らいぶらりぃ
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テレマン協会第137回教会音楽シリーズ

●日 時1998年3月29日(日)15時開演
●会 場夙川カトリック教会聖堂
●出 演延原武春指揮コレギウム・ムジクム・テレマン
バロック・コア・テレマン
福音史家:畑儀文
イエス:松井義知
ソプラノ:谷雅子
アルト:渡邊由美子
テノール:仲宗根稔
バス:中川創一
●曲 目バッハ/ヨハネ受難曲BWV245

 先月のロ短調ミサに続く、バッハを聴くシリーズの第2弾です。(^^;)

 夙川の教会って、初めて行ったのですが、なかなか雰囲気のある建物ですね。シッ クな感じで、演奏を聴く前から、何かそういう気になってきます…と言いたいところ なのですが、実際は、人込みでごったがえしていて、むっちゃ、混雑していたんです …(@@) そんな中、空いている席を見つけて、ささっと座ったのでした。

 さて、イエスの捕縛のシーンから、物語は始まります。最初の合唱、もともと「マ タイ」に比べれば、やや明るいような感じのする曲なのでしょうが、明るい響きで、 たっぷりと歌っていたと思います。続いて裏切りのシーン、合唱に出てくる「Jesum von Nazareth」が、妙に耳に残ってしまった…(^^;) 畑さんの福音史家は、なかなか 声量たっぷりの、堂々としたものだっと思います。淡々と語っていくというよりは、 心情表現をしながら、切々と詠んでいく、という感じかな。そしてその引導を受けて (?)イエスの言葉が出てきますが、松井さんのイエスは、これまた堂々としたもの で、なかなか説得力があったように思います。カヤパの前へと連行されて行くところ で、歌われる、アルトの「Von den Stricken mainer Sunden」、渡邊さんの歌唱も しっとりとした感じで、悲しみが伝わってくるようでした。そして唐突な感じで出て くる、ソプラノのアリア、「Ich folge die glechfalls」。谷さんの声って、線が細 い感じで、ちょっと聴こえにくい部分があったのは残念でした。でも、ここのオブリ ガートでついてくるトラヴェルソの音色の綺麗なこと! フルートでなくて、トラ ヴェルソを使っているから、また、音色が映えるのでしょうね。やがて、ペテロの否 認の場面になり、ここでまた畑さんの声が一段と大きくなります。多少、音が不安定 になったような気もしたのですが、でも、そんなことよりも、それだけ、ペテロの悲 しみというものを表そうとしてはることの方を言わないと。このアリオーソによって 緊張感がより高まって、そこへ登場のテノールのアリア。仲宗根さんの声も悪くはな いのですが、もう少し悲痛さのようななものがあってもいいような気はしました。第 一部最後のコラールも、力強さはあるのですが、う〜む、もうちょっと場面に応じた 声でもいいのではないかしらん、などと思うのでした…

 第二部に入り、まずは、ピラトの尋問が始まります。ここでの聴きどころは、何と 言っても、だんだんと興奮してくる群集の役割を演ずる合唱でしょう。けど、さっき と逆に、ここはもっと盛り上がってほしいな、と思ったのでした。レチタティーヴォ と交互に合唱が出てくるのですが、その段階を経て、徐々に群集が興奮してきている のだと思うのです。が、ずっと同じfのままで、その興奮の高まりが感じられなかっ たのです。もっとドラマティックにすることもできたのではないかしら… けど、そ の後に出てくるバスのアリオーソ「Betrachte, main Seel」の美しいこと! リュー トの音が冴え渡っていますね。通奏低音としての巨大コントラ・ファゴット(?)の 音がごぉっと響いてくるのも、また、ぞくっときます。そして、いよいよ判決の時。 ここでも、やはり群集役の合唱に、ちょっと物足りなさを感じました。十字架につけ ろという「Kreuzig, Kreuzig」やさらにその後の「Weg, weg mit dem」なんかでも、 もっと殺意に満ちた興奮(?)というようなものを感じさせるくらいの表現が欲しい ように思うのですが… いよいよ磔刑のところにきて、バスのアリア「Eilt, ihr angefochtnen Seelen」が、クライマックスを迎えるのだという感情の高まりを見せて いますね。最期の時を迎えて、そして歌われるアルトのアリア「Es ist vollbracht」 が、その悲しみを表していますね。渡邊さんの声はもちろん、ヴィオラ・ダ・ガンバ の響きがまた、それに輪をかけて、悲しさをより鮮明にしています。さらには、ソプ ラノによって歌われる「Zerfliesse, main Herze」、先ほどはちょっと物足りなさを 感じた谷さんも、今度は十分に聴かせてくれました。悲哀に満ちた感情をたっぷりと 歌い上げていきます。やがて、埋葬のシーンに移り、合唱によって静かな雰囲気の中 に、演奏は終わったのでした。

 ちょうど、私たちは西向きに座って演奏を聴いている形になっていたのですが、こ れが、正面から西日が差してきて、ステンドグラスが映え、その中にくっきりと浮か び上がるキリストの像を見ながら、この第二部を聴いていましたので、まさにこの曲 の世界そのものを体感している、そんな気がしました。そういう演出効果を狙ってい たのかは、不明ですが、雰囲気的には、味わいの深いものがありました。あとは、合 唱が、一本調子でなくて、もうちょっとドラマティックになっていたら、さらに素晴 らしい演奏になったのはないでしょうか。

 しかし、まぁ、ヨハネをじぃっと聴くのも、なかなか大変なことですなぁ。隣に 座っていらっしゃった平田勝先生(県の合唱連盟の会長/たまたま、会場でばったり とお会いしたんです…)も、「疲れたね、こりゃ」なんて仰っていました。(^^;)