きょうの思い出

08/18

 1988年「ルックルックこんにちは」は他の番組より1日遅れてこの日、少年御三家の模様を伝えてました。そしてこの頃「いちご族」と言われていた15歳前後の少年少女のことも絡めてレポートされてて、諸星くんに憧れている男の子の取材なども入ってました。この子、かなり真剣にアイドルとして芸能界デビューを願ってたみたいだけど、その後、どうなったのかな? 芸能人でそれらしき人はいないような気がするけれど…。

 「ザ・ベストテン」晃くん、敦くんも一緒に、久し振り7人で、年の順に登場。デビューしてちょうど1年と言うことで、「光GENJI・ギネスこの1年」と1年間の「ザ・ベストテン」での記録を紹介。ランク回数が放送50週の内45週とか、1位獲得が26週とかってのもすごいけど、諸星くんの「こんばんは!」絶叫回数40回やローラースケート転倒回数が7人の合計で23回なんてのもすごいわ。ちなみに個人では大沢くんと諸星くんが7回ずつでトップでした。これ、調べるだけでも大変だよね。諸星くんの「ファンのみなさんのお陰です」発言は5回しかなくて、意外に少ないですねと言われてました。諸星くんは貴重な時しか言わないんだそう。
この日は中山美穂ちゃんの弟・ともくんがスタジオに来てて、ともくんは諸星くんのファンだそうで、諸星くんが美穂ちゃんが歌ってる時、構ってました。で、エンディングではともくんを構うのと同じように淳くんも構ってたわ

 1989年名古屋3日目、最終日。前日、諸星くんは内海くんに何でも山本なんだな…と言われていたけど、この日も諸星くんは「山本」の連発。1部、12時からの公演で、コンサート5分前まで淳くんと敦くんはご飯を食べてたってことから、みんなもお腹すいてたら食べてくださいと淳くんを引っ張り出したり、昨夜は晃くんが熱を出したけど、山本は…と3回くらい言いかけるし(でも結局淳くんが何だったのかは?)、光GENJIは曲に恵まれてるけど、メンバーにも恵まれている、山本がいなかったら動物園に見に行ってましたなど、とにかく「山本」でした(笑)。動物園と言った直後から、ステージにいろいろなものが投げ込まれて、淳くんなど本気で逃げてました。でも、他の子が足でどかしてるのに、淳くんは手で拾い集める辺り…。ジュースを投げ込んだ子がいて、紙パックだったのかな、潰れて零れちゃったもので、内海くんがモップを持って来てお掃除してたけど、ファンのマナーも最低でしたね。このモップ(かどうかわからないけど)で、この後、寛くんは自分のソロが終わった時に、大沢くんがライトの柱に登ってたのを見て、追い上げてました。この日から、この寛くんのソロの後の衣装替え10カウントが始まったのだけど、1部で本当に10カウントで衣装替えをして出て来たのに大受けして、2部では8秒で出て来て、更にビックリでした。
2部のMCでは晃くんが十字架のネックレスをしていたら、諸星くんがその十字架には「バンジー」と書いてあるなんて言って、淳くんも「えっ!? 俺?」って驚いてたわ。で、寛くんのソロの後、晃くんは淳くんの肩抱いて出てくるし…。
1部のラストの洋楽メドレーで、前日、淳くんが転んだのと同じ辺りで諸星くんも転んだのだけど、みんなが周ってるのより外側だったのか、淳くんのようにみんなに飛び越されることはありませんでした。しかし、諸星くんは淳くんがコケたり落ちたりするとその後、同じところで同じようなことをしてる気がするけど、私の気のせい?(^^;)

 「ミュージックステーション」コンサート後の彼らは、三重県の名鉄スポーツバレー東海のプールからの中継でした。オープニングの中継では本番中なのにスライダーを滑ったり、騒ぎまくったりでスタジオのタモリさんとの会話がかみ合わなくて大変…。
歌前に再び中継。ファンも集まってると言うことで、彼らはプールの(?)船の上から。メンバーは水泳をやってると言われ、僕の身体はランボーですからと、自慢の逆三角形の身体をアップにしてもらう諸星くんに、木下アナは「結構いい身体」の失礼発言(^^;)。諸星くんも木下アナの水着姿は「ブタに真珠」なんて言ってましたが…。メンバーは木原光知子さんのところへ水泳を習いに行ってて、大沢くんは50mを30秒を切るタイムだそう。淳くんは背泳が得意と言うか、みんなに上手い上手いと言われるけど、実際はどうかわからないですと言っていたら、横にいた諸星くん「山本は食べるとうまいです」と淳くんの肩をパクッ!! 淳くんも驚いてたけど、私も驚いたわ。で、淳くんへの格言は「井の中の蛙、大海を知らず」でした。ファンの子達の水着姿を内海くんはみんなプロポーションも抜群で…って言ってるのに、木下アナはスクール水着の方からいろいろいらっしゃいますがと失言第2弾…。タモリさんも呆れてたけど、木下アナはマイペースで話を進めるのでした(^^;)。
歌はBパターンの寛くんと淳くんのデュエットだったのだけど、寛くんが淳くんの諸星くんに噛まれた左肩に手を置くのに、つい、深読みをしてしまいました(^^;)。

 「GENJI GENKI 爆発」オープニング、この話はホントに怖い話で、3年前に実際にあった話なのと話し出す諸星くん。丘の上に古い家が1軒あって、そこに住んでる人の名前が「ちだらだん」って言うんだって。友達がその家に行くのに階段を上がるから「ちだらけのかいだん」…。途中でネタはバレちゃうし、イマイチ話し方が上手ではなかったので、面白くもありませんでしたね(^^;)。
「テレパニごめん」。お母さんが出て、「お名前は?」と聞かれて「諸星と申します」と言う諸星くんに沈黙の母。「本当のお名前は?」と言われたので「山本です」と言うと、取り次いでもらえたけれど、本人が出て「山本ですけど」と言ってもわからなそうだったので、本当の名前は諸星ですと名乗り、メンバーそれぞれが挨拶しても不審そう。そこで番組に届いた葉書を読んで、番組名を言ってもまだ「ホント、誰ですか?」と言われてしまい、困った諸星くん、ラジオ番組に葉書出しませんでした? ともう一度説明するとやっとわかったよう。よく悪戯電話が掛かって来るので、ごめんなさいと恐縮する彼女に、怒ってないよと優しい諸星くんでした。ま、悪戯電話に悩まされているのなら、なかなか信用してもらえなくてもしかたないけど、ここまでわかってもらえなかったのは初めてかな?お母さんに代わってもらうと、お母さんも先程とは打って変わって「かーくん、かーくんって大変なの」と。再び本人に代わると、電話が掛かってきたらいっぱい喋ろうと思ってたと言いつつ、お願いがあるのですがと、友人達の名前を呼んでくださいと言う彼女。この友人の名前呼びはすっかり恒例になってしまったけど、折角なんだからいろいろ質問などすればいいのにと思っちゃいますね。
後半は葉書紹介。怖い葉書ですと、ミステリースポットを紹介した葉書を読み。その1は厨子から鎌倉へ抜けるトンネル。ここを知ってると言う諸星くん、トンネルを抜けると大仏が立ってるのと。普通大仏って座ってるでしょ!? それが立ってるの…だそう。その2、湘南の海岸沿いの道路に四つん這いの女の人が出るらしい。何故四つん這い?? その3、高尾山のまことの道。淳くんの地元ってことで、淳くんは知ってると言ってて、諸星くんも初め知ってると言ってたくせに、淳くんにいろいろ聞いてました。淳くんによると、詳しくは知らないけど、昔から何かあるみたいで、薄気味悪いところだそう。お地蔵さん(水子地蔵)並んでいるので、女の子は行かない方がいいらしいとのこと。
その後、淳くんは地下鉄のどこかの駅のベンチ(?)に人の形のシミがあると話出すんだけど、イマイチ要領を得ません(^^;)。諸星くんじゃないけど、淳くんの喋り方も悪い上に、他のメンバーも口出ししてくるから何のことやら?
エンディング。怖い話をしてると胸がキュンとしますねと言う諸星くん。こーゆー話をしてるとホントに霊が近くにやって来るって知ってる? と言って「赤坂の横にいるじゃん…」と言うと、敦くんが「ホントだ。山本くんか…」と。諸星くん、自分で言い出しておきながら、ヤバイよね、そのうち山本に刺されるよって、これはネタ? 台本? ま、いいですけどね。

 1991年福岡でコンサート。この日から2回目、アンコールにやってた「WINNING RUN」はアンコール前の本編ラストにやるようになり、アンコールは「荒野のメガロポリス」と「COCORO」になりました。で、「WINNING RUN」はローラースケート履いてなくて、靴で飛びあがる、走り回る。淳くんは1部、2部とこステージから飛び降りてたんだけど、ステージに戻る時も身軽にピョンと飛びあがるもので、居合わせた大沢くんも驚いていたわ。
後、内海くんと淳くんのデュエットラストのマジックで、ゴリラが赤い帽子を被ってるようになったので、淳くんも帽子を被って入らなきゃ…って思ってたら、2部から内海くんが淳くんに帽子を被せてくれるようになりました。で、バナナも持たされて、箱に入る淳くんでした。
2部のラストの洋楽メドレーで出て来た時、単なる偶然かもしれないけれど、5人(大・寛・山・赤・敦)が1列に横並びになったのが、何か格好良かったです。名古屋の最終日から、一番最後の挨拶を二手に分かれてするようになったのだけど、内・諸・山・赤の4人の方は4人でも手を繋いで挨拶してました。で、2部の時、3人はもう反対方向へ行ったのに、いつまでも残ってお手振りをしていた淳くんは、反対からやって来た大沢くんにホッペをツンと指で指されてました。淳くんのほっぺって触るとぷにょんって感じで気持ち良さそう…。

 1992年握手会2日目。この日、私は京都に行きましたけど、京都のことはあまり思い出したくないと言うか、書くべきことがないと言うか…。コンサートの方でギリギリのスケジュールの私は、朝、家を出て京都まで行ったので、現地に着いたのは12時を過ぎてたと思うけど、もうこの段階では整理券がないので、中には入れないと言われて、でも、握手だけは出来るから並んでてくださいと言われました。で、とりあえず並んでたけど、大雨降ってるしで最低…。たまたま現地で知り合いになれた子達がいたので、話などして耐えましたけど、ひとりだったら帰ってしまおうかと思いました。
3時頃、移動して会場の中へ。ところがこれがステージのすぐ側の入り口からだったので、心の準備も何もないままに淳くんと御対面! しかも、私はちゃんと握手券をスタッフに渡したのに、別の人から券を持ってないと勘違いされて列を外されそうになったりで、ちょっと揉めてしまって、やっと握手できた時には、何も言えなくてボーッとしていたら淳くんから「ごめんね」と言われてしまいました。何でごめんねなのかな? 前後のファンにも言ってたのなら、外で待たせちゃったことかもしれないけれど、それはわからなかったし、スタッフと揉めてたのを見られていたか(でもそんな余裕は淳くんにはなかったと思うけど)とか、よっぽど私が情けない顔をしてたからかとか、悩んじゃいました。
握手したらさっさと出されちゃうし、あれだけ待たされて、顔を見れたのもほんの数秒かいってことで、何回か行った握手会の中でも最低なものでした。会場が中途半端な大きさだったせいかもしれないけれど、外に1000人近くはまだいただろうから、2回まわしして欲しかったです。でも、この日は各地、大雨で大変だったようだし、九州の諸星くんと晃くんは中止になちゃいましたからね、まだ、握手できただけでも良かったと思わなくちゃいけないのかも…。

 1993年SAY'Sコンサート福島2日目。この日は私には10公演振りのSAY'Sコンサート、そして3日振りの淳くんはベリィキュートでした。
この日のMCは1部では、公演10分前、淳くんと敦くんが一緒にお風呂に入ってた話や、昨夜、何処かへ出掛けた晃くんにレポーターする淳くんなどが楽しかったですが、目玉は2部の本当のお誕生日にはすごく早い寛くんと淳くんの誕生日祝いでしょう。敦くんの誕生日祝いをした後、寛くんが自分や山本はツアー中に誕生日がないので祝ってもらえないと言ったので、まだまだ誕生日は先だけど、2人一緒にお祝いをしてもらって、とても嬉しそうでした。
前日復活した「REIKO」の可愛かった福島だけの衣装もわかる(わかんないって(^^;))レポートはこちらをご覧ください。


HOME BACK