らいぶらりぃ
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東京混声合唱団

いずみホール定期演奏会No.3

●日 時1998年8月29日(土)18時30分開演
●会 場いずみホール
●出 演松原千振指揮東京混声合唱団
●曲 目バッハ/モテット「主に向かいて歌え、新しき歌を」BWV.225
千原英喜/枯野という船−古事記より
トルミス/司教と異教徒
シェーファー/自然の声
シベリウス/愛する人
(アンコール)
ディーリアス/夏の夜 水の上にて歌う
黒人霊歌/Everytime
山田耕筰/赤とんぼ

 東混を生で聴くのも久しぶりです。最近は年に1回は大阪でも公演してはるようで すが、なかなか行く機会に恵まれませんでしたので… そう言えば、このいずみホー ルが出来て間もない頃に、東混を初めて生で聴いたことがありますが、その時の印象 は未だに強く残っています。何といっても、曲が「原爆小景」でしたから。(^^;)

 最初は、バッハのモテット、今年は(関係のない話ですが)1回もBCJの定期に 行けないなぁ、などと、余計なことを考えながら聴いてましたが(^^;)、さすが、安定 していてしっかりと聴かせてくれますね。フーガの動きなども、実に滑らかで、まさ にバッハ=小川のごとく流れるような演奏でした。しかぁし、これはまだ導入部にす ぎないんですね…

 千原さんの曲は、古事記の中の「枯野」を題材として取り上げた曲。ヴォーカリー ズの部分が多いような気がしましたが、それが何とも言えない、不思議で、日本的な 雰囲気を出しているのです。時には箏のような響きが、時には龍笛のような響きが聴 こえたような気がするのは、私だけかしらん… 中間部で結構、盛り上がるのです が、でも、全体を支配するのは、やはりそういうどちらかと言うと”静”的な要素 で、その万葉的な響き(?)に、思いは古代へと飛ぶのでした…

 3曲目は、がらりと変わって、トルミスの曲です。トルミスはエストニアの作曲家 ですが、この曲は、フィンランドのことを歌ったものです。何でも、フィンランドへ キリスト教が伝わっていった頃の、その様子を描いた曲なんだそうです。で、聴いて みると… 何だかとっても、トルミスらしい、というか、彼の特徴がよく出ているよ うな曲ですね。同じ旋律等の反復や、超低音の響き、私も、そうたくさん、彼の曲を 聴いたというわけでもないのですが、知っている限りで言えば、まさに、トルミス だぁ、と分かるような曲だと思います。曲の最初は、宣教師の言葉から始まります。 宣教師は、S+A+Brのゾリによります。Brから低い順に入ってくるのですが、 このアルトのソロの尾崎さんが、とても印象的です。見ていないと、カウンターテ ナーが歌っているのかと思うくらい、(女声としては)かなり低い響きを鳴らしはる んです。よくありがちな、メゾがアルトを歌う、というのでなく、まさにほんまもん のアルトだぁ、と感心してしまいました。そして、そのゾリに対して、男声合唱が、 相槌を打つかのように、リズムを刻んでいきます。この男声合唱が、フィンランドの 群衆というわけですね。やがて、群衆達は、何やら言葉をしゃべりだします。宣教師 に対して、非難・中傷の言葉を浴びせるようになっていくのです。曲は激しさを増し ていき、ついには「私は殺す!」という言葉で、最高潮に達します。いつでも、こう いう受難の悲劇はあるものなのですねぇ。と思っていると、再び、宣教師達が語り出 し、群衆もそれを受け入れ始めて、静かにキリスト教が浸透していくようにして、曲 は終っていきます。なかなかの大作でした。

 後半の最初は、シェーファーの曲。これは昨年に東混がシェーファーさんに委嘱し た曲だそうで、シアターピースのような形式を取りながら、音がどのように発せら れ、伝わっていくのか、を歌った曲なのだそうです。テキストは、古代ギリシャのル クレーティウスの「物の本質について」という長い詩の一節。これだけでも、何か難 しそう…という気になるのですが、実際、難しいです。(^^;) 舞台の上の合唱団と、 客席後方の合唱団とが、対になって曲を進めていきます。舞台上の合唱がメインにな るのですが、そこで発せられた音に対するエコーのように、客席側の合唱が返してき たり、あるいは、舞台上の合唱に相反するかのように客席側の合唱が返したり、常 に、私達は、前と後ろの両方からの響きを聴くことになるのです。その不思議な音空 間を体験しながら、やがて曲調が盛り上がってくると、そこへ、突然、伏兵が現われ てきます。(^^;) 舞台裏の合唱、です。これがまた、遠くから聴こえてくる風の音の ように、会場の中へも届いてきます。それが、次第に盛り上がってくると、やがて、 舞台上のも加わって、大合唱となります。おぉぉ、と思っていると、ふっと、舞台裏 の合唱の皆さんが、ぞろぞろと舞台へ入ってきます。そして、そのまま通過していき ます。そうやって、音が通過していったところで、曲は終わりとなります。…何だ か、よく分かったような分からなかったような感じなのですが、最初の方の、舞台上 と客席側との対比は、すなわち、音がどうして生まれてくるのか、対立しながら、あ るいはエコーとして共鳴しながら、そうやって生まれてくる音、これが、今度は、舞 台裏の空気を鳴らして、それが一つの線として、さぁっと通過していき、そうやって 他の方へと伝わっていく、というようなことなのでしょうか…

 最後は、シベリウスです。指揮の松原先生には、私も学生時代にお世話になって、 私がフィンランド音楽を好きになったのも、先生に教えていただいたから、という一 面もあるのです。長くヘルシンキにいらっしゃった松原先生の指揮によるシベリウス ですから、もう、お手のものですね。初めの和音を聴いただけで、おぉ、これぞシベ リウスだぁ、これこそフィンランド音楽だぁ、と感じ入ってしまったのでした。この 曲には、シベリウスらしさ、と言うか、フィンランド音楽そのものの要素の全てが埋 まっていると思うのですが、それらが、いちいち、私の「フィンランド音楽大好 き!」という心に触れてくるのです。もう、じぃ〜んと感動しまくっていました。中 間部なんかでは、森の木々が風にさざめくような感じがよく出ていましたし、それ が、ホールの空気をぴぃ〜んと振動させて、鼓膜に伝わってくるのです。ほんと、素 晴らしい演奏でした。

 アンコールも3つ、飛び出して、なかなか盛り上がった演奏会でした。夏の終わり を締めくくるのにふさわしい演奏会でしたねぇ。