らいぶらりぃ
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ファンタジア2000

●日 時2000年4月22日(土)11時開演
●会 場サントリーミュージアム・IMAXシアター
●演 奏ジェームズ・レヴァイン指揮シカゴ交響楽団
●演 目ベートーヴェン/交響曲第5番ハ短調「運命」
レスピーギ/交響詩「ローマの松」
ガーシュン/ラプソディー・イン・ブルー
ショスタコーヴィッチ/ピアノ協奏曲第2番
サン=サーンス/「動物の謝肉祭」より フィナーレ
デュカス/魔法使いの弟子
エルガー/威風堂々
ストラヴィンスキー/組曲「火の鳥」

 かのウォルト・ディズニーが60年も前に発表した「ファンタジア」、半世紀以上も経った今、装いも新たに、「ファンタジア2000」として、私達の前に公開されることとなりました。ディズニーの新しいアニメーター達とフィルムメーカー達が、ディズニーの精神を引き継ぎながら、新しい作品として発表したもの、それが、「ファンタジア2000」なのです。「ファンタジア」、それは、クラシック音楽とアニメーションとを融合させた芸術作品とも言うべきもので、クラシック音楽を聴く者にしてみれば、それまでとは違う、クラシック音楽の感動を体験できるものなのです。映像を見ての感動と、音楽を聴いての感動とがあいまって、この上もない感動を与えてくれるというわけです。この素晴らしいものが、この正月からずっと、大阪のサントリーミュージアム・アイマックスシアターで公開されているということで、ようやくに今になって、行ってきたのでした。

 会場のアイマックスシアターは、巨大なスクリーンを持っていて、それを目の前にしただけで、何だかとてつもない映像が飛び出してきそうだぞ、という期待でわくわくしてきます。そして、サラウンド・サウンド・システムが、より臨場感あふれる音を再現してくれるということで、音楽の面についても、期待してしまいます。しかも、演奏しているのが、レヴァイン指揮のシカゴ交響楽団ですから、何も文句はないでしょう。どんな素敵な演奏を聴かせてくれるのだろう、と胸をはずませて、席に着きます。

 そして、開演。まずは「運命」から始まります。一部省略した形での演奏ですが、これこそまさにシカゴ交響楽団というばかりの、パンチのある、クリアでシャープな響きが、ホールの中に鳴り渡ります。それに合せて、画面上に展開されるのは、何やら抽象的な映像の世界です。清らかな天使をイメージさせるような蝶々のようなものが、ひらひらと飛び交い、と思いきや、地面が割けてそこから、巨大なマグマのようなものが吹き飛び、辺りを暗く支配していく、そのようなシーンが展開していくのです。これは、善と悪との対決のシーンなのだそうですが、なるほど、うまく出来ていますね。しかも、音楽に見事に合せてアニメーションが展開していくのです。ばぁん!という強い音に合せて、マグマの噴火があったりして、なかなか説得力のある描写です。曲自体も、確かに、善悪の対決や光と闇との闘いなどといったイメージを持っていると思うのですが、まさにそういう世界を見事にアニメにも表現していたと言えるでしょう。

 続いてが、「ローマの松」。普通、この曲からイメージするものは、ローマの古い街道沿いに並ぶ松の木々のことでしょう。でも、ディズニーのアニメーター達の発想は、それとは全く違いました。何と、クジラをイメージされたのです。前半の方(1曲目)は、親子のクジラが遊んでいる様を描き出し、中間部(2〜3曲目)で、ふとはぐれてしまった子供クジラの冒険と、それを心配する親クジラとの心の交流を描き、そして、ラスト(4曲目)で、何と、その親子も混じったクジラの大群が、海からやがて、空へと飛び立ち、遥かな彼方へ向けて力強く進んでいこうという様を、堂々と描き出しているのです。一体、誰がこのようなシーンを思い浮かべることができたでしょう? これには、とても驚きましたし、また、とても感動しました。

 前半部では、クジラの親子が元気よく、ぱしっとジャンプする様が生き生きと描かれているのが印象的です。2月に行ったハワイ旅行で、ホエール・ウォッチングに参加しながらも、結局はクジラを見ることもできなかっただけに、妙に思い入れがあったりします。(^^; まるでラッセンの絵を見るかのような美しく幻想的な画像は、本当に素敵です。非常にメリハリのあるしまった演奏とあいまって、素敵な世界を描いていくのですね。惚れぼれとしてしまいます。中間部では、ふと氷山の中に迷い込んでしまった子クジラが、何とか外へ出ようと出口を探しまわり、また、親クジラも、外から中を様子をうかがって子クジラのことを心配する、やがて、子クジラは無事に、元気に外へ出てくることができる、という展開です。氷山の中の、鋭く尖った氷の柱が並ぶ風景を描きながら、カタコンブの描写の音楽が流れてくる… ちょっと不気味な感じもするのが、また印象的です。そこが終って、ほっとしていると、いよいよ終曲に入っていきます。…そう、遠くからローマの軍隊が近づいてくる様を描いたという、この音楽です。親クジラと子クジラが再会の喜びに浸っていると、海の底の方から何かが近づいてくるのです。何が来るのか、と見ていると、やがて姿を現すのが、仲間のクジラ達。力強く、何かに向かって行軍していく、その群れに、親子クジラも一緒になり、進んで行きます。海上に出てきたかと思うと、さらに、何と、クジラ達は空へと飛び上がります。曲の最初のシーンでも、親子クジラが空を舞うシーンもあったのですが、いや、これだけの多くのクジラが一勢に空へと飛び立つ様は、まさに圧巻です。しかも、音楽が、まさにクジラの行軍にふさわしい、勇壮なものですから、このシーンをより壮大なものにしています。何年か前に、この曲を、シンフォニーホールでヤンソンス指揮のオスロフィルの演奏で生で聴いたことがあるのですが、あの時も、バンダのラッパやパイプオルガンが鳴り響き、その壮大でドラマティックな盛り上がりに、泣くほど感動したことがあるのですが、その時の感動がまたよみがえってきて、クジラの映像を見ながら、思わず泣きそうになってしまいました。実に感動的なクライマックスでした。いやぁ、実に素晴らしいものです。曲が終わった時に、つい、拍手したくなってしまうのでした。

 3曲目は、ラプソディー・イン・ブルー。曲のイメージに合わせて、画面に展開するのは、ニューヨークの人間模様。主な登場人物は4人いて、1人は工事現場で働きながらジャズ・バンドのドラマーを夢見る人、1人は職もなく夢も希望もなく街をさまよう人、1人は何をやってもだめで落ち込んでいる少女、1人は金使いの荒い婦人の尻にしかれている紳士。彼らが紆余曲折を経て、最後には自分達の思うような幸福をつかみとる、といういかにもアメリカンな感じの物語なのですが、このストーリー展開も、曲の進行にうまくマッチしているのが素敵です。ジャズのリズムに乗せて、ニューヨークの街の喧噪ぶりを見事に描き出しているのが、いいですね。そして、特に印象的なのが、曲の中間部で出てくるメランコリックな旋律のところで、各登場人物達が、それぞれ自分の夢を思い描くシーンです。自分がどうありたいのかということを見つめ直し、夢を思いっきり膨らませていくのですが、それが、このメロディーに乗せて、より印象的に伝わってきて、そして、私達自身にも、夢を持ち続けているように、というディズニーのメッセージのようなものさえ、感じ取ることができます。素敵な部分でした。

 4曲目は、ショスタコのピアノ協奏曲。これは映像の素材が先にあって、そのイメージに合う曲を探したら、この曲になったのだそうで、その映像の素材というのが、アンデルセンの童話の「スズの兵隊」。片足を失ってしまった、おもちゃの兵隊さんと、美しいバレリーナ人形との、出会いと恋を描いたような作品ですが、これは見ていて、とても楽しかったです。この2人(?)の出会いと恋を邪魔しようとする悪いやつ(びっくり箱の人形?)も登場してきて、おもちゃの兵隊さんと闘い、兵隊さんは敗れて、家の外にほうり出されてしまい、そこから、排水溝に入り込んでしまい、さらには海の方へまで流されていき、そこで何と、お魚にぱくり!と食べられてしまって… という、まさに大冒険を繰り広げていくのです。ま、最後には、無事に帰還して、そして、悪いやつを今度はちゃんと負かして、最後には、兵隊さんとバレリーナとが結ばれる、というハッピーエンドの物語なのです。ちょうど、先月に、映画で「トイ・ストーリー2」を見てきたところで、その印象も残っているだけに、このおもちゃ達の物語も、より楽しく見ることができたのかもしれません。ウッディやバズもびっくり、という感じのまさに大冒険とロマンス、これにちょうどぴったりとくるのが、ショスタコのピアノ協奏曲だというのが、また面白いところです。次から次へと展開していく物語にふさわしく、曲もまた、さらさらと流れていくかのような美しいものです。特に大きな盛り上がりがあるとかいうわけではないのですが、何の違和感もなく、完全に映像と一体となっているのが、見事です。だから、映像での感動と音楽での感動とが、まさにぴったりと合わさってきて、ハッピーエンドで終わるところでは、思わず、ほろりと泣けてきてしまうんですね、これが。物語的には、これが一番美しく素敵だったかなという気もします。

 5曲目は、ちょっと休憩、という感じで、サン=サーンスの動物の謝肉祭のフィナーレ。曲と曲との合間には、実写で、オーケストラの演奏をしている舞台のシーンがスクリーンに出てきて、その脇で、いろんな人達が登場してきて、曲の解説などをしてくれるのですが、この曲に入る前の解説で言うてくれたことは、”…ついに、私達は一つの真理を発見したのです! フラミンゴの群れにヨーヨーを与えるとどうなるか、を”というもの。何じゃ、それ?と思いながら、見ていると、確かに、フラミンゴの群れの中の一羽がたまたまヨーヨーを見つけて遊びだし、周りの他のフラミンゴ達に迷惑をかけてばかり、でも、彼はそれを止めずに、ついには、仲間達と追いかけっこ状態に… という展開です。映像も可愛らしくて、ユーモア溢れるストーリーと、それにうまく合った、サン=サーンスの曲とが楽しくて、思わず笑ってしまうのでした…

 6曲目は、最初の「ファンタジア」からずっと使われている、魔法使いの弟子。映像も、もちろん、昔のままの、ミッキーマウスがいたずらをする映像です。…とは言いましても、私はこの映像を見た覚えがなかったんですね。デュカスの曲は知っていて、この曲の説明を聞く時に、必ず言われるのが、このディズニーでもお馴染みの曲、ということだったのですが、私にとっては、むしろ逆に、曲は何回も聴いていてお馴染みだけど、映像は見た覚えがないぞ…という状態だったのです。だから、映像も見てみて、あぁ、こういうものだったのね、と何だか納得ができたような感じなのでした。「ファンタジア」と言えば、まずは、この魔法使いの弟子というふうに、もはや、「ファンタジア」のシンボル的存在とも言えるこの題材は、多分、ずっとこのままで残っていくのでしょうね。それだけのものを、60年も前に作り出していたディズニーは、やっぱりすごいのだなぁ、と改めて思います。

 7曲目は、「威風堂々」。英国皇室御用達のこの曲をもとに展開する映像の主人公は、…何故か、あのドナルド・ダック。しかも、その世界は、旧約聖書の「ノアの箱舟」の世界。預言者ノアの指導のもと、動物達のカップルを、箱舟まで誘導していくのが、ドナルド・ダックの仕事。いろいろとばたばたとしながらも、きっちりと仕事をこなしていき、さぁ、最後は自分達、デイジー・ダックを連れてきて… というその時に、まさに洪水が彼等2人の家を呑み込んでしまい、あぁ、愛しの彼女は…と涙にくれるドナルド。…でも、デイジーも、実は、ちゃんと1人で箱舟に乗り込んできていて、逆に、彼女もドナルドのことを見つけられず、彼は洪水に呑み込まれてしまったのでは…と途方に暮れてしまっています。広い箱舟の中では、2人は、まさに「君の名は」の世界のようにすれ違いばかり。そして、水がひいていき、箱舟から、動物達が再び地上に踏み出していきます。カップルで、さぁ、これからまた新しい世界で頑張ろう、と繰り出していく彼等。が、ただ1人、ドナルドだけは、相手もいなく、寂しい思い… という時、ふとしたことで、ようやくにデイジーと再会することができ、お互いの存在を確かめあい、喜びあう2人。明るい光の中に広がる新しい世界をバックに抱き締めあう2人の姿は、何か感動的です。物語の展開がテンポよく進んでいき、また、内容もちょっとしたラブストーリーのようなもので、しかも、題材そのものは聖書の世界、ともなれば、”愛”というものを伝えたい、というディズニーのメッセージが十分に伝わってきそうな気もします。それが、「威風堂々」の上に乗せられて繰り広げられるのですから、余計に感動的になるのです。あの一番有名なマーチの部分では、ちょうど、動物達が箱舟に乗込んでいくシーン。そして、もう一つ、ラストの動物達が箱舟から新天地に繰り出していくシーンでも流れます。特に、この後者の方では、さらに合唱と、さらにさらに、ソプラノのオブリガートまでついてきて、ラストのドナルドとデイジーの再会のシーンを、より感動的に盛り上げているのです。しかも、演奏は、何回も言いますが、シカゴ響です。余りにも感動的なんで、ほんまに泣いてしまいました…

 8曲目は、火の鳥。ストラヴィンスキーのこの曲に乗せて、ディズニーの描く「火の鳥」は、これまた壮大なものです。美しく広がる高原の中にたたずむ動物が1頭。…一瞬、「もののけ姫」のシシ神さま?と思ってしまったのですが、ハンサムなオオジカなんですね、これが。そして、そのもとで戯れる妖精が1人。彼女の力は、高原や森の中に”生命”を吹き込むこと。枯れたような木でも、彼女の力により、再び花を咲かせることができるようになるのです。そうした、妖精が、オオジカと戯れながら、やがて、あろうことか、火山(?)の目を覚ましてしまったのか、そこからマグマ(=火の鳥?)が噴き出してくるのです。火の鳥(?)は、妖精を追いかけながら、辺り一面を次々に焼き払っていき、あらゆる生命を奪っていきます。オオジカも何とか逃げ、妖精も必死に逃げて行きます。そして、もうダメだぁ、というところで、一瞬、映像は暗くなります。明けて翌朝(?)、オオジカは、焼け野原となってしまった高原の中から、妖精を救い出し、別のところへ行こうとします。自分のせいで、この美しい風景をこんなにも焼け焦がしてしまった、と嘆く妖精、ところが、その涙が、何と、また新たな生命を呼び起こしていくことに、はたと気がつき、また前のように、辺り一面を、一生懸命にかけめぐりながら、新たな生命を誕生させて、この美しい自然を復活させていくのです。そして、妖精の満面の笑顔がアップになるところで、エンディングとなるのでした。つまり、これは、「死」若しくは「滅亡」から「再生」又は「復活」への過程を描いた作品だと言えましょう。そして、はたと、私達は、以前にもこれと同じようなものを見ていることに気付くのです。「もののけ姫」、まさにその世界と同じなのですね。映像的にもどこか似通ったような部分はあったと思いますし、焼け野原に緑が復活していく様なんかは、まさに「もののけ姫」のラストと同じような感じです。ストラヴィンスキーの曲ともうまく相まって、この壮大なドラマも非常に素晴らしく仕上がっていたと思います。

 …という具合に、全曲を見てきたのですが、どれも、非常にクオリティの高い出来で、音楽と映像が、実によくマッチしています。映像の世界と音楽の世界とが、こんなにも見事に解け合い、より芸術性の高い作品を生み出してくるとは、見にくるまでは、思いもよらなかっただけに、その感動もひとしおです。そして、ぜひ、今度は別の曲で、同じような「ファンタジア」を作ってほしい、と思うのです。今回は、”2000年記念”という感じでしたが、今度は、21世紀という新世紀初の「ファンタジア」ということで、また新しい試みをしていただきたい、と思うのでした…