らいぶらりぃ
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'98サイトウキネンフェスティバル松本

オペラ「カルメル会修道女の対話」

●日 時1998年9月5日(土)18時開演
●会 場長野県松本文化会館
●演 目プーランク/オペラ「カルメル会の修道女の対話」
●出 演ド・ラ・フォルス侯爵の娘ブランシュ:パトリシア・ラセット(S)
ド・クロワッシー夫人・カルメル会院長:フェリシティー・パーマー(MS)
受肉のマリー上級修道女:ベス・クレイトン(S)
リドワーヌ婦人、新院長:クリスティン・ゴーキー(S)
聖ドゥニのコンスタンス修道女:マリー・デヴェレロー(S)
マチルド修道女:ジョイス・ディドナート(MS)
幼いイエズスのジャンヌ上級修道女:シーラ・ナドラー(A)
侯爵の息子・騎士:ウィリアム・バーデン(T)
ド・ラ・フォルス侯爵:ビクター・ブラウン(Br)
ティエリ(従僕)、修道院つきの指導祭司:ジョルジュ・ゴティエー(T)
士官2、公吏:ゲタン・ラペリエール(Br)
士官1:ジャン=ビエール・トレヴィザニ(T)
獄吏、ジャヴリーノ(医師):キム・ジュリアン(Br)
老女1:シルビー・デュボワ
老女2:キャロル・シャブリー
老紳士:ピーター・ブランシェット
修道女たち:東京オペラ・シンガーズ
小澤征爾指揮サイトウ・キネン・オーケトラ
演出:フランチェスカ・ザンベロ
装置:ヒルデガード・ベクトラー
衣装:クラウディ・ガスティーヌ
照明:ジャン・カルマン

 今年もサイトウキネンに行ってきました。今年の目玉は、何と言っても、パリ・オ ペラ座との共同制作による、プーランク(来年に生誕100年ですね)の「カルメル 会修道女の対話」でしょう。本場に先がけての上演ともなれば、いやでも期待がふく らむというものです。

 さて、短い序奏に続いて、幕が上がると、ド・ラ・フォルス侯爵の館の場面、侯爵 と息子が、妹のブランシュのことを案じているところです。男声のみによる場面っ て、ここくらいしかなかったような気がするのですが、なかなか聴かせてくれます ねぇ。そして、ブランシュが入ってきて、カルメル会に入ることを宣言します。ラ セットさんの声も、なかなかハリがあって素敵です。それにヒロインを演じるだけの 風格のようなものも感じられます。しかし、この最初の場面から、オケの低弦なんか が、ずん、と響いてきたりするのですが、これが、このオペラの結末を暗示している ようで、プーランクの曲づくりの上手さみたいなものも感じます。そそ、この1年ぶ りに聴くオケの方ですが、相変わらず、一糸乱れぬアンサンブルで、たっぷりと聴か せてくれますね。音がとてもクリアなのが、素敵です。

 場面が変わると、カルメル会の面談室となります。この、場面転換の仕方が、いい ですね。舞台の上は、中央に回転する円形の舞台、その上に、円の半周くらいの壁が 立てられています。また、右手(上手)には、反響板かと思うような大きな板(断面 がかまぼこ型みたいに、厚くなっている)があり(こんな表現で分かるかしら…)、 これらが、回転していくことで、場面転換が、実にスムーズに進んでいきます。ま た、それらの壁以外は、大きな道具等を使うことなく、舞台上は、実にすっきりとし ているのです。シンプルな中で、それでいながら、照明の効果等で、場面に応じた雰 囲気を十分に演出しているのが、また素敵です。

 さて、そのカルメル会の面談室ですが、修道院長のパーマーさんの声が、ごっつい ええ感じですねぇ。実に堂々としたメゾで、その豊かな声量の前に、他の人の声など かき消されてしまいそうなくらい。(^^;) 貫禄たっぷりの院長さんにとうとうと説教 されながら、ブランシュは、ついにカルメル会へ入会するのでした。

 続いての場は、修道院内で、修道女達が集まって作業(洗濯…?)をしているとこ ろです。ブランシュとペアになる、コンスタンスが、朗らかに、この前の兄さんの結 婚式がね、と歌い出します。このデヴェレローさんの声が、ほんまに、高いところを ころころとこら転がるような音色で、可愛らしく、素敵なんです。コロラトゥーラと して絶賛を浴びているというのもうなずけます。表情も可愛らしくて、ほんと、素敵 でした。

 修道院の内庭がぐるりと舞台転換すると、院長さんが部屋で横たわっている場とな ります。院長に死が訪れようとしているのです。死に直面しての怖れからか、激しく もだえ苦しんではります。そういう状況でそんなにごっつい大っきな声が出るんか い、という突っ込みはおいといて(^^;)、この苦しみ、恐怖といったところの音楽描写 が実にドラマ的ですね。これもプーランクならではなのでしょう。そして、院長はお 亡くなりになります。ベッドから半ば身を乗り出すようにして、息を引きとってしま われるのですが、そのままの状態で転換するまでじっとしてはるのって、しんどそう …(^^;)

 第2幕となり、礼拝堂でコンスタンスとブランシュが棺の側についています。その 恐怖からブランシュが逃げだそうとするのですが、この、わなわなと震える様子が、 まさに「わなわなと」震えてはっていて、その心情がはっきりと分かるのですね。こ ういう表現力というのも、なかなかのものです。やがて、マリー修道女がやってき て、彼女をたしなめるのでした… このクレイトンさんの声もまた、説得力のある声 で、素敵です。上級修道女としての責任感というものが、その声だけでも伝わってく るというものです。

 そして、集会場に修道女達が集まってきて、新しい院長とともに、故院長のために 祈りを捧げています。ここで歌われる女声合唱の何と美しいこと! ソリストとして 十分に実力のあるような方達ばかりが集まっているから、当然と言えばそうなのかも しれませんが、それでも、その完全なまでのアンサンブルは、さすがです。新しい院 長への服従を誓ったところで、休憩となります。

 前半が終った段階で、言えるのは、何か、とてつもなく素晴らしい公演を見ている んやねんなぁ、ということ。このオペラを悲劇として捉えるのなら、そのドラマはむ しろ、これからの後半になって、鮮明になってくると思うのですが、前半の部分で も、そこへ至る伏線というようなものをはっきりと感じることができるのです。それ は、常にどこか不安そうな音を出しているオーケストラのせいなのでしょう。もちろ ん、それは、プーランクがそういう構成で音楽を書き上げているということなのです が、改めてプーランクの魅力というものを感じるのでした。そう言えば、彼の宗教 曲、「グロリア」や「スターバト・マーテル」等を思わせるような手法が、ちらちら と随所に見られたような気もします。

 さて、後半最初は、ブランシュと兄さんの面会の場面。2人の激しいやりとりの あった後、兄を追い帰したブランシュは、その場に泣き崩れます。なだめるマリー、 年長者、先輩としての愛情ですねぇ、いい光景ですが、これと相反するような場面が 後に出てくるのです…

 再び広間の場となると、司祭が修道女達を集めて、自分が革命人民委員会から追放 されたことを告げます。動揺する修道女達。ちょうど、院長は他所へ出ていて不在と もなれば、その動揺はなおさらです。マリーを中心に結束を固めようとする彼女達。 そこへ人民委員らがやってきて、修道院の明け渡しを要求してきます、その背後に は、武装した群衆が。と見ると、彼らの手にしているのは、松明…? え、ほんまも んの松明じゃないですか、煙も出ているし。消防がよう、許可したなぁ、と、ちょっ と現実的なことを考えてしまいましたが(^^;)、そこまでリアルに迫ろうとする演出に は、頭が下がる思いがします。そして、その群衆が修道院の内部へなだれ込んでき て、混乱状態になります。この時、舞台上の壁(円弧状のとかまぼこ型のと2つ) が、同時にぐるりと回って、だだだと群衆が入り込んでくる様を、よりくっきりと描 いているのが、印象的です。この舞台装置を、実に見事に使った演出と言えましょ う。

 第3幕、いよいよ、物語りは核心へとせまってきます。荒れ果てた広間に集まる修 道女達、マリーを中心に、殉教することを、皆で投票により決定していきます。動揺 しながらも、いろいろとやりとりがあった末に、その結論に達するわけですが、なお も、死を受け入れられないのがブランシュ。隙をついて、その場から逃れ出てしまい ます。そして、それに気がついたかどうか、舞台がぐるりと回転する間に、彼女達は 平服に着替えていき、修道院から去っていきます。

 場が変わり、冒頭のド・ラ・フォルス公邸の書斎に戻ってきます。ブランシュはこ こへ戻ってきているのです。父にも死なれ、今は、革命派により占拠されているこの 屋敷で、女中として生きる方がいい、と、彼女を迎えに来たマリーに対し、はっきり と訴えます。現実としての「死」をあくまでも避けたいという、彼女の気持ちという ものは、当然と言えば、当然のものでありましょう。が、修道女達にとっての「死」 とは、すなわち、現実的な部分を超越した、神に対する忠誠とでも言うべきものなの でしょう。己の肉体でなく、己の精神を全てに対し優先させる、というか、精神的な 充足感・充実感というようなものを追求していくことに、意義があるのでしょう。そ ういう意味では、この場面は現実と精神との対立というものを、ブランシュとマリー の対話により、訴えかけてくる場面なのでしょうね。そんな意味からも、先のこの2 人の場面とはちょうど、対峙するような位置にあるような気がします。

 そうすると、場はまた変わり、修道女達が捕えられている牢獄の中となります。院 長も戻ってきていて、自分の不在の間にこのようなことになったことを、周りの修道 女達に謝っています。そして、彼女らの母としての立場・感情から、彼女らを助けて あげたい、けれど、それもできない、今は殉教するしかないけれど、どうか、私につ いてきてください、というような内容のことを、切々と歌い上げていきます。この新 院長のゴーキーさんの声もまた、とっても美しく、しかも、内容が内容なだけに、 ごっつい説得力があるのです。内容のとおり、まさに「母」としての優しさに満ち た、慈愛溢れる歌でした。こんなにも優しく、愛情に満ちた歌というものがあったの か、と思うほどの熱唱で、もう、この辺りで、私の目にはじわぁ〜っと涙が出始めて いるのでした…

 そして、いよいよ、断頭台の場面になります。階段が出され、断頭台が用意される と、下手側から、修道女達が、列をなして入ってきます。上手側では、群衆がそれを 見守っています。そして、全員で揃って祈りを捧げた後、院長を先頭にして、断頭台 への階段を上って行きます。「Salve Regina」を歌いながら、1人1人、順番に歩ん でいくのですが、院長がその場に達した(我々の目からは見えないところに入った) 時、まさにギロチンが落ちる、残酷な音が、オケから発せられます。いや〜っ!と思 わず、悲鳴を上げて、目をそむけたくなるような光景です。神々しいばかりに響き渡 る「Salve Regina」はさらに高らかに、歌われ続け、次の1人、また1人、さらに1 人と次々と刑に処せられていきます。もう、その光景は見ていられなくって、涙がこ ぼれ落ちてくるのを、どうにも止めることができない状態になってしまっていまし た… 最後に、愛らしいコンスタンスが、断頭台へと上っていくと、そこへ、群集の 中から飛び出して来た女性が1人、ブランシュです。さんざん悩んだ末に、彼女達と 共に殉教する道を選んだのでした。コンスタンスと最期の別れを惜しんだ後、彼女も 階段を上り始めます。群集が、し〜んと見守る中、彼女も処刑され、そのギロチンが 落ちる音とともに、音楽はぶちっと終わります。

 死の静寂… かなりの時間があったと思います、拍手が鳴り出すまでは。私自身、 もう涙をぼろぼろとこぼしていて、ちょっとの間は拍手をするのに躊躇したのです。 それでも、この、今までに一度も味わったことのない、とてつもなく深い感動にむせ び泣きながら、舞台に向かって、大きな拍手を送りました。会場中が、一丸となっ て、舞台へ向かって、あの大きなホールが割れるかと思われるほどの大きな拍手を 送っているのです。底知れない感動が、そこには、渦巻いていたと思います。何回も 何回もカーテンコールに応えてくれて、演者側も十分に満足しているようでした。ほ んと、これほどの公演は、またとないものでしょう。今世紀最高級の感動と言っても いいのではないでしょうか…

 総じて、登場人物が女性ばかりがほとんどですから、当然なのですが、女声の美し さというのを堪能できたように思います。1人1人が十分に立派な技術を持ってい て、各自の出番のところでは、その才を存分に発揮されていて、たっぷりと聴かせて くれていましたし、何よりも素晴らしかったのは、何箇所かに出てくる女声合唱で す。「ゾリステン」ではなく、完全な「アンサンブル」として成り立っている、その 透明感溢れる女声合唱というものは、他に聴いたことはないような気がします。そう いう、この上なく素晴らしい女声を、合唱やソロで、たっぷりと聴けたことは、収穫 だったと思います。そして、オケの演奏の素晴らしさに、演出の巧妙さ! 何をとっ ても、素晴らしすぎる公演だったと思います。当分は、この感動にむせび泣く夜が続 きそうです…