らいぶらりぃ
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ラ・マンチャの男

●日 時1999年8月18日(水)13時開演
●会 場劇場「飛天」
●演 目ラ・マンチャの男
●出 演セルバンテス&ドン・キホーテ:松本幸四郎
アルドンサ:鳳蘭
サンチョ:佐藤輝
牢名主&宿屋の主人:上条恒彦
カラスコ博士:浜畑賢吉
アントニア:松たか子
神父:石鍋多加史
家政婦:荒井洸子
床屋:駒田はじめ
マリア:塚本理佳
宗教裁判所の隊長:大石剛
ギター弾き:水村直也
ムーア人の娘:萩原季里
フェルミナ:片岡身江
ペドロ:右田浩美
アンセルモ:越智則英
パコ:佐嶋宣美
テノリオ:新井武宣
ディエゴ:中村隆男
パブロ:大塚雅夫
ホセ:山本真裕
ファン:美濃良
フリオ:佐々木しんじゅ
護衛兵:鈴木良一/原田弘幸/小池浩司/山本直輝
連れ出される囚人:祖父江進
廷吏:中尾和彦/久野真人/栗林昌輝/村田究/長尾健吾/織田和馬/土師聡一郎/峯村鉄也
振付・演出:エディ・ロール
演出:中村哮夫
指揮:塩田明弘
フルート:大熊克実/鈴木徹
オーボエ:市川雅一
クラリネット:品川政治
ファゴット:三宅由利子
トランペット:宇都宮満人/仲村保史/小泉貴久
トロンボーン:鈴木聡/河野聡
ホルン:廣川実/藤原奈津子
ドラム:上池康夫
パーカッション:坂下久美
ギター:矢野信基/李偉玉
チェンバロ:川田泉
コントラバス:三好美和

 松本幸四郎さん主演の「ラ・マンチャの男」、幸四郎さんのライフ・ワークとも言 えるこの公演も、今年で30周年だそうで、会場にも大勢のファンの方がいらっ しゃっていました。私達夫婦も、特別にファンというわけでもないのですが、何とな く惹かれるものがあって、夏休みの1日、行ってきました。

 この「ラ・マンチャの男」とは、かのドン・キホーテの物語なのですが、それは ちょっとだけ複雑な形で演じられていきます。というのも、主役の松本幸四郎さんは ミゲール・デ・セルバンテスであり、そのセルバンテスが牢屋で牢名主らの前で演じ る即興劇の中でアロンソ・キハーノという田舎郷士になり、そのキハーノがドン・キ ホーテになりすまして旅に出る…という劇を、牢屋の中の他の囚人達と一緒に演じて いく、というお話なのです。いわば、幸四郎さんは3役を演じているということでも あり、ぱっと見た目には難しそうな感じもします。私もあらすじを読んだ時には、 ちょっと難しそう…と思ったのですが、でも、見ているうちに段々と、必ずしも難し いものではないことが分かってきます。それは、劇中劇で演じられている「ドン・キ ホーテ」が、すなわちセルバンテス自身の物語なのでは、と思えてくるからです。も ちろん、実際のセルバンテスが「ドン・キホーテ」を書いたわけですが、それはセル バンテス自身の想いが、ドン・キホーテという英雄に込められているわけであり、そ れはつまり、彼自身の姿を映し出しているものである、ということでありましょう。 ということは、このミュージカルの中で、セルバンテスは自ら、アロンソ・キハーノ を演じながら、いつしか、そこに自分自身を重ねながら、ドン・キホーテを演じてい る、そういう意味で言えば、この3役は、別々のものでなく、一体同心のものであ る、と言えましょう。そう気付くと、このミュージカル自体、そう難しく捉えること はないのでは、と思います。

 そして、それを演じる幸四郎さん…さすが、貫禄がありますね。演技ももちろん、 いいのですが、それ以上にいいな、と思ったのは、歌唱です。しっかりしたバリトン 声で、かの「見果てぬ夢」のナンバーを朗々と歌い上げていくのです。これは、ファ ンの人にはたまらないのだろうな、と思います。歌舞伎役者として、発声からして しっかりしたものを持ってはるからなのでしょうね。素晴らしい歌唱力を持ってい らっしゃるのだということを改めて実感しました。

 他の出演者では、やはり、鳳蘭さんが際立っていますね。あばずれ女のアルドンサ の役ですが、これがほんまにごっついあばずれぶり。「はん!」と、周りの男どもを あごであしらうような、豪快さを見事に出しています。しかし、ドン・キホーテ、い や、キハーノに、ドルネシア姫、と慕われることにより、彼女も次第に、単なるあば ずれから目覚めていく…というのが、また、この物語の見所のひとつですが、その辺 の演じ分けも素敵ですね。最後の、死の床のキハーノの前で、もう一度、ドン・キ ホーテに戻っておくれ、と涙ながらに訴えかける様は、なかなか泣かせますね。元宝 塚スターの貫禄、というものでありましょう。

 また、親子での出演が話題の松たか子さん、私も密かに、彼女を見るのを楽しみに していたのですが(^^;、彼女の歌う「あの方の事を考えてばかり」も素敵でしたね。 もちろん、歌手としての実力も、既に知られてはいるところですが、改めて、いいな と思います。叔父のキハーノのことを想って歌うこのナンバーは、あたかも、それを 演じている実の父親の幸四郎さんへの想いも込められているのかしらん…などとも 思ってしまいますが、清楚でしっとりとした空気を、一時、会場に漂わせていまし た。

 音楽的な面を見ていくと、こうした、キャスト達の歌唱力の素晴らしさの他に、 オーケストレーションの良さも目につきます。弦楽器が、ギター以外は使われていな いのです。ギターは、やはり、スペインというお国柄を出すためのフラメンコ音楽、 いう意味でも外せないものなのでしょうが(実際、開演までの時間は、フラメンコ・ ギターのBGMがかかっていた…)、ふつうならありそうなストリングスがないので すね。パンフレットには、作曲者の言葉として、きびきびとした音を出すために弦楽 器は使わないようにした、というようなことが書いてありましたが、確かにそうする ことで、パンチの効いた音楽ができていたと思います。いわば、ブラスバンドと同じ ようなものですね。ストリングスが入ると、かなり華やかになるのでしょうけど、そ うせずに、人の息づかいがもろに出てくる管楽器を主体として音楽を組み立てること で、このドラマの中に出てくる人物達の人間臭さというものを表現しようとしていた のでしょうか…

 演出の面では、何よりも、舞台前面のオケ・ピットの部分も舞台の延長として扱っ ているのに、目がいきます。即ち、オケ・ピットは普段通り、沈めているわけです が、そこへ舞台上から降りていく階段が設けられており、これを使って、宿屋の上の フロアから下のフロアへ降りていく、とか、岩場から下へ降りていく、とかいうよう な光景を表現しているのです。普通のオペラ等の舞台を見慣れている者にしてみる と、こういう使い方もあるのか、とちょっと驚きでもありました。巧いですねぇ…  また、舞台上の天井近くの部分にも高い台(というか足場)が設けられており、そこ からぐぐ〜っと梯子が降りてきて、舞台の牢屋とつながる、という上下の空間の使い 方もいいなぁ、とも思います。上が現実世界としての牢屋の外の世界(=法廷とか …)、下の舞台が現実世界では牢屋であり、また仮想世界(?)では、ドン・キホー テが活躍する夢のあふれる世界、というわけです。そういう対比がまた、演出の効果 を高めているとも思います。その意味で印象的なのは、劇中劇が盛り上がっている途 中、突如としてこの梯子が降りてきて、上からの声により、囚人が1人、連れ出され るシーン。牢の中で仮想の世界に興じているところへ、突然にも現実を突き付けられ たかのようで、これは、現実vs仮想(=夢とか…)という、このミュージカル自体の ひとつの主張を象徴しているのでは、と思うのです。

 ドン・キホーテもまた、カラスコ博士の扮する鏡の騎士により、己の現実の姿、年 老いたキハーノであるという事実を突き付けられます。ドン・キホーテは、夢を追い 求める騎士であり、それになりきっているキハーノもまた、年老いたとは言え、夢を 追い続けることに変わりはありません。それが結局は、現実の前に打ちひしがれ、や がて、家で死の床につく…というのが、牢屋で演じられる劇の内容です。それは、牢 屋の中で即興劇を演じることで自らの夢を実現させようとしているセルバンテスが、 やがて最後に法廷へ呼ばれて出ていく、という現実世界と、ちょうど重なるのではな いでしょうか。そして、それだけで終ってしまえば、結局、夢というものは、空しい もの、現実の前にははかなくもくだかれてしまうもの、とでも言いたくもなります。 しかし、セルバンテスは、連れ出される時、牢名主の「セルバンテスとドン・キホー テは兄弟か?」という質問に、「どちらもラ・マンチャの男だ」と答えています。セ ルバンテスにとって、ドン・キホーテはあくまでも、夢の象徴であり、自分もそれと 同じラ・マンチャの男だと言うことは、夢は最後まで捨てない、ということなので しょう。実際、劇中劇のラストでは、キハーノが再び、ドン・キホーテとなり、ドル ネシラ姫(アルドンサ)と共に「夢…」を高らかに歌い上げるのです。この二重構造 とでも言うべき構成の、このミュージカルは、非常に巧みに現実と夢との対比をさせ ながら、結局のところ、夢を追い求めることの素晴らしさというものを、見事に表現 しているのではないでしょうか。

 …とまぁ、何だか難しいことを書いてしまいましたが、要は、素晴らしいミュージ カルであった、ということです。(^^; 途中休憩なしの長帳場に、疲れたぁ、と言い ながら、妻と2人、劇場を後にしたのでした…