きょうの思い出

08/15

 1990年名古屋2日目。この日から「素敵に…」で淳くんは「微笑」の記事について謝るようになりました。この日は「ごめんなさい」って言葉は言わなかったけれど、「これからは裏切るようなことは絶対しません」って、あれを認めたってことだから、こんなこと言わなくていいのに…って却って聞いてて辛かったです。淳くんのこの曲の次の次に諸星くんが「MIDNIGHT 2 CALL」を歌ったので、歌詞を聞きながら淳くんに対して歌ってるのかな…なんて思ったりして。この曲はこの日と翌日しか歌わなかったので、これを歌ったってことしか覚えてなかったけれど、前の曲から引き続き、晃くんがキーボード弾いてたようです。
前日は角度が悪かったし、最初だったのでよくわからなかったジャングルメドレーのダンスも、この日、正面から見たら凄く格好良かったです。でも、小道具を使ってるから、失敗すると目立っちゃいますけどね(^^;)。

 1991年名古屋1日目。横浜から変更になったところはなし。細かいことを書けば、内海くんと淳くんのデュエット曲の前、内海くんが先に着替えて出て来て、しばらくひとりで喋ってるんだけど、この時、衣装の上にグリーンのコートを着てくるようになって、2部ではグリーンを着てるので、晃くんの親衛隊のようと言ってました。それから、マジックで淳くんの代わりのゴリラがバナナを持ってるようになったこと。(細かすぎる?)
この時のコンサートではMCが3回あって、7人揃ってるのは最初の挨拶程度のMCで、後の2回は上の3人と、下の4人とに分かれてやってたんだけど、この日の2部の下4人でのMCの時、いつもはとっとといなくなってしまう諸星くんが残ってて、MCに参加。GENJIでのMCとなりました。で、淳くんの肩に肘を乗せて寄りかかった来た諸星くんの体重を淳くんが支えられず、2人してその場に崩れ落ち、しばらく倒れてた淳くんの頭を晃くんがマイクでツンツンなんてしてて、やがて起き上がったら諸星くんが片足立て膝して、膝をポンと叩いたので、淳くんはその膝に手をついて「反省」。そして「みんな幸せかい?」と言って突然『幸せなら手を叩こう』と歌出す諸星くん、淳くんにしつこいと言いながらも2番の『幸せなら足鳴らそう』とまで歌って、会場は大盛り上がりでした。諸星くんはメンバーのこと、淳くんは動物顔してるけど、心は動物より優しい、敦くんは何を言ってるかわからないけど、中身はもっとわからない、寛くんの顔色が悪いのは遺伝で、寛くんの笑顔はどの写真を見ても変わらない、晃くんはクールな優しさNo.2(ちなみにNo.1は中村繁之くん)などと言ってて、敦くんに諸星くんは良く言えばムードメーカー、でも悪く言えば「うっせーんだよ!」って言われてました。この時のMCって、すごく盛り上がってて楽しかったし、やっぱり諸星くんがいるといないとじゃ違うなぁと思いましたね。
この回、諸星くんはハイだったのか、ソロで銃で撃たれたのに胸張ってポーズしてるし、落ちてく時も両足を打ちつけてオチャメでした。
1部のアンコールでは大沢くんにお尻でドンとやられてステージから落されてしまった淳くん、2部では落ちてたバナナを諸星くんからもらったり(これをポケットに仕舞おうとするのが…)、晃くんからはミニーの耳のカチュウシャをしてもらってました。でも、実はその瞬間は私は見えなかったんだけど、淳くんがビックリした顔してたのが可愛かったと聞いて、見えなかったのがどんなに悔しかったことか…。回数見てるだけに、逆にこんなシーンを見逃してしまうととても悔しいです。

 1992年帯広でのコンサート。北海道へはこれでもう5回目くらいだけど(全部コンサートでってのが情け無いが)札幌以外は以前旭川へ行っただけなので、帯広は初めて。帯広空港はみごとに何も無いところでした。
そう、コンサートのない平日は意地になって仕事をしていた私は、前々日の青森が終わると夜行列車で一旦帰り、またこの日朝イチの飛行機で帯広に行ったのですが、彼らも前日、「ミュージックステーション」に出演してたので、同じ便で帯広に行ってました。羽田空港の待合室で彼らと接近遭遇しちゃってちょっとビックリ。飛行機に乗る直前、私は淳くんのすぐ後ろを歩いていたので、正面顔は見えなかったけど後ろ姿をじっくり観察してしまいました。淳くんは白いTシャツにGパン、腰にGジャンを巻いて黒いキャップに黒い靴、サングラスを掛けて大きめのバッグを担いでいました。近くで見ると色は黒いしやっぱり男の子だなと感じますが、首のラインや腕から手首にかけての線が綺麗でした。案外広い背中で思わず触ってみたくなってしまったわ…。途中で肩にかけてた鞄を下ろし、肩紐に頭を入れてたすき掛けにして飛行機のタラップを上がるときに両手で手すりを持ち右足を庇いながら階段を上がっていました。
他の子のことはあまり見えなかったし覚えていないのですが、内海くんがとても細くて足がすごく長かったのが印象に残っています。晃くんと敦くんは淳クンとお揃いのような格好でした。飛行機の中に入ったら私達の席は前の方だったので、座ってからの彼らのことはわかりません。で、今見たことを思い返しているとどうも諸星くんを見た記憶が無い。もしかしたら先に乗ってたのかもしれないけど、いなかったよねと言い合っていて降りるときに確認することにしました。
帯広空港にはお出迎えのファンも結構来ていましたが彼らは飛行機から直接バスに乗ってしまったのでみんな見れなかったのではないのかな。私達はなんとか降りる彼らを見ることが出来、通る彼らを数えると1人、2人、…6人。やっぱり1人足りません(^^;)。どうやら諸星くんは乗り遅れた様子。次の便だとコンサートに間に合わないだろうからどうするのだろうと思いつつ、私達も会場へと向かったのでした。諸星くんがどうやって来たのかは本人がコンサートで言っていた通りのようです。
と、言うことで、諸星くんがどうして飛行機に乗り遅れ、どうやって帯広に来たかわかるこの回のレポートはこちらをご覧ください。

 1993年大阪3日目、最終日。この日の1部のMCでは9月に発売になるアルバムの、それぞれがプロデュースした曲のさわりを紹介してました。敦くんは淳くんの曲の出だしを自分に歌わせてくれたと言って、歌ったのだけど、歌詞を覚えてないらしい敦くんに、淳くんは何度も教えてました。敦くんの曲を諸星くんが歌った時も、何故か淳くんが歌詞を教えてるし…。
前日に短くなってしまったSAY'SでのMC、この日も1部は短かったけど、2部では喫茶店ごっこなんかやってて面白かったです。手拍子で盛り上がってた会場にピッタリ合わせて曲の頭が出たのに、更に拍手!
2部のMCでは写真撮影もあった、この日の詳しいレポートはこちらをご覧ください。


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