らいぶらりぃ
PrevNextto the Index

サマー・オペラ 新モーツァルト・シリーズIV/魔笛

●日 時2002年7月14日(日)14時開演
●会 場ザ・カレッジ・オペラハウス
●演 目モーツァルト/歌劇「魔笛」
●出 演ザラストロ:松下雅人
タミーノ:波多野均
弁者:松岡剛宏
パミーナ:老田裕子
夜の女王:尾崎比佐子
第1の侍女:小西潤子
第2の侍女:名島嘉津栄
第3の侍女:片桐仁美
第1の童子:太田智子
第2の童子:草野浩子
第3の童子:吉永裕恵
パパゲーナ:小倉篤子
パパゲーノ:晴雅彦
モノスタトス:八百川敏幸
第1の武士&僧侶:安川忠之
第2の武士&僧侶:津國直樹
山下一史指揮オペラハウス管弦楽団&合唱団
演出:中村敬一

 4年間続いた、新モーツァルト・シリーズも今年で最終回なのだそうです。素晴らしい演出や演奏で毎年私達を魅了してきた、このシリーズですが、最後は「魔笛」です。この大作を、今回はどう見せてくれるか、楽しみで行ってきました。

 さて、今回も演出は中村さんです。どんな舞台なんだろう、と思っていると、今回の舞台はちょっと変わっているようにも見えます。と言うのも、舞台上がそのまま、古びた劇場のようなつくりになっているからです。昔は繁盛していたのであろうその劇場も今や見るも無残な廃墟と化してしまっている、そんな中で、「魔笛」の物語が展開していくのです。何だ、そんなの別に変じゃないやん、と言う人もいるかもしれませんが、でも、ですよ。闇を支配する夜の女王のシーンでは、そういう廃墟であっても別に不思議はないかもしれません。でも、ザラストロの支配する光の世界でも、その廃墟の舞台セットはそのままなのですよ。普通に考えたら、何かおかしいと気付くでしょう。よくある演出ではここでさっと舞台セットを明るい、まさに神々しく光る輝くような雰囲気いっぱいにすることでしょう。それなのに、廃墟の中で、確かにひなびた感じの光はたくさん出てくるのですが、輝かしい栄光というイメージとはちょっと違うような感じがするのです。天上から吊り下げられているシャンデリアもちょっと傾いていて、え?と思ってしまいます。実はこれこそが、中村さんの言いたいことなのではないかと思うのです。舞台を古びた劇場にしたのは、即ち、この劇場がモーツァルトの当時の建物であり、200年以上の時を刻んでいく中、劇場自体は廃れてしまった、しかし、その外の世界では、市民革命が起こり、やがて産業革命を経て、帝国主義の時代になり、2度もの戦争が起こり、今度は東西の対立、冷戦が終わった後も民族間の紛争や国際テロ組織との対立など、様々な対立が起きており、混沌とした状況であることは何ら変わることはない、モーツァルトの当時にこの劇場でも上演されたであろう、この光の世界と闇の世界との対立、そして最後は光の世界が全てを支配するようなるという、いかにもハッピーエンド的な物語というのは、実は虚構であるにすぎず、現実世界を見てみると、決してそんなことはない、劇場の外を吹く風は昔も今も変わらずに混沌としたものである、また、光=正義が勝利したかに見えた繁栄も長くは続かず、すぐに廃れてしまった、それが人間の歴史というものである、というようなことを言いたいがためなのではないでしょうか。この人間の歴史を表わしているということは、後半の、タミーノとパミーナが2人で試練に立ち向かうシーン、火の中や水の中での試練を受けるわけですが、その際、背面のスクリーンに投影されていた火の燃えさかるシーンの中に、何やら戦争のような風景が見え隠れし、一瞬ではありますがくっきりとナチスの印が映ったということでも明らかです。つまり、この劇場の中でこの物語が何度も繰り返されている間に、外の世界ではそれだけの人間の歴史が刻まれてきた、ということなのでしょう。そして、この「魔笛」というお話は所詮、お伽話でしょう。人間が光の世界をと理想を求め続けているのは、昔も今も一緒、でも現実はそうではない、だったら現実世界の中で、このお伽話を語ってみたらどうだろう、お伽話をあたかも現実であるかのように語るのではなく、お伽話はあくまでもお伽話、いつの時代になっても人間の求めるお伽話=理想というものは一緒であり、普遍的なものなのだから、現代世界の中でこれを語ってみる、そんな意図が見え隠れするように思うのです。皮肉と言えば皮肉とも取れるかもしれません。最後にザラストロの光の世界が闇の世界に打ち勝っても、いずれは滅びる、彼ら自身がそういう道を歩んでいるのだ、ということなのですから。でも、そこで皮肉に終わらせてしまってはいけません。ここに強烈なまでのメッセージが込められているように思うのです。試練に打ち勝って光あふれる世界へ、その光あふれる世界というのは一体、どこにあるのでしょう? 混沌とした現代を生きる私達も一体、どこへ向かっていこうとしているのでしょう? この試練を乗り越えた時、そこには一体、何があるのでしょう? こういうことを私達に問い掛けているような、そんな気がしてならないのです。だからこそ、感動のエンディングで、舞台の奥から客席の方へ向けて強力な白い光が発せられ、その光の中へ、手を取りあったタミーノとパミーナ、そしてザラストロ以下の皆さんが消えていくシーンは、とっても印象深いものでした。白い光の中へ消えていく彼らを見て、まるで天国に召喚されていくかのようにも見えたのですが、それではあまりにも短絡的でしょう。死んで天国に行くのではなく、現実社会を生き抜きながら、その光を求めることが私達に求められているのでしょう。そんなことを考えながら見ていると、単に面白いお伽話というだけでは済まされないような気がするのでした。

 でも、確かに面白かったのも事実です。特にパパゲーノの晴さん、面白すぎます。客席に向かって、滑稽さを非常に鮮明なまでにアピールしてきて、会場の笑いを誘っています。必要以上に両腕をばたばたとはばたいてみせたり、思いっきり転げてみたり、それはもう、単なる道化の域を越えてるような感じもします。鳥以上人間未満という、このパパゲーノという存在を強くアピールさせる、これも或は演出の一つなのかもしれません。演出の中村さんは、この存在を、或は平民以上貴族未満かもしれない、と仰っているようですが、なるほど、確かに市民革命以後の歴史は、いわゆるブルジョア階級が台頭してきて、やがてはオール・ブルジョアというような今の状況へと推移してきたわけです。彼らはタミーノやパミーナのように厳しい試練に打ち勝ってきたというでもないのに、一緒に救われて光の世界へ歩んできた、しかし試練を真剣に経ていないだけに、その行く末は… ひょっとして、これがまた人間の歴史というものなのでは、ということを言わんとしているのではないでしょうか。人間の歩みがそういうものであるから、結局は一時の繁栄や栄光もすぐに廃れ、次の対立を生み出し、未だ光あふれる世界を見ることができないでいる… 難しく考えすぎなのかもしれませんが、そう考えると、笑ってばかりもいられないような気にもなってしまいます。考え出すと、奥の深いものですねぇ。

 もう1つ、面白かったことと言えば、舞台の下手寄りのところに、オケピットの方へ向かってすべり台が設置されているのが印象的です。パパゲーノが試練の館で挫折するところで、このすべり台でしゅぅ〜っと下へ落ちて行くんですね。お尻が痛くないのかと余計なことを考えてしまいますが、なかなか面白いものです。最後の方で、モノスタトスが夜の女王達と雷にやられてしまうシーンでも、モノスタトスだけ、このすべり台で下へ落ちていってました。さすがに女声陣にはこういうことは無理なんでしょうけどね。こういう滑稽さをさりげなく出しながら、結構シリアスなことまでをも考えさせようという演出は、なかなか憎いものでもあります。

 さて、難しいことはこれくらいにしておいて、その他の印象に残ったことをいくつかあげてみましょう。何と言うても一番は、パミーナの老田さん。昨年の「ドン・ジョヴァンニ」でのドンナ・アンナの役も見事に務め上げていた彼女が、今回もまた実に堂々とした歌唱を聴かせてくれます。他の誰よりも一番、声がすぅっと会場中いっぱいに響き渡っていたような気がします。しかも、声量があるだけじゃなくて、歌い回し、表現力もさすがなものです。タミーノ或はパパゲーノとの二重唱なんかでも彼ら以上に彼女の声の方が勝っていて、ほれぼれとしてしまいます。若手、新人といった域を越えて、もはやベテランと言うてもいいほど、周りの中堅どころとがっちりと渡り合っていました。昨年のドンナ・アンナといい、今回のパミーナといい、どこか上品なお嬢様といったふうの役は、ほんと彼女のイメージにもぴったりでいいですね。今後がますます楽しみになってきます。

 その他の皆さんも、素晴らしい出来で、タミーノの波多野さんも素直な感じの伸びやかな声が素敵ですね。また、ザラストロの松下さん、貫禄ありすぎ、ってなくらいに堂々としたものです。まさに叡智あふれる光の国の支配者たるにふさわしいものです。対する夜の女王の尾崎さんもなかなかの熱唱ですね。アリアでの高音部はややきつそうにも聴こえましたが、甲高いまでの声は実によく響いていました。また、その侍女達もまたごっついものです。メンバーの名前を見ただけでも、女王様をやってもいいような方々ばかり。特に片桐さんの大地を這うような低音域での響きは実に太く響いてきて、すごいものです。それに比べると、モノスタトスの八百川さんはやや印象が薄いような。それなりにいやらしい感じはよく出ていたのですが、例の鈴の音でやられるところではややあっさりめな演奏だったのですね。何かあっさりと退場してしまって、ちょっと物足りないような気もします。そういう演出だったのかもしれませんが。

 また、オーケストラの方もとても素晴らしいものです。山下さんの指揮はほんと、歌心たっぷりなもので、とても伸びやかに楽器を歌わせ、そして舞台上の歌手達も歌わせていくのです。特に素敵だと思ったのは、タミーノの笛と一緒に演奏するフルート。実に美しく澄んだ音色なんですね。これこそ魔法の笛という魅力たっぷりの音色が、この舞台をさらに盛り上げていたことも事実でしょう。見事な演奏でした。

 いつものことですが、さすがカレッジ・オペラです。今回も期待に違わぬ、素晴らしい舞台を見せてくれました。オーケストラや歌い手達の演奏と演出とが見事に結びつき、楽しい中に大事なメッセージの詰まった、実に内容の濃い舞台でした。