らいぶらりぃ
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日本シューベルト協会第109回演奏会

北欧の作曲家たちをめぐって

●日 時2002年3月12日(火)18時30分開演
●会 場いずみホール
●出 演ソプラノ:野村恵子/榎水枝/松下悦子
メゾ・ソプラノ:香川周子
テノール:宮本佳計
バリトン:川下登/田中純/小玉晃
●曲 目シベリウス/口づけの望みOp.13-2
      春はいそぎゆくOp.13-4
      夢Op.13-5
      狩りをする少年Op.13-7
      私はもう尋ねないOp.17-1
      道に迷ってOp.17-4
      夕べにOp.17-6
      川面の木屑Op.17-7
      黒い薔薇Op.36-1
      葦よそよげOp.36-4
      三月の雪の上のダイヤモンドOp.36-6
      私は一本の木Op.57-5
      逢引から帰った乙女Op.37-5
      来たれ、死よ!Op.60-1
      ハイサ、ホプサ、雨に風にOp.60-2
キルピネン/死によせる歌Op.62
       小鳥の憂鬱/崩れさりし墓地にて/死神と孤独な酔っ払い
       冬の夜/種蒔く人/永遠の保証
      鐘Op.30
      星の瞳
      メロディー
      天使
      あなたと私
      アダージョOp.31
      夏の夕べ
      銀河の下で
      最後の星
      心
グリーグ/白鳥Op.25-1
     モンテ・ピンチョOp.39-5
     はじめての桜草Op.26-4
     君を愛すOp.5-2
     挨拶Op.48-1
     薔薇の季節にOp.48-5
     夢Op.48-6
     ソルヴェイグの歌Op.23

 ”北欧の作曲家たちをめぐって”というタイトルを見た時、お、これは行かなければ、と思い立ち、急遽、予定に入れて行ってきました。内容はシベリウスにキルピネン、グリーグという、北欧の代表的な歌曲作曲家の作品を、協会所属の声楽家の皆さん、8人が交代で歌っていくというものです。長いようであっという間の演奏会でした。

 この3人の作曲家の中で一番、興味深かったのはキルピネンです。フィンランドの歌曲専門の作曲家ですが、私も生で聴くのは初めてでした。その作風は、どこか淡々としたドイツリート的な雰囲気も持ち合せているような気もします。最初の「死によせる歌」は名前のとおり、”死”というものをテーマにした曲。これがまた実に強烈なインパクトをもって響いてくるのです。田中さんの歌唱が熱の入ったものであったということもあるのですが、その異様なまでの世界には、ほんと感嘆してしまいます。特に3曲目は一人芝居といったふうで、死神と酔っぱらいのやりとりを一人で演じていくのです。田中さんの表情がとてもいい味を出しているからというのもあるのですが、これはほんと、楽しく(決して、笑えるような内容ではないのですが)聴けました。そして、ふと、どこかマーラーの「大地の歌」に似ている?と思ってしまいます。”死”に対する考え方自体は、違うのかもしれませんが、その表現の仕方がどこか似ているのでは、そんな気がするのです。後半では香川さんの歌唱でその他の小品をいくつか。これらもまた、いかにもフィンランドっぽい雰囲気を持った曲ですね。その美しいメロディラインは、やはりキルピネンならではなのでしょう。

 シベリウスの作品もまた、同様に美しいものばかりですね。もちろん、世代的にはシベリウスの方が先輩であるのですが、交響曲ばかりでなく、歌曲作曲家としても一代を築き上げたシベリウスの後を継いだのが、キルピネンである、となると、この系譜に従って一連の曲を聴くことができたのは、ほんと、いい経験でした。ただ、ひとつ、残念だったのは、これらの曲が言語ではなくて、全てドイツ語で歌われていたことです。やはり、原語で聴きたいものですよね。シベリウスの作品には、まだドイツ語で書かれたものが多いから、いいのでしょうが、でも、やはりフィンランドの作品は、フィンランド語で聴きたいものです。

 最後はグリーグの曲。こちらはお馴染みのものばかりで、やはり聴きやすいですね。”Ich Liebe Dich”など、美しいものです。それに、松下さんの歌唱がまた良くて、朗々とした風に歌い上げる”6つの歌曲”からの3曲など、十分に聴かせてくれます。そして、それまでのフィンランドの歌曲とは明らかに何かが違う、やはりグリーグはノルウェーの作曲家なのだということがはっきりと分かるのが、面白いですね。何と言うか、シベリウスやキルピネンなどは、どこかシリアスな雰囲気があって、ぴんとした緊張感みたいなものが漂うような感じがするのです。が、グリーグはもっと自由に伸びやかに、まさに叙情的にメロディを歌い上げていくというような感じがするように思うのです。これが、或はお国柄の現われなのかもしれませんね。

 それにしても、今回の演奏会、普段聴けないような曲が聴けたのはいいのですが、しかし、それでもやはり原語で歌ってほしかったという思いはありますね。プログラムには、「スウェーデン語、ノルウェー語、そしてフィン語、と矢継ぎ早に要求されたら、誰しも歌うのに二の足を踏んでしまいます。しかし、宝の山を前に逡巡していてもしようがない、言葉の問題はエーイとかっ飛ばして、今回は全部ドイツ語で歌うことにして」、というように書かれていますが、これって、読みようによっては、プロとして勉強すべきことを放棄しているのではないか、ともとれてしまうと思うのです。言葉の問題がどうこうと言うておきながら、そのくせ、イタリア語やドイツ語、英語などのオペラ・アリアや歌曲なんかは平気で続けて歌えるというのは(実際、そういうプログラムの演奏会だってあるでしょう)、おかしいのではないでしょうか。作曲家自身がドイツ語の歌詞に曲をつけたものならばともかく、原語の歌詞に曲をつけたものは、やはり原語で歌わないとその曲の魅力が損なわれてしまうでしょう。ちょっと考えていただきたいものです。

 また、もう1つ、気になったのは、奏者達の表情が今ひとつ冴えないようにであったこと。良かったと思うのは、川下さんや田中さん、松下さんくらいで、あとの方は何か、表情乏しく、或はつまらなそうに歌っているようなのが、妙に気になりました。こういう演奏会って、ひょっとして、研究発表みたいな感じなのでしょうか。そういう学術的な意味合いもあるのかもしれませんが、それでも、もうちょっと顔の表情も豊かに、ゆとりをもって演奏していただけたら、もっと素敵な演奏会になったのに、と思ってしまいます。笑顔の少ないのが、気になった演奏会なのでした。