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囲  碁

本因坊戦を観戦


昭和56年6月17日
左より武宮本因坊、立会人・加納九段、記録係、観戦記者・作家小島直記、趙名人(挑戦者)、私

観  戦

私と囲碁のつきあいはかなり古い。亡くなった父が碁を打っていたのを横で見ていて覚えたのだろうから恐らく小学生の頃だと思う。
その後、数十年経つが未熟の域をでない。大学時代と殆ど変わらず進歩がないように思い、碁に対する情熱がやや冷めかけていた。
それがまた碁に惹かれ、打ちたいと思うようになったのは「あの時」からである。
十年程前、本因坊戦で武宮本因坊(当時)に趙治勲名人が挑戦した対局を観戦してからである。
幸いにも二日目に立会人、観戦記者らと並んで一緒に見る機会に恵まれた。封じ手を開いて対局再会。
三十分くらいのうち、一手か二手打ったように記憶しているが、その対局室の静寂さの中にもピーンと張りつめた空気、両対局者の態度から異様な雰囲気を感じ、観戦後言い様のない興奮を覚えた。と同時にプロの厳しさを本当に肌で感じた次第である。
一手の緩みが奈落へつながる修羅場を目の当たりにして、我と我が身を省みて果たしてどれほどプロに徹しきれているだろうかと、思い知らされ、おのれの至らなさを身にしみたものである。やはり修羅場を肌で感じてこそ、真のプロになれるのではないだろうか。
その対局者が前夜、つまり一日目がすんだら、一緒に麻雀に興じたと聞いて些か驚いた。対局中の夜は時間を惜しんで研究するとばかり思っていたら、さにあらず。なんでも二日制の対局では夜はたいてい麻雀を楽しむそうである。
「気分転換でしょうね」と知り合いの記者が話してくれたが、なるほど緊張しきった頭をほぐして白紙に戻すことは、新たな発想ー名手へとつながるのかもしれない。
終局後の棋譜を見て全体的にバランスがよくとれ、さすがの思いがした。さる高名な棋士が「碁は調和である」といっているがまさに名言である。碁は常に大局観にたって考え、一部の細かな点にとらわれず調和がとれていること、即ちバランス感覚が大事だというのである。管理者の要諦もここにある。
勝負のポイントはいかに先手をとるか、いかに相手より読み勝つかである。だからプロは先手を取ることに腐心するし、読みも早く深い。オーバーな話だろうが「ひと目千手」などといわれるほどの棋士もいるが、我々はそこまでいかずとも常に先手を取り、せめて数手先までくらいは読みたいものである。
読みには序盤、中盤、終盤とあり、それぞれ重要なことはいうまでもないが、まず大事なのは序盤で展開される布石(発想、企画)である。一局の行方を左右する段階だけに創造性の豊かさが求められる。
中盤の読みは相手の想を読みとり、その上をゆく構想力を発揮する力が必要である。
最後はヨセの段階の読み。序盤から中盤へと順調に進めば、結論は自然に出てくる。が、油断は禁物である。
このように我々は相手の一手一手の石の動き(戦術)の中から戦略を読みとろうと必死になるわけである。
こうしてみると一局の碁にみられる原理・原則は営業に通じ、ものの考え方は管理者に必要であり、全体的な流れ、動きというのは経営にも通ずるように思われる。
私は常日頃「趣味は広く浅く、しかし何か一つは深く」と考えているが、今後更に力をいれ、少なくとも四、五段くらいにはなりたいと思う。



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