らいぶらりぃ
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音楽の未来への旅シリーズ'98

第3夜:20世紀の昔と今

●日 時1998年7月31日(金)19時開演
●会 場いずみホール
●出 演岩城宏之指揮オーケストラ・アンサンブル金沢
ピアノ:木村かをり
●曲 目シェーンベルク/室内交響曲第2番変ホ長調Op.38
シュニトケ/モーツ=アルト・ア・ラ・ハイドン
湯浅譲二/ピアノ・コンチェルティーノ
西村朗/鳥へのヘテロフォニー

 いずみホールの現代音楽のシリーズ、今年も既に2分が終了していました。第1夜 は「声の冒険」、第2夜は「2台の楽器の競演」というテーマで、とても興味深かっ たのですが、どちらも仕事の都合等で行けずに、ちょっと悔しい思いをしていたので した。が、第3夜となる今日は、何とか来ることができました。よかったぁ。(^^;)

 で、いきなりシェーンベルクから始まります。シェーンベルクと言うと、12音以 外では、室内交響曲の1番が有名ですが、今日の曲は、その2番であります。初めて 聴く曲(っと、今日の曲は全て、初めての曲ばかりですね…)ですが、なかなか、素 敵な曲じゃないですか。1楽章はアダージョ、各楽器の音が緻密に積み上げられてい て、その内へと向かうパワーのようなものを感じます。続く2楽章は、最初は明る い、割と分かりやすい作風で、どこか、陽気な風にも聴こえないこともないです。 が、やがては、また1楽章と同様、音が重なり合ってきて、静けさの中へと曲は向か うのでした。…結構、濃いぃ選曲と演奏ですなぁ。

 そして、本日のショータイム、シュニトケの曲です。題名からして、どこかパロ ディのような印象を受けますが、実際、そうなんです。モーツァルトのいろんな曲の 断片をちりばめながら、それをシュニトケ流にデフォルメしたりして、音を重ねてい くのです。それも、シアター・ピース形式で、です。Cb1本とVc2本がステージ のセンター奥に陣取っており、それを挟むように横1線にVnとVaが並び、指揮者 の脇には、独奏Vn2人が左右に並びます。で、最初、舞台は真っ暗の状態。ぴぃ〜 んと固く、張り詰めた音が鳴り響き、その上に様々な音が重なっていき、神秘的な雰 囲気を作り出していきます。と、かすかに聴こえてくる、どこかで聴いたことのある ような旋律の断片。具体的に何の曲、というのが分からないのですが(勉強不足です ねぇ…)、明らかにモーツァルトの曲です。やがて、モーツァルトがいっぱいに重 なってきて、Tuttiになると、ぱぁっと照明も明るくなり、輝かしいモーツァルトが奏 でられて… う、やっぱり、モーツァルトと言うよりは、モーツァルトっぽいシュニ トケ、というのが正確ですな。(^^;) 様々な断片が現われては消えていきます。曲の 中間部になると、奏者は、舞台のセンターに団子状に集まってきます。演奏しなが ら、舞台の上を歩き回る、ま、シアターピースですな。ひとしきり盛り上がった後、 再び最初のフォームに戻っていきます。と、ここで1つだけはっきり分かったテーマ は、40番シンフォニーの第1楽章の第1テーマ、これもデフォルメされた形で、出 てきたと思ったら、すぐに消えて行ってしまうのでした。やがて、照明が段々と暗く なってくると、奏者は、独奏Vnを先頭に、順に舞台から去って行きます。そ、ここ が、ハイドンの45番シンフォニーのパロディなのですね。だから、「ア・ラ・ハイ ドン」なんですな。1人、また1人…と去って行き、そして誰もいなくなった…とは ならないわけで、3人の低弦奏者と、指揮台の上の岩城さんがぽつりと残ります。そ の場にしゃがみこむ岩城さん、そこへ、ソデから独奏Vnのお2人が入ってきて、肩 をぽんと叩いて、ふっと振り向くと、ぱっと照明も灯り、他の奏者も勢揃いして、幕 となります。とかく明るいイメージの強いモーツァルトの曲を、うまくパロディにし た、シュニトケならではの曲と言えましょう。

 でも、どうせ、シアターピースをするのなら、もっと派手に動き回って欲しいな… と思うのは、欲張りでしょうか。つい、昨年のこのシリーズで聴いた、柴田南雄の 「人間について」の印象がよみがえってきて、ああいう感動って、楽器でもできない かしらん…と思うのです。そりゃ、合唱と器楽は違う、のかもしれませんが、それで も可能性としては、シアターピース形式による器楽だって、成立しうるのでしょう。 そんな曲って、ないのかしらん…と、妙な好奇心が起こってくるのでした…(^^;)

 後半は、日本人の作曲家のお2人です。まずは、湯浅さん。湯浅さんと言えば、今 年はNHK大河の「慶喜」のテーマ。何ってったって、「ケイキ」さんだ、あっち は、これも素敵な曲だと思うんだけど、でも、今夜は、「ピアノ・コンチェルティー ノ」ときたもんだ。一体、どんな曲だってんだろ。(←大原麗子調で。^^;)この曲の 特徴と言うと、「音」そのものを正面に出してきている曲、ということになるでしょ うか。ピアノに出て来る単音の連続なんかもその一つの例です。ピアノが音を刻みな がら、その上に各楽器が乗って、メロディの断片らしきものを奏していきます。やが て、それは息の長いクレッシェンドとなって、ひとつの頂点に達します。と、ここで 大地を揺さぶるかのような低弦+打楽器。ひとしきり鳴り響くと、やがて、ピアノと オケとが一音単位でやりとりを繰り返していきます。メロディーというものはなく、 まさに音そのままなんですね。ぽんと鳴って、ぽんと返す、そういうやりとりがしば らく続きます。そして、その音が次第に集まってきて、再びメロディーらしきものを 作っていき、最後は、何か、祈りの気持ちのようなもので満たされて、終わっていく のでした。ところどころ、いかにも湯浅さんらしい旋律なんかも聴くことができて、 結構、面白い曲だと思います。

 最後は、西村さんの曲。私などは、西村さんの音楽は、合唱音楽から入っていった クチでして、「まぼろしの薔薇」や「そよぐ幻影」、「秘密の花」といった、甘美的 なメロディーの美しい三部作など、大変、気に入っているのですが、器楽曲でも、そ ういう綺麗なメロディーを書く方ですよね。今回の曲は「鳥」を表題に持ったもの で、西村さんの「鳥」シリーズの中の1曲、と言ってもいいような曲ですね。で、こ れがまた、実に見事に鳥のさえずり声や、はばたく様などを表現しているのです。 ジェテロフォニーという手法は、音がちょっとずつずらして重ねていく声部関係のこ とを言うようですが、そうやって音が重なっていくことで、こんなにもいろんな音を 表現することができるのかぁ、ということを思い知らされたような気がします。弦楽 器が重なっていくところなどは、まさに鳥達がはばたく音そのもの、といった感じ で、さぁっと飛び立っていく鳥達の姿が目に浮かんでくるようでした。が、この曲は それだけの描写では終わりません。やがて、最後の方になってくると、実に躍動的な 舞曲風になってくるのです。それは、まるで鳥達をはじめ、森に住まう様々な動物達 が集まってきて、踊っているかのような、そんな光景が浮かんできます。動物達、と いうよりも、生命そのもののの躍動感というものが、くっきりと出てきて、最高潮に 盛り上がって曲は終わるのでした。ひょっとして、この曲は、鳥を通して、こういう 生命の躍動感というものを、一番、伝えたいのかしらん、と思い至るのでありまし た。実に感動的な曲だと思います。

 …と、新たに素敵な曲4つにめぐりあえた、夜でありました。また、「現代音楽」 と言って、難しく考えることなく、とても楽しむことのできた演奏会だったとも思い ます。そして、21世紀へ向けて、作曲家の皆さんには、今後も素晴らしい作品をた くさん、私達に聴かせていただきたいな、などと思うのでした…(^^;)