らいぶらりぃ
PrevNextto the Index

イスラエル・フィルハーモニー管弦楽団

●日 時1997年11月8日(土)19時開演
●会 場シンフォニーホール
●出 演ズービン・メータ指揮イスラエル・フィルハーモニー管弦楽団
●曲 目マーラー/交響曲第9番ニ長調


 シンフォニーホールが完成して間もない1983年に、マーラーの5番を熱演した メータ/イスラエル・フィルのことは、今や語り草となっていますが、それと同じ組 み合わせで、今回は、何と、マーラーの9番です。あくまでも、マーラーにこだわる のですね。(^^;)

 しかし、冒頭からして、ただならぬものを感じたのは私だけではありますまい。あ の、何ともいえない悲しみに満ちたテーマ、弦の大きなうねりはそのまま、私たち聴 く者までをも取り込もうとする大河のごとく、大きな広がりをもって、流れていくの です。いぶし銀のようにしぶく輝く弦の響き、黄昏の輝きのような金管の響き、秋風 のごとく哀愁に満ちた木管の響き、それらが完全一体となって、長大な流れを形作 り、それは「死」へと向かって流れていく、そんなイメージでしょうか。思わず、ぶ るっと震えてしまいました。1楽章のその長大な流れはいつ果てるともなく、延々と 続き、時に「死」から必死に逃れようとし、様々な現世への想いが込み上げてくるか のように、のたうちまわりながら、やがて消えて行くように終わりへと向かいます。 静と動との対比というか、その大きなうねりの作り上げ方が、中途半端じゃないです ね。非常に大きな幅をもって、音楽を作っているから、それが、聴く者を圧倒するの でしょう。目を閉じて聴いていると、様々な想いがよぎっていきます。「死」につい て、「生」について、「生きる」とはどういうことか、なんて人生論をふっかけたり して。(^^;) けど、そういうことを考えずにはおられないような、それだけ説得力の ある演奏だったと思います。ひとつだけ、1楽章最後の静かに消え入るところで、客 席から「うぉっほん」と咳が起こったのは、残念でした…(;_;)

 2楽章のレントラー、3楽章のブルレスケは、うって変わって、賑やかなこと。特 に3楽章は、必死に「死」に対し抵抗するかのように、激しいものがありました。 が、その中間部、がらりと曲想は変わり、この世のものとも思えない美しい音楽が現 れます。この変化のさせ方、また、この中間部の歌わせ方、もう、しびれてきちゃい ますね。こんなにも綺麗な音楽というものがあったの?と言いたくなるくらいの美し い演奏だったと思います。

 そして圧巻は4楽章。再び1楽章と同じような、大河が現れます。まさに「死」へ と向かい、さまようかのように音楽が流れていくのです。ぶ厚いながらもとっても繊 細な響きの弦が素敵ですね。うねりにうねりながら、やがて、曲は浄化されるかのよ うな雰囲気になっていきます。天上の音楽とでも言うような、美しく綺麗な音楽、p はどこまでも繊細なpで、どんどんと浄化されて高みへと昇っていくかのような、厳 かさがありました。これほどまでに静寂さの漂う音楽というものは、他にはないで しょうというくらいに、静けさがホールを覆います。息の音すらも聞こえそうなくら いに静まり返った中、まさに静かに息を引き取るかのように、曲は終わり、しばしの 静寂。そして割れるような喝采が起こったのは、言うまでもありません。

 メータさんって、他の人から言われることなんかもあったりして、結構、とっつき にくいような指揮者、というイメージがあったのですが、でも、実に素晴らしい指揮 をなさいますよね。今日の演奏もまさに熟練の腕をフルに見せて(聴かせて)いただ きました。明確な指示もさることながら、何を音楽で表現しようとしているのかが、 はっきりと分かる音楽作りをなさいますよね。これで、少しは「とっつきにくい」イ メージが払拭された…かな。(素晴らしすぎるからこそ、却って、とっつきにくい、 ということもあるのかもしれませんが…)