終章

神殿の門‥‥


 次の日の早朝。森を出た四人は小高い丘の上で、後ろを振り返った。幻をその奥に秘めた早朝の森には朝靄が立ちこめ、いつもと変わらぬたたずまいを見せている。鳥たちのさえずりがどこからか聞こえてきた。
「‥‥『願わくば光の行く手を照らさんことを』、か」
 ラルファーの鳶色の目に、遠くの山々の間から昇ろうとしている曙光が映った。
「ふふ、文字通り、日の出と共に蜃気楼は消えてしまったわけだ」
「ああ。天下の大盗賊様も、まんまと騙されちまったぜ」
 横でセスターが、彼にしては珍しく苦笑した。
「でも、あの幻は本物だったよ。触ることもできたし、音も、匂いも‥‥。あのペガサスにも、生命の精霊が宿っているのが見えたのにな。あの後どうなっちゃったんだろう」
 レイアードが口を尖らす。赤みを帯びた空がだんだんと明るくなってきた。今度こそ、このハーフエルフの髪や瞳と同じ、澄んだ大空の色に。
「あの天馬も、古代王国の偉大な魔法の産物なのね。でも、次の満月の時にはきっとまた現れるわよ。元気な姿で。ね、レイアード」
 あたりに広がる霧けむる静かな森を懐かしそうに見ていたミルフィリエンは、優しく答えた。
「あの庭園を造った幻術師は、何が目的だったのかしら。自分の弟子の力を試すため? 魔法の生み出す栄華に酔いしれた過去の人々を戒めるため? それとも、滅びてしまった王国の、過去の栄光を懐かしむためだったのかしら‥‥」
「ああ。結局詳しくは分からないままになってしまったな。まったく謎だらけだ」
 ラルファーが答える。
「そう、謎‥‥だからこそ、私は魔法に魅せられたのよね‥‥」
 エルフの魔術師は微笑むと、アメジストの嵌まった自分の魔法の杖に目をやった。



「『真実の庭園』か。やっぱり大したものは見つからなかったね。あの村に持って帰れるものもなかったしな」
 歩き出しながらレイアードがぽつりと言った。
「そうだ。このままじゃ大した報酬も期待できないぞ。まるっきり俺たちの大損だ。どうするんだ?」
 セスターが振り向く。ハーフエルフの少年は答えた。
「ううん。お金は確かに貴重だけど、もっと他に大事なものがあるはずだよ。その、う〜ん、うまく言えないけど、僕らのような冒険者が探しているものは、何か、何か別のもののはずだ」
「おいラルファー、あの館には魔法の剣も沢山飾ってあったよな。大分熱心に見ていたじゃないか。お前も欲しかったんじゃないのか?」
 朝日を眺めていた修行中の青年騎士は、仲間の問いに振り返った。
「いや、由来を調べていただけだよ。知識を蓄えておけばいろいろと役に立つし、幻とは言え、伝説の剣をこの目で見られるまたとない機会だったからな。‥‥まあ、正直に言えば、確かに手に入れたくもあったがね」
 左手に持った愛用の剣の鞘を握りしめると、彼は目を細めた。だんだんと強くなる曙光が、ラルファーの金髪と、装飾の施された剣の柄を紅く染める。刃先に向かって緩やかに傾斜した護拳。その先端の輪の飾り。
「もし手に入ったとしても、そうだな、あの村の財産にでもしてもらうさ。
‥‥このクレイモアーは父さんの忘れ形見だ。死の間際に託されてね。俺には何だか、父さんの魂がこもっているような気がしてな。この剣が俺を導いてくれる。俺には当分、手放せそうにはないよ」
「フフ‥‥まったく、どいつもこいつも、いかれた奴ばかりだぜ」
 セスターはおどけて肩をすくめた。
「あら、じゃああなたみたいな人間の盗賊は、どこかで盗みでもして足りない分を埋めるの?」
 わざとらしくミルフィリエンが尋ねる。
「おおっと、そいつはちょっと違うな。俺様が狙うのはデカい獲物だけだ。このウィンドウォーカー様はそこらへんのチンケなこそ泥やチンピラ共とは格が違うんだぜ」
 そう言いながら、彼は腰のサーベルの横につけたポーチから手を出した。勿体ぶって指をしばしひらひらさせてから、おもむろに隠していたものを見せる。三人には、何もない所から突然小さな石が現れたように見えた。
「ねえセスター、いつも思うんだけど、その手品みたいのはどこで習ったの?」
 レイアードが首を傾げる。盗賊はにやりとすると、手の中の物を見せた。彼の手の中には指輪と小さな宝石がいくつか、微かに輝いていた。
「救い難いいかれた冒険者たちに、高名なる義賊ウィンドウォーカー様は慈悲の心で愛の手を差し伸べて下さった‥‥てなわけだ。あの廃墟の中でも、ちょっと探せばこれくらいは見つかったぜ。ま、ないよりはましだろう?」
 ラルファーは苦笑した。
「ふふ‥‥相変わらず、抜け目のない奴だな」
 セスターはいたずらっぽく目配せをして返した。
「これくらいなら記念に貰っといても、あの羽根馬さんも怒らないだろうよ‥‥ほら」
 器用に指で弾くと仲間に渡す。ミルフィリエンが受け取った指輪に嵌まっている宝石は、オパールに似ていた。が、微かながら内側から淡い青色に輝いている。
「そいつは話に聞く、魔晶石ってやつじゃないのか。確か石の力を代わりに使って呪文が唱えられるんだろう? たいして魔力も残ってないだろうが、役には立つだろう。俺が頂いておきたいところだが、オパールはあまり好みじゃないんでね。オニキス辺りがいい」
「これはどうも。天下の大盗賊様から贈っていただくとは光栄ですわね」
 丁寧にお辞儀をすると、エルフの女魔法使いは黒髪の盗賊を見つめた。自分にはエルフの血が混じっていると、セスターはよく言っている。何でも親戚の一人が森エルフのある族長と親しい間柄だったとか何とか。いつもの怪しげなほら話の一つだった。
 が、確かに鋭角的な顎や細い目など、この人間にはどことなくミルフィリエンの同族達を思わせる所もあった。それに、彼のいつも涼しげな目許や落ち着いた様子を見ていると、ミルフィリエンは時折、旧知のあるエルフの青年を思い出すのであった。
 ああ、ギル、今頃どこでどうしてるかしらね‥‥。


 霧の立ち込める森にしばし目をやっていた彼女は、指輪を左手の中指にはめた。魔晶石の周りを精緻な彫刻が囲んだ黄金の指輪は、装飾品としても価値がありそうだった。
「どう?似合うかしら」
 と三人に尋ねる。レイアードがうんうんと頷いている。それを聞いてミルフィリエンはにっこり笑った。
 ラルファーたちにはどうもわからなかった。森の妖精族エルフの寿命は人の数倍に渡る──寿命がないと信じられたこともあったくらいだ──ため、外見からの年齢の判別は難しい。彼女は老成した大人の女性のように見えるのだが、一見純真な若い娘のように見える時もあるのだ。
 年を聞いても、いつも「あら、人間の習慣では、レディの年齢を尋ねるのは失礼なのでしたよね、騎士様」などとからかわれてうやむやにされてしまうのだった。



 薄暗かった空はだんだんと明るさを増し、西の空にその姿を残していた月も薄れていく。変わって姿を現したのは、大地を温かく照らす太陽だった。至高神ファリスの司る太陽。全ての生命を優しく見守る黄金の円盤。フォーセリアに、今日も朝が訪れた。
 太陽が昇ってくる方角にはオランの国土が広がっているはずだった。オラン──“賢者と冒険者の国”。古い歴史を誇る大陸有数の大国だ。
 四人は朝日に向かって歩き出した。やるべき事を為し遂げた充実感。冒険者にしか味わえない感情だった。
「ねえ、ラルファーは騎士の修行中だって前から言ってたよね。何か、果たすべき大事な使命でもあるの?」
 レイアードがふと尋ねた。
「目的か‥‥なんだろうな」
 ラルファーは横のハーフエルフを見遣った。エルフ同様、ハーフエルフ達の年齢も外見からではよく分からないが、この少年は確か十七、八才くらい、見た目とほぼ同じだった。
 人間とエルフの血の混じったハーフエルフは珍しい存在であり、時には迫害を受けて悲惨な幼年期を過ごし、歪んだ人格が形成される事も多い。が、この少年はそのような圧迫に負けることもなかったのか、あるいは幸せな境遇で育ったのか、素直で明るい性格をしていた。
 恋人を追って家出した姉を探すというのが、彼が旅に出た一応の目的らしい。本当は、広い世界を見て回りたかったらしいのだが。
 故郷は確か西部諸国のタラント──クロスノー山脈の山あいに位置する国だ。本人の談では、“自分の髪や瞳と同じ色をした”どこまでも澄み切った空が美しい、森と草原の国と聞いていた。
「俺の父さんは下級の騎士だった。名もない家系だったがね。戦で命を落として、死ぬ間際にこの剣を託されたんだ。旅に出て、本当の騎士道とは何か、自分自身の手で探し出してくれ、それが遺言だった。‥‥もう、昔のことだ」
「それで、気高き騎士どのは、自分の道を探しだしたのかい?」
 セスターが口を挟む。
「いや、まだだ。俺はまだまだ未熟だよ。ふふ‥‥ひょっとしたら、そんなものは永遠に見つからないかもしれない。俺は、幻を求めているのかもしれないな」
 ラルファーは、父譲りのクレイモアーに目を落とすと苦笑した。
「だが、俺は冒険者のような旅の生活を通して、今まではある側面からしか見えなかった物事の本質が見えてくるような気がするんだ。本当の正義や名誉、真実の騎士道とは何かを、知識の守護者たるラーダ神は教えて下さる。当面の所、俺が忠誠を誓うのは、この世に不変の正義と真実に対してだけだ。
 ‥‥そう、ありたいものだな」
「ご苦労なこった。お偉い騎士様の考えることは、俺にはとんとわからねえな」
 セスターは短剣を空中でスピンさせると、器用に刃の所を一瞬で掴んで受け止めた。鮮やかな手並みだった。
 親が大道芸人だったとかで、彼はこういうことが得意のようだった。
「だがな、俺は誰にも忠誠は誓わないぞ。誓うのは俺自身に対して、それと」
 ダガーを鞘に納めると、漆黒の長い髪をかきあげて片目をつむる。
「なにものにも縛られない自由な風に対してだけ、ってとこだな」
 中部の都市国家ロマールから来たというこの盗賊は、街中にいつまでも留まっているのを嫌い、放浪の旅に出たらしい──本人の話では、“路地裏でくすぶってちゃあ、風は吹いてこないから”、だそうである。
「偉いお父さんだったんだろうね。ラルファーならきっと、立派な騎士になれるよ。うん」
 レイアードは連れを見上げると言った。
 ミルフィリエンは切れ長の紫色の目を細めると、面白そうにこちらを眺めている。「人間とは、本当に不思議な生き物ね」とでも言いたげな様子だった。


「そうだわ。今回あまり収穫はなかったけど、このことを話して、記念に歌にでもしてもらいましょうよ。ちょうどいい礼金の代わりだと思えば、満足でしょう? あのフラムスダインの村で、伝承を色々教えてくれた竪琴引きの娘さんに頼みましょうよ。エルフ流の詩の作り方を少し教えれば、きっと喜ぶでしょうね」
 ミルフィリエンは言った。それくらいなら村でも喜んで応じてもらえるだろう。そのような無形の報酬こそ、四人が本当に求めているものなのかもしれなかった。
「そいつはいいアイデアだ。夜風と共に駆け抜ける、天下に名だたる大盗賊セスター・ザ・ウィンドウォーカー様の名がまた、大陸じゅうに轟くってなわけだ。よく希望を言っておかなけりゃな」
「あれ、セスターはいつから天下の大盗賊になったの?」
 レイアードがからかう。
「これからなるんだよ、小僧」
 先頭を歩いていたセスターは、爪先でくるりと振り向くとそう答えた。
「うん、あの村の人たちも、みんないい人ばかりだったね。僕たちの今までの冒険談を聞いたら、みんな楽しんでくれるかなあ。可愛い子もいたからな‥‥でも、ハーフエルフじゃないからな‥‥」
「何を言ってるんだ。まだガキのくせに」
 頭を小突かれてレイアードがいきり立つ。
「ぼ、僕はもう大人だぞ!」


「うふふ、私も長く生きてきたけど、人間世界にいると退屈だけはしなくていいわね」
 美しい白金の髪に手をやると、ミルフィリエンは言った。いつも忘れそうになるのだが、エルフは人間よりも遥かに長く生きているのだ。人間であるラルァーやセスターたちの親や祖父母が生まれた頃から‥‥いや、ひょっとすると彼女はさらに昔からかもしれなかった。
 森の妖精族エルフは深い森の中で閉鎖的な生活を営んでおり、自分から好き好んで人間や他の種族に混じる彼女のような存在は希だった。
「村の人間たちにもいろいろ世話になったけど、リスティナさん──だったわね、あの竪琴弾きの娘さんも、私たちのことをだいぶ心配してくれていたみたいよ」
 彼女は横のラルファーを見上げた。朝日に輝く金髪。遠くを見つめる、知性を湛えた鳶色の瞳。意志の強さを感じさせる太い眉。静かな情熱を内に秘めた青年の横顔だった。
「あなたが経緯でも話してあげれば、きっと喜んでくれるんじゃないの、ラルファー」
 彼女は面白そうにラルファーを眺めると、軽く微笑んだ。
「ん、ああ、そうだな」
 が、遠くを見ていたラルファーは気付かなかった。


 蜃気楼は消えてしまった。曙光と共に。自分たちが探していたものは、一夜の幻に過ぎなかったのだ。
 自分は何を探しているのだろう? 本当の騎士道とは何かを求め、修行のために故郷を離れ、冒険者として流浪の身となり、旅の空の元にあちこちを巡り‥‥。
 何故このような道に? 人の運命は分からないものだ。荒野でのたれ死ぬ者もいる。志半ばで力尽きる者もいる。‥‥冒険者が求めているのは蜃気楼なのだろうか?
 そんなはずはなかった。自分の行く手には何か、確かなものがあるはずだ。理由は分からなかったが、それだけは確信できた。
 自分の魂は、何か新たなものを渇望しているのだ。
 求めるに値する何か。信ずるに値する何か。冒険者にしか分からない何かを。
 ラーダ神はそうして、そこへ至る道へと自分を導いて下さっているのだろう。当分の間は、仲間たちと旅を続けよう。
 その、幻の中の真実を探しながら‥‥。
 大地と大空の境目の、輝くエストン山脈の峰々を見つめながら、ラルファーはそんな事を考えていた。



 セスターが先頭に立って、再び歩き出す。いつもと変わらぬ独特の歩き方。踊るように軽やかで、音を立てない歩みだった。盗賊の長い漆黒の髪を風が揺らし、腰の二本の剣が朝日にきらめいた。
 その後にレイアードが続く。風に木々がさやさやと揺れると、その音色に耳を傾けている。彼には聞こえるのだ。早朝の空に憩う、自由奔放な風の乙女(シルフ)たちのささやきが。
 最後にミルフィリエンが続いた。わずかに紅く染まった美しいプラチナの髪。エルフの優雅な物腰。ちらりと、ラルファーの方を振り返った。
「どうかしたの?」
「ラルファー、早く行こうよ!」
「おい、物思いに耽るのは、うまい酒でも飲んでからにしようぜ」
 仲間の声にラルファーは我に返った。三人の視線と目が合う。
 修行の旅は、まだまだ続きそうだな。
 笑って手を振り返すと、彼は愛用の剣の鞘を掴み、仲間の元へ歩き出した。


 遥か彼方のエストン山脈から舞い降りてくる爽やかな早朝の風が、一面に広がる緑の草原を揺らしながら吹き抜けていく。朝の暖かい光が、四人の冒険者を優しく照らしていた。


『蜃気楼の探し手』

-The Seekers of Mirage-

─了─

神殿の門‥‥
...... Sword World Novel "The Seekers of Mirage" ...... Final Chapter ......
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