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日本教育社会学会第47回大会(課題研究V)報告レジュメ 1995/9/17/9:30〜12:15
(教育の)社会問題における「水掛け論」的問題設定についてのエスノメソドロジー

石飛和彦(京都大学研修員)

かれらのうちのもっともあたらしい連中が、自分たちは「言説」とだけたたかうのだと主張するとき、彼らの活動にぴったりな表現をみつけたわけであった。ただし、かれらは自分たちがこの言説そのものに対置するものとして言説以外をもたず、かれらがこの世界についての言説とたたかうかぎり、現にある世界とはまったくたたかっていないということは忘れてのうえで。

本報告の目的は2つある:第一に、いわゆる「教育問題」に対するエスノメソドロジー的なアプローチが特にいわゆる「構築主義」的なアプローチとの関係においていかに位置付けられるかを提示すること;そして第二に、そうした位置付けからの実践の事例としてひとつのモデル(「水掛け論」的問題設定をめぐるモデル)を提示すること、である。

1:「構築主義」とエスノメソドロジー

− まだ血の臭いがする。アラビアじゅうの香水をふりかけてもこの小さな手のいやな臭いは消えはしまい。ああ、ああ、ああ!
− なんという溜息だ! 重荷を負った心のあえぎだろう。
− どんなに偉くなろうと、あのような心をこの胸にもちたくはありません。

1・1:エスノメソドロジーは禁欲に導く?
いわゆる「構築主義」とエスノメソドロジーとが常に密接な関係を持ってきたことは周知の事実だろう。第一に、「構築主義」の提唱者であるJ.I.キツセ自身がそもそもエスノメソドロジー的な発想に親近性を持っていた(「構築主義」以前のキツセといえば、エスノメソドロジストA.V.シクレルとの共著『誰が進学を決定するか』(1963=1985)によって知られており、また”同性愛者”のラベリングに関する論文(1969)がK.ライターのテキスト『エスノメソドロジーとは何か』(1980=1987)で紹介されていたことも併せて、「エスノメソドロジーにきわめて近いラベリング論者」という印象を与えていた)。そして第二に、「構築主義」の理論的洗練がエスノメソドロジー側から仕掛けられた論争を乗り越えることによって達成されてきたという経緯を指摘することができるだろう。具体的にはそれは、社会問題の存在論の「恣意的領域画定」に関するS.ウールガーとD.ポーラッチ(1985)の指摘を契機にする論争を指すが、この論争を境にして「構築主義」は大まかに2つの方向すなわち「厳格派」と「コンテクスト派」と呼ばれる2つの立場へと分離していくことになる。特に前者はウールガー=ポーラッチの「批判」をクリアすべくキツセ自身によってヴァージョンアップされたものだという点で「構築主義」理論の最新版と見做し得るだろう。そこでは、社会問題の実態の存在への参照を可能な限り排し厳格な禁欲のもとに社会問題の言説の「レトリック」に照準する事が目指される。
さて、こうした経緯は我々に奇妙な印象を与えるだろう。あたかも、社会問題論にエスノメソドロジカルな思考が(はじめにキツセによって、次にウールガー=ポーラッチによって)介入する度に、議論が社会問題の内部の問題関心を離れて洗練され、いよいよ禁欲的に抽象化されていくかのように見えるのである。しかし、エスノメソドロジーとはそうした洗練・禁欲・抽象化を導くものだっただろうか。むしろ、不定形で世俗的で具体的な実践こそがエスノメソドロジーの本領だったのではないか?

1・2:「厳密な学としての構築主義」とエスノメソドロジー
音楽について文章で語るのは、建築を踊りで表現するようなものだ

この「奇妙な」状況を理解するにはさしあたり、「エスノメソドロジー的無関心」と呼ばれる態度が構築主義の論理構成においてどのように機能しているかに注目するとよい。「エスノメソドロジー的無関心」とは、大まかにいうならば、エスノメソドロジストが現象を見る場合に、当該現象に参与している「人々」の常識的な認識や価値判断を(決してそのまま鵜呑みにして「データ」や「分析枠組の基盤」として採用するのではなく)注意深く「括弧にいれ」た上で、虚心に「何がその場で起っているのか」を見てみよう、という態度のことである。この態度が、構築主義の論理構成においては、社会問題の「実態に対するエポケー」と、「クレイム申し立て者」の組織的活動への注目に対応していることは明らかである。しかし注目さるべきは、その同じ「態度」が、エスノメソドロジーと構築主義それぞれの論理構成においてことなる機能を担っているという点である。
結論から言おう。この「エスノメソドロジー的無関心」は、エスノメソドロジーにおいては、あくまでもエスノメソドロジスト自身が観察者としてその場にどのような態度で臨むべきかを指示する、いわば状況的な実践的方針である。ところが、構築主義においてはどうやら、「エポケー」という態度を研究者が堅持し続けさえすれば、原理的には研究者は「人々」の常識的な認識や価値判断に汚される事なくその「外側」に立つことができ、無垢な理論を提示することが可能である、という発想が見られるのである。
エスノメソドロジーが構築主義に対して「批判的」に振舞ったとすればそれは、この微妙な論理構成上の差異をめぐるものであったと見ていいだろう。前出のウールガー=ポーラッチの「批判」は、構築主義が「人々の価値判断」をエポケーし得たと満足しかけた瞬間になされたのであり、構築主義的研究であってさえ「恣意的領域画定」という形で原理的に「価値判断」が含意されざるをえないという指摘を行なったものである(報告者による昨年度の本学会発表を参照されたい)。また、その「批判」を受けてヴァージョン・アップが施された「厳格派」のプログラムが提起された瞬間に、今度はD.ボーゲンとM.リンチによる論文「社会問題の一般理論は必要か?」(1993)が発表される。
ボーゲン=リンチは、構築主義がもともと「社会問題の一般理論」の追求によって動機づけられていたという点に注目を促す。たしかに、構築主義の方法論的宣言であるキツセ=スペクターの『社会問題の構築』(1977=1990)を見れば、構築主義の研究プログラムはもともと単なる社会問題言説研究を目指すものではなかった。つまり、具体的な個々の社会問題言説(例えば「校則問題」「帰国子女問題」「いじめ問題」「喫煙問題」etc.)ではなく、そこから抽象度のレヴェルを一段階上げた「社会問題一般」をめぐる研究がそこで目指されていたのであって、研究対象を「言説」に限定したのも、個々の問題の内容に関係なく総てのケースを「社会問題なるもの」という一般的次元において見るためだったのである(無論、多くの構築主義的研究はこのもともとの動機づけとは関係なく個々の社会問題について有効な経験的研究を蓄積してきているのだが)。ところが、そうした抽象的=一般的次元に研究対象を設定して分析を遂行していくためには、具体的な個々の社会問題の個別的な事情はあらかじめ排除されていなければならない − なぜなら、そもそも「社会問題なるもの」というものが個々のケースから独立して確固として存在するからこそそれについての固有の研究が正当化されるからである。
ここで、先に触れた「エポケー」の問題が浮上する事になる。構築主義にとって「エポケー」は、具体的な個々の社会問題の個別的事情による汚染から自らの理論を守る為の手続きとして機能しているのである。こうした動機づけを考慮に入れれば、構築主義が「エポケー」によって伝統的社会病理学に対して優位を主張し、またウールガー=ポーラッチによる「恣意的領域画定」批判(汚染の指摘!)がなされればさらに理論を厳格化し「エポケー」を周到にし、ヴァージョン・アップをした上で「コンテクスト派」(彼らは汚染を受け入れている!)に対して優位を主張する、要するにエスノメソドロジーが介入するごとにいよいよ構築主義が禁欲化してきた事情が理解できるようになるだろう。
しかし、そうした禁欲主義は、原理的に、完遂しえないものではないか。エスノメソドロジーが指摘してきたのはそうした具体的事象からの切り離しの試みが原理的に不可能だということだったはずだ。構築主義がどれだけヴァージョン・アップを重ねようとも、原理的に、その試みは虚しくついえ去る他ない以上、エスノメソドロジーが構築主義に対して行なってきた働き掛けは実は(構築主義の側からそう意識されていたような)「批判」などではなかったはずだ。エスノメソドロジーの態度は、もともとそうした学級委員的な禁欲主義とは相容れない。むしろ、次第に禁欲的に肩肘を張っていく構築主義に対して、いわば斜に構えた姿勢から、半ばからかうようにして相手の話の腰を折るという、そういう調子が感じられないだろうか(また、そういうスタンス以外にエスノメソドロジストの取りうる姿勢があるだろうか)? 例えば、ボーゲン=リンチはこう言っている:

イバラ=キツセが認識上のヘマをやらかしたから非難する、というのでは全くなく、我々は、彼らの論文を構築主義的アプローチの傑出した見本として称賛しているのである。 … イバラ=キツセは彼らの社会問題理論を模範的な明晰さと堂々たる態度で定式化したのであり、またそうすることによって彼らは共通の危うい傾向を危機にさらしたのである。われわれがその傾向を批判したといっても、それは構築主義者の研究一般が無価値だといいたいのではないし、健康問題・環境問題・妊娠中絶等々の諸問題についての公的論争の話法的枠組に関するイバラ=キツセの議論を指導的役割から引きずり下ろそうとしている訳でもない。じっさい、イバラ=キツセの論文のもっとも凄いところの一つは、その分析がおそろしく説得的だということなのである − たとえそれが(おそらく)その基盤としているであろう理論が説得的でないとしても、ということだが。(Bogen=Lynch(1993),pp217-218)

1・3:コミュニケーションの為のエスノメソドロジー
我々に出来るただ一つの事は 映画を作る事だ。 私は映画を作る。 私がベトナムについて出来る事は ベトナムにムリヤリ入り込む事ではなく 何が何でもムリに入り込むんではなくて 反対にベトナムが 我々の方に入り込むにまかせる 日常の我々の生活の中に。 なぜかわかるか? 考えることなんだ そうすれば わかってくるんだ つまりベトナムは ベトナムだけの問題ではないことが

本報告の提案するエスノメソドロジーの位置付けは「構築主義」的な言説分析と社会問題内部の問題関心を積極的に媒介する地点にある。言説の分析が社会問題論において抱えている最大の悩みは、社会問題の存在論を認識論的にいかに厳密に扱うかということ、ではなく、当の社会問題の側から「だから何なんだ?」と言われることではなかったか。その原因を辿れば、前節で述べた通り、「構築主義」的言説分析が本来持っていた性向すなわち出来る限り当該社会問題の具体的状況から身を引き離そうとする性向を指摘することができる。それに対して本報告の立場は、「エスノメソドロジー的無関心」をより実践的に遂行することによって当該社会問題の具体的状況のまさに只中にある自らの言説経験から出発する、というものになるだろう。それは例えば、教育の問題のエスノメソドロジーだからクラスルームにビデオカメラを持って入り込むという事では必ずしもなく(それはそれで有益ではあろうが)、むしろ自分自身の「問題」言説経験を検討しながら、「いま−ここ」で「何が語られているのか」を問うということである。
エスノメソドロジーの知見は、当該社会問題からの「だから何なんだ?」という問いに対して、社会的な言説と具体的状況的発話を重ね合わせることによって回答する可能性を与えるのではないだろうか? 以下に示すのは、そうした位置付けからのひとつのモデルの例である(石飛(1993,1994,1995)参照)。

2:「校則問題」の「水掛け論」的問題設定にかんするエスノメソドロジー

2・1:校則問題
近年、校則で生徒の生活を規律することの是非をめぐって活発な議論がなされている。ところが我々は、その「活発な」議論に接してある種の「既視感」や「徒労感」のようなものを感じないだろうか? すなわち、校則をめぐる現在の議論では、校則肯定派(集団生活の秩序維持のために校則は必要である)と校則否定派(校則は生徒の自由を奪うものだから無くしていくべきである)との対立としてパターン化した論争が際限なく反復されているように見えるからである。そこでさらに注意してみれば、この論争は互いに互いの相違点を強調し合うだけの「水掛け論」になっている。なぜなら、両者は互いに相手の見解を暗黙のうちにいくぶんかずつ認めなければ自らの主張を成立させ得ない(校則肯定派も、校則のエスカレート化は「必要悪」として語る;また、校則否定派も、「最低限の」規則は必要であると前置きをする)からである。両者が見掛け上華々しく論争をすることによって実は、議論は停滞することになるのだ。しかも、それによって、校則をめぐる重要な一点が隠蔽されることになるのである。
水掛け論が第一に隠蔽しているのは、「校則は生徒の行為を縛っているわけではなく、教師と生徒は校則の「曖昧さ」の中で学校生活を送っている」という事実である。校則は常に教師/生徒の交渉によって解釈され運用される「曖昧」なものであるというのが「常態」であり、その曖昧さが生徒のみならず教師にとっても決定的な存在基盤となっている(校則がもし曖昧でなければ、教師は生徒に校則を押し付けるだけのマシーンとなってしまう。曖昧さは、教師の「教育的配慮」の、すなわち「教育性」の源泉である)。
ただし、時として「許されない」違反がおかされる場合がある。その時は、校則をめぐる認識モードが切り変わり、違反行為(違反者)とそれに対応する校則の双方について徹底的な一義化=可視化が追求される(例えば「パーマ退学事件」の場合、教師は、すでにストレートにしている生徒の髪に水をつけて、パーマをかけていたことを証明する;その他、その生徒の過去の行状をこと細かく列挙しては規則違反と違反性向の存在を証拠だてていく)。これは通常「見せしめ」と呼ばれていることであるが、本報告の関心からは校則をめぐる「スケープゴーティング」と見做しうる。すなわちそれは学校組織内における校則の一義性=可視性を回復する為の純粋に認識論的な過程である。
学校組織は、校則の「曖昧さ」(教育性)と「一義性」(近代組織的合理性)の間で構造的ディレンマに陥らざるをえない。それゆえに、学校組織内では先に述べた「常態」の局面と「スケープゴーティング」の局面が相互補完的に進行している。
「校則問題」の「水掛け論」は、この「曖昧さ」と「一義性」のそれぞれの場面が「校則否定派」と「校則肯定派」というふたつの立場に振り分けられ二律背反的な役割を演じているものと見ることが出来る。それは、社会的規模の大がかりな「スケープゴーティング」である。「校則問題」は校則現象を巡る学校の諸側面を可視化する。「校則肯定派」は学校の近代的組織としての側面を可視化する。また、「校則否定派」の議論の方も、学校の中で校則現象の可視化が回避されているという事を踏まえたうえで、教育的曖昧さを帯びた共同体としての学校の側面を可視化しているといえる。この二つの立場が論争をしている限りは両者の間のディレンマは棚上げされる − あたかも、「論争」の結果いつの日か「近代的組織」と「聖性を帯びた教育共同体」を完全に両立させた理想的な学校が案出されるかのごとき漠然とした希望がイデア的に温存されるだろう。この漠然とした希望を〈教育可能性イデオロギー〉(学校では理想的な「教育」が行なわれ、しかもそれが「近代組織」としての学校でおこなわれるのならあらゆる人間に形式的にその〈教育〉を施しうる)と呼ぶならば、「校則問題」の社会的機能はその〈教育可能性イデオロギー〉の維持にあるといえる。

2・2:「水掛け論」のモデル
身体の中で最もエロティックなのは衣服が口を開けている所ではなかろうか。 … 精神分析が的確にいっているように、エロティックなのは間歇である。ふたつの衣服(パンタロンとセーター)、ふたつの縁(半ば開いた肌着、手袋と袖)の間にちらちら見える肌の間歇。誘惑的なのはこのちらちら見えることそれ自体である。更にいいかえれば、出現−消滅の演出である。

「校則問題」に見られるような「水掛け論」による社会問題のメカニズムを、形式的にモデル化すると、以下のようになるだろう。
「水掛け論」は、なんらかのアポリアをめぐる議論である(例えば、校則をめぐる「水掛け論」は、ホッブズ/ルソーいらいの「社会的拘束/個人の自由」のアポリア、あるいはそのヴァリアントである「近代的組織としての学校/聖性を帯びた教育共同体としての学校」というアポリアを内包している)。アポリアを含むことによって議論は原理的に際限なく続く。
アポリアは、単に議論を「終わらせない」だけでなくむしろ積極的に人々の関心を議論に誘い込む働きを持つ。そこに見られる「誘惑の戦略」は、スリットスカートが演出する「誘惑」と同型のものである。「謎」の存在は、人々の中に「それについて語りたい」という欲望を喚起せしめる。
人々は、アポリアをめぐって「水掛け論」を積極的に反復し、そのことによって自ら社会問題の言説空間(パラダイム)の内部に閉じ込められることになる。これは、単に人々がある種のイデオロギーを内面化している、ということを意味しない。たしかに、「内面化」という説明によっても人々が「閉じ込められる」メカニズムを言いあてうるかに見える。しかしそれでは、人々がこぞって校則言説を反復的に口にしようとする積極的な「情熱」を(従ってまた「校則問題」の「社会問題」化を)説明することが出来ない。イデオロギー論にあっては、校則言説を人々が語るのは、「イデオロギー注入」されてしまった人々がその外部を単に知り得ないためだ、ということになり、単に人々の精神の限界性を指摘するにとどまってしまうだろう。それはネガティヴな説明である。ところが現実には人々はこぞって校則言説を語ろうとする。すなわち「校則問題」には人々を言説へと向かわせるある種の魅力が備わっているのだ。そこでは「それしか語れない」からそれしか語らない、というのではなく、まさに「そのことを語りたい」と人々に思わせる力、言説の反復を積極的に産出していく力を、「水掛け論」という言語装置そのものが組織しているのである。
そして、「水掛け論」が維持されている限りにおいて、その発話がなされているローカルな場においてはアポリアは「実践的に」解決されている(例えば、校則言説が語られている限りにおいて、「社会的拘束/個人の自由」あるいは「近代的組織としての学校/聖性を帯びた教育共同体としての学校」というアポリア − ローカルな場にあってももちろんそれらは原理的解決不能なアポリアである − はとりあえず棚上げされている)。言い換えるならば社会問題の場において維持されている「水掛け論」がローカルな場に解釈枠組を与えているのであり、しかもその枠組を「語る」ことがすなわちアポリアの「実践的」( 状況的/暫定的)解決となっている、ということである。

3:おわりに
以上に提起した「水掛け論」のモデルは本報告冒頭に示したスタンスに対応している。そこから、教育問題(例えば「校則問題」)に関する議論を扱う場合には、その主要問題関心である「教育性」を比較的容易に絡めとることができると考えられる。報告者にとって、エスノメソドロジー的な教育問題論の課題はこうしたやりかたで言説研究と教育問題内部の問題関心とをコミュニケートさせていく事である。

(以上)

【文献】

Bogen,D & M.Lynch(1993) "Do We Need a General Theory of Social Problems?"in J.A.Holstein & G.Miller(ed) Reconsidering Social Constructionism.
石飛和彦(1993)「校則問題の社会学」日本教育社会学会第45回大会発表資料
− (1994)「校則現象把握における規範的パラダイムと解釈的パラダイム」『研究紀要 教育・社会・文化』no,1.
− (1995)「校則問題のエスノメソドロジー −「パーマ退学事件」を事例として」『教育社会学研究』no.57(印刷中)
Kitsuse,J.I.(1969) "Societal Reactions to Deviant Behavior: Problems of Theory and Method" in Social Problems vol.9.
Spector,M & Kitsuse,J.I.(1977) Constructing Social Problems=『社会問題の構築』
Woolgar,S & D.Pawluch(1985) "Ontological Gerrymandering: The Anatomy of Social Problems Explanations" in Social Problems vol.32.