らいぶらりぃ
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サマー・オペラ「新モーツァルト・シリーズ」III

ドン・ジョヴァンニ

●日 時2001年7月9日(月)18時開演
●会 場ザ・カレッジ・オペラハウス
●演 目モーツァルト/歌劇「ドン・ジョヴァンニ」
●出 演ドン・ジョヴァンニ:藤村匡人
レポレッロ:雁木悟
ドンナ・アンナ:老田裕子
ドンナ・エルヴィラ:小西潤子
ドン・オッターヴィオ:小餅谷哲男
ツェルリーナ:武内亜季
騎士長:山中雅博
山下一史指揮オペラハウス管弦楽団&合唱団
演出:中村敬一

 久しぶりにオペラハウスでのオペラ公演を見てきました。さすが、オペラハウスさんですね、期待以上の素晴らしい舞台を見せてくれました。

 今回の演目は「ドン・ジョヴァンニ」。放蕩者が成れの果ては地獄に落ちていく、という、半ば勧善懲悪的な感じのするストーリーではありますが、今回の公演は、単にそれだけにとどまらず、それ以上の何かを表現していたのでは、と思うのです。と言うのも、舞台の上には、どろっと、まるで黒いペンキをこぼしたかのように、黒く塗りつぶされた部分が真ん中にあるのです。中央部で池のように溜まっていて、そこから四方へ、道が延びるかのように、細く広がっていっているのです。途中で切れてしまっているのもあります。が、中には舞台ソデの方にまでずっと続くものもあります。これは一体、何?と思ってしまいます。黒、というイメージだけで捉えれば、すなわちドン・ジョヴァンニが犯した罪そのものを表現しているのでは、とも考えられます。彼の犯した罪は、かくも黒く深いもので、あちこちに広がっているのだ、ということが、これではっきりと分かるようです。演出は、この黒を基調として成されているのですが、それともう1つ、重要なのが、赤、です。それは、すなわち、1幕冒頭でドン・ジョヴァンニに殺されてしまう騎士長が流した血であり、その復讐に燃えるドンナ・アンナの憤りそのものでもありましょう。憎しみを表わしている、とも言えるでしょうか。この黒と赤の対比が、そのまま、罪とそれに対する憎しみとの対比となり、それらが重なる時、舞台の上には何とも、どす黒い陰鬱な空気が漂います。ドンナ・アンナが復讐のアリアを歌うシーンなど、まさにそう。この描写は、かなり、見る者にぐっとくるものを与えてくれます。それも、先の黒の部分に、どういうふうにしてか分かりませんが、照明を当てているのでしょう、光によって、黒の一部を赤にして、あたかも黒と赤とが重なり合っているように見せているのです。これは、なかなか強烈なインパクトを与えてくれます。実に凝ったことをしてくれます。

 そして、さらにここにもう1つ、ポイントとなるのが、空中に浮かんだ、三角の楔のようなもの。ドンナ・アンナが復讐心を歌う時やドン・ジョヴァンニが悪事をしようという時に、いつも出てくるのです。それも、いつの間にか自然とそこに浮かんでいるのです。これも何だろう、と考えてしまいます。そして、それは人間の心の中に打ち込まれた楔、罪の意識とか復讐心とかいった、どこか刺々しい心を、表わしているのでは、と思います。見ていると、結構、しつこいくらいに出てきますので、これは、かなり、この演出のポイントなのでしょうね。黒と赤と、この楔とが、言わば、人間の心理というものを描写しているわけで、これがなくなった時にどうなるのか、見ながら、そういうことを考えさせてくれます。なかなか奥の深い演出ですね。いつものことながら、中村さんの演出は、ほんと素敵だと感心します。

 さて、そうした演出が素敵な上に、今回の大きな特徴は、そのキャスティングにあります。ベテランに混じって、大抜擢を受けた若手の歌手も入っているのです。若手が入ると、ともするとどうしても未熟さみたいなものが表に出てしまうこともあるかとは思うのです。が、今回の公演では、そうしたことが全くなく、むしろ、ベテランに導かれるように若手も実力以上のものを発揮しているようですし、また、ベテランもそれに触発されてか、かなり気合の入った歌唱&演技をしているかのようなのです。それが山下さんの”超”気合の入った指揮とあいまって、実に緊張感と完成度の高い公演を実現せしめているのです。

 そんなキャストの中、誰が素晴らしいと言うて、まずは他の誰よりも、ドンナ・アンナの老田さんを挙げたいです。今回がオペラには初めての出演ということだったらしいのですが、ところがどっこい、どうして、どうして。とても初めてとは思えないくらい、実に堂々とした立派な歌唱&演技をこなしているのです。1幕冒頭で父親を殺され、その復讐に燃えるドンナ・アンナですが、その復讐を誓うアリアや、その後、ドン・ジョヴァンニが犯人だと知り、怒りに震えながら歌うアリアなど、哀しみや怒り、憤りなどあらゆる感情がその響きににじみ出ていて、実に素場らしいです。個人的には、彼女の歌唱は、昨年の「天地創造」でも聴いたのですが、初めて聴いたその時の印象は、実にやわらかく深い響きで歌う人だな、というもの。今回はその印象をさらに強いものとしてくれます。格段と成長していらっしゃる、はっきりと感じとることができます。凛とした響きの中に、とてもうまい具合に感情移入がされていて、ほんと、深い感銘を与えてくれる歌唱でした。(密かには彼女の歌を聴くのがそもそも、今回出向いて行った目的でもあるだけに)彼女のこの歌唱だけでも、来た甲斐があったというものです。

 老田さんがとても素敵だったので、他の出演者がかすんでしまっていたと言うてもいいのですが、それでは終わってしまうので。(^^; ドンナ・エルヴィラを演じていた小西潤子さんですが、彼女も、何年か前にこのオペラハウスで、「さまよえるオランダ人」で歌っていたのを見たことがあるのです。その時の印象からすると、やはり、ぐんと大きくなられたという感じがします。そのすっとしたクリアな響きは、なかなか素敵なものでした。2幕でドン・ジョヴァンニに寄り添っていこうというアリアなど、上品な色気のようなものも出ていて、とてもいい感じでした。もうすっかりベテランの域に入ってこられましたね。これもまた、実に嬉しいことです。女声では、もう1人、ツェルリーナの武内さんもまた、よかったですね。その愛らしい、優しい響きの声は、まさに男性を魅了します。こんな声で、「ぶってよマゼット」などのアリアを歌われたら、どんな男だって、彼女のことを好きになってしまうだろう、ってなもんです。いやぁ、可愛らしいものです。

 …女声のことばかり書いてますが、もちろん、男声陣も充実していました。オッターヴィオの小餅谷さんもまだ若手に入るのかしら、あくまでも誠実な男、という雰囲気たっぷりで、朗々としてドンナ・アンナへの思いを歌うのは、なかなか素敵でした。そして、ドン・ジョヴァンニとレポレッロのベテランのお2人。さすが、余裕すら感じさせるようで、なかなか堂に入った演技&歌唱です。藤村さんの声も、朗々としてハリのある響きで、あくまでも自分の生きざまを変えようとはしない、極めて自由な人間であるドン・ジョヴァンニの性格をうまく表現しているかのようです。そして、それは、ドン・ジョヴァンニを単なる放蕩者ではなく、1つの明確な思想〜それは、誰からも支配されずに自分の思うように生きようという極めて自由なものだと思う〜を持った、芯のある人間としても、うまく表現しているようにも思えます。…なかなか奥の深いことを、改めて知らされる思いがします。

 さて、そんなキャスト達とは対照的に、合唱で出てくるワキの人達は、全員、何故かマスク、というか仮面をつけています。顔が分からない状態なのです。これは一体?と思っていると、どうやら、「ソリスト達の存在を際だたせ」るための演出らしいです。確かに、こうすると他の顔が見えなくなりますから、ソリスト達が作り出す人間関係というものがよりくっきりとにじみ出てくるようですね。なかなかお洒落な演出です。そして、もう1つ、お洒落なのは、この時代設定です。モーツァルトの時代とは離れて、登場人物達は、皆、現代風ないでたちをしています。それはぱっと見た瞬間、私は何故かアメリカの大都会の世界を連想してしまったのですが、何と言うのでしょう、とてもシックで、先にも書いたように、黒を基調としていて、何か現代の大都会、例えばシカゴとかニューヨークとか、そのような感じが舞台からするのです。ドン・ジョヴァンニが悪事をする時に取り出すのも、剣ではなくて、短銃なのもミソです。ここって、そう、やっぱり、現代なのですね、この演出では。そのことが、この舞台を、変に野暮ったくなく、とっても上品に仕上げていたように思います。

 そして、何と言っても見逃すことができないのが、山下さんの指揮。それはもう、ごっつい気合の入ったもので、髪を振り乱しながら棒を振っているという風であります。でも、だからと言うて、決して乱暴な風にはならず、極めてよく計算された演奏をし立てているのですね。要所要所で各楽器をよく歌わせていて、そして舞台上の各ソリストをたっぷりと歌わせる、見事に音楽が一体となり、非常に”歌”心のある演奏になっていたと思います。さすがなものです。

 素晴らしい演出と、充実したキャストで、見応え、聴き応えたっぷりの実に素晴らしいオペラだったのでした。