らいぶらりぃ | |||||
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●日 時 | 1997年11月27日(木)18時開演 |
●会 場 | ザ・カレッジ・オペラハウス |
●出 演 | 指揮:岩城宏之 |
演出:栗山昌良 | |
合唱:オペラハウス合唱団 | |
管弦楽:オペラハウス管弦楽団 | |
<キャスト> | |
溝口:井原秀人 | |
父:油井宏隆 | |
母:西垣千賀子 | |
若い男:清水光彦 | |
道詮:松下雅人 | |
鶴川:安川佳秀 | |
女:坂井美樹 | |
柏木:西垣俊朗 | |
娟婦:星野隆子 | |
有為子:児玉祐子 | |
●演 目 | 黛敏郎/金閣寺 |
故黛敏郎さんの名作であります「金閣寺」の公演が、大阪カレッジ・オペラハウス
でありましたので、行ってきました。黛さんの追悼公演という意味あいもあったよう
ですが、実際は、生前からこの公演は決まっていたそうで、日本語訳詞を作る作業も
進めていたりしたそうなんですね。が、曲に日本語を乗せようとすると、どうもしっ
くりこない、それじゃぁ、やっぱりドイツ語でやろうか、という結論に至ったところ
で、黛さんがお亡くなりになられた、ということなのだそうです。もちろん黛さんも
この公演を楽しみにされていたでしょうから、もし、ご存命でしたら、この出来の良
さにどれだけ満足されただろうと思われ、とても残念に思われてなりません。
<第1幕> そして主人公の青年僧、溝口が登場してきます。関西では今、最も活躍している井 原さんが演じているのですが、一瞬、誰や?と思ってしまった。(^^; 姿格好からし て、完全に溝口になりきってますね。原作では吃りということだったと思うですが、 こちらでは手に障害を持っていることになっています。「金閣寺は焼かれなければな らない」と言い、以下、回想シーンになる、として物語が始まります。様々な回想 シーンが展開していくのですが、まずは憧れの女性、有為子に振られるシーンがセン ターで展開し、と、下手側の箱(?)のようなものの扉がするすると開いて、そこに 小さな部屋が。ここで有為子が脱走兵と愛し合うシーンが展開します。そっか、そう いう舞台になっているんですね。左右に小さな部屋みたいなものがあって、その中で いろんなシーンが展開していく、というわけです。(つまり、合唱屋さんは、その部 屋の屋根の上にいるわけですね。)有為子は、一言も台詞を喋らず、裏切りを知った 脱走兵に殺されてしまいます。あれぇ、児玉さんの出番はどないなってるのぉ?と、 悩んでしまった… すると、今度は上手側の扉が開いて、母親の西垣千賀子さんが他 の男と愛し合っているシーンです。千賀子さんは、相変わらず、色っぽいな。(*^^*) 男の上半身を裸にして、その男に押し倒されて… 彼女の「ハハハ…」という大き な笑い声とともに扉は閉まっていくのでした… 残念。(^^;)\(--;) 父親の油井さ んも何か、いい感じを出していますね。いかにも田舎の好々爺というような感じで、 溝口に熱心に口説き、彼を金閣寺に連れていきます。ホリゾントに映し出される金閣 寺が印象的ですね。う〜ん、いい映像だぁ。住職にも了承されて、ここで修行するこ とになる溝口、闇夜に、何故、金閣寺が美しいのか?と問います。この金閣寺の美 と、手に障害を持つ溝口のネガティヴな部分との対比というものが、このオペラ全体 を通じての大きなポイントになるところですね。この辺りの井原さんの歌唱も、すっ ごく説得力があったと思います。 同輩の鶴川と南禅寺にやってきた溝口、ここで若い士官と娘との密会(?)シーン を目にします。(舞台上では上手側の小部屋。)何と、娘は乳房を出して、その乳を 茶の中に入れ、士官がそれを飲み干す、というシーンになるはずなのですが、その乳 を出しているところは、後ろを向いてしていたので、客席からは、何をしているの か、いまいち、よく分からなかったぞ… この娘=有為子、士官=脱走兵という図式 が溝口の中に出来上がり、そこに、美の象徴としての金閣寺が浮かび上がり、出征し ていく先=戦争が、金閣寺を焼き尽くしてくれることを期待し、そのことを敢然と歌 い上げて、1幕は終わるのでした。
<第2幕> いきなり出てくるのは、臨済録の一節。「仏に逢うては仏を殺し、祖に逢うては祖 を殺し、羅漢に逢うては羅漢を殺し、父母に逢うては父母を殺し、親眷に逢うては親 眷を殺して、始めて解脱を得ん」という文句が、合唱で歌われます。合唱の中に経文 を入れるのって、これもまたいかにも黛さんらしい感じで、いいですね。さすが、涅 槃交響曲を書いてはるだけのことはありますね。(^^; そして、これに応えて溝口、 そんなことはできない!と否定します。しかし、これは一つのテーマになっているよ うで、以後も何回か出てくるのです。それに対する溝口の態度というものが、心境の 変化というものを一番、端的に表しているのでしょうね。 物語は淡々と進んでいき、米国兵とやってきた娼婦を溝口が踏み付けたこと、その ことで問いただしにやってきた鶴川を溝口が騙したこと、そして、柏木の登場。西垣 俊朗さんもまた、いい役をやってはりますね。足を引きづりながら、いかにも遊び人 風(?)という感じがよく出ています。やがて、彼の引き合わせで、彼の生け花の師 匠と出会う溝口。南禅寺で見た彼女と知り、そのことを責めますが、彼女の誘惑にほ だされて、彼女を抱こうとして… 何か、こんなシーンばっかりって気、しません? (^^; ま、原作がこうなんだから、どうしてもそないになるんでしょうけど。だいた い、三島さんの作品って、こういう官能的な部分って、多いですよね。それをオペラ にしているわけで、逆に、そういう男女の様々な関係が展開するからこそ、オペラに できる、のかもしれませんね…(ほんまかいな。)そして、燦然と輝く金閣寺、この 美の前では、溝口は無力なのでした。女を抱けずに終わります。 やがて、鶴川が自殺したことを知らされる溝口、その彼の頭上には、先の臨済録を 唱える合唱隊の声。(^^; これに応えて、彼曰く、仏を殺すんだ、祖を殺すんだ、羅 漢も殺し、父母も殺すんだ、と。できないと言っていたことを、乗り越えて、しての けるこることで、自分をあらゆる束縛から解放せんとする、この心情、全く分からな いこともないよなぁ、と思いながら聴いてました。最近、あちこちで起きているいろ んな事件なんかにしても、結局は、何かに拘束されている部分を、自分でどうにかし て解き放したいと何とかもがいて、そこからきているように思うだけに(とは言って も、最近のは動機があまりにも単純すぎるとも思うのですが。)、これは現代社会に も通ずる問題だぞ、と思うのです。ま、そういう難しいことは、やっときた幕間の休 憩の間に考えておきましょ。(^^;
<第3幕> このオペラ一番の見どころとも言えるのが、ここから。登場人物が一人一人、現れ てきて、溝口に語りかけるのです。父親が、母親が、有為子が(ようやく出てきたぁ !)、鶴川が、女が、娼婦が、柏木が、それぞれ、勝手に(?)彼に語りかけます。 音楽的には、無調性というか。彼に対する様々な非難の声が終わると、それらはやが て、ひとつに収束していって、再び、臨済録の文句が、合唱によって響きわたりま す。「仏に逢うては… 仏を殺そう!」とはっきりとその意思を固めた溝口は、自分 自身の解放を求めて、金閣寺へと向かっていきます。最初から通して見てくると、こ こまでに至る溝口の心象の変化というものがどんな具合に進んでいったのかというこ とが、このオペラの一番の見どころだと思いますし、また、一番大切なテーマだと思 うのです。ただ単に「狂気」だけでは片付けることのできない要素というものが、必 ずあるはずだと思いますし、それをしっかりと捉えておくことは、現代を生きる私た ちにも求められることなのではないでしょうか。 それにしましても、一番最初から、まさにずっと出ずっぱりの溝口役の井原さん、 いや、凄かったですねぇ。歌唱力はもちろん、演技力も大したものです。言ってみれ ば、ちょっと「変な」人の役なわけで、そう簡単にはできるものではないでしょう。 やりきるだけの体力と、歌唱力、演技力、全てが求められる役だと思います。それを 見事に演じ切ってのけた、さすが!ですね。で、金閣寺が火に包まれるのを眺めなが ら、やがて幕が降りてくるのでした。
<最後に>
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