らいぶらりぃ
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イランの詩と音楽

●日 時2002年7月19日(金)19時開演
●会 場神戸新聞松方ホール
●出 演タール&セタール:ホセイン・アリーザーデ
歌唱:ホマー・ニークナーム
トンバック&ダーイェレ:マジード・ハラジ
●曲 目タールとトンバックによる即興演奏
ダシュティー旋法、バヤーテ・コルド旋法、ナヴァ旋法による
タスニーフを伴った即興歌唱と即興演奏

 イランの音楽なんて、普段、滅多に耳にしないものです。たまたまこの演奏会の情報を目にして、ちょっと面白そうだと思ったので、行ってきました。

 さて、今回のアーティストは、ホセイン・アリーザーデさんです。イランで国立音楽院の院長を務めながら独自の創作&演奏活動を展開していらっしゃるという、まさにイラン音楽の第一人者な方です。そんな一流の彼が弾くのは、タールとセタールという楽器。ギターのような撥弦楽器です。”タール”というのは”弦”という意味。これに”セ”=”3本”という言葉がついた”セタール”はつまりは”三弦”というところでしょうか。今回の演奏では実際には、6本弦のタールと3本弦のセタールを使っているようです。タールの方が弦の数が多いからか、その分、ぶ厚い音がするような印象がします。前半はそのタールと、トンバックという太鼓とによる即興演奏です。アリーザーデさんは”愛についてということがテーマかもしれない”というようなことを仰っしゃっていたようですが、さて、どうでしょう。音楽自体はとても不思議な感じのするものです。タールの音がとても神秘的な感じで、ぽろろん、と奏でられる音はエスニックというだけでは足りない、非常に含蓄のある音色というか、どこか懐かしいような感じもする音色なんですね。即興ということで、極めて自由奔放に音楽を流しているようなふうにも聴こえるのですが、それでも筋書きというようなものは一応はあるのでしょうね。確かに、どこかロマンティックな雰囲気たっぷりな部分や、或は何か落ち込んだような雰囲気の部分など、起伏に富んでいて、実に興味深いものです。自由自在にタールを扱うアリーザーデさんに合せて、トンバックをまるで自分の体の一部であるかのように扱うハラジさんもまたすごいものです。ほんとに息もぴったりで、トンバックが極めて自然な感じでタールの音色にまとわりつくようにして、曲の表情を際立たせていくのです。密度の濃い演奏は約40分くらい続いたでしょうか。やや長いかなという気もするのですが、でも素敵な演奏でした。

 後半は、弦の数の少ないセタールの登場です。歌唱が入るからということなのでしょう、こちらの方はあまり重厚な感じではないですね。コンパクトにタールの響きを再現しているという感じです。曲は同じような感じで、神秘的な雰囲気に満ちていますが、その中にニークナームさんの歌が入ります。歌のテキストは、ペルシャ文学史上名高い詩人、ハーフェズの「悲しみを医者たちに」やターヘルの「狂いし心」などが用いられています。ともに悲恋に苦しむ心を切々と歌ったものらしいですが、歌の方は、とても現代的(?)な感じで歌われていきます。フレーズ単位で、メロディを歌うというよりはむしろ”語る”といった方がいいような感じで、言葉を音楽の中に組み込んでいこうという感じなのですね。時には叫びのようにも聴こえるその歌はとても印象的で、非常に鮮烈に私達の心に響いてきます。何でも、この後半の演奏では、イラン音楽の基本である”旋法”というものに基づいて組み立てているらしいのです。”旋法”とは音楽を作る仕組み、システムというようなもので、1日の時の流れに沿って、いくつかの旋法というものが組み立てられているらしいのです。今回取り上げているダシュティー旋法やバヤーテ・コルド旋法、ナヴァ旋法というものは、1日の中で昼から夜へかけての時間帯の旋法なんだそうです。活動的な昼から、次第に落ち着いて夜の眠りへと向かう時間、確かに聴いていると、曲も次第に落ち着く方へと向かっているかのようにも聴こえます。そういう流れの中で、愛の哀しみというものが切々と歌われていくわけです。哀しみから、最後は夕べの神への祈りへと向かう、ということなのでしょうか。神の救済を求めるかのような感じもして、なかなか味わい深いものだと思います。

 イランというと、どうしても政治的にはマイナスなイメージで見られてしまうのかもしれませんが、でも、ペルシャ文化というものは、かつてのシルクロードの時代からの東西の文化交流の中で独自に開花したもの。これは私達人類にとっても非常に貴重なものであるに違いはないでしょう。私自身もまだまだペルシャ文化についてはほとんと何も知りませんが、このようなペルシャ文化を紹介するような機会が、これからも増えていくといいのに、と願ってやみません。