07/27
1987年この日からミュージカル「STAR LIGHT EXPRESS」のスポットCMに多岐川裕美さんと出演。CMは多岐川さんが演じるダンスの先生とその生徒の光GENJIがレッスンをしている「レッスン編」とオーディションを受ける「スター誕生編」の2本があったそうですが、まだ光GENJIの存在すら知らなかった私は、残念ながらこのCMを見たことはありません。こんなCMが流れていたことすら、数年前、たまたまもらった雑誌の切り抜きで知ったくらいですから…。どなたかこのCMの記憶のある方、いらっしゃいましたらもう少し詳しい内容を教えてくださいませ。
1988年「あぶない少年2」山本が学園代表で弁論大会に参加して留守中、ローラースケート部員たちは部室で夏の合宿について話し合いをしていた。その時、子供の悪戯で部室の窓ガラスが割られ、子供を捕まえようと部室を飛び出して行ったメンバーだったが、子供を捕まえることはできず、彼らがガラスを割ったのだと疑う心藤先生に内海達は説教を受けた。1週間以内に犯人を捕まえられない場合は自分たちで修理費用を負担するよう言われたメンバーは、何とかその子供を捕まえようとするが、あまり見かけない子供だったと言うことで、例のコーチの仕業なのではないかと疑う。しかし、相手が子供なのでそれも釈然としない思いをしていた。その頃、女子生徒たちも子供の悪戯に被害を受けたと憤慨をして、もしかしてその子供は諸星の弟ではないかとウワサされた諸星はくしゃみをしていた(笑)。
部活を終わらせ、お腹を空かせた内海たちが寮に帰って来て、出張で東京に出掛けている鎌倉先生の代わりに来ていた一色先生と食堂で話をしていると再びガラスが割られて、先生はガラスで足を怪我してしまった。怪我の治療を済ませて、先生を赤坂と敦啓に任せて、内海達が食堂に戻ったところで弁論大会に行っていた山本が帰って来、窓ガラスが割られているのを見て不審に思う。子供の悪戯でしょうと言う山本に、怪我人が出てるのだから悪戯ではすまされないと言う諸星。そこへ、寛之が入って来て、寛之が怪我したのかと勘違いした山本は慌てて寛之に駆け寄ったが、怪我をしたのは一色先生だと聞いて、先生を見舞いに部屋に行った。
翌朝、警察に届けるべきだと言う諸星に、相手は子供だからそこまでしなくてもと言う一色先生は、その子供と話をしてみたいと言う。きっと何か理由があるはずだと言う先生に、大沢もその子と話をしたいと思った。
心藤先生の誤解も解けて、謝罪をしてもらった内海達は、高村先生から後は子供を見つけて、もう悪戯をしないように注意をしてやることだと言われるが、今の子供たちは塾や勉強に追われ、仲間と泥んこになって遊ぶことも少ないだろうから、可哀相かもしれないと話をしていた。その日の部活中、物陰から練習しているのを眺めている少年がいるのを内海と大沢は気付き、もしかしてあの子供が…と思うが、淋しそうにしていた姿に、違うだろうと結論を下した。その少年は転校して友達が出来ないので淋しい思いをしていたのだった。
翌朝、早々と登校した内海と大沢は部室から少年がローラースケートを持ち出そうとしているところに遭遇し、その子供が窓ガラスを割った犯人だったので部室に連れていったが、少年は反抗的な態度で名前や何処から来たのかとの質問にも真面目に答えず、困り果てる内海と大沢だった。
前週に引き続き、この日も諸星くんの撮影所探検がありました。この日は「あぶない少年」を撮影しているスタジオをレポート。カメラマンの邪魔をしたり、光GENJIに遭遇して、リハーサル風景などをレポートしてました。衣装室やメイク室、VTR室など普段見れないところの紹介も楽しかったです。
ラストの「ゲーム・ざ・光GENJI」コーナー、この日はドンケツ大会。これはトーナメント形式で、光GENJIは上の4人が参加。初戦は大沢くんと寛くんは女の子との対決で、大沢くんは勝って、寛くんは負け。諸星くんは心藤先生とやって、最初は負けたんだけど、先生の方が早かったとクレーム付けてやり直し、今度は勝ちました。内海くんは鎌倉先生との対戦で勝利。この日はここまででした。
1990年「ミュージックステーション」この日は聖飢魔Uがスタジオで大暴れ。それにメンバーも乗じてセットを目茶苦茶に…。諸星くんはデーモンさんからカメラを渡されてカメラマンをやって、テーブルの上で踊る内海くんやデーモンさんを映してました。しかしあれだけ目茶苦茶にしたのをよく短時間で復活できたなぁと感心したりして…。
この日の歌は晃くんのソロを交えて「風はオレンジ」と「バラードにリボンをかけて」のメドレーでした。胸に大きなチェックのハートのアップリケの赤いTシャツは、晃くんのソロにはちょっと…って思ったけど、淳くんが着てると可愛い(ってファンの欲目!?)。このTシャツも嫌いじゃないけど、最初の白いシャツがノーブルで好き。
「M-STATION情報」では黒柳徹子さんと一緒にステージに立つ諸星くんのVTRが流れました。
1991年ツアー2ヶ所目は高松。私は香川県出身なので高松に行くのはそう遠くまで行くって感覚はないのですが、コンサートで行ったのはさすがにこれが初めてだったかな?
会場は高松駅からは結構遠かったけど、現地で合流した友人の友人が車で来ていたので、車で移動できて楽できて助かりました。で、11時頃会場には着いたのに、12時になっても入場できず、やっと入れたのは1時頃でした。コンサートは1時間10分遅れで始まり、そんなに遅れた理由の説明は「入念なリハーサルで」とのことでしたが、彼らはこの日、東京から移動して来たから、誰かが遅刻したのが本当のところじゃないのかなぁと思いましたけど…。
前橋から変更になったところは「女神よ」がカットされ、ラストの洋楽メドレーの「All Night Long」と「冒険者たち」が切られていたこと。洋楽メドレーはすごく好きだったのに、約半分に削られちゃってガッカリ…。「女神よ」がカットされたので、この時に着ていたジョーカーのような衣装は初日だけの幻の衣装となってしまいましたが、この衣装はその後、冬のコンサートで再び日の目を見ましたね。後、細かいところでは内海くんと淳くんのデュエットでのマジックがひとつ増えてて、お花を出した後に箱抜けがありました。内海くんが箱に入ろうとするのを淳くんが引っ張り出して自分が入って、1部はバックステージの左奥のところへ、2部はピアノのところに再登場してました。
1部ではダンスメドレーでGENJIが出て来て踊り始めて少ししたところでテープが止まると言うハプニングがありました。雷が落ちて停電したからと言ってたけれど、照明は無事なのにテープだけ…? この回のMCで、突然寛くんが幽霊の話を始めて、前の晩に4人でホテルに泊まって、昔、火事のあったホテルを見に行ったなんて話していたら、裏から「キャ〜!」って悲鳴が聞こえたので、みんなビクッとしてたんだけど、内海くんの手が一瞬、隣の淳くんの腰に回ったのを私はしっかり見てしまいました。淳くんてば、やたら内海くんの方見てはニッコリしていたのよね…。
2部のMCではあまり発言しなかった淳くんに諸星くんが振ってくれて、淳くんは「じゃあ、応援合戦を」と言って、一拍子から三三七拍子をソプラノの応援団でやってくれました。ローラースケート履いてた時だから、内股の応援団なんて言われてました。
後、この日のことで凄く印象に残っているのは2部のアンコールで「荒野のメガロポリス」の時に大沢くんがステージに落ちていたキャンディーのレイを拾って晃くんに掛けてあげたら、晃くんは酷く驚いて、この顔も可愛かったのだけど、その後、きっと晃くんはレイをすぐ外してしまうだろうと思ったら、案の定、移動しながら外してて、晃くんが行った先には淳くんがいたので、淳くんにそのレイを掛けてくれたことでした。淳くんも首を傾げるようにして掛けてもらって、嬉しそうにしてました。淳くんはかなり長い間レイを掛けたままで、「STAR LIGHT」も踊りにくそうにしながらもそのままだったのだけど、敦くんのソロのところでとうとう外してました。その時、晃くんと何か内緒話をしてたのだけど、何を言ってたのかなぁっていろいろ妄想しちゃいましたね(^^;)。
1992年この日はどうしても仕事が休めないので、泣く泣く諦め、友人は行けると言うので1枚で申し込んだのに昼も夜もはずれ。話だけは聞けると思ってたのに…ってことで、岡山の詳しい内容はわかりません。
ちらっと聞いた話によると、この辺りから「And I Love You」での諸星くんのメンバー(特に淳くん)笑わせがエスカレートしてきたらしいです。髭付けて出てきたんですって…。
「夕焼けの歌」の後、出てきた淳くんを招き寄せて「変な顔」と指でツンツンしてた諸星くんと言うのも見たかったなぁ。
1993年SAY'Sコンサート広島。この年の夏は天候がすぐれず、ツアー中ほとんど雨降りだったのですが、この日も松山〜広島は雨模様。移動の船が揺れて怖かったです。でも何とか無事に広島に着けて一安心。
愛媛からプログラムの変更はなし。1部のMCはみんなお疲れなのか「座りましょう」と敦くんのソロで使うベンチを持って来て、4人で窮屈そうに座って喋ってました。2部のMCでは晃くんにより寛くんと淳くんが一緒に楽屋のユニットバスを使っていたと言う暴露話がありました。そして淳くんのTバックの日焼け跡の話も…。
この日の詳しいレポートはこちらをご覧ください。