04/02
1988年「GENJI GENKI 爆発」オープニング、さあ、きょうも素晴らしいお便りのご紹介から始めさせていただきましょう。佐藤寛之さん、よろしくお願いしますと諸星くん。寛くんも「はい、かしこまりました」と妙に丁寧に会話する2人に、ちょっとおかしいんじゃないの? 最近忙しいから頭の中グチャグチャになってるんじゃないの? と3人。それに構わず、今度はいつもの調子で、「GENJIのみなさんこんばんは。突然ですが、みなさんは自分の名前は好きですか?」と葉書を読む寛くん。「好きでーす」と答えた諸星くん、晃くんに格好いい名前だねと言われ、昔は女の子みたいと言われて、恥ずかしかったけど、今は誇りなどと言って、寛くんも「寛」は寛大の「寛」で…と2人で盛り上がって、君たちももっと盛り上がらなきゃと言うので、やっぱり危ないんじゃないの? と言う晃くんが言うと、諸星くんは一番危ないのはこーゆーことをやらせるディレクター・はたきんでしょうと。
今回はいきなり電話から。おばあちゃんが光GENJIのファンだと言う女の子の家に電話。おばあちゃんを呼んで来てと諸星くんに言われて、呼びに行ったらしいけど、おばあちゃんは部屋で光GENJIのビデオを見ていて、部屋に入ると怒って、光GENJIから電話と言っても信じてくれなかったと言うことで、電話には出てくれませんでした。確かに信用はしてもらえないかもしれないけれど、おばあちゃんも折角光GENJIと話せるチャンスだったのに、惜しいことしちゃったよね。
後半もお父さんが古くなった食品を平気で食べてしまうので困っていると言う葉書を読んで、その子の家に電話。札幌だから腐らないでしょう? なんて諸星くんは言ってたけど、寒くても日が経てば腐るよねぇ。家族もみんな光GENJIファンだと言うので、お母さんや妹さんも電話に出ました。光GENJIはお母さんもファンって言うのをよく耳にしましたが、親子でのファンが多かったから、あの大人気だったんでしょうね…。
札幌の話題になり、札幌には「サブローシローの歌えヤング大放送」で5人で行った事があると思い出話をする諸星くん。でも飛行機降りたらすぐ車に乗って、すぐ舞台で、終わったらすぐ帰って何もなかったと。今度はゆっくりじっくり1週間くらい泊りで行きたいと話してました。晃くんは田舎が北海道なので、何度か行った事があると言ったら、他のメンバーも初耳だと言うことで、晃くんの田舎の話。晃くんの田舎は枝幸でしたっけ? 北海道の北の方ってことで、その頃は連絡船で行ったと話す晃くん。おばあちゃんの家は浜で何もないけれど、ウニ小屋があって、近くに牧場もあって、家と家の間もすごく遠くて、北海道は良いところと言うので、じゃあ、今度行こうか? と諸星くん。
来週から放送時間が月曜の夜9時15分からに変更になりますと告知をしてエンディング。4月はスタートの季節って感じで、僕達も新しい気持ちでガンガンやろうね。ただのGENKI爆発じゃなくて、大爆発になるようにねと言うメンバーでした。
1989年「栄光のアイドル25年史」これはテレビ東京の番組だったかな? アイドルの25年史ってことで25年間のいろいろなアイドルのVTRが流れました。光GENJIは「ヤンヤン歌うスタジオ」(多分)で「STAR LIGHT」を歌った時のものが少し流れました。
1990年名古屋2日目。この日は2公演とも観れました。でも、あんまり楽しいことはなかったかなぁ。内海くんが結構淳くんのことを構ってくれてて、MCの時もなにやら話をしてたり、アンコールでは落ちていたポンポンスティックを淳くんの背中に入れてくれたりしてました。で、最後引っ込む時に手をパンパンパンって合わせてたり…。例のバク転技も毎回2人でやってましたしね。そうそう、内海くんは「本気さBaby」のイントロで『お魚くわえたサザエさん』って歌ってました。
2部のMCでは大沢くんのドラマでのキスシーンの話から、昔、淳くんもキスシーンをやった話になって、諸星くんが「山本の口はしまりがない」っていじめてくれて、自分で言っておきながら内海くんに「苛めちゃだめだよ」と言って、「自分じゃない!」って言われてました。諸星くんと淳くんはミュージカルの中のシーン2人で組んで柔軟体操してました。で、淳くんはコロンって転がされてたかな…?
1991年名古屋2日目。この日から構成が大幅に変更になりました。寛くんのソロが1曲と「奇跡の女神」も1回分カットされて、少し短くなりました。中盤も派手に曲順が入れ替わり、大沢くんのソロとラストにやっていた洋楽メドレーがアンコールになり、洋楽メドレーの最初の部分は諸星くんのソロになってました。アンコールがソロからってちょっとどうかと思いますけどね…。で、洋楽メドレーがアンコールに来てしまったので、この時に着ていた黒のジーンズの上下の衣装がなくなってしまいました。この日からのメニューはこちらです。
この日の1部は特に面白いことはなかったかなぁ。MCの後の「時のかけら」でそれまで着ていた銀の衣装(「風の中の少年」のCDジャケットの衣装)からイメージカラーの短パンの衣装になったら、この衣装の生地が薄いもので、諸星くんの黒い下着が透けちゃってて、それを見て淳くんが歌いながら笑ってました。この衣装、諸星くんや敦くんなど淡い色の子は下着が透けちゃって、ちょっと困った状態になってました。その後、替え歌なんかも出来てましたね(笑)。
2部のMCではひとり離れたところに立っているのを指摘された晃くんは、「俺が見てたのは淳くんのココ」って言って、淳くんのうなじを触ったの!(でも、私の席からはちょっと角度が悪くて、どこを触ったのかはっきりわかりませんでしたが、耳の後ろ辺りを触ったのは確かです)しかも「可愛いんだよね」とまで言ってくれちゃって、見てたこっちも驚いたけど、言われた淳くんがビックリしてたのがまた…。この時のMCの最初のところでは淳くんは諸星くんに衣装の胸の尖がりを触られて、やめてよと嫌がってました。
内海くんのソロの登場が客席になったのはこの回から。(多分…。淳くん以外はチェックが甘い私なので違ってるかもしれませんが、1部でだったらそのすぐ下の席だったのにってメモが残ってるので、2部からのことだったと思います)間奏で走って今度はステージに出て来てました。
「I Love Youは雲にのせて」の前、これには参加してない諸星くんは「楽器やるんでしょ」と言って、ガキを連れてきたり、笑い袋を持ってきたりしてました。諸星くんも参加してくれればよかったのにね…。この回から淳くんは途中までだった木琴の演奏は最後までやるようになりました。
この日から寛くんの「星に願いを」で「風の中の少年」の衣装の白いコート(前日はトレンチコート)を着るようになり、2部では最後のところで広げたコートに☆のレーザー光線が映し出されて、格好良かったです。寛くんってアイデアマンって思ったわ。
1992年名古屋の初日。私はこの日から神戸の最終まで7日間の旅でした。
この日は1部でのVICTORYメドレー繋ぎの諸星くんのナレーションが生で「OVER THE DREAMS」の前では「どうして僕は顔が白いのだろう。なんで僕は内股なんだろう」と寛くんの感想文を読み、それを受けて寛くんも『抱きしめてる白い顔〜』なんて歌うので、大爆笑でした。
「MY FRIEND」前の諸星くんと淳くんのMCはきんさん、ぎんさんの真似などしていた2部の方が長かったし、面白かったです。この2人、全員でのMCでも寛くんと敦くんを巻き込んで楽しそうにケンカしてました(^^;)。
後、2部からちょこっと変わったのが内海くんのソロで出てくる敦くんの帽子にベールが付いたこと。ベール持ち上げて内海くんにKiss(真似)する姿がなんとも言えませんでしたね…。この時、1回くらいこの役、淳くんもやってくれないかなって思ったものでしたが、それは神戸で実現されました。
この日の詳しいレポートはこちらをご覧ください。