らいぶらりぃ
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神戸大学混声合唱団アポロン第36回定期演奏会

●日 時1998年12月13日(日)16時30分開演
●会 場神戸文化ホール・大ホール
●出 演指揮:出野純一/山根伸司
客演指揮:平田勝
ピアノ:安浪京子
神戸大学混声合唱団アポロン
●曲 目新実徳英(星野富弘)混声合唱とピアノのための「花に寄せて」
KARAI宗教作品集より Stabat Mater/Sanctus de Barcelona/De Profundis/Alleluja
荻久保和明(宗左近)/混声合唱組曲「縄文」

 今年も後輩達の演奏会がやってきました。卒業7年目ともなると、もう知った顔は いませんが(当り前だ…)、やはり、定期演奏会ともなると、(会場が、年に何度も 通って、隅の隅まで知り尽くしている文化ホールであっても)懐かしい感じになるも のです。

 さて、最初は、「花に寄せて」。今までにも、他の演奏等で何回も聴いた曲なの で、個人的には、何を今更…という感じもあったのですが、演奏の方はと言うと、… ふつうの演奏、という印象です。(^^; ま、それなりにきれいにまとめていますし、 こんなもんかな…というふうに聴いていました。それでも、最初のステージだから仕 方ないとは思いますが、声にはあまりハリがないような感じでしたね。割と平易な曲 なので、すぐにある程度は形としてまとまってしまうものだと思うのですが、そこか ら、どうやって音楽を深めていくか、がポイントなのでしょうね。そういう意味で は、ちょっと物足りなさも感じてしまうのでした…

 お次は、平田先生を客演に迎えての、カライの曲です。3月の頃に先生にたまたま お会いした時に聞いた話では、バッハのロ短調ミサなんかどうかと思ってる、という ようなことをおっしゃっていたのですが、結局は、カライになったのですね。(…え らい違いですな。^^;)カライはハンガリーの作曲家、かつて私達も平田先生の指揮で コダーイの曲を歌ったことがあるだけに、何か懐かしい感じもするかな…と思ってい たのですが、作風は全く違います。やはり、というか、とても前衛的な曲ですね。不 思議な和音が鳴る中に、叫び声やつぶやき声など、いろんな”声”が織り込まれてい るのです。「Stabat mater」、「Sanctus」、「De Profundics」、「Alleluja」、い ずれの曲にも、疎のような”声”が入っており、とっても不思議な感じがします。 ひょっとして、それらの”声”が、人間の様々な感情をはっきりと表わしているよう で、そうしたものを超越した存在としての神をたたえる、というような意味あいなの でしょうか… 平田先生の指揮はいつものごとく、お年を全く感じさせない、お元気 なもので、そのパワーの前に、団員の声もだいぶ引き出されていたようでした。どの 曲も、ダイナミクスの幅の広い曲で、盛り上がるところは、これでもか、ってくらい に盛り上がるんですね。それを、見事に響かせていたと思います。最後の 「Alleluja」は、なかなか感動的でもありました。久しぶりに、アポロンの演奏で、 おぉっ!と思ったような気もします…(別に、他の年のがあかんかったと言うつもりはあり ません…^^;)

 ただ、あれ?と思ったのは、演奏とは関係のないことですが、他の2つのステージ に比べて、明らかに、舞台に乗っている団員の数が少ない、ということ。オーケスト ラ等でしたら、楽器によって、出番があったりなかったりしますから、当然、乗り番 と降り番とがあるものですが、合唱には、そのようなことはありますまい。本番の前 に、オーディションと称して、技術系が、個々のメンバーの出来具合をチェックする のは、昔から行われていることではありますが、それとて、全員で一緒に一つの舞台 に乗り、一つの音楽を作り出す、という目的があればこそ、でしょう。技術系の人間 は、全員が乗れるようにフォローすべきですし、団員の側もちゃんと乗れるように努 力すべきものです。もし、それがきちんとなされていないのでは、ちょっと…と首を ひねってしまいます。ま、小数精鋭で、あれだけの演奏を聴かせてやったんだぞ、と 言われれば、それまでなんですけどね…(^^;

 メインは、「縄文」。6月の関混連でも1曲目だけをやってましたね。あの時は、 何だか中途半端だなぁ…と思ったものですが、それから半年、どれだけ成長したかな …と期待の中に演奏が始まります。…声は、確かに6月の時よりはよくなっています ね。割と前へと飛んできますし、悪くないんじゃない…と思っていたのですが… 何 故、人数が増えたのに、2ステのカライの時よりも響いてこないのぉ? と思ってし まいます。(^^; 迫力があまりない、んですね。特に2曲目。この行進曲って、内容 はすっごく切迫したものがあると思うのですが、そういう緊迫感が、いまいち伝わっ てこないんです。例えば、「しんしん」とか「はっは」とか「うんうん」とかいう擬 音語(?)がありますが、これにしたって、聴いただけで、その詩の描いている光景 がくっきりと眼の前に現れてくるような表現でないといけないと思うんです。それ が、ただ何となく音を出しているだけ、というふうに聴こえてしまうのです。何が 「しんしん」なのか、何が「はっは」なのか、そのようなことを、はっきりとイメー ジしていないと、この曲の中で荻久保さんが言いたいこと、「”縄文”とは何か?」 というテーマの答えは出てこないと思うのです。そういう意味では、もうちょっと内 容的に深い部分まで仕上げることができるのではないでしょうか。いや、1年間かけ て曲を仕上げるのならば、そこまで持っていくべきでしょう。ましてや、かつてのよ うに、4ステージの中の1つ、でなく、3ステージの中の1つ、なのですから、その 分、時間だって多く割くことができたはずです。もっともっとよくなるはずだ、その ように思われて、ちょっと残念な気もします。

 でも、指揮者には、かなりの思い入れがあるようには見て取れました。その、指揮 者の思い入れが団員全体にうまく伝わらなかったのかしらん… ま、いくら思い入れ が強くても、それだけでは音楽は作れないということは、私自身、経験してきたこと ですので、よく分かります。分かっている上で、上のような、ちょっときついような ことを、あえて言わせていただきました。不快に思われたら、ごめんなさい。

 来年は、京大ハイマートとのジョイントもあるのですね。来年はまた違ったカラー で、どのような曲を聴かせてくれるのか、楽しみであります。(マイナーな曲or大 曲、という選曲の路線は続くのでしょうか…?^^;)