見」作業を介して次第に「反映的」に「客観的」事実性を獲得していったのだ、ということ)。しかしこの論文は独特の入れ子構造を成している。すなわち、この論文が主題として扱っているのが天文学の「発見」作業であり・しかもこの論文じたいが科学社会学の「発見」作業なのである。従って、ガーフィンケルがこの論文で天文学について行なっている議論はそのまま彼自身のこの論文自体についても当て嵌まる訳である。彼が敢えて生の資料を提示した事は、この点に係わっていると考えられよう。すなわち、ガーフィンケルの「発見」した天文学者の「作業」もまた最初から「客観的」なものではなく、(ちょうど天文学者がオシロスコープの示す曖昧なパルスから次第にパルサーの客観的存在性を作り上げていくのと同じように)それ自体は曖昧なデータの集積から次第に見出されてきたものなのである。
 こういったガーフィンケルの記述的方法(すなわち、ついに自らの議論それ自体をも解体するに至るような方法)は、もはや単純に「理論的」文脈において語られ得るものではあり得ないであろう。まさに、本論文で言う「実践的」含意こそが、そこで強調されねばならないのである。

3.2. 「構成的分析」批判

 エスノメソドロジーがこのような実践的含意を持つという点を評価するに先立って、彼の行なっている、制度としての<社会学>そのものの根拠に対する批判的視点の導入について触れておくべきであろう。そうすることによって、エスノメソドロジーを単なる<社会学>的営為の特殊な一変種と見做す以上の評価が準備され得ると思われる。
 ガーフィンケルとH.サックスはその論文「実践的行為の形式構造について」において、本論文の文脈においては「制度としての<社会学>」と呼んでいるものを「構成的分析」と名づけ、エスノメソドロジーとの対比において批判している8 。
 彼等の議論の出発点となっているのは、既に前節で言語的・非言語的表現の特性として指摘されている「インデックス的特性」なる概念である。ただし彼等はここでは「インデックス的特性」概念を、単にミクロな相互行為場面における表現の特性としてのみ取り上げているわけではない。むしろ、あらゆる<社会学>的営為が何らかの<社会学>的命題を産出する場合に原理的に帯びざるをえない特性としての「インデックス的特性」こそが注目されているのである。彼等は次のように書いている。

インデックス的特性は、[専門的社会学者ではない]素人の行なう説明だけに見られるというわけではない。それは、専門的社会学者の行なう説明にも同様によく見られるものである。例えば、「社会的事実の客観的現実性は社会学の基本的原理である」という定式[ガーフィンケル註:デュルケーム『社会学的方法の規準』]は自然言語から成っているが、それを専門的社会学者達は場合に応じて、社会学会会員の活動の定義として・あるいはそのスローガンとして・課題・目的・業績・自慢・売り込み文句・正当化・発見・社会的現象として・あるいは研究の制限要因として、様々に聞き分けている。他のすべてのインデックス的表現と同じく、この場合も、[その定式]が用いられている時点の環境こそが、[その定式]をどのように聞き取るかを知っている誰かに対してその意味の限定性を例えば[社会学会会員の活動の]定義だの義務だの何だのといった形で、保証しているのだ。9
 
すなわち<社会学>は、単にその対象としての(「素人」の)成員の活動にインデックス的特性を抱えているだけではなく、まさに<社会学>自身の(あるいは「専門的社会学者集団」の)活動のうちにもインデックス的特性を有している、という事が指摘されているのである。これをあるいはごく単純に次のように言い換えることができるかもしれない。すなわち、どのような立場から・いかなるアプローチをとるものであれ、<社会学>的営為とは、その対象としてのデータ(数量的な・あるいは「意味的」な)を「解釈」する際にデータそれ自体が原理的に帯びているインデックス的特性を隠蔽するために<社会学>的命題のほうのインデックス的特性を有効に運用しているような「専門的社会学者集団」(言い換えれば、「[<社会学>的な定式]をどのように聞き取るかを知っている」者を成員とする集団)の活動(言い換えれば、「反映的」な「説明」活動)ではないのか。
 制度としての<社会学>が「科学的リアリティー」に準拠しているという点が、ここで再び注目されねばならない。<社会学>に対する批判的視点を既に「信頼」論文に於いて萌芽的・断片的に見出し得る、という点に関しては前節で指摘したが、その批判的視点がここではさらに明確な形をとっている。
 <社会学>的営為が「専門的社会学者集団」の「反映的」な「説明」活動であるという指摘は、一方では、「素人」の活動と「専門的社会学者」の活動との質的・権利的な同等性を明らかにするものであり、同時に他方では、「専門的社会学者」の活動がいかにして(それと原理的には同等であるはずの)「素人」の活動から身を引き離して自らを維持しているのか、という問題を露呈させる。そして、その解答は次のようなものとなる。すなわち<社会学>的営為は、「科学的リアリティー」に準拠しているゆえに、その実践的な目的よりは、対象の「インデックス的特性」を一義的な「客観的」事実性へと編成していく「説明」プロセスそれ自体を目的としており、「説明」プロセスの洗練それ自体を自己目的的に追求することによって自らに「完成され得ない永遠の課題」を課し、自らを「発展」させ、自らを維持しているのだ、と10。
 こういったガーフィンケルらの議論は、本論文の問題意識すなわち社会学者が社会学をするとはどういうことかという問題に、正確にネガティヴな形で対応している。すなわちここで論じられているのは、社会学者が<社会学>をするとはどういうことか、という問題にほかならない。

3.3 教育としての社会学

 社会学者が社会学をする、とはどういうことか。あるいは、<社会学>ではなく社会学をする、とはどういうことか、と問い直すこともできようこの問いが、本論文の問題意識であり、同時にガーフィンケルのエスノメソドロジーもまた、まさにこの点を追求しているものである。
 前節で述べたとおり、社会学者と「素人」の活動の違いは絶対的なものではなくあくまでも相対的なものに過ぎない。両者は同じ認識対象(すなわち「社会」)に関して同質の方法を以て「説明」を行なっているに過ぎない。このことは社会学にとってはきわめて深刻な事態である。なぜなら、社会学者が社会学をする、ということの根拠が相対化されるからである。ガーフィンケルにとって、社会学はこういう現状認識から出発すべきものだったと思われる。  言う迄もなく、専門的社会学者集団がその外部に向けて<社会学>的言説を産出しつづけること − すなわち「<社会学>をする」こと − は、社会学のサヴァイヴァル・ストラテジーの一つの方向として可能である。産出された言説は、それが「正しい」かどうかというレヴェルとはべつのレヴェルにおいて、「科学的リアリティー」に準拠しているものと見做されていることによって、社会的に一定の機能を果たし得る。今までに様々な<社会学理論モデル>がこのような形でそれぞれの時代・社会に応じて支持され、しかも様々な社会集団の活動の理論的支柱として実際に有効に働きもしていたことは、あらためて述べる迄もないであろう。
 しかし、その逆をいく戦略もまた可能ではないか。すなわち、社会学者と「素人」との距離を、引き離していく方向ではなく、むしろ極小にまで接近させていくという戦略である。そして、ガーフィンケルによるその戦略の実践が、ほかならぬエスノメソドロジーの実践的方法論ではないだろうか。すなわち、エスノメソドロジーの記述的方法が社会学者自身による「説明」を可能な限り排するという意味においてもそうであり、またそのために、テープレコーダーを持っていれば(或いはガーフィンケルのゼミナールの学生のように全く道具なしでも)誰にでも実行できるという意味においてもそうである。
 誤解を防ぐ為に急いで付け加えるならば、社会学者と「素人」の距離を接近させるという戦略は、例えば次に引用するH.ベッカーの言葉に代表されるような態度とは異なるものである。

論文を書く人たちの中には − そして僕自身もこういうタイプの書き方をしたいんだが − ウィル・ロジャース式のやり方でいく人がいる。僕達は気取らず、一般の人たちとどんなに違っているかを誇示するんじゃなくむしろ共通な部分を強調するんだ。僕達は他の人達の知らない事を確かにちょっとだけなら知っているかもしれない、でもそれは特別なことじゃない。「まあ、きみだって僕と同じ事を考えるだろうさ、きみがそこに居合わせて僕の見たものを見てさえいればね。要するに、僕はそこに行ってみるだけの時間と手間を掛けたわけだし、きみはそうしなかったか、それともできなかったか、それだけのことさ。それだけのことだけれど、ちょっと僕の言うことを聞いてくれるかい。」 とまあ、そういうわけだ。11

ここに描かれているベッカーの態度は、確かにある意味において社会学者と「素人」の距離を接近させていると言えよう(社会学者のジャーナリスト化!?)。しかし、本論文の文脈からは既に明らかなように、この態度は、ある重要な一点において社会学者と「素人」の原理的な距離を確保している。なぜなら、そこでもやはり、社会学者がある「客観的現実」を「知り」(いみじくもベッカー自身が「きみだって僕と同じ事を考えるだろうさ、きみがそこに居合わせて僕の見たものを見てさえいればね」と言っている)、それを「素人」に「伝える」(「それだけのことだけれど、ちょっと僕の言うことを聞いてくれるかい」)というスタイルが維持されているからである。
 エスノメソドロジーが問題としているのはこういうスタイルそのものにほかならない。そしてそれこそは、本論文で<社会学>と呼んでいる営為である。エスノメソドロジーの戦略とは、そういうスタイル自体の破棄なのである。

背の低い太った男が家に入ってきた。私の頬にキスをし「学校はどうだったい」と尋ねた。私は愛想良く返事した。彼は台所に入って行き、二人の女性のうち若いほうの女性にキスし、もう一人に「やあ」と言った。若いほうの女性が私に「ねえ、夕飯は何がいい?」と聞いた。私は「別に」と答えた。彼女は肩をすくめ、それ以上何も言わなかった。年長の女性はぶつぶつつぶやきながら台所を動きまわっていた。男は手を洗ってテーブルにつき新聞を取り上げた。彼は二人の女性がテーブルのうえに食べ物を並べ終えるまでそれを読んでいた。三人がテーブルについた。彼等は今日あった事についてくだらないおしゃべりをしていた。年長の女性が外国語で何か言い、他の者を笑わせた。
 
 ガーフィンケルが学生に命じて「十五分から一時間、もっぱら自宅で自分が下宿人であるかのように仮定して、家人の活動を観察し続け」させたという実験の報告12は、興味深いものである。その報告は、言うならば、何も明らかにはしていない。にもかかわらず、それは「驚き」を与えている。ガーフィンケルの解釈も学生自身の解釈も可能な限り排しまさに見られた限りの状況を単に記述していくということによって、逆説的に、学生たちは日常の常識的な現実の見方を、「成員の作業」によって構成されたものとして自覚することになるのである。こういった実践的変容がエスノメソドロジーの実験的・記述的方法において一貫して追求されていることは既に述べたとおりであるが、ガーフィンケルの社会学的営為全体はまさにこの点によってこそ評価されるべきものと考えられるだろう。
 ガーフィンケルの社会学的営為への評価がもっぱらその<理論的>な部分で行なわれ、彼の実践的活動がしばしば軽視され揶揄の対象にさえなっていたということは既に第一章で素描したとおりである。しかし、その<理論的>な部分だけを取り上げるならば高度に抽象的であり・思弁的であり・晦渋であり・しかも明らかに循環論的である彼の議論は、その実践的部分までを含む全体として捉えるならば、実は常に具体的なフィールドとの係わりから産み出されているものであり、またその係わり合い方自体を<理論>の骨格としているということがわかるであろう。そして、様々なフィールドに対する彼のスタンス自体は驚くほど一貫している − あるいは、殆ど進歩が見られない。彼の<理論>が捉えどころのないものと見做されてきた理由は、まさにこの点にあると思われる。制度としての<社会学>においては<理論>は個別の事例から十分に一般化されたものであるはずであり、また<理論>は常に洗練され・発展していなければならないはずであるにもかかわらず、ガーフィンケルの社会学的営為はこれをことごとく裏切っているのである。
 ガーフィンケルの実践はそのような一般化あるいは<社会学>的言説の産出へは向かわず、むしろ極めて局所的な場面に於いて変容を引き起こさんとするものである。それを、「科学としての<社会学>」とは異なるものとして、例えば「教育としての社会学」と名付けることもできるであろう。そしてそれは、ガーフィンケル自身が、社会学者が社会学をするということについて徹底的に反省した結果生まれた、きわめて実りの多い社会学的営為なのである。


おわりに

 以上で、ガーフィンケルの社会学的営為を辿るという議論は終わりである。<社会学>によるエスノメソドロジー受容を再検討したうえでエスノメソドロジーを従来とは異なる文脈の下に読み直すという試み(しかもそれは<社会学>の内部の文脈から<社会学>それ自体に関わる文脈への移行の試みだったが)は、ひとまず完了されえたと思われる。
 しかしある意味においては、なされねばならない作業は未だ半分しか終わっていない。本論文の問題意識は「社会学者が社会学をするとはどういうことか」というものであってガーフィンケルはあくまでも筆者自身の問題意識を<社会学>の<問題>へと転化するための口実に過ぎない。そこで、恐らくは、ガーフィンケルをデュルケームによってではなくデュルケームをこそガーフィンケルによって読み直す作業が次になされねばならない。社会学を一つの専門科学として制度的に確立する方法論的宣言と目されるであろう『社会学的方法の規準』を読んでみる。そこに読み取られうるのは、一つの科学の方法規準の開陳ではいささかもない。同書でじっさいに「規準」が語られるのは第二章からであって、それに先立つ第一章は「社会的事実とはなにか」の説明に充てられねばならなかった。なぜなら、第一章が書かれ・読まれる以前には、社会的事実というものがそもそも存在していなかったからである(言う迄もないことだが、「社会的事実」というものは「社会学的方法」を通じて初めて客観的なリアリティを持つ存在として取り出され得るのであって、同書が書かれ・読まれる以前には定義上存在し得ない)。およそ固有の対象を持たない専門科学などはありえず、ましてやその方法規準など語られようがないではないか。デュルケームがそこで試みているのは、もともと何もなかった空間に、「社会的事実」と「社会学的方法」を、すなわち一つの科学の対象と方法を、同時に・しかもトートロジー的に現出せしめるという、手品のように無根拠な試みにほかならないのである。ところが<社会学>は、デュルケームの「規準」をあまりにも正直に信じ込んでしまったのではないか?少なくともデュルケーム自身においては、社会学とは、制度と非・制度に片足ずつを掛けた徹底してアクロバティックな営みであった。それに比べ彼以降の社会学者はあまりに無邪気に制度的<社会学>の内部における言説産出に安住しているかに見える。これこそはまさに社会学と<社会学>との取り違えではないか。E.A.ティリアキアンに倣って「社会的事実はものとして考察されなければならない」というテーゼを現象学の「事象そのものへ!」というテーゼに重ね合わせる1 なら、デュルケームの意図を、本論文でガーフィンケルのものとして論じてきた「実践的変容」に求める事が可能であろう。デュルケームをガーフィンケルによって読み直すとは、そういうことを意味している。
 しかしまたある意味においては、なされねばならない作業は本論文においては始まってさえいないと言うこともできよう。なぜなら、本論文の議論は社会学についての・あるいは<社会学>についての議論であって、それ自体が<社会学>の制度的な言説のひとつとして吸収されることを免れてはいないからである。恐らくは、ガーフィンケルに倣って社会学をはじめることこそが、本論文の議論の最も正当な帰結であろう。その営みは、壮大な理論モデルではなく、ひとつの問いに導かれる。その問いとは、言う迄もなく、次のようなものである。すなわち、社会学者が社会学をする、とはどういうことか − 
                 (以上)


【 註 】

( *) なお、本論文を進めていくにあたって、ひとつの戦術が採用される。すなわち、いわゆる<エスノメソドロジー>的な一連の語彙 − 例えば、「主観的意味世界」「ストラテジー」「非・内面化論的」「過剰社会化論」等々 − を、可能な限り避けることである。実際、これらの語彙は、エスノメソドロジーが受容されるにあたって積極的に口にされ、あたかもそれを口走ることによって<エスノメソドロジー>に参加している証明になるかのごとき状況が現出したように思われる。このようないわば「流行語」現象がほかならぬ<社会学>に於いておこっているというそのことが本論文の問題意識を喚起したのである以上、筆者自身はその現象にあらがう努力をしなければならないであろう、というのがこの戦術をとる理由となっている。ガーフィンケルの理論的背景をシュッツならぬデュルケームの方へと遡行していくという戦略も、同様の意図からなる試みに他ならない。これらの戦術ないし戦略は、しかし、本論文の展開しようとする議論を本質的に歪めるものでは決してない。確かに、<エスノメソドロジー>的な諸々の語彙はそれぞれ重要な意味合いを帯びているであろうし、エスノメソドロジーの理論的背景における解釈学的系譜の重要性は無視されてはならないであろう。しかしそれらは、むしろ本論文の議論を通過したのちに、本論文の視角から、あらためて捉え返されるべきものだと思われる。その作業は本論文では扱いきれないために、あるいは今後の課題となるやもしれない。

第一章
( 1) 以下の議論は、Gouldner(1970)第10章「西欧社会学の危機U/機能主義の解体と新理論の台頭」の該当部分(「エスノメソドロジー/ハプニングとしての社会学」邦訳書 pp.67-74.なお訳語は文脈に応じて一部変更。)の要約である。
( 2) グールドナー,邦訳書 p.67.
( 3) ibid., p.68.
( 4) ibid.
( 5) ibid.
( 6) ibid., p.69.
( 7) ibid., p.70.
( 8) ibid.
( 9) この例は、グールドナーの挙げている例ではなく、彼の文意にそって筆者の選んだものであり、ガーフィンケルの行なった同様の一連の実験のうちの<ケース6>である。Garfinkel(1967),p.44. 参照。なお、グールドナーの挙げている例は<ケース1>(「タイヤがパンクしてぺちゃんこだ」「タイヤがぺちゃんこだってどういうことだ?」)及び<ケース2>(「やー、レイ、彼女元気かい?」「彼女が元気かってどういうことだ?」)である。
(10) グールドナー,op. cit.,p.73.
(11) ibid.
(12) ibid.,p.74.
(13) ibid.
(14) Wilson(1971),p.69.
(15) カラベルらの議論についてはKarabel and Halsey(1977) 邦訳書pp.55-75.を参照。また逸脱研究の分野におけるエスノメソドロジー批判の議論については佐野(1984)pp.83-85における簡明な整理を参照されたい。
(16) Cicourel(1981)
(17) ギデンス(1986);(1987)、ブルデュー(1988)、ロッシ(1989)を参照。
(18) Coser(1975)
(19) 仮になんらかの方法であらゆる「議論」を「コーディング」し、統計的に検定した上で「5%水準で有意」か何かを出せばいいのかもしれない! 言い換えれば、ここで試みているのは「議論」を内在的に辿るという作業ではなく、「議論」の総体を社会学な事実として社会学的に扱うという作業の、すくなくとも「プログラム設定」となるべきものである。

第二章
( 1) Garfinkel(1967),p. .
( 2) ただし、加藤春恵子やE.A.ティリアキアンの議論には、エスノメソドロジーとデュルケームの社会学とを関連付ける視点が見出せる。加藤(1981)、Tiryakian(1986) 邦訳書pp.78-79. を参照。
( 3) 例えばHeritage(1984);Mullins(1973),pp.183-212.;Rogers(1983)等を参照。
( 4) 例えばRogers, op. cit.,p.82.
( 5) 例えばAttewell(1974)を参照。
( 6) ゴッフマンがガーフィンケルの未刊行論文に言及している例としてGoffman(1955),邦訳書p.282.、あるいはGoffman(1961) が挙げられる。また、Garfinkel(1956),(1963)では、脚注でコメントに対する謝意を記している相手の中にゴッフマンの名を見付けることができる。そして前者は、テーマ・スタイルともにゴッフマン的なアプローチをとっている。本章第2節参照。
( 7) 石黒(1985)
( 8) ここではTiryakian(1971) 第2章の議論を参考にしている。邦訳書pp.21-35.
( 9) Tiryakian(1986),p.79.
(10) この論文は未刊行であるが、次の文献における紹介が参考になった。Heritage, op. cit.、江原(1985)、山田(1982)
(11) Garfinkel(1952),p.1., quoted in Heritage, op.cit.,p.9.
(12) 本章註( 6)参照。
(13) Garfinkel(1956),p.421.
(14) ibid.,p.422.
(15) 例えばDurkheim(1978),邦訳書pp.152-161.
(16) Durkheim(1941)を参照。
(17) ibid.,邦訳書上巻pp.373-382.
(18) 以下の議論は、Garfinkel(1963)の特にpp.187-201.における議論に拠っている。
(19) Goffman(1981),p.62.
   
第三章
( 1) Garfinkel(1963),p.222.あるいはGarfinkel(1967),p.43. なお、Garfinkel(1967)の第2章を成している論文の内容は、Garfinkel(1963)と大幅に重複している。
( 2) Garfinkel(1963),p.187.
( 3) ibid.,pp.235-238.
( 4) Garfinkel(1967),p.1.
( 5) この点についてガーフィンケルは、'the "uninteresting" essential reflexivity of accounts of practical actions'として論じている。ibid.,pp.7-9.参照。
( 6) ガーフィンケルの手になる著作は予告されたまま未刊行であるが、次の文献が参考となる。Garfinkel(ed.)(1986);Garfinkel,Lynch and Livingston(1981)。 また、ガーフィンケル以外のエスノメソドロジストの著作ではLynch(1985);(1988)あるいはSudnow(1978)等。なお、Heritage, op.cit.,pp293-311における整理を参照。
( 7) Garfinkel,Lynch and Livingston, op.cit. 参照。なお、同論文については、知識論という文脈からの周到な検討が山田富秋によってなされており、参考となった。 山田(1984)参照のこと。
( 8) Garfinkel and Sacks(1970)
( 9) ibid.,pp.338-339. なお、ここにとりあげられている定式が他ならぬデュルケームの「社会学主義」のテーゼであるというのも、本論文の文脈から見れば、偶然ではないだろう。 (10) ibid.,p.339. 特に脚注(5)を参照のこと。
(11) Becker(1986),pp.36-37.
(12) Garfinkel(1967),p.45.

(おわりに)
( 1) Tiryakian(1965),p.680.参照。


【 文献 】

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 第13回『若手の会』発表レジュメ             1991/7/24/14:00〜
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・             H.Garfinkelの社会学的営為             ・
・        〜 あるいは、社会学は実践である、ということ        ・
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                       発表者:石飛和彦(京都大学大学院)
                 
0:はじめに

 序に代えて、私自身の体験を報告させていただくことにします。
 私が大学院に進学して、初めて教育社会学会に参加した日の、夜のできごとです。早々とホテルに戻った私は、いそいそとTVのスイッチをひねってNHKのドラマ・スペシャル『黄色い髪』(干刈あがた原作)を見ていました。学校でいじめられて登校拒否になった女子高生が主人公なのですが、その「よき相談相手」である大谷直子ふんする小母さんが、学歴社会は神話なんだ、と言ったのを聞いて、私は、ひとりで殆ど感動にまで達してしまった覚えがあります。
 つまり、こういうことです。昼間、私の参加し見聞きした学会での「社会学者」の議論と、夜、私のホテルの一室をはじめ全国の茶の間に向けて放映されていたドラマの中の大谷直子の台詞のあいだには、どういう境界線を引くことが可能なのだろうか、あるいは、両者の間には境界線など存在しないのだろうか? もし両者の間に明確な違いがないのだとすれば、社会学者というのは、社会学者ではない素人と比べて、せいぜい「相対的に」冴えた事を言っている(あるいは、言っていない)にすぎない、ということになります。
 大谷直子の言葉がトラウマになったせいで、という訳でもないのですが、私はいつも、自分の社会学者としてのアイデンティティーに危機を感じているようです。今回の発表では、私自身がいつも責め苛まれて(?)いるこの問題、すなわち、 社会学者が社会学をする、とはどういうことかという問題を、提出することになります。この「個人的な問題」を、「社会学者として考えるべき一般的レヴェルの<問題>」へと転化するための戦略として、ここでは、H.ガーフィンケルの提起したエスノメソドロジーがとりあげられることになります。

1:問題設定(について)

 ガーフィンケルについて喋ることによって報告者の「個人的な問題」がより「一般的な<問題>」へと転化される、と考えられるのは、次の3つの理由によります。
 第一に、ガーフィンケルが「社会学者が社会学をするということ」について非常に徹底した反省をしており・そこから導きだされたものを実践しつつある、ということが挙げられます。第二には、ガーフィンケルという名前が、制度としての社会学 − 以下、これを<社会学>と表記することにします − の諸理論の見取り図の一角に、すでに無視しがたい重要性を与えられている、ということが挙げられます。ところが、第一点に挙げた「社会学者が社会学をするということ」に対する彼の反省・実践と、第二点に挙げたような<社会学>の見取り図のなかへのガーフィンケルの受容とが、食い違っているという現象があります。この「食い違い現象」というのは、「ガーフィンケル理論は誤解されている」とストレートに表現できない類のものだと思われますが、ともかくこれが、ガーフィンケルについて喋ることによって報告者の「個人的な問題」を「一般的な<問題>」へとリンクさせ得る第三の理由、ということになります。
 今回の報告は、この第二・三番めの点を最初の手がかりとした上で、第一番めの点へと移っていく、という手続きをとることになります。

2:<社会学>によるエスノメソドロジー受容

 先にも言ったとおり、ガーフィンケル理論はじっさい誤解されているわけでも不当に無視されている訳でもありません。それどころか現在、エスノメソドロジーは<社会学>の諸理論の布置の一角に確固とした位置を勝ち得ています。そこでは、エスノメソドロジー的な理論的・経験的研究が少なからず産出され、あるいは産出へのプログラムが宣言されてもいます。すなわち、エスノメソドロジーは(少なくとも理論としては)確かに<社会学>によって「正当に」受容されることに成功しているということです。
 したがって、「何も問題はない」と言うこともできます。じっさい、本報告の立場は、現在行なわれているエスノメソドロジー的研究の有効性を否定し得るものでは全くありません。にもかかわらず、ここで「問題設定」がなされるというのは、したがって、従来のエスノメソドロジー理解の「不備」をめぐってではなく、逆に、エスノメソドロジーが制度としての<社会学>の中に過不足なく受容されその中で有効に機能しはじめているという事実そのものが問題とされる、ということです。言い換えれば、ハロルド・ガーフィンケルという人の行なった社会学的営為が、どのようなかたちで、制度としての<社会学>の中に定着し得ているのか、ということが問題とされる、ということになります。

言説分析

 問題設定がそのようなものである以上、議論のすすめ方にも工夫が必要になってくると思われます。つまり、エスノメソドロジーを否定的に(あるいは誤った形で)評価している先行研究を内在的に辿ったうえでそれに対する批判を行なう、というようなやりかたはここではあまり有効ではありません(繰り返すように、エスノメソドロジーは結局のところ文句の付けようもなくうまく受容されているわけですから)。そうではなく、これまで行なわれてきている、エスノメソドロジーについての「議論の総体」のようなものを想定して、それをひとつの社会的事実と見做した上で、社会学的に分析する、という手続きが有効だということになってくるでしょう。
 言う迄もなく、そのような作業を実現することは実際には非常に困難で、ここでもせいぜい大まかな見取り図の予想を提示することぐらいしかできないのですが、それでもある程度興味深い傾向を指摘することはできると思われます。
 第一に指摘されるのは、「ステレオタイプ化」という傾向です。
 エスノメソドロジーに関して行なわれている議論を見ていると、多くの論者の議論の展開のしかたが、一定のパタンを踏襲しているのではないか、と思われてきます。言い換えれば、「エスノメソドロジーに関する議論のステレオタイプ」というものがあって、エスノメソドロジーについて何か発言しようとする論者はそれを援用して変奏することによってはじめて「それらしい」議論が可能になっているのではないか、ということです。
 具体的な例を挙げましょう。アルヴィン・グールドナーが1970年に著した『社会学の再生を求めて』の中に、エスノメソドロジーを論じた一節があります。そこでグールドナーは、まずエスノメソドロジーを<機能主義への挑戦>として位置付け、さらにそれが<社会的状況を「内側から」理解しようとする>ものとしています。そのうえで彼は、エスノメソドロジーが<社会的権力構造を扱わない>と批判します。そして、ガーフィンケルが行なった有名な「実験」については、<現実性についての常識に対するサディスティックな攻撃>であると非難し、<エスノメソドロジーの実験行為は、「ハプニング」に似ている、1960年代の学園の反抗的な文化にふさわしいものだ>と結論を下しています。
 グールドナーのこういった論調は、彼だけに特別な論理構成という訳では決してなく、むしろ、<社会学>の内部でエスノメソドロジーを論じる際には、だれもがこういうパターンを下敷きにしていたのではないか、と考えられます。たとえば、グールドナーとは異なり多分に「エスノメソドロジー肯定派」と見做すことのできるであろうトマス・P・ウィルソンは、論文「社会学における規範的パラダイムと解釈的パラダイム」において、機能主義を規範的パラダイムに、エスノメソドロジー及びシンボリック相互行為論を解釈的パラダイムになぞらえることによって後者の新しさを際立たせようとしていますが、これはグールドナーがエスノメソドロジーを<機能主義への挑戦>と規定したことにぴったり重なります。さらにウィルソンは、解釈的パラダイムにおいては「相互行為の研究を行なうには行為者の立場に立つことが必要となるだろう…」というハーバート・ブルーマーの宣言を引用した上で、「言い換えれば、一連の相互行為を理解し・辿るためには、研究者はドキュメンタリー的解釈に従事せねばならない…」と断言しているので、いよいよグールドナーとの相似は明らかになってきます。
 <エスノメソドロジーは社会権力構造を扱わない>という批判に対しては、もちろん、「エスノメソドロジー擁護派」の論者たちが反批判を展開しています。例えばアーロン・V・シクレルの論文「分析におけるミクロレヴェルとマクロレヴェルとの統合についての覚書」などがそれにあたるのですが、そこで彼は、ミクロレヴェルでの行為者の解釈プロセスを研究することがマクロな社会構造の研究の本質的な部分を為すことになる、と主張しようとしています。この反批判は、たしかに主張の内容について言えばグールドナーほかの批判者とは正反対だといえるでしょう。しかし、論点そのものは批判者によって提出されたものを踏襲しているわけですから、やはり、ステレオタイプの変奏のひとつでしかない、と言うことができます。あるいは、アンソニー・ギデンスやピエール・ブルデューの「構造化理論」「実践の理論」といったものも、このようなステレオタイプ的な論理展開を律儀に反復しようとしているのではないかという予感もしてくるかもしれません。
 このような「ステレオタイプ化」の傾向が見られるとすれば、そこから分析のレヴェルをさらに進めることも可能ではないか、と考えることができるでしょう。どのような場合にどのようなステレオタイプが現れるのか、その「分布状態」を記述することによって、ある「作用」、すなわち、制度としての<社会学>の基盤にあって論争そのものを可能にしているようなある種の「作用」の存在を、いわば陰画として可視的なものとすることができるのではないでしょうか? そして、エスノメソドロジー受容についてこのような分析をするとすれば、最も興味深いのは、エスノメソドロジーの「実践的」な部分・エスノメソドロジーの活動そのものに関する議論だと思われます。
 エスノメソドロジーの「実践的」な部分について論じるときのステレオタイプは、「ある種感情的な色彩を帯びた非難・ないしは揶揄」というようなものだと予想されます。例えば、先に挙げたグールドナーは、エスノメソドロジーの実験を<サディズム>あるいは<ハプニング>と断じているわけです。あるいは、<エスノメソドロジーは閉鎖的・秘教的な運動で、何をやっているのかわけわからん>というよく聞かれる噂も、このようなステレオタイプに属するでしょう。(あるいは、アメリカの社会学アカデミズムでじっさいにエスノメソドロジーが締め出しを食っている、という噂もあります。) その一方で、ウィルソンにせよシクレルにせよ、あるいはギデンスにせよ、とにかくエスノメソドロジーを「活かそう」としている人たちの方では、もっぱらエスノメソドロジーの<理論的>な部分に関する批判のみを問題にしている一方で、「実践的」な部分に関する非難・揶揄にはまともに答えようとはしていない、というような姿勢があるのではないでしょうか?
 もし本当にそうであれば、そこに働いているのは明らかな「抑圧」の作用です。

3:ガーフィンケルの社会学的営為

 繰り返して強調するならば、前節でそのアウトラインを試みた<社会学>によるエスノメソドロジー受容の様態は、決して「不当」なものではありません。しかるべきステレオタイプの形をとって円滑に流通することによって、エスノメソドロジーは<社会学>の内部において生産的に機能しうるようにもなっていますし、そのためには、しかるべき「抑圧」作用によってある部分が「淘汰」されていくこともまた必要だといえます。
 にもかかわらず、あえて報告者が前節のような手続きを取り、特に<社会学>によって「抑圧」されている部分に注目しようとする理由は、ふたつあります。第一に、ガーフィンケルという人の社会学的営為の中心を、その「抑圧」された部分の方に見出だすこともまた可能なのではないか、という理由があるでしょう。そして第二の理由は、そうすることによって、報告者じしんの「悩み」すなわち「社会学者が社会学をする、とはどういうことか」という問題にある種の解答が与えられるのではないか、ということです。

ガーフィンケルの「抑圧された部分」

 陽に当たっている部分の彼は、高度に抽象的であり・思弁的であり・晦渋であり・しかも明らかに循環論的であるような議論を弄する「理論家」として知られています(日本においても、エスノメソドロジーといえばまず「文脈状況再帰性」だの「原型遡及的、ナントカ」だのといった概念であって、それを自在に操ることがガーフィンケルのエスノメソドロジーである、という不思議な錯覚がつい最近まで存在していたように思われますが、どうでしょうか)。ところが、彼をそのような「理論家」と見做すかぎり、彼の<理論>の発展の無さが気になってきます。じっさい、彼が1967年の『エスノメソドロジー研究』で行なっていた議論と、1981年に弟子とともに発表した論文「パルサー発見時の資料から見出された発見的科学の作業」で行なった議論との間には、<理論的>な進歩はみられません。いずれにおいても、具体的な組織が研究対象として選ばれ、そこで成員たちが曖昧な情報をいかに扱い・客観的な事実性をつくりだしているのか、ということが執拗に追求されています(前者では、陪審員の審議過程やらUCLAの精神科外来診療所の診断記録の解釈過程、等々が描きだされ、後者ではそれがある天文台のパルサー発見時のデータ解釈の過程が描きだされている)。彼がこういう研究スタイルを取っている以上、そこから「文脈状況ナントカ…」といった<理論的>概念だけを引き出してくることは、多分にミスリーディングでさえあると思われます。彼の社会学的営為の中心は、むしろ彼の「実践的」な部分、すなわち、さまざまなフィールドに対してある一定のスタンスをとりながらエスノメソドロジカルな記述を行なうということじたい、あるいはそのスタンスのとりかた自体に求められてもよいのではないか、ということです。

素人の<社会学>とプロの<社会学>

 「ふつうの人々」がふつうの日常生活をおくっている場面を上に述べたようなスタンスで記述していくと、彼らが、曖昧な情報をうまく扱ってそれを客観的事実性を帯びたリアリティへと編成していく様子を描きだすことができます。ガーフィンケルが彼らを「素人の社会学者」と呼んでいるのは、かれらが(プロのいわゆる「社会学者」たちがデュルケームの教えに従ってそうしているのと同じように)「社会的事実を客観的現実として」扱おうとしているためです。では、ガーフィンケルは、「素人の社会学者」と「プロの社会学者」との間にどのような違いを見出していたのでしょうか。
 どうやら、彼は素人とプロの社会学者の間に「本質的な」差異を認めていないように思われます。両者の違いは、準拠している制度的コンテクストの違い(素人は「常識的リアリティ」という制度的コンテクストに準拠し、プロは「科学的リアリティ」という制度的コンテクストに準拠している、という相違)に過ぎない、というわけです。この立場は、報告者が初めての学会の夜に大谷直子の言葉によって覚えることとなったトラウマに、まさに直結していると言えるでしょう。同時に、このような視点に立つとき、プロの社会学者の行なっている活動がいかにして(それと原理的には同等であるはずの)素人の活動から身を引き離して自らを維持しているのか、という問題を露呈させます。ガーフィンケルが出しているひとつの解答は、次のようなものです。プロの行なっている<社会学>は、「科学的リアリティ」に準拠しているゆえに、その実践的な目的よりは、与えられたデータを一義的な「客観的」事実性へと編成していく「説明」プロセスの洗練それ自体を自己目的的に追求しながら自らに「完成され得ない永遠の課題」を課し続け、マッチポンプ的に自らを「発展」させ維持しているのだ、というわけです。

エスノメソドロジー:教育としての社会学

 以上の議論を以て、報告者は、「社会学者が社会学をする、とはどういうことか」という当初の疑問に対する解答を得たといって安心すべきでしょうか。もちろん、否、というわけであります。なぜならそこでは報告者の抱いていた不安に対する救いが全くみられないからです。そこで報告者が注目するのは、ガーフィンケル自身の社会学的営為すなわちエスノメソドロジーの実践が、この問題に明るい解答を提起していないだろうか、という点であります。文脈を遡って考えれば、前節の議論でプロの社会学者が行なっている活動と呼んでいたのは、本報告が「制度としての<社会学>」と呼んでいるものでした。エスノメソドロジーの「実践」は、(いわゆる「生産性」につながらないために?)そこから排除されてきた、という議論をおこなってきたのですが、ここでついに、その「実践」を評価しようという文脈ができあがってきました。
 結論から言えば、エスノメソドロジーの実践とは、素人社会学者の活動から身を引き離していくのではなく、その反対方向に、つまり自らと素人の距離を極小までに接近させることによって、社会学を実践しようとするものではないか、ということになります。
 誤解を防ぐために急いで付け加えるならば、社会学者と素人の距離を接近させるという戦略は、例えば次に引用する言葉に代表されるような行き方とは、また別のものです。

  論文を書く人たちの中には − そして僕自身もこういうタイプの書き方をしたいん
 だが − ウィル・ロジャース式のやり方でいく人がいる。僕達は気取らず、一般の人
 たちとどんなに違っているかを誇示するんじゃなくむしろ共通な部分を強調するんだ。
 僕達は他の人達の知らない事を確かにちょっとだけなら知っているかもしれない、でも
 それは特別なことじゃない。「まあ、きみだって僕と同じ事を考えるだろうさ、きみが
 そこに居合わせて僕の見たものを見てさえいればね。要するに、僕はそこに行ってみる
 だけの時間と手間を掛けたわけだし、きみはそうしなかったか、それともできなかった
 か、それだけのことさ。それだけのことだけれど、ちょっと僕の言うことを聞いてくれ
 るかい。」とまあ、そういうわけだ。 (H.S.Becker Writing for Social Scientists)

この行き方もまたある意味では社会学者と素人の距離を接近させているように見えます。しかし、ある重要な一点において、社会学者と素人との原理的な距離が確保されているという点に注意が向けられねばならないでしょう。それは、社会学者がある「客観的現実」を「知り」(いみじくもここでは「きみだって僕と同じ事を考えるだろうさ、きみがそこに居合わせて僕の見たものを見てさえいればね」と表現されている)、それを「素人」に「伝える」(「それだけのことだけれど、ちょっと僕の言うことを聞いてくれるかい」)というスタイルがシッカリ維持されている、ということです。
 エスノメソドロジーの実践は、そういった距離もまた破棄しようとしています。

 背の低い太った男が家に入ってきた。私の頬にキスをし「学校はどうだったい」と尋ね
 た。私は愛想よく返事した。彼は台所に入って行き、二人の女性のうち若いほうの女性
 にキスし、もう一人に「やあ」と言った。若いほうの女性が私に「ねえ、夕飯は何がい
 い?」と聞いた。私は「別に」と答えた。彼女は肩をすくめ、それ以上何も言わなかっ
 た。年長の女性はぶつぶつつぶやきながら台所を動き回っていた。男は手を洗ってテー
 ブルにつき新聞を取り上げた。彼は二人の女性がテーブルのうえに食べ物を並べ終える
 までそれを読んでいた。三人がテーブルについた。彼等は今日あったことについてくだ
 らないおしゃべりをしていた。年長の女性が外国語で何か言い、他の者を笑わせた。

ガーフィンケルが学生に命じて「15分から一時間、もっぱら自宅で自分が下宿人であるかのように仮定して、家人の活動を観察し続け」させたという実験の報告は、興味深いものです。それは、言ってみれば、何も明らかにしてはいません。にもかかわらず、その報告によって、成員の作業(素人の社会学)が意識に登らされることになります。
 成員は、自分の生活している環境が自分(たち)の「作業」によってつくりあげられつつあるものだ、という事を、原理上(権利的に)意識し得ません。なぜなら、それを認めるということがすなわち、成員としての自分の意識の基盤そのものを分解してしまうということだからです(ガーフィンケルはこのことを、"uninteresting" reflexivity なる言葉で指しています)。ということは、エスノメソドロジーの実践は、ちょうど抑圧された無意識を次第に変容させていこうとする精神分析に非常に近いおこないだと言うこともできるかもしれません。

4:おわりに

 大山鳴動、ネズミいっぴき、というわけで、どうなることかと思われたお話の顛末は、私のだいすきな精神分析へとおちついて、まさに一件落着と相成りました。最初に表明した通り、この議論の出発点は私の個人的な問題だった訳ですので、こういう結末は目に見えてはいたのですが、逆に、この程度の結末で済むような不安を解消するためにこれだけ大騒ぎしないといけないということになれば、私もずいぶん気が小さい社会学者になるということなのかもしれません。
 じつのところ、私の不安は解消されたわけではなく、というのも、ここで言うようなエスノメソドロジーの実践とやらばかりにうつつを抜かしていては定義上商売にならないと思われ(というのも、それは「制度的な生産性」に背を向けているわけだから)、ということは、やはり私は、どうすれば「素人にはできないような」社会学ができるのだろうかと悩まなければならないことになります。(「社会学的なセンスによって」、というのはあまり納得できる解答ではありません − その言い方だと、こういうことになりはしないでしょうか − センスの無い経済学者は二流の経済学者だが、センスの無い社会学者はただの変り者の素人だ、というふうに。)
 願わくは、そういう、社会学をうまくやっていくための「方法」にかんするアドヴァイスが、ディスカッションの中で得られればと思っています。

(以上)