らいぶらりぃ
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藤村匡人&長谷智子 リートデュオ・リサイタル

●日 時2002年1月25日(金)19時開演
●会 場東灘区民センター・うはらホール
●出 演バリトン:藤村匡人
ピアノ:長谷智子
●曲 目シューベルト/歌曲集「冬の旅」Op.89 D.911

 久しぶりに「冬の旅」全曲を聴いてきました。藤村さんは昨年夏のカレッジオペラハウスの「ドン・ジョヴァンニ」にも出演されるなど、最近、目覚ましく活躍していらっしゃる方ですね。その実力も確かなもので、なかなか素敵な演奏でした。

 藤村さんの声って、どちらかというと、むっちゃバリトンの太く朗々とした感じというよりは、とても明朗な響きをしている、という感じですね。その明朗さは、どこか軽い印象をも与えますが、それが、この曲全体がとかく暗く沈みがちなのに対して、一抹の光明を与えているかのようなのです。死へと向かって歩んでいくかのような印象もする曲なだけに、歌う人には、そういう暗く重々しい雰囲気を表現することが、或いは要求されるのかもしれません。しかし、藤村さんの演奏は、どういうどこまでも暗く突き進んでいくというようなものでは決してなく、どこかに希望の光が差してくるかのような、淡い期待感というものを思わせるものがあります。それが、この曲全体をやんわりと包み込んでいて、悲劇性(と言うてよいのでしょうか…?)を和らげているようにも思えるのです。そういう意味では、とても心温まる演奏であったと言えるでしょう。

 それに、表情の変化が巧みでいらっしゃいますね。それも、瞬時にぱっと切り替わるような。沈んだ気持ちでいるかと思うと、次の瞬間には、ぱっと明るい気持ちに転じたり、或いはその逆など、ころころと移ろいゆく青年の心情というものを見事に表現しています。例えば、11番の「春の夢」。曲調が割ところころと変わりますが、その「夢−目覚め−想い」という流れを、はっきりと表現し分けていて、しかもその流れが極めて自然なのですね。変に作ったりしていないのが、流れていく心の動きを自然に描き出しています。この辺の妙技は、オペラにも多く出演してはる体験が活きているのかもしれませんね。

 その一方で、前半の最後、12番の「孤独」では、ほんまにぽつんと1人ぼっちになってしまう哀しさというものが、切々と歌い上げられていきます。この哀しさの表現がたまらないですね。どんどん消えていってしまうような感じで、こちらも涙なしでは聴けない思いがします。また、後半は、その哀しみがさらにぐんと深まっていきます。23番「幻日」、そして終曲「辻音楽師」へと何とも言えない、切なさ、哀しさ、或いは諦観のようなものがぎゅっと込められており、シューベルトの描く孤独な世界がくっきりと描き出されているのです。どんどんと沈み込んでいく、又は追い込まれていくような感じで最後はふぅっと消え行く、余韻をたっぷりと味わいたいものでした。(が、その余韻の静寂を突き破るように、まだピアニストが手を鍵盤から離していないにも関わらず、ブラボー!と叫んだ奴がいる、ちょっと許せない…)

 ところで、長谷さんのピアノもまた、実に素敵なものでした。冒頭「おやすみ」の出だしでは、これからの悲劇を暗示するかのような暗く思い感じで弾く、というのではなく、とても上品な感じで、そういう悲劇性を前面には出してこないで淡々と弾いているのです。その上品さを保ちながら、しかし、曲が進むに連れて段々と盛り上がってくるのです。特に後半、13番「郵便馬車」のラッパの音色から以降は、かなり音を際立たせていて、明暗をはっきりとつけているような印象がします。それは、藤村さんの歌だけでは表現しえないような、心の底に流れる激情を感動的に描き出しているようにも聴こえます。そして、それだけの盛り上がりを見せながらも、決して、歌よりも前面に出てくることはないのですね。歌と対等に渡り合うところは、まさに丁々発止のやりとりという感じで、実に緊迫感に満ちていますし、それ以外では、歌を前面に押し出し、それにふわっと寄り添う、或いは歌にふわっと被いかぶさるようにしているのです。このピアノがあるからこそ、歌の方も生きるのですね。ほんと、感心してしまいます。

 それにしても、こうやって「冬の旅」全曲を通して聴くのも、なかなか疲れるものですね…(^^;