序章

神殿の門‥‥


 夜の光の神、周期の神フェネスの司る月が今宵満月を迎え、静かな大地に銀の光を投げかけている。真夜中の森は静まり返っており、緩やかな風にそよぐ木々、時折聞こえる動物や虫の鳴き声の他には物音一つしなかった。
 アレクラスト大陸の南部に、大陸の東西を結ぶ「自由人たちの街道」と呼ばれる大きな街道がある。
 数百年前にある偉大な賢者によって発案されたこの街道が整備されたお蔭で、旅人たちは人里離れた荒野でのある程度の安全を保証され、文化や商業の発展、大陸東西の交流が促されることとなった。
 この街道を東に進み、エレミア王国の国境を抜け、オラン王国の国外れを北に進むと、“常緑の山脈”の名で知られるエストン山脈の麓に行き着く。この辺り一帯は草原に変わって、名もない森に覆われていた。


 静寂を破る物音に、樹上の梟が片目を開く。四人の人影が眼下の森を歩いている。その中の一人の掲げた松明が、暗い森を照らし出していた。
 戦士風の男が辺りを見回し、着こんだ金属鎧が騒々しい音を発てる。背中には長い剣を背負っていた。
 長身の部類に入るその男に比べると、その横で松明を持った若者はやや背が低かった。華奢なつくりの体には革製の鎧をつけ、弓を背負っている。そして、髪から覗くやや尖り気味の耳は、森の妖精族エルフの血が混じっている事を示していた。
 その前にいるのは、一人は男、もう一人は女だった。ほっそりした女の耳ははっきりと尖っており、後ろのハーフエルフと違って純粋なエルフである事がわかる。魔法使い(ルーン・マスター)らしく、手には小振りの杖を持っていた。横で屈み込んでいる人間は長い髪を肩まで垂らしており、黒っぽい服を着ている。松明に反射して、腰の二本の剣やブーツに差した短剣が一瞬光った。
 だが梟には、四人は真夜中に森を出歩く単なる物好きな旅人にしか見えない。ホーと一声鳴くと、梟は止まっていた木の梢から飛び立ち、夜の闇に消えていった。


「何だ、今のは?」
 ラルファーは思わず、背負った剣に手を伸ばした。剣帯をずらし、愛用の 大 剣 (グレート・ソード)をすぐに引き抜ける態勢を取る。
「鳥だよ、ラルファー。そこの木の辺りから飛んで行くのが見えた。きっとフクロウとか、そのへんだよ」
 横のハーフエルフが答えた。精霊使いは夜でも目が見える。温度を感じ取り、おぼろげながら形も見えるのだ。大地の妖精族ドワーフたち──彼らは光の全く存在しない地底の暗闇でも、はっきりと目が見える程の暗視能力を持つ──には敵わないが、こうした時には非常に助かるものであった。
 ラルファーは横の精霊使い(シャーマン)を見遣った。レイアード=リアフェールというのがこの若者──というか、なかば少年と言った方が相応しいような感じがする──の名前である。
 人間で言えばまだ年は十七、十八位で、ややあどけなさの残る顔立ちをしている。硬くなめした革鎧(ハード・レザー・アーマー)を身につけ、背中には羽飾りのついた 長 弓 (ロング・ボウ)を背負っていた。彼は 野 伏 (レンジャー)でもあるのだ。戦いの訓練はあまりしていないのだが、護身用に腰には偃月刀(シミター)を吊っていた。
「でも、本当に静かな森だね。誰もいないみたいだ」
 レイアードの明るい声は暗い森に吸い込まれ、当然ながら何の返事も返ってこなかった。
 この少年を見てまず目につくのは、澄んだ空の色をした髪の毛だろう。瞳も同じような青い色をしている。エルフの血が混じった者の中には、変わった色の髪や目をした者もいるらしいが、彼のは確かに珍しかった。
「ああ。だが伝承が正しければ、必ずこの辺りにあるはずさ」
 ラルファーは抜きかけた大剣を納めた。鍔の先には輪飾りが見える──クレイモアーという種類の剣だ。
 松明の光が磨かれた 板 金 鎧 (プレート・メイル)に映える。胸には知識の守護神ラーダのシンボルと王国の紋章も小さく彫られている。ラルファー=アトレックス──身なりから騎士とわかるこの金色の髪をした長身の青年は、大陸北方の出であった。“剣の王国”“英雄の治める国”と名高いオーファンの、さる人物に仕えていた下級騎士の家系に生まれ、現在は各地を放浪して腕を磨く修行中の身である。


 ラルファーは前の二人を見遣った。セスターが油断なく辺りを調べ、ほのかな光で辺りを照らす月をミルフィリエンが見上げている。
「見ろ」
 セスターが蒼氷色の目を細めた。
「こいつじゃないのか?うまく隠したもんだぜ」
 野伏の技を学んだ者は野外における様々な技術に精通している。罠を仕掛けたり、動物の足跡を追ったり‥‥隠されたものを捜索するのもその一つだった。
 屈んだ彼が指さす先には、小さな何かの像があった。巧妙に木と藪の後ろに隠されており、ちょっと見ただけでは分からないようになっている。
“風 を 渡 る 者”(ウィンドウォーカー)というのがこの盗賊(シーフ)の通り名であるらしかった。何だかよく分からない名ではある。もっとも、本当の名が別にあるのかは教えてくれた事がなかった。
 彼の上背はラルファーよりもやや低かったが、均整のとれたスマートな体格のせいで実際よりも高く見える。黒っぽい 革製の上着 (レザー・ジャーキン)を身につけ、腰のベルトには二本の小振りの曲刀(ショート・サーベル)、ロングブーツには短剣(ダガー)を差していた。
 フォーセリアの人種は多岐に渡り、瞳や髪、肌の色は様々である。彼の髪の色は漆黒で、真っ直ぐ肩まで伸ばしていた。身のこなしも軽やかで、いかにも俊敏そうな印象を受ける。
 一般に盗賊というと決して良い印象は抱かれないものだが、そうそう極悪人が揃っているわけでもない。冒険者のような職業につき、まっとうな目的のために自分の技術を生かす者も中にはいた。セスターもその一人だった。それに、本人は義賊を気取っているつもりらしい。
『竜は飛び立ち 道は開かれん‥‥』だったわね。きっと、これが何かの鍵に違いないわ」
 月の淡い光がエルフの白金の髪を照らす。ミルフィリエン=サイレントレイク=ローレンメイン──通称ミルフィがこのエルフ女性の名だった。手には紫水晶の嵌まった小振りの魔法の杖(メイジ・スタッフ)を持っている。精霊使いの多いエルフにしては珍しく、彼女は魔術師(ソーサラー)であった。もっとも、人間界に出てくるエルフというだけでも十分に珍しい存在ではあったが。
 彼女は吟遊詩人(バード)の訓練も受けており、バイオール──バイオリンの原形となった楽器だ──が弾ける。休息の一時に時折彼女が聞かせてくれる優しい音色に、三人は心が和むこともよくあった。
 夜風が彼女の長い髪を揺らし、エルフ特有のほっそりした顔の輪郭を際立たせた。人間であるラルファーやセスターから見ても、この女魔術師はかなり美しい部類に入った。人間とはどこか違う、エルフの神秘的な美しさだったが。いつもどこか謎めいた雰囲気を漂わせていた。人間で言えば年は二十代後半くらいのようにも見えるのだが、実際の所は全く見当がつかなかった。


 四人が知り合ってからしばらく経つ。人数こそ少ないものの、大概の事には対応できる四人組だった。知識の神ラーダに仕える神官でもある騎士ラルファー、精霊使いにして野伏のレイアード、吟遊詩人の訓練も受けている魔術師のミルフィリエン、そして盗賊のセスター。
 四人はあちこち旅をして回り、様々な体験を重ねてきた。古代王国の残した謎めく地下迷宮の探索。大きな街になら必ずある『冒険者の店』での、怪物退治から人捜しまで、それこそありとあらゆる依頼の請け負い。
 下はならず者とたいして変わらないような輩から、上は吟遊詩人たちの英雄詩に謳われる程の腕前を持つ者たちまで‥‥世間一般で誰ともなく呼ぶようになった、『冒険者』という職業である。

 最初から知り合いだったわけではなかった。父の遺言に従って諸国を放浪する修行の旅に出たラルファー、恋人を追って家出してしまった姉を捜すという名目で故郷を離れ、世の中を見てみようと思ったらしいレイアード、街でくすぶっているのに飽きたというセスター‥‥そして、あまりそのことに触れようとしないミルフィリエン。
 が、四人はひょんな事から知り合い、やがてある種の深い友情で結ばれるようになった。四人には共通するものがあった──飽くことのない好奇心。普通の生活では分からない、何かを求めてやまない魂。夢を追い続ける心。
 それは、全ての冒険者が共有しているものだった。

 優れた工業製品や腕のいい職人たちの集まるギルドで有名な、“職人たちの王国”の名で知られるエレミア。その首都の一角で、彼らは伝説を語った伝承詩の一節に出会った。古代王国の強力な魔法が生み出す蜃気楼に隠された遺跡が、何処かの森の中に眠っているというのだ。
 一行はあちこちで手掛かりを探し、やがて辺境のフラムスダイン村にたどり着いた。そこの村でも、やはり同じような伝承が伝わっていた。ただの昔話だと誰も信じなかったのだが、ある日村の倉の大掃除をした時に、同じような詩編を見つけたという。
 竪琴の弾ける村娘が、美しい歌声でその伝承を語ってくれた。四人が探していたのとほぼ同じ内容だった。『真実の庭園』なる遺跡が実在しているのが、やっと確かめられたのである。
 村の方でも、真偽を確かめてほしいと頼んできた。報酬は安いものだった──街から遠く離れた小さな村である──が、それでも四人は承諾した。自分たちも、最後まで見極めたかったのだ。村人の話で森の大体の位置は掴める。そして四人はこうして、夜の森に赴いたのであった。



神殿の門‥‥
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