らいぶらりぃ | |||||
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●日 時 | 2002年5月25日(土)19時開演 |
●会 場 | 神戸文化ホール・中ホール |
●出 演 | ヴァイオリン:久保田巧 |
ピアノ:ヴァディム・サハロフ | |
●曲 目 | ベートーヴェン/ヴァイオリン・ソナタ第1番ニ長調Op.12-1 |
プロコフィエフ/ヴァイオリン・ソナタ第2番 | |
ペルト:フラトレス | |
ベートーヴェン/ヴァイオリン・ソナタ第10番ト長調Op.96 | |
(アンコール) | |
クライスラー/愛の悲しみ | |
美しきロスマリン |
4回目を迎えた久保田さんとサハロフさんのベートーヴェン・チクルス。今回も間にプロコやぺルトの曲を挟んでのプログラムで私達を魅了してくれました。そのプロコの2番ソナタですが、実に素敵な曲ですね。前に、このシリーズの2回目でもプロコの1番を演奏されていましたが、それとはまた違う魅力に満ちています。そう、プロコフィエフの魅力をたっぷりと投影した旋律があちこちにちりばめられているのですね。とても美しい曲です。この魅力を久保田さんらの演奏は更に引き立てていきます。1楽章のどこか哀愁を帯びた美しい主題は、何回も現われますが、出てくる度に表情を変えていき、けど切ないような思いがそれぞれに込められているようで、しみじみした気分にさせられます。2楽章は打って変わって狂おしいまでに激しく盛り上がる曲。サハロフさんのピアノががんがんと鳴り響き、それにどんどんと追い込まれていくかのような緊張感たっぷりに盛り上がる久保田さんのヴァイオリン、聴く側もぐいぐいと引きつけられていきます。その興奮が頂点に達したところで、3楽章で再び静けさを取り戻します。切々と訴えかけてくるような久保田さんのヴァイオリンは、まるではらはらと涙を流すかのような寂寥感に満ちているようで、何とも美しいものです。そして最後の4楽章、様々な思いが交錯するかのように起伏に富んだ楽章ですね。ここでもサハロフさんのピアノが、特に左手の低音がごっつい鳴り響いて(それは、まるで山下洋輔さん流のげんこつ奏法(?)で鍵盤を叩いているのでは、というくらいなもの)、たまらずヴァイオリンも力強い線で響き渡るという感じです。おぉっと思っている間に一気に曲は盛り上がり、クライマックスを迎えるのでした。この息を飲むような掛け合いは、さすが、このコンビならではのものですねぇ。凄いものでした。
また、ぺルトの曲はちょっと不思議な雰囲気の曲ですね。何か、空気の流れがこういうサウンドを奏でているのだ、というような感じです。ヴァイオリンが最初、無伴奏で1つのフレーズを繰り返し、弱音から次第に盛り上がってきたところで、ピアノががぁん!と入ってきて、ピアノとヴァイオリンと両方が双方互いに関わり合いながら、しかしどこか離れているような、何か不思議な関係で音が流れていきます。その得も言われぬ音空間は次第に消え入るようにして閉じていきます。…何かとっても神秘的な体験をしたとすら思えるような、不思議な音楽でありました。
さて、本題のベートーヴェンであります。今回は1番と10番という、彼のヴァイオリン・ソナタの最初の作品と最後の作品という取り合せなのですね。ベートーヴェンの音楽の出発点と到達点とを同時に味わえるという、またとない機会でした。まずは1番です。若い頃の作品らしく、とても覇気に満ちた曲ですね。1楽章ではユニゾンの持つ力強さというのがくっきりと出ていたように思います。2楽章はこれまた美しいメロディーが変奏されていく曲。久保田さんのヴァイオリンの艶やかな音色が冴え渡っていたように思います。そして3楽章は何か懐かしいような雰囲気の中に明るさを満たして歌い上げていく曲。ころころとした感じで軽やかな演奏は、まるで青春を謳歌しているかのような感じにも聴こえます。このシリーズの初回でも2番を演奏していましたが、それと同様、古風な形式に従いながら、その中にベートーヴェンらしさを出していこうとしているのが伺えるような曲ですね。
一方、10番の方はと言うと、これもまた美しい曲ですね。あの「クロイツェル」の次に書いた曲(と言うてもその間には10年の歳月があったようですが)とはどんなものかと思いきや、意外にも(?)極めてシンプルな感じで、美しさに満ちた曲なのです。明るく、喜びに満ちた曲、とも言えるでしょうか。特に2楽章など、その美しさは至高のものとも言えるでしょう。まるで「第九」の3楽章へと続くような、天上の音楽的な響きがあるようにすら聴こえます。どんどんと高みへと登っていくかのような演奏に酔いしれた一時でありました。この10番、演奏後に久保田さんは、「人生を生き抜いてきて、最後に到達したところで、本当に人生の良かったところだけをぎゅっと凝縮したような感じの曲」というように仰っていましたが、まさにそんな感じだと思います。「クロイツェル」のようなバトル(?)を乗り越えてきてこそ到達しうる、至福の境地みたいなものがあるように感じられます。久保田さんのヴァイオリンもそうしたことを意識してか、1つ1つの音をとても丁寧に扱いながら、そういうこの曲の性格をくっきりと表現しようとしているのがよく分かりました。
しかし、彼女の演奏には、もう1つ、別の意味もあったようなのです。それは、ちょうど1週間前に、久保田さんがウィーンで師事をしたシュナイダーハンさんが亡くなられて、悲しみの中に師のことを思い出しながら、師も得意であったこの曲を弾いていたというのです。うっすらと涙を浮かべるような表情で弾いている彼女が、師に対する追悼の想いを込めて演奏している、いや、或いはひょっとしたらシュナイダーハンさんが天から降りてきて、彼女のヴァイオリンを借りて、自分の人生を振り返りながら、その想いを歌い上げているのでは、そんなふうにも感じ取ることもできます。まさに魂のこもった演奏でした。
アンコールもシュナイダーハンさんのお得意であったというクライスラーの曲。その魂のこもった演奏に感心すると同時に、私もここに改めて追悼の意を表したいと思います。