【
「社会化論」的問題設定について 】
石飛和彦
On the Problematization of "the Theory of
Socialization"
ISHITOBI Kazuhiko
0:はじめに
あらゆる社会には「新規参入者」 −
その代表的なものが子供である −
が存在するが、彼らは、あるプロセスを経て、その社会の「一人前の成員」へと変化している。このプロセスないし変化は心理学・社会学・人類学といった学問領域において「社会化」現象として考察の対象となっている。ところで、特に社会学においてはこういった社会化現象の研究は特別な位置付けを有しており、そのために特に「社会化論」と呼ばれる理論領域が準備されている。本論文の目的は、その「社会化論」という議論の様式そのものを再検討しながら社会学的社会化研究のありかたをあらためて探ることにある。
本稿のこうした問題設定は現在の社会化研究の理論状況によって正当化されるだろう。
柴野(1989)は社会化研究の歴史を@機能主義的社会化論;A相互作用論的社会化論;B再生産論的社会化論という3つの局面に整理している(
1)。そこに見られる理論的方向性は、機能主義(狭義の)から機能主義批判へ;汎状況的・抽象的モデルから、階級あるいは権力構造といった社会的文脈を組み込んだモデルへ、というものであろう。やや異なる文脈において、渡辺(1992)はわが国の「家族と社会化研究」の展開を、@家族が研究の対象とされた時期;Aアメリカを中心とする社会化論が導入され、社会化研究が家族研究から独立し独自の洗練に向かった時期;B家族と社会化を含み込む社会構造が強調されて現在にいたる時期、という3つの時期に整理している(
2)が、そのうち@を社会化論の前史として除外するならば、やはり同様の理論的方向性を抽出することができる。これらの整理が示しているのは、何よりも社会化論が内的成熟を迎えているという事実であろう。
しかしながらそれは同時に、現在の社会学の理論的文脈の中で社会化という現象がもはやそれだけでは関心の対象たり得なくなっているという事をも意味しているといえる。それ自体が興味深い社会化論の試みである加藤(1988)は、序章において、欧米の社会化の研究書のほとんどが1960年代から70年代前半に集中しているという事実をふまえた上で、事態を「社会化概念の重要性だけが題目のように説かれて、議論は20年来新たな発展を見ていない」社会化論の「形骸化」として指摘している(
3)。
社会化論は、現在、「成熟」と「形骸化」という相反するふたつの評価を共存させている。なぜそのような共存が起こるのか。それを探るために、社会化論という問題の設定のしかたそれ自体を検討することが必要となる。
ここではまず、「社会化論」を社会化研究一般から区別しておこう。本論文では、社会化現象を対象とする研究一般を社会化研究と呼ぶことにする。そして、ほかならぬ社会化現象への注目ということに特別の意義を見出している社会化研究を、「社会化論」と見なす。例えばクローゼンの編著『社会化と社会』(1968)は次のように書き出される:
人間社会は、その成員間のある程度の合意 − 追求されべき目標あるいは目標達成のための手段に関する合意 − に依存している。合意はコミュニケーションを通じて生じる。それは共有化されたシンボルや規範によって可能になるが、そのシンボルや規範は社会化のプロセスの一部として獲得されたものである(4)。
そこでは、社会化は、社会の存立の基盤と見なされている。従って、社会化現象の解明は、社会そのものの解明にあたって特にクリティカルな位置づけをもつ議論であると考えられている。そして、現在の社会学的社会化研究の多くはこの意味において「社会化論」である。本論文の第一の作業は、このような意味での「社会化論」が、社会学の歴史の中でいつ発生しどのように変化し現在に至っているかを辿ることである。
1:社会化論の様式とその変遷
社会化論の歴史がいくつかの局面に整理されることはすでに触れたとおりであるが、本稿ではその議論様式の変遷を、次のようなものとしてとらえることにする。
1−0:社会化論以前の社会化研究と、社会化論の誕生
本論考の課題が社会化論それ自体を歴史的な問いとして捉えることにある以上、まず第一に、社会化論が歴史のある時点までは存在していなかったということを確認しておくことが重要であろう。そして、周知のように、社会化論はT.パーソンズの議論において初めて誕生したのである。
もちろん、「社会化」なる概念そのものがそれ以前に社会学の議論の中に存在していなかったわけではない。それどころか現代社会学の祖のひとりと目されるE.デュルケームこそは、また、教育を「方法的社会化」と規定した上でそれを研究している(5)という理由から、社会化論の祖と見做されているのである。しかしながら、ここで注意されるべきなのは、「社会化」という概念の使用そのものではなく、その概念が理論の中でいかに用いられているかである。デュルケームの「社会化」に関する議論は、彼の教育に関する一連の研究の中に限られている。「社会化」概念は、教育現象を社会学の対象として扱うために導入されたものであり、いわば教育 を 社会 によって 説明するための概念であった。つまり、先に述べた「社会化論」の論法 − 社会化現象の解明によって社会現象を説明しようとする − とは、議論の方向が逆なのである。そして、デュルケームの議論一般にあっては個々の人間の心理的な要素は積極的に問題関心から排除されてさえいる(6)以上、個々の人間に対してしかじかの社会化が行なわれているがゆえに社会のしかじかの側面が説明されうる、という論法は採られ得ない。つまり、デュルケームの社会化研究は、「社会化論」ではなかったのである。「社会化論の祖デュルケーム」という像は、「社会化論」が成立した後に、その視点から遡行的に見出されたものに過ぎない。
柴野(1986)によれば、「社会化」なる概念が広い意味での人間形成に相当する概念として受け入れられるようになったのは、行動科学的な見地に立ってパーソナリティーを把握しようとする共通の概念枠が徐々に作り出された1940〜50年代になってからである(
6)。「社会化」現象が社会学において特別な理論的関心の対象になりはじめたのがこの時期であるとするならば、「社会化論」はまさに、「行為の総合理論をめざし」たパーソンズの議論と同時に成立したと言えるのである。
1−1:パーソンズの「内面化=社会化論」
周知のとおり、パーソンズにおいて社会化論は「内面化」モデルとして成立した。それは、彼の提起した「ホッブズ的秩序問題」に対する解として要請されたものであり、彼の理論全体の中でとくにクリティカルな契機となっている(
8)。
パーソンズはその理論的出発点を「功利主義」に対する批判に置いている。ここで「功利主義」という場合に念頭に置かれているのは、当時のアメリカの社会科学諸分野のなかでもっとも体系的完成をみていた経済学モデルである。経済学モデルにおいては、自らの利益を最大化すべく合理的に行動する人間像が描かれてきた。これは、それ自体としては十分に納得しうるモデルであるかもしれない。ところが、そのようなモデルを論理的に展開していくならば、その帰結は、かつてホッブズが仮想的に描き出したような「万人の万人に対する闘争状態」となるはずであり、明らかに現実の社会の秩序的な状態とは相容れないものとなってしまう。このパラドックスがすなわち「ホッブズ的秩序問題」であり、その解決こそは、いわゆる「主意主義的行為理論」から「構造−機能主義」にいたる初期パーソンズのいわば中心的課題であった。
この課題に対する解答は「制度的統合の公理」として規定されている(
9)。そこでは、複数の個人行為者の相互行為のシステムである「社会体系」と個人行為者の内面をなすシステムである「パーソナリティ体系」は、相互行為のパターンのシステムである「文化体系」の介在によって結び付けられ、それぞれ相互に還元不可能ではあるが同時にホモロジックな相互浸透関係をなすに到るとされる。すなわち、「文化体系」のパターンが個々の行為者に学習され「内面化」されることによりその「パーソナリティ体系」が形成され、またそうした行為者が複数で相互行為することによってこんどはその「文化体系」の「社会体系」への「制度化」が再び達成されることになる。この議論の成立がひとえに「内面化」という契機にかかっているのは明白である。このようにして、「内面化=社会化」という契機が社会学の特権的課題として立ち上がったのである。
1−2:D.H.ロングの「内面化論=過剰社会化論」批判
パーソンズ理論への批判がアメリカの社会学界に表面化したのは1960年代後半からと言われている。しかし、C.W.ミルズやR.ダーレンドルフによる有名なパーソンズ批判は、既に1950年代末から1960年代初頭にかけて行なわれていた。そして、社会化論の文脈において決定的な役割を果たしたD.H.ロングの論文「現代社会学における過剰社会化的人間観」(Wrong
1961)もまたその時期の成果である。
ロングもまた「ホッブズ的秩序問題」に注目し、パーソンズがその解決を研究主題としたことを評価している。ただし、パーソンズの与えた「内面化論」という解は、その論理的帰結として、もともと葛藤的・弁証法的であったはずの「ホッブズ的秩序問題」の問題設定そのものを破壊してしまうものであった。そこで、ロングは、問いの立て方を逆転する。すなわち「かりにそのような見方が正しいとするならば、暴力、葛藤、革命、あるいは個人が感じる社会的な強制、といったものはいかにして存在し得るのか。」(
10)
彼はまず、パーソンズがそれら弁証法的な要素を捨象したやり方に注目する。そして、パーソンズが社会化の説明原理として「超自我の内面化」というフロイト由来の概念を導入し、しかもそれを最も単純な意味における「学習」ないし「慣習形成」の概念に重ね合わせて図式化したことが、パーソンズ自身および(おそらくはそれ以上に)同時代の社会学者たちに「過剰に社会化された」人間観を抱かせた、と主張する。すなわち、@社会秩序の要件である「文化的パターンの内面化」と、Aすべての社会化のプロセスである「学習」「慣習形成」と、を混同したことによって、あたかもすべての社会化(A)が秩序維持的(@)であるかに説いた、と主張するのである。
そのうえで彼は、あらためてフロイトを読み直すことによって、「超自我の内面化」が常に社会化される者のイドとの葛藤の可能性を含んでいるということを強調しながら、彼自身の「社会的な、しかし社会化され尽くしてはいない」人間観を提起したのである。
ロングによるこの議論は、社会化論の文脈において決定的な影響力を持っていたと言える。ロング以降の社会化論的研究はみなロング論文を引きながらパーソンズの機能主義的内面化論を批判してきたと言っても誇張にはならないであろう。そしてその論調は、こと社会化論的研究の文脈においては現在にまで到っていると言えるのである。
2:社会化論的問題設定の様式それじたいに関する問題設定
以上に素描した社会化論の展開の評価には、次の点への注目が手掛りとなるだろう。
すなわち、パーソンズによる「内面化論」とロングによる「内面化論=過剰社会化論」批判とは、見かけ上の主張がまったく正反対であるにもかかわらず、その論点が互いに極めて類似しているのである。
ロングの批判点、すなわち、パーソンズが社会化現象の「葛藤的」要素をそのモデルから排除してしまった、という点については、既にパーソンズ自身が当の社会化論の議論の中に留保条件として書き込んでいる。すなわち:
(…)過度に単純化された「理念的事例」では内面化されたこの価値パターンが、同調行動への十分な動機づけを保証するような、その価値パターンとの同調にたいする欲求性向を生み出している、とも考えられる点では、動機づけと一定の価値パターンとの完全な統合が描かれている。これは明らかに、はなはだ単純化されたモデルである。現実的な水準に接近しようとすれば、その前にまず、同調の欲求性向はもちろん、離反の欲求性向、両者の葛藤と両面価値、などの可能性に含まれている錯綜した事態を分析するのが不可欠なのである。(11)
また、ロング自身の提起する「社会的な、しかし社会化され尽くしてはいない」人間像を可能にする社会化モデルは、「内面化」メカニズムそれじたいの存在を否定しようというものではなく、あくまで「内面化」モデルの一面的な過剰性を批判するものである。ところが、この点についてもパーソンズは最初から慎重に議論をすすめている:
行為体系全体の統合といっても実際のところ、部分的で不完全なものであり、パーソナリティ・社会・文化といった行為体系の構成要素の、それぞれ「一貫性をめざす緊張」のあいだでの一種の妥協にほかならない。したがってパーソナリティ・社会・文化のうち、いずれも「完全な」統合に達することはない。(12)
それゆえにこそ、パーソンズにあっては、「社会体系」と「パーソナリティ体系」はホモロジックな相互依存・相互浸透の関係にありながら相互に還元不可能であるようなものとして想定されているのである。
そして、ロングがフロイトを読み直しながら指摘する社会化メカニズムが「衝動ないしは身体図式の社会的な方向づけ」である(13)とすれば、それはある意味ではパーソンズのモデル以上に「過剰に」社会化された人間像を結ぶとさえ言え、少なくともパーソンズの「内面化論」との実質上の理論的相違はなくなると考えられるのである。
事態はどのように捉えられるべきだろうか。おそらくそれは、ロング自身の言葉で端的に表現されるだろう。パーソンズの行なった問題−解決に対して、ロングが「問いの立て方を逆にした」のである。ロングは、パーソンズが自らの議論を成立させるために周到に留保しておいた条件を、ひとつひとつ強調しながら批判を行ない、しかしそれだけでは自らの議論じたいが成立し得なくなるので、結局パーソンズのそれと本質的に違わない「内面化」的なモデルを導入した。その結果としてロングはパーソンズの辿った道を、ちょうどその足跡を正確に踏み直すように、逆向きに辿り直したと言えるのである。
しかし、それは社会化論の理論的洗練と言えるであろうか。折衷的モデルは、確かに現実の社会化現象を記述する際に役立つであろう。しかし、記述するだけの目的ならばそもそも理論的モデルは必要ない。社会化論が理論的モデルとして要請されたのは、「ホッブズ的秩序問題」というパラドックスに対する論理的な解としてであって、その経緯はパーソンズにあってもロングにあっても同じなのである。
パーソンズ=ロング的モデルをこの秩序問題に適用するとどうなるか。そこでは、人間はある程度まで社会化され・ある程度まで社会化されないでいる存在であり、その中には内面化された部分と内面化されていない部分がある。社会秩序が維持されるのは前者の部分が秩序維持的な受動性を帯びているからであり、社会に葛藤あるいは変動が生じるのは後者の部分が創発的な主体性を帯びているからである。あらゆる社会化現象にフレキシブルに対応可能なこのモデルは、しかし、論理的には何も解決していない。社会化されている部分/されていない部分の一方に社会秩序維持/他方に個人的主体性という振り分けを行なうことによって、このモデルは、本来の問題であったはずの「人間はいかにして自由であり同時に社会秩序維持的でありうるか」という問いに答え得ていない。むしろ、「ホッブズ的秩序問題」の同語反復そのものに帰着したのである。
社会化論は、従って、論理的には、パーソンズによって始まったというのと同じ意味において、ロングにおいて終わったと言える。秩序問題というパラドックスは、社会化現象への注目によっては解決され得ないということがその時点で顕在化したはずであり、社会化論という目論見そのものが解消されていたはずなのである。
ところが、周知のとおり、事態はそのようには進まなかった。ロングの議論においてその自己解消への条件を具備するに到った社会化論は、実際にはいまだに解消することなく維持されている。本論文冒頭に素描した理論状況は、このような文脈から説明されうる。加藤論文の指摘する社会化論の「形骸化」状況は、理論家たちがそろってこの問題を見落としていたからではなく、解かれるべき問題性じたいが既になくなっていることに起因する。あるいは、社会化論が汎状況的・抽象的な議論からより広い社会的文脈を組み込んだモデルへと展開したのは、抽象的モデルが既に一定の理論的蓄積として「充実」し応用段階にさしかかったためであるというよりは、社会化現象が端的にそれじたいとしては問題性を失っているためであると考えられるのである。ロングの議論はいわば社会化論の終わりの始まりであると言えよう。以来30年間にわたって社会化論は、まさに「社会化概念の重要性だけが唱えられ」るという形でその終わりを先へ先へと繰り延べながら現在に到っているのである。
ここに到って、新たな問題設定が形を為すことになる。すなわち、社会化論という問題設定とは、いったい何なのか。そして、なぜ社会化論は自己解消というかたちでその終わりを終わろうとしないのか。これは、議論に値する問題である。
3:社会化論的問題設定の常識的基盤
社会化論という問題設定とは、いったい何なのか。それは、パーソンズ、ロングあるいはその他の理論家による個々の理論ではない。前章に見たように個々の理論の相違が単に重点の置き方の相違に解消されてしまうとするならば、それらは総体としては相殺され積極的な意義を持たないと考えられるだろう。そして、事実としてあるのは、そうした社会化論的な議論の総体が現在もなお維持され続けているという事態そのものである。本論文が問題とする「社会化論的問題設定」とは、このように個々の理論が相殺し合いながらその部分を為し総体として維持し続けているところのひとつの社会化論的なるもの、言い換えれば、「制度としての社会化論」である。
制度としての社会化論の働きは、「ホッブズ的秩序問題」の解決そのものを与えることではない。むしろ、「ホッブズ的秩序問題」において表現されているような社会と個人との関係についてのアポリアを、社会化現象への注目によって解決し得るはずだという保証を供給する事こそが、その唯一の働きだと考えられるのである。前述の論文においてロングは次のように言っているが、それは、社会化論がそれじたいの論理的な問題性を失ったあとになお制度としての社会化論を維持していくその動機づけを、一個の理論家の視点から表明したものとして興味深い:
そういった[社会と個人との関係の]問題 −
それは知的問題であるとともに実存的な問題でもあるのだが
− は、社会理論のレーゾンデートルであって、人はそれらの問題をおよそ社会学が始まるよりもずっと以前から問い続けてきたのである。(…)それらの問題は、経験的諸研究が蓄積されていくのと同じようなやり方で次第に正しい解に接近していくというわけではない。なぜならそれらの問題は永遠に問題的であり続けるからである。従って社会理論とは必然的に、永遠に続く対話なのである。(14)
ひとたび社会化論的問題設定が制度として成立してしまえば、その内部にあっては、社会化論的問題の解決への要請は所与のものとされ、無条件に追求されることになる。ところがその問題設定そのものの基盤を問うことこそが課題なのである。
ここで、現時点において制度としての社会化論が果たしている機能を仮説的に素描してみよう。社会化論は、社会(科)学の全体が抱えるアポリア
− 先に触れたように、それは社会と個人との関係に関する問題である
− を吸収すべきものとして維持されている。社会化論の担い手は、従って、社会化論を追求している理論家の集合だけではない。むしろ現在行なわれている社会(科)学のほとんどがしかるべき社会化をその理論モデルの暗黙の前提として要請している、という意味においては、制度としての社会化論は、社会理論全体によって担われている。
社会(科)学が社会化論を暗黙の前提として要請するという事態は、社会(科)学のいわば文体に起因するものである。すなわち、「しかじかの社会的条件を充たす人々はしかじかの様式で行動する」という文体を採用する限り、そこにはしかるべき社会化が前提とされている。そして、社会(科)学には、自然科学との対比において定義上、そのような文体を採ることが要請されているのである。
ただし、その要請は、あくまでも前−理論的なレヴェルでの要請である。そして、社会学は、その出発点すなわちデュルケームにおいては、そのような論法の要請からの離脱の試みとして構想されたものだったはずである。ここでデュルケームの「社会諸現象は、それらを表象する意識主体から切り離して、それ自体において考察されなければならない」という言明と、その言明によってデュルケームが蒙ることとなった誤解とが共に想起されねばならないであろう(15)。ここで問題となっている社会(科)学の論法は、もともと理論内在的なものではなく、むしろ理論そのものに抗して、もっぱらその理論が理論外部の「常識」(16)に合致し流通する際に導入されるものである。言い換えるならば、「社会化論」の要請もまた、社会(科)学の固有の問題ではなく、むしろ社会(科)学が暗黙に一般社会と共有している「常識」に由来するものなのである。
この文脈において、社会化論をめぐる事態は反転の契機を見いだす。
4:反=社会化論的社会化研究
社会化論が「常識」に由来するものであるとすれば、社会学にとっての真の課題は、よりよい社会化論の追求ではなく、社会化論そのものを社会学的に解体することによって逆に常識的社会化論
− 社会学者でも教育学者でもない市井の人々が暗黙のうちに用いている実践的な「理論」
−
を逆照射することにあると言えよう。その限りにおいて、社会化現象への注目は社会学的に興味深い課題となる。
R.W.マッケイ(1974)は次のように言っている:
いわゆる規範的社会学の著作においては、社会化なる術語は、子どもの生誕から成熟あるいは老年までの変化という現象を約言するものである。生誕以降に起こる変化を観察することは実は些末なことに過ぎないのだが、社会化なる術語の疑似科学的な用法がその些末さを見えなくしている。じっさい、社会化と称されるそういった変化の研究は、その社会学者がこの世界の中で占める常識的位置付け、すなわち成人としての位置付けを表現するものである。(17)
マッケイ論文では、クラスルームの教授場面への参与観察のデータに基づいて、次の2点が指摘されている:@子どもは、理論的=常識的に考えられているような「タブラ=ラサ」ではなく、首尾一貫した論理的解釈能力をそなえている;A教授場面にあっては、成人(教師)は子ども(生徒)を、ある面では「タブラ=ラサ」的に扱いながら同時に子どもの解釈能力そのものを前提とすることに依存している。
第一の指摘だけを行なうのであれば、それはいわゆる「内面化論批判」と同形の主張であり、ただその術語がいくぶんか目新しくなっただけに過ぎないものだろう。しかし、それはあくまでも議論の前提であって、マッケイ論文の眼目は、第二の指摘に見られる常識的教育観のパラドキシカルなあり方の析出にある。
いわゆる「エスノメソドロジー」派の理論家たちは、このような形で、社会化現象に接近しながら、いわば反=社会化論的議論を展開している。そこでは、従来「社会化」と見做されていた現象は、端的に「文化的同化」という視点から見られることになる。そして「成人−子ども間の相互行為が問題的であるのは、両者の間の文化的相異ゆえ」(18)であるという。つまり、問題の焦点は、社会と個人の関係あるいは社会秩序と個人の主体性の関係の析出にあるのではなく、異なる文化を持つふたつの社会の間の同化(ただし、一方的な)あるいは葛藤という過程の析出に向けられるのである。
たとえば、M.ポルナー(1987=1975)にとっての課題は、ふたつの異なった世界観を持
つ者どうしの相互行為が陥る「リアリティ分離」の析出である:
(…)レオンは奇跡を行なうことができると主張した。(…)私が信じないと言うと、彼は自ら進んで私のためにその奇跡を再演してくれた。(…)彼はテーブルに背を向け、高い断定的な口調で、テーブルよ、浮かべ、と命じた。
−
ぼくには、テーブルが浮かび上がって見えないのだけれど。
−
「先生、それはなぜかというと、あなたにはコズミックなリアリティが見えないからですよ」。(19)
このように、異なる世界観を持つ者どうしの認識は原理的には平行線を辿り続けるものであり、その解決、すなわち少なくとも一方が自己の認識の正しさへの信念を放棄するという過程(いわゆる「転向」)は、実存的な跳躍であるという。ここでポルナーが注目するのは、この転向が、転向者に自己の過去の経験の様式を「主観性」の語彙によって表現させ無効化させることによって成功するという点である:
患者
生後五週間目なのに、私がラジオの音を覚えていたはずはないと思います(…)
医者
(…)もちろん、そのとおりだよ。にもかかわらず、君はここで私の助手にうそを
ついた。亡くなった君のおばさんが君に話しかけたりするはずがないじゃないか。
それは幻覚だよ。(…)
患者
ええ、もちろんわたしはそう言いました。私がここにきた最初の日には、彼女の声
が聞こえたと、わたしはまだ信じていました。(20)
ポルナーの分析はこのようなかたちで、社会化現象的「同化」を、言語と認識様式をめぐる「経験の政治学」の過程として描きだすのである。
また、H.サックス(1987=1979)にとっての課題は、同様の過程における抵抗者の側からの戦略を描きだすことにある:
私が言いたいのは自立性という概念は現在の押し付けられた自立性の概念に対抗するものとして主張できるということである。(…)[たとえば黒人や子ども]は、かっこつきの「子ども」や「黒人」として、常に自立しなければならない。つまり、支配的な文化によって定義された仕方に従うことによってのみ自立するのである。(…)これに対して、自立性を自分たちで管理する方法は発見できるのだろうか。(21)
このような問題意識から、サックスは「自己執行カテゴリー」に注目する。それはすなわち「あるカテゴリーによって自分たち自身の見方を確立し、他者に対してそのカテゴリーを通して自分たちを見るようにしむけること」(22)である。例えば「ホットロッダー」すなわち「暴走族」達は、自ら進んでそれを自称し、かつ、そのカテゴリーを梃子にして独自の自己イメージと世界観を創り上げ、かつ、もし「ホットロッダー」の名に値しない者
− 例えば同年代であっても「ティーンエイジャー」すなわち「青年」と呼ばれる従順な若者
− が「ホットロッダー」を自称しようとすればそれを排除する。それは、サックスによれば、カテゴリーの組織的な自己管理であり、それによってこそ自立性の自己管理が達成されるのである。
これらエスノメソドロジーの議論は、最も身近でありかつ重要な「異文化接触」としての社会化現象に接近することによって、逆に理論的=常識的意味での「社会化論」を反転させていることがわかるだろう。そこでは、社会的秩序という問題は、リアリティ分離とその解決への政治学という問題に転化される。また、個人の自由の問題は、社会化の及ばない領域から、集団によるカテゴリーの組織的自己管理へと、その基盤を移している。社会化研究は、このようにしてはじめて同語反復的な問題設定を離れ、本来の意味において社会学的な研究として積極的な成果を挙げることができると考えられるのである。
5:おわりに
本論文の主張は、「社会化」現象のうちに個人と社会のアポリアの解を求めることをやめよう、というものである。それは、社会化現象に関する研究そのものの否定ではない。本論文は、「社会化論」ではない「社会化研究」を求める。そこで解明が試みられるのは知的=論理的なパラドックスではない。むしろ、そのような「社会化論」そのものを反転することによって、理論的レヴェルのみならず「常識的社会化論」までを問題化することができる。つまり、本論文の延長上には、「常識的社会化論」
− 言い換えれば「教育言説」 −
の作動様式に関する社会学的分析という課題が目指されているのである。