らいぶらりぃ
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ピッツバーグ交響楽団

●日 時2002年2月21日(木)19時開演
●会 場フェスティバルホール
●出 演マリス・ヤンソンス指揮ピッツバーグ交響楽団
ヴァイオリン:五嶋みどり
●曲 目ショスタコーヴィチ/ヴァイオリン協奏曲第1番
マーラー/交響曲第1番二長調「巨人」
(アンコール)
シベリウス/悲しいワルツ
ビゼー/「アルルの女」組曲より ファランドゥール

 ヤンソンス指揮のピッツバーグ響が4年ぶりの来日公演。この4年間の歩みを聴いてほしい、とかいうようなことが、チラシに書かれていたので、なら、4年前の公演も聴いた者として、しっかり聴いてやろうやないか、と思い、行ってきました。

 今回の公演ではソリストは五島みどりさん。彼女の演奏を生で聴くのは実は初めてだったりします。まずは、ショスタコで彼女の演奏を聴きます。…凄い、の一言に尽きますな、簡単に言ってしまうと。何が凄い、それはもう、彼女の演奏にかけるテンションの高さ以外の何ものでもありません。極めて高いテンションを保ちつつ、曲に真っ正面から挑んでいるから、それはもう、聴く者をこれでもかというくらいにぐいぐいと引き込んでいくのです。1楽章はどこか不思議な、神秘的な感じも漂う曲です。彼女のヴァイオリンはここを、ぴぃんと張り詰めた緊張感をもって弾いていくのですが、そこには、何と言うか、色気のようなものがあります。例えば、私の好きな諏訪内晶子さんだったら、クールな冷静さを保ちながら、その内面で情熱を燃やす、という演奏なのですが、みどりさんはそれとは違います。極めてストレートに感情を表に出してきます。この静かな楽章でも、緊張感の中に何かしらの思いがしっかりと込められているのです。そして、それをくっきりと前面に押し出してくるのですね。それが、色気のようなもの、として感じられるのです。おぉ、と思っていると、2楽章。極めて攻撃的、アグレッシヴな曲になると、もう、みどりさんのヴァイオリンは止まりません。これでもかこれでもか、とどんどん、前へ前へと攻めていくように、強烈な演奏です。これで感動しないわけがないでしょう。見る見るうちに、会場全体の感動を独占していくかのような、凄みがあります。そして、3楽章。再びゆったりとした感じになりますが、ここのメロディ、とっても美しいものですね。ここも彼女のヴァイオリンは艶っぽさのようなものを保ちながら、情感たっぷりと歌い上げていきます。そして、最後には長いソロが。次第に盛り上げていって、次の楽章になだれ込んでいく場面ですが、ここは実に聴き応えがあります。1人でもう、自在に音楽を操り、完全と自分の音楽を表現しているようです。彼女の思うがままに情感がぐんぐんと高まっていって、はちきれそうなくらいなまでに達した時、終楽章が始まり、一気にラストへと向かって、更に音楽が流れ出します。オーケストラの方もさすがなもので、みどりさんの熱意に食らいついていくかのような気迫をもって、がんがん鳴り響いています。おぉぉっと思っている間に、一気にフィナーレを迎えて、感動も頂点に達するのでした。

 …ほんと、凄い演奏でした。ホール中に鳴り響く拍手の嵐の中、みどりさんも何度も何度も舞台に呼ばれて出てきて、聴衆の感動に応えていました。なるほど、”世界のみどり”さんなわけです。ご出身の地元大阪での演奏であったから、なおさらに気合も入っていらっしゃったのかもしれませんが、ほんと、気合十分、迫力満点の演奏でした。

 後半は、マーラーの1番です。最近はあまり外来のオーケストラの演奏会なんてあまり行かないものですから、この手の曲を生で聴くのはほんと、久しぶりです。でも、その久しぶりであるから余計にそう感じるということを差し引いてみても、ごっつい素晴らしい演奏であったことに違いはありません。ヤンソンスさんの作る「巨人」の世界は、何というか、とてもドラマ性に富んでいるのです。演奏を聴きながら、いろいろとこの音楽の描写している風景とかいうものを想像していたのですが、彼の演奏は、まさにその想像にぴったりと合うもので、私が次はこうだろうと思う、まさにそのままに音楽を再現してくれるのです。だから、とても楽しく聴けました。

 1楽章は寒い冬が明けて、暖かく、生命が活動を始める春がやってくるという風景。最初の弦の高音がぴぃんと鳴る部分を聴いただけでも、もうその緊張感にぞくっときてしまいます。やがて、上手の舞台ソデからラッパの音が。このトランペットの音色がとても奇麗です。以後、要所要所にラッパの音が出てきますが、それら全てが、とっても豊かな響きをしていて、曲を盛り立てているのが印象的です。全体にもどこかやんわりとした響きで、クライマックスでも、がなり立てるという感じではなくて、まさに春の到来を心から喜んでいるというような明るさに包まれているのです。この楽章を聴いただけで、なにかハッピーな感じになったのは私だけではないでしょう。2楽章は、数多くの生命が春の日差しの中で躍動しているというような風景。低弦の伴奏に乗って、ヴァイオリンがオクターブ進行でその躍動感を表わしていきます。この部分、普通は16分音符+付点8分音符というリズムをつけて弾くと思うのですが、ヤンソンスさんは違います。あえてここを8分+8分にしているのですね。そのことにより、拍の頭により強調されたアクセントがつくことになり、むしろこちらの方が躍動感を表わすのにふさわしいような、そんな印象を与えています。木管もそれぞれのパートを実に優しい音色で奏でていき、それはちょうど、いろいろな鳥たちがさえずるような感じです。3楽章は、それまでの明るさとは裏腹に、寂し気な行進曲。でも、印象的なのは、このマーチの部分ではなくて、中間の部分。テンポがえ?こんなに速くなるの?と驚くくらいにアップテンポになるのですね。そして、そこへ、トランペットが寂し気な感じで、悪く言うと、酔っぱらった青年が自棄になって演歌でも歌ってるような、そんな雰囲気で旋律を歌うのです。こんなふうに演奏するなんて、初めて聴いたのですが、これがかえって、この曲の寂しさというものを更に引き立てているようにも思うのです。そして、「さすらう若人の歌」にも通じる、青年の心の動きというものをよりリアルに表現しているようにも思うのです。こういう音楽の作り方は、まさにヤンソンスさんならではのものなのでしょう。寂しさのままに3楽章が終わり、間髪入れずに終楽章へ。この最初の部分はもうすごい迫力です。悲劇かこれから始まるような、強烈なインパクトのある雄叫びのような感じです。管楽器の響きがとってもすごいんですね。実にクリアでダイレクトに耳にがんがんと響いてくるのです。そして、その雄叫びがおさまると、曲はやがて明るい曲調になっていきます。この部分もまた素敵です。1楽章で聴かせてくれたような明るく、幸せな気分へと誘うような雰囲気を持っていて、それまでの嵐を乗り越えてここまでやってきたという到達感が感じられます。そして、曲は悲劇的な性格の部分と、明るい性格の部分とが交錯しながら(この辺りの表情の変化もまた見事なものです)、最後はこれ以上ないくらいの充足感を持って堂々と終わるのでした。いやぁ、実に聴き応えのある演奏でした。

 演奏を聴いて思ったのは、4年前の公演の時よりもさらにダイナミックで素敵な演奏をしていたのではないか、ということ。確実にヤンソンスさんの指揮のもと、ピッツバーグ響も更にグレードアップしてきたということをはっきりと感じ取ることができました。聴きに来て本当によかったと、私も満足できました。

 アンコールはシベリウスの「悲しいワルツ」。プログラムの中ではあまりはっきりと感じ取れなかった弦楽器の重厚で美しい響きというものを、たっぷりと味わうことができました。ちょっとしんみりとした後は、最後に「ファランドゥール」で最高潮に盛り上がって幕となったのでした。実に素晴らしい演奏会でした。そして、また次の来日時にも聴きに来たいとも思うのでした。