らいぶらりぃ
PrevNextto the Index

日本の響き 雅楽彩々

●日 時1998年8月21日(金)19時開演
●会 場いずみホール
●出 演芝祐靖(横笛・音楽監督)
伶楽舎
●曲 目芝祐靖/和気
宮田まゆみ/滄海
野平一郎/内なる旅
古典雅楽/太食調調子
     朝小子
     輪鼓褌脱
武満徹/秋庭歌

 演奏会まわりも夏休みを2週間ほどいただきましたが、いよいよ、後半戦の開幕で あります。その1発目は、昨年と同じく、伶楽舎の皆さんによる雅楽、であります。

 1曲目は、伶楽舎の音楽監督でもいらっしゃる芝さんご自身の曲。龍笛の五重奏と いう編成の曲です。芝さんご自身は、中国の陶俑を鑑賞した時の印象をもとにして 作ったと、プログラムに書いていらっしゃいますが、私には、どうも、龍笛の音色の 印象からか、飛天が楽しげに舞っている姿が目に浮かんできます。それほど、軽快 で、和やかな曲なのです。しかも、龍笛の響きが、ぴりぴりとした空気の振動となっ て、鼓膜を直に揺らしてくるのです。久しぶりの演奏会のせいか、これだけでも感動 ものです。(^^;)

 今日の演奏の中で一番感動したのが、2曲目の「滄海」。すっかり、笙の第一任者 としてお馴染みの宮田さんの作った曲です。で、笙のための曲かと言うと、実はそう ではないのです。笙とよく似た、竿という楽器の独奏の曲なのです。この竿という楽 器、笙と似た形でありながら、その音色の印象は、かなり違いますね。笙がどちらか というと、かぁんと外へ向かって明るく響いていくようなのに対して、竿は、内へと こもるかのように、陰なる響きとでもいうような感じなんですね。そんな楽器1本で 奏される、この曲は、その名の示すが如く、深ぁい海の底へと沈んで行き、深い眠り につくかのような雰囲気を持っています。(まるで、タイタニックだな…^^;)舞台上 の照明もぐっと落とされ、小さなピンスポの中で演奏されていたので、その雰囲気は よりはっきりと表現されていたと思います。宮田さんは、プログラムの中では、この 楽器の音色にひかれて「小さな曲を作ってみた」と書いていらっしゃいますが、なか なかどうして、小さいながらも内容の濃い音楽だと思います。構成的には、前半は単 音を並べていく旋法で、後半は和音を加えた、ハーモニーのある旋法で、書かれてい て、音楽が進んでいくに従って、どんどんと深みへと向かっていくかのような形に なっていると思います。今日のお気に入りですね。(^^;)

 3曲目は、お楽しみのシアター・ピースであります。(^^) 野平さんのこの曲は、 雅楽に声を加えた形になっているのです。声と言っても、声楽とかとは違い、声を発 する、「語り」のようなものです。曲が始まる時は、舞台上には誰もいません。そこ へ、彼方から聴こえてくる笙の音色、その上へ龍笛、篳篥が乗ってきて、舞台上へ姿 を現してきます。この3種の楽器からなる組が2つ、左右からそれぞれ入ってきて、 所定の位置へ着席すると、やがて彼らは楽器を置いて、何やら「スー」とか「ハー」 とかいう無声音を出し始めます。そこへ、最後に、同様に無声音を発しながら絃の奏 者が入ってきて、これで奏者は全員登場。やがて、笙の音が合図となって、その無声 音が有声音に変わり、笙の和音に乗って、彼らは何やら言葉の断片をしゃべり出しま す。このテキストは、日本書紀の中から選ばれたものだそうですが、具体的に何を しゃべっているのかは、よう分かりませんでした… そうしていると、笙以外の楽器 も、手に取られて、様々な音が展開していきます。絃の奏者が演奏しながら、相変わ らず、何やらしゃべっているのが、楽器と声との対峙とでもいうようなものを表わし ているのでしょうか… やがて、声も無くなっていき、純粋に器楽だけとなります が、すぐに、今度は、各奏者が各々、好き勝手なところで楽器を奏するなり、声を出 すなり、するような展開になります。もっとも、絃奏者は、ずっと同じところにいる のですが、しかし、途中から、彼女らもすぅっと立ち上がって、移動しだします。箏 は、もう一つ、別のものが舞台上の別のところに予め置いてあるのです。琵琶は一緒 にかついで持ってはりましたが、そうやって、絃奏者のお2人が、舞台センター後方 の位置につくと、やがて、他の奏者も動きだします。笙+龍笛+篳篥の1組は、絃奏 者の横の位置につけ、もう1組は、舞台の前面のベタに座ります。こうして、前後の 組の奏する音楽の対比というものが始まります。後方の組の演奏する音楽は、どこか 古典的な感じのする曲ですが、前方の組の音楽は、それに比べると、割と現代っぽ い、という感じがします。何というか、前方の組の発する音というものが、鋭い響き なんですね。笙にしても、シャープな響きで、しかもリズミックな動きをしていて、 ジャズ・オルガンのような響きにさえ聴こえてくるのです。そうやって、ひとしきり 盛り上がった後、奏者は再び、もとの位置に戻っていきます。そうして、曲は次第に しぼんでいき、最初とは逆に、奏者1人1人が、楽器を鳴らしながら、或いはまた無 声音を発しながら、順に退場していきます。そして、誰もいなくなった…ところで曲 は終わりです。う〜む、楽器の演奏だけも大変だと思うのに、それに加えて声も出さ ないといけないのですから、演奏者もかなり大変でしょうねぇ。何も知らずに音だけ を聴いていると、どこか前衛的な合唱音楽にも聴こえてきますが、やっぱり、これは 立派な雅楽、というか、新しい雅楽、なのですね。なかなか奥の深い曲だと思いま す。

 休憩の後は、昨年と同様、全員、着替えての古典雅楽になります。「太食調々子」 は、西洋で言うところのE音を中心とするグループ(=「太食調」)のための前奏曲 なのだそうです。…なるほど、確かに篳篥のE音で調絃してはったし、E音が絶えず 聴こえていましたねぇ。「朝小子」は、勇壮な武の舞である「太平楽」の登場のとこ ろで演奏される「道行」の曲なのだそうです。なかなか、力強い曲でしたね。でも、 私が気に入ったのは、「輪鼓褌脱」です。何でも、「散楽」という、後に猿楽狂言へ とつながっていくジャンルに属するのだそうで、確かに、リズミカルで、まさに踊る にふさわしい曲調です。これの舞は絶えてしまっているというのが、残念なような気 もします。

 最後は、昨年も聴いた、「秋庭歌」。ただ、昨年と違うのは、昨年は、同じ舞台上 に「秋庭」と「木魂群」とが配置されていたのに対して、今年は、「木魂群」は、オ ルガンのところ及び左右の2階席の再前部に配置されていた、ということ。この方 が、より音空間の広がりを感じることができるから、いいですね。そして、この2群 に分かれた楽器の対比が、この曲を面白くしているのです。相互が複雑にからみあ い、何とも不思議な感じの漂う第一部、全員が揃って、激しく嵐が吹きすさぶ光景を 表した第二部、そして、華やかに豪華に盛り上がる第三部。この第三部がいいんです よね。全ての楽器が加わって、まさに絢爛豪華、まるで、京都の南禅寺や永観堂の紅 葉の風景が、ぱぁっと目の前に広がるような、そんな曲なんですね。じぃっと聴いて いると、もうすっかり気分は、秋!です。(^^;) 曲は、最後には、冬を迎えるところ までいって、静かに終わるのでした。

 1年ぶりの雅楽を満喫して、会場の外へ出ると、ちょうど、風も吹いていて、どこ か涼しく、秋めいたものを感じたのでした。早くも虫たちの鳴き声も聴こえてきて、 これからのいい季節を楽しもう、と思いながら、家路につくのでした…