らいぶらりぃ
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神戸フィルハーモニック第36回定期演奏会

●日 時1998年6月13日(土)18時30分開演
●会 場神戸文化ホール・大ホール
●出 演朝比奈千足指揮神戸フィルハーモニック
ピアノ:中野慶理
●曲 目ドリーブ/バレエ音楽「コッペリア」より
 前奏曲/マズルカ/ワルツ/チャルダッシュ
 時の踊り/祈り/祭りの踊り/ギャロップ・フィナーレ
デュカス/交響詩「魔法使いの弟子」
ストラヴィンスキー/バレエ音楽「ペトルーシュカ」

 たまには地元のアマチュアオーケストラも聴きに行かないといけないかなと、行ってきました。で、今回の選曲には、一応、テーマがあるようで、「ファンタジー」とかいう言葉が キーワードなんだそうです。その「ファンタジー」としての表現がどこまで、できている か? が聴くポイントです。

 最初は、ドリーブ。う〜む、一応、曲としてはまとまっているのですが、何かが足 りない…というのが、素直な感想です。何が足りないんだろう…?と聴いていると、 この曲が一体、何を表現しているのか、が音楽として表現しきれていないのではない かと、思い当たります。「ワルツ」では、人形に嫉妬する町娘の感情、「チャルダッ シュ」では、町の若者達の元気さ、というものが表現されて然るべきなのに、そう いったものが感じられないんですね。それに、「時の踊り」での優美さや、「祈り」 での透明さ等、音だけでなく、音楽全体としての美しさが求められるようなところに しても、美しくないんですね。ただ、音を出しているだけ、という感じで、そこに は、音楽に当然込められるべき演奏者の感情というものが、ほとんど感じることがで きないんです。単なる練習不足ということではないでしょう。根本的なところから、 問題があるように思います。

 2曲目は、デュカス。ディズニーでもお馴染みの曲ですね。…の割りに、客席の反 応が鈍かったのは、何故でしょう。単に知らないという方が多かっただけなのか、そ れとも演奏がまずかったのか… 実際、演奏も音は十分に出ているんですが、けど、 それだけという感じで、逆にpのところができていないですね。ドリーブでも感じた のですが、fのところはイケイケでごまかすこともできるのでしょうが、pのところ は、そういうごまかしは通用しません。そういうところまできちんと音楽を作り上げ てきてこそ、演奏する価値があるというのに、そういうことをしないのかしらん、と 疑いたくもなってきます。これでは、ホウキが暴れまわって、洪水になっている様な ど、表現しようにもできないというものです。音楽を聴いていて、その音楽が表現し ようとしている「絵」が見えてこないというものは、悲しいものです。「ファンタ ジー」がどこまで表現できているか?という、先の問いには、はっきり、できていな い、と言うことができるでしょう。音ががんがんと出てくるだけで、まさに、内容が ないよう、という状態、言いたくないのですが、文句の一つも言いたくなります。そ んな音楽と呼べないような音楽をして、何が楽しいの? と。

 アマチュアだから、という考えはここでは全く関係のない話です。むしろ、アマ チュアだからこそ、音楽にかける思いというものは、プロ以上なのではないか、そう いうことを指して、かつて、故芥川也寸志さんは「アマチュアこそ音楽の神髄」とか いうようなことをおっしゃったわけで、その精神を見事に引き継いだ芦屋交響楽団な どは、あれだけの素晴らしい演奏をすることができているんです。芦屋交響楽団だけ でなく、かぶとやま交響楽団や伊丹シティ・フィル等もよく聴きに行きますが、そう いうところだって、もっと主張のある音楽を作り出しているんです。また、プロにし ても、センチュリーやシンフォニカー等を聴いてみたら、分かるように、プロの人達 だって、いろいろと考えて素晴らしい、主張のある音楽を作り出しています。演奏技 術が云々ということではないのです。音楽に当然あるべき「主張」を、どれだけ、 はっきりと伝えることができるか、それが問題なんです。そういうことが、何故、こ のオーケストラにはできないんだろうか、と、とても疑問に思います。

 …ということは、置いといて、最後は、ストラヴィンスキーです。ま、問題は問題 として置いておくことにしまして、素晴らしかったのは、各パートのソロです。特に 惨然と鳴り響くトランペットの素晴らしいこと! 惜しむらくは、後半、ちょっと疲 れたかなということと、フルートのソロとかけ合いになるところ。トランペットの作 る音楽とフルートの作る音楽とが全く異質ものに聴こえるのです。異質のものどうし がぶつかりあっていて、ひとつの音楽の流れとして聴こえてこないんですね。これ は、ちょっと、う〜ん、と考え込んでしまいます。何か、残念でならない… クラリ ネットやオーボエも素晴らしい腕の持ち主がソロを務めていたようですが、何故か、 これがあまり聴こえてこなかたのが、また、残念です。そして、一番、あれ?と思っ たのは、リズム感が悪いこと。例えば、ムーア人の踊りの場面、何か、そのリズムの 取り方が悪いんですね。ちょっとずつ遅れてくる、というか。これではその野人的な 感じも表現できないでしょう。その点は、ちょっと…と思います。

 演奏が終わると、割れるような拍手…とまではいきませんが、大きな拍手が起こり ます。が、何か、しらじらしいような空気をそこに感じたのは、私だけかしら… あ のピッツバーグ響やバーミンガム市響の演奏会の時のあの興奮とは全く違う(そんな ものと比べるな、って。)、虚しさに近いものを感じたのは、何故でしょう。演奏す る側も、見てみると、あまり団員さんの表情はぱっとしないように見えます。彼等自 身、満足してないのでしょうか… これほど盛り上がらない演奏会って、あるので しょうか。演奏する側は単に音を出すだけ、聴く側は義理だけでただ聴いているだ け、そこにあるのは、しらじらしさ、虚しさのようなものです。何か、悲しくなって きますね…

 と、何だか、文句ばかり書いてしまったような気がしますが、決して、文句を言う ために演奏会に行ってきたわけではありません。ただ、このオーケストラが、殻を 破って変わっていくことを期待してやみません。