らいぶらりぃ
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NECマイタウンコンサート in 神戸

●日 時2001年9月7日(金)19時開演
●会 場神戸国際会館こくさいホール
●出 演延原武春指揮テレマン室内管弦楽団&合唱団
ソプラノ:六車智香
アルト:渡邊由美子
テノール:畑儀文
バリトン:林康宏
●曲 目ベートーヴェン/交響曲第9版ニ短調Op.125「合唱付)

 NECさんが主催の「マイタウンコンサート」は、毎年、全国いくつかの都市で行われているもので、無料招待の公演です。いわゆる企業のメセナ活動の一環というわけで、こういう催しがあるというのは、ほんと嬉しい限りです。そして、今回の神戸での公演は、テレマン協会の「百人の第九」のシリーズ。毎年、シンフォニーホールでも行われている「百人の第九」が初めて、神戸へやってきたというわけです。私もテレマン協会の「第九」は聴いたことがなかったので、行ってきました。

 さて、今回の「第九」は、最近流行りの(?)ベーレンライター版によるものです。ベーレンライター版というと、この6月にフェスティバルホールで聴いた、大阪シンフォニカー交響楽団の「第九」もそうだったのでしょうが(どの版を使っているのかの説明がなかったので未確認なのですが)、とにかく速いテンポで、あまり味わい深さがない、とい印象しかないんです。だから、聴く前はう〜ん、と思っていたのです。が、いざ、始まってみると、結構、いい感じに聴こえるのですね、これが。確かに今まで聴いていたものと違って、1楽章も異様なくらいに速いし、2楽章はむしろ逆に、トリオの部分でゆっくりになり、3楽章も淡々と進んでいく、ということは違いないのです。でも、それがとっても上品に聴こえるんですね。これは何だろう…と思うのですが、これこそが、「百人の第九」の魅力なのでしょう。即ち、小編成であるからこそ、こういう速いテンポであっても、楽器がちゃんとついてくることができて、非常に小回りの効く演奏ができるのだ、と。確かに、以前のシンフォニカーの時は、何か引きずり回しているような重たさを感じたのですが、今回はそれがないんです。とっても小気味よくテンポを刻みながら、優雅な感じに演奏が進んでいくので、聴いていて、ほぉ、と感心してしまいます。これが、ベーレンライター版本来の演奏というものなのでしょう。つまり、ベーレンライター版を演奏する時は、小編成の方がいい、ということでしょうか。考えてみれば、ベートーヴェンが書いたものになるだけ近付けようとして出版されたのが、ベーレンライター版であるのですから、その内容も、ベートーヴェンの当時のものに近いものでないといけないはず、つまり、当時の編成で演奏するのに適した形になっているというのは、当然のことでもありましょう。そういう意味では、テレマン協会の「百人の第九」は、まさに見事に的を得た演奏形態だと言えるでしょう。(ということは、シンフォニカーや関西フィルなど、ベーレンライター版で演奏をしているところは、必要に応じて弦のパートのプルト数を減らすなど、編成を変えないと、その魅力を発揮できない、ということにもなりましょう。要注意、ですね。)私も、今まで、ベーレンライター版というものに対して、あまりいい感じを持ってなかったのですが、今回、初めて、いいなと思いました。同じ版を使っていても演奏によっても、随分と感じが変わるものです。

 演奏自体の方は、なかなかの出来で、声楽陣にしてみても、安定した演奏を聴かせてくれました。六車さんの声がやたらと目立っていたような気はしましたが、なかなか力が入っていたようですね。合唱の方もパートのバランスもよくとれていて、なかなかよかったです。

 演奏が終わった後、延原さんがマイクを手に、一言、挨拶がありました。相変わらずの口調でしたが、「どうしても、これを言え、と言われていますので、」と言うて、「この演奏会は『神戸21世紀・復興記念事業』の一環として行われています。」…何か、またかい、という気がしますね。神戸でテレマン協会が「第九」を演奏する、それでいいじゃないかと思うのですが、どうして、いちいちこういう行政主催のイベントの中にその名前だけ取り込もうとするんでしょうね。ただ単に名前を出しているだけで、実際、そういう事業として補助とかもらっているとでも言うのでしょうか。意味のないことをして、また、そのことをいちいち延原さんに言わせようという、ちょっとむっとしてしまったのでした。更に、それに続けて、「主催のNECさんに音楽の分かった人がいらして、その人が言うには、百人だけで第九を歌ってはダメなんですって。会場全体で歌わないといけないんですって。」と言うて、会場の人達と一緒にこの4楽章の「歓喜の歌」を歌おうというのです。まぁ、そういうことはよく他でもあることだし、と思っていると、何と、バリトンソロが出てくるところから始まって、ずっと最後までぶっ通しで演奏するじゃないですか。会場の人達、少なくとも私の席の周りの人達は、「?」という感じでしたね。まぁ、会場の中には、延原さんの知った合唱のメンバーの人が所々に配置されてはいたようですが、結局、歌っているのは、そういう人達だけ。あとの人は、歌詞を見ながら聴いているだけ。そりゃそうでしょう。私もそうですが、歌ったことのある人ならば、歌えと言われて、自分のパートを歌うこともできます。が、でも、普通一般の人にしてみたら、それはとんでもない、酷なことでしょう。歌詞だって、ドイツ語なんだし、読めるわけがない、それをいきなり歌え、それも全部だなんて、最後の方は歌詞カードで見たら、歌う歌詞はとんでいるでしょう、分かるはずがない。歌うにしても、せめて、テノールソロの後の大合唱の部分だけでしょう。それを、全部通すというのは、どういうことなんでしょう? 「音楽の分かった人がいらして…」という延原さんの言葉が、或いは皮肉のようにも聞こえて、こんなことをやらせるなんて、何と音楽の分からないやつなんだ、というふうに取ってしまうのは、私だけでしょうか…? 結局、4楽章ほとんどをもう1度演奏したことになり、これって、何か意味のあることなの?と言いたくもなります。こんなことをするんなら、無難にモーツァルトの「アヴェ・ヴェルム・コルプス」あたりでもアンコールで演奏して終わらせたっていいんじゃないか、と思います。4楽章ほとんど丸ごと演奏した約20分、全くの無駄な時間だったと私は思います。

 演奏自体がとっても素敵な感じだったのに、どうも、主催側の意図がよく分からない、むしろ腹立たしくも思える、ちょっと残念な演奏会でした。