きょうの思い出

05/05

 1988年「'88こどもの日スペシャル 光GENJIだぜ!」これはこの日、テレビ東京で半日くらいやっていた子供の日の特別番組だったと思いますが、番組の正式タイトルは忘れちゃいました(^^;)。「光GENJIだぜ!」ってのはコーナータイトルだったと思うの。で、番組中、2回このコーナーはあって、Part1は「光GENJIのローラースケート教室」でした。
スタジオに集まったちびっ子達の前にローラースケートで登場の彼らが「ローラースケート好きな人」「ローラースケートできる人」と聞くと元気に手を挙げて返事をするちびっ子達。平均6、7歳かと思われるのに、かなりの子は昔からやってたって言うのよ。でも、きっと昔と言っても2、3ヶ月前ことだと思うけど…。
そんな子供たちにきょうは僕達がローラースケートのテクニックをVTRえ見せちゃいますって言って、VTRを見るんだけど、これが「あぶない少年」でローラースケートで転んでるNGシーンばかり…。ローラースケートは最初から上手い訳じゃないんですよ、一生懸命やることが肝心ですと言うメンバー。まず転び方から覚えるんですと諸星くんが上手な転び方のお手本を見せてました。でもどう転んでも痛いものは痛いと思う。
次は滑り方の基本で見本を見せたのは寛くんと淳くん。寛くんはバランスの練習のお手本を見せ、何人か子供にも出て来てもらって一緒にやってました。淳くんはステップの練習で同じく子供たちと左右に足を出してのその場ステップをやってました。
続いては内海くんと晃くんによる2ステップの練習。その場で足の動かし方の練習をした後、子供たちの手を引いて歩く練習をしました。みんな一応滑れてたけど、ちょっと足元危なっかしくって転んじゃう子もいました。
次はちょっと高度な技でスピン。これはスピンの得意な敦くんが実演。小さい子にはさすがに無理な技だから、これは実演してみせただけで、練習はしませんでした。
最後は道路ではやらないようとの注意があり、ローラースケートもブーツ型の方が上手にできるよとのアドバイスがありました。そして全員で滑って1部のローラースケート教室は終了。
Part2は「光GENJIの質問コーナー」。これはそのままちびっ子からの光GENJI質問コーナーでした。子供たちの素朴な質問攻めで、諸星くんにどうしていつもひとりで目立ってるんですか? だの、敦くんにはどのくらいでローラースケート上手になりましたか? だの、大沢くんに何でバク転が上手いんですか? ってのはまだマシな方で、内海くんへの何色が好きですか? とか淳くんへ何型ですか? 寛くんにいつも何食べてますか? って質問には聞かれてコケてました。晃くんも自分の顔を格好いいと思いますか? って聞かれてちょっと困ってました。ちなみに、彼の答えは半分思って、半分思ってないでした。
各コーナーの合間にはメンバーひとりひとり、両親へのメッセージを述べてました。「アイドルどーむ」の青春のフレーズみたいな感じだったけど、映像と話してるのは別で、淳くんはバク転などしてました。
Part1では「ガラスの十代」Part2では「パラダイス銀河」を歌ってるVTRも流れ、番組中「光GENJIクイズ」がメンバーから1問ずつ出題されました。

 「ザ・ベストテン」6週連続1位のくす玉はこいのぼりの形でした。この日、甲府でコンサートを終えて番組に駆けつけた彼ら、5時48分にコンサートが終わるとそのままバスで市内の平安閣に行き、そこからヘリコプターに乗り込み6時8分に甲府を離陸し、都内には夜間発着設備のあるヘリポートがないので埼玉県桶川市に着陸したのが6時56分。そこから裏道を通ってTBSまで来たそうですが、8時4分にはもうTBSに着いていました。何でこんな大移動をしたかと言うと、番組に出演するからってのももちろんだけど、晃くんと敦くんが明日は学校があるので(淳くんは?)、中継はとても無理だからとのことでした。
登場したときはスパンコールの衣装だったけど、歌はコンサートでも着ていたブルー(光は紫)のアラビア風の衣装でした。間奏に全然アニメは入らず、ずっと踊ってましたがローラースケート履いたままなので、間奏後はグルグル周ってるだけでした。この日のセット、市松模様で目の錯覚を起こして奥行きがあるように見えるんだけど、そんな中で踊ってて気持ち悪くならなかったかなって思っちゃいました。
もうすぐ晃くんのお誕生日が近いってことで、提供画面でバースデイケーキを前にお祝いしてもらってましたが、ケーキのロウソクの火を消そうとしたら横から諸星くんに消されてしまって、固まってました。諸星くんは後ろから少年隊の誰かに頭を小突かれてたけど、東山くんかな…?

 1989年「ミュージックステーション」前週の予告通り、この日はロサンゼルスからの衛星生中継でした。午前4時の生中継ってのも辛いと思う…。中継場所はビバリーヒルズにあるED's DEBEVIC'sと言う50'sのお店。早朝と言うか、夜中の中継なのに地元の人が大勢いました。諸星くんはみんな僕達の歌を知ってるんですよと言って歌ってもらうんだけど、バラバラの滅茶苦茶でした(^^;)。メンバーにもアメリカの印象をインタビューしていた諸星くんだけど、時間がなくて答えたのは3人で淳くんが人間が大きい、晃くんが人が良くて、話かけてくれて優しい、大沢くんがアメリカを動物に例えると鋭くて迫力があるイーグルとか、ウルフって感じとのことでした。諸星くんがみんなが言いたかったのはアメリカはNO.1ってことですとまとめてましたが、僕は日本が一番好きですとも言ってました。
歌はその場で歌ったのと、ロス市警の全面協力による砂漠でヘリコプターを使っての大ロケーションのVTRも流れました。お店ではインカムつけてローラースケートで踊ってましたが、ちょっと狭かったのでメンバー同士の接触がありました。

 「GENJI GENKI 爆発」オープニング、「何をしている時が一番落ち着きますか?」との質問葉書を紹介した後、それぞれの答え。敦くんは自分の部屋にいる時、寝てる時。晃くんは音楽を聴いてる時。淳くんは暗いところで寝ながら音楽を聴いてる時。寛くんはお風呂に入ってる時で、たまにラジカセを持ち込むとのこと。諸星くんは仕事をしてる時。仕事がない時は辛いですからねと言って、メンバーからも大人しくしてる時の方が心配なんて言われてました。
リンリン…と電話のベルが鳴り、「お馴染みになりました」と言ってるけど、この日から始まった新コーナー「テレフォンパニック突然ごめん」。これはファンの子に、突然電話をしてしまおうと言うものでした。
まずは北海道の子に淳くんが電話。まずはお母さんが出たので、本人に代わってもらって「山本と申しますけど、わかりますか?」と言ったら、あっさり「わかります」と言われちゃって、諸星くんに友達だったんじゃないの? と言われてました。最初に出たお母さんがすでにわかっていたらしくて、お母さんが友達だったんだ…とも言われてました。晃くんファンだと言うこの子も、敦くんファンの妹さんも妙に冷静だったので、電話を切ってから、最初がこんなに冷静だったので、電話掛けにくくなっちゃいましたね…と言う諸星くんでした。
後半も別の人に電話。今度は寛くんが掛けたのだけど「わかります?」と聞く寛くんに「わかりません」と冷たい一言。諸星くんが代わっても悪戯電話かと不審がられてて、番組からと名乗り、葉書のことなど言ってやっとわかってもらえて諸星くんもホッとしてました。この子も晃くんのファンだったのだけど、誰のファンですか? と聞かれて「赤坂」と呼び捨て。最後にリクエスト曲を聞かれた時も「赤坂の、赤坂の…」と言ってて、いきなりの電話に緊張してたのだと思うし、友達同士では晃くんのことをそう呼んでるのかもしれないけど、本人を前にしてるんだから、「くん」を付けようね…って。
エンディングは新コーナーについてそれぞれ一言ずつ。敦くんは突然電話をすると言うのは、新鮮でいいと言うと、諸星くんもその人の性格がわかるしねと。晃くんは面白くて、わくわくして良かったと思います。淳くんは突然の電話へのリアクションがいいですね。寛くんは出た時のスリルが聞いてる人にも面白いんじゃないかと思いますと言うことでした。ファンヘ電話するのって、多分本人達はいろいろ喋るのより、楽だと思うのでこのコーナーはずいぶん長く続いたけど、私はあまり好きじゃありませんでした。

 1990年横浜4日目。この日の1部は親子デーでシングルメドレーがカットされてました。2部は復活してるかと思ったけれど、そのままでした。
この日も前日にやってたマイク7本持たせを2部で再びやらされてしまった淳くん、「アピアピって言うのはちょっと…」などと言ってたのだけど、またみんながいなくなってしまったので「誰か助けに来てよ」と助けを求めたら内海くんと大沢くん、敦くんが出て来てくれて、大沢くんが大沢くんの顔の大きなボード持ってるのを見て淳くんは「晃だ、晃だ」と言ってました。
映画の予告を見てる時に晃くんと並んで座って(と言うか、晃くんは半分寝てたけど)見てて仲良しさんだなぁと思ってたけど、「R&R ALL NIGHT」で出て来たときにも2人でお喋りしてて仲良しさんでした。「PUNK」のラストのところでは淳くんが晃くんに何か耳打ちしてて、淳くんがちょっとつま先立ちって感じで、晃くんが頭を傾けてた構図が可愛くて好きでした。いつもあんな風にして喋ってるのかなぁってね。
前日から「なななのなの時間割」に大沢くんも参加してたのだけど、この日も1部2部とも参加して、6人で踊ってました。
ミュージカルのナレーションは1部は淳くんが担当、2部は内海くんに戻ってました。2部は内海くんのご家族が来場してたので、そのせいもあったかなと思ったりして…。2部はミュージカルの前に名前を呼ぶ子は嫌いですなどと注意があったのでこの回は静かでいいなと思ってたのですが、マモルくんのお母さんが死んだと知ったシーンで「嘘やー」と叫んだ子がいたので、そこからいろいろ声が掛かってうるさくなり始めちゃって、淳くんの「マモルくん、頑張れよ」のところで「頑張るよ」って合いの手が入ってから敦くんが目に見えて不機嫌になっちゃって、声のした辺りを睨みながら台詞を言ってて、かなり怒っているようでした。頑張ってやってるんだから、気持ち良くやらせてあげて欲しいよね。敦くんのご機嫌はコンサートラストの頃にはだいぶ治ってたようで、横浜では初めて「R&R ALL NIGHT」のラストの内&山のバク宙にステージ縦方向から参加してました。

 1991年横浜3日目。この日の1部は親子デーだったので、更にまた曲をカットしてくるかと思ったのに、前日カットされてた「DREAM FLIGHT」と「恋の流星ブギ」再び復活してました。この日はビデオ撮りもあったので、そのせいかな? この2曲は客席も盛り上がるから(特に「DREAM FLIGHT」)毎回やって欲しいものです。でもこの日の2部の「DREAM FLIGHT」でアクシデント発生。みんなで繋がってステージを大きく周っていた時の2周目で後ろから2番目にいた大沢くんはステージから転落。他のメンバーも驚いてみんなしばらく動きが止まってました。曲のラストに大沢くんは自力でステージに上がって来ましたが、落ちてフェンスにぶつかったみたいだったので、大丈夫だったかと心配でした。
大沢くんと淳くんは「AMATERASU」でステージ端っこに行ったときに肩と腰に手を回しあったりしてちょっと珍しい2ショットを今回見せてくれてましたが、この日の2部では「ファンタジェンの英雄」で出て来た大沢くん、淳くんの側に寄って来たと思ったら肩をトントンってして、淳くんが振り向いたらほっぺに指がプニッて…。ステージ上で淳くんで遊ぶ大沢くんでした。
横浜では多分この日初めて内海くんがソロでBOX席に登場しました。横浜アリーナで客席に出るとしたらBOX席しかないけれど、横浜アリーナは広いからね、それまでは確か普通にステージに出てたと思います。で、BOX席からの移動に時間がかかるから、この日は間奏が長かったの。内海くんが必死に会場内を走ってる様子を想像すると笑っちゃったわ。
1部のMCは短め、2部は普通で寛くんのドラマのキスシーンの話や内海くん、大沢くんのテレビ出演の話などをして、ビデオの予約特典のリストバンドで遊んでたりしてました。客席のざわめきから淳くんがいち早く晃くんのお誕生日に気付いてあげてお祝いしてあげてましたが、その晃くんは淳くんをペット扱いで、首に縄付けて引っ張ってるなんて言ってました。淳くんも引っ張られる振りしてたけど…。これは1部で諸星くんが「僕のペット、山本」って言ったのが影響してるのかもしれない…。
2部のアンコール「PROUD MARY」の時に鳴るマグネシウムに内海くんと晃くんと3人で耳を塞いでビクビクしていた淳くん、その後、晃くんと一緒に上着を脱ぎながら前の方に歩いて来て、多分晃くんの方が誘ったんだと思ったけど、2人でせーのでバク宙してました。晃くんがバク宙すること自体珍しかったのに、2人一緒にやったのでビックリしました。これはこの日に撮っていたビデオにしっかり入ってましたね。

 「歌謡びんびんハウス」まずは「びんびんホール in ワン」に諸星くんが挑戦。目の前で工藤静香ちゃんがホールインワンしたばかりだったけど、諸星くんのも惜しかった。更に次にやった淳くんは数p手前で止まる惜しさ。その次の内海くんもかなり惜しかったです。で、アッコさんが光GENJIのボールを入れましょうと言って投げたんだけど強すぎて淳くんのボールは跳ね飛ばされてしまいました。そして自分のボールがニアピンに。新人の中嶋美智代ちゃんのボールは内海くんのボールに当たってホールワンになったのだけど、先輩に申し訳ないと思ったのか、入った瞬間、顔をしかめてました。
「フォーカスゲーム」には大沢くんと敦くんが解答者として参加。2問やって1問正解者が大沢くんを始め数名いたのでジャンケンでトップ賞を決めたら中嶋美智代ちゃんが勝って、彼女はまた申し訳ながってました。
「びんびん絵スチャー」はアッコさんチームで参加。これは曲のタイトルを絵に描いて、他のメンバーが当てるゲームで、諸星くんが1問描いてましたが出題が「燃えろいい女」で難しいかなと思ったけど、ギリギリで内海くんが当てました。光GENJIのメンバーが結構活躍して、アッコさんチームが優勝しましたが、人数が倍以上違ってたから、頭数での勝利って気もしますね。
この日は「一言クイズ」は光GENJIが担当してて、CMの前などに出題してました。

 1992年横浜4日目最終日。最初はイマイチと言っていた横浜でのコンサートでしたが、終わってみればそれなりに楽しかったかなと。
この日のMCはヨーロッパでの話がメインでしたが、気が合うから一緒に行ったんだよねと言う淳くんに「誰が合うんだ、俺が合わせてるんだよ」と諸星くんが言うので「違うんだよなぁ。向こうでは違ったじゃない」と淳くん言うから、向こうでは余程、諸星くんと仲良しさんだったのねって思ってたら、その後発売されたビデオは予想を越えた仲良しさん振りでした。こーゆー動かぬ証拠があると言うのに、素直じゃないんだから、諸星くんてば…。
この年の横浜では最初から最後まで毎回晃くんはお誕生日祝いをしてもらってて、ツアー中にお誕生日のない淳くんファンとしては羨ましかったけど、晃くんの指名もあって、毎回淳くんの応援団長でやったので、実はどっちが主役かわからない状態で申し訳なかったですね。この回は「ハッピーバースデー」を歌ってる淳くんに諸星くんがちょっかいを出したりするから客席の目はほとんど晃くんを見てなかったのではないかと思うし…。そんな今回のMCについてもうちょっと詳しく知りたい場合はこちらをどうぞ。

 1993年SAY'S出演の「徹子の部屋」は時間切れのため、今はパスします。ごめんなさい。できれば近い内に入れたいと思いますが、いつになるか…(^^;)。

 1994年横浜3日目、最終回。たった3日のコンサートなんて本当にアッと言う間に終わってしまいました。
この日のMCではペットの話をいろいろしていて、大沢くんの飼ってる猫の名前がパムと判明。名前の由来を聞かれて答えようとしてたら客席から晃くんのバースデーコールが起きて、そのうち雑誌かなにかで紹介しますと言って流しちゃいましたが、その後、パムちゃんの雑誌の紹介はありませんでしたよね!?
この日は最終日なのにお昼の1回公演のみと言うこともあって、予想通り最後にダブルアンコールがありました。曲は「WININNG RUN」。ステージから降りちゃうメンバーもいて、客席も大混乱となったのでした。そんな混乱になるべく巻き込まれたくなかったんだけど、目の前で晃くんが降りたもので私の周りは大騒ぎとなり、お陰でラストなのに淳くんを見た記憶がイマイチなく終わってしまいました…。
この回の詳しいレポートはこちらをご覧ください。


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