08/28
1988年「24時間テレビ」「アイドル大集合!チャリティーデラックス」のコーナーに出演。大阪のよみうりテレビからの中継で、電話を受け付けているスタジオからこの年、初めて参加した「24時間テレビ」の意気込みを聞かれ、若い人に関心を持ってもらいたいとのことなので、自分達が若い人の代表として役立てればいいなと思って来ましたと言う、諸星くんでした。内海くんも5歳にならない内に亡くなってしまう子供たちが世界には大勢いるんだと知って、何とか助けることができないものかと考えさせられましたと。大沢くんも僕達は音楽を通じて、全世界の子供たちが幸せになれるよう、呼びかけたいと思いますとのことでした。
その場で「Diamondハリケーン」を歌ってたけど、ちょっと狭っ苦しそうでしたね。淳くん、エンディングの踊りのところでコケはしなかったけど、足が滑ってズルッとなってました。
「歌え!アイドルど〜む」この日は23日に大阪城ホールで行われた、少年御三家のコンサートレポートがありました。光GENJIのシーンで流れたのはオープニングの「Diamondハリケーン」が少し、太鼓を叩いていた「若さの伝説」とMCで男闘呼組を紹介しているところでした。
1989年国立代々木競技場で行われた「第12回ジュニアオリンピック夏季水泳競技大会」に特別出演。日本水連会長とメリーさんが旧知の仲だそうで、選手を激励するためノーギャラでの出演だったようです。この日の「歌のトップテン」で少しビデオを流してましたが、ワイドショーなどでもやったのかな? この頃はチェックが甘かったのか見た記憶がないのですが…。スポーツニュースなどでは取り上げてくれなかったのは覚えてるんだけど。
「歌のトップテン」久し振りのスタジオ出演。この日は国立代々木競技場で行われた「第12回ジュニアオリンピック夏季水泳競技大会」に参加した後、スタジオに駆けつけたと言うことで、その時のVTRが流れました。競泳パンツ姿がちょっと気恥ずかしかったわ。そしてもうすぐ敦くんの16歳の誕生日なので、花火好きの敦くんのために、16本の花火で飾られた大きなバースデーケーキが登場。あんまりビックリした敦くんは、誰のケーキかな? と思ったなんて…。
歌はAパターン。諸星くんと淳くんはアンダースルーをやってました。この日はカメラが早く引いてくれたので、ほぼ完璧に映ってますね。
「マーケティング天国」シングル売り上げランキングは2週連続の1位。情報として、前日(この番組の放送は日付の変わった深夜だったので)の水泳ジュニアオリンピックで選手激励のため、曲を披露しましたと。そして日販のデータ提供によるBOOKS CHARTの6位に「先生のいないホームルーム」が返り咲いてました。この日現在で25万部の売り上げだそう。
1990年大阪城ホール初日。この日は立ち見で見たので最初の方は全然見えなかったなぁってのが私の思い出ですが、途中から何故か視界が開けたのが不思議…。プログラムは横浜の1〜3日目と同じでしたが、ちょっと違ってたのが淳くんのソロで再び内海くんがパンダになってたこと。内海くんはその前がソロなので、いつの間に…と驚いてしまいました。
「Little Birthday」の音が出ないと言うアクシデントがあり、歌の途中で大沢くんが「ハッピーバースデー、諸星、敦啓」と言ってました。
「おはよう!ナイスデイ」「Time3」前日の横浜アリーナでのコンサートの模様をこの2番組が伝えてくれてました。コンサートシーンの他、公演前の記者会見も少し流れ、5年目を迎えたことや、この日の親子デーのことなど話してました。前日が親子デーだったので、「Time3」はその話題って感じ。親子デーって、やっぱり子供じゃなくて、お母さんの為の公演だったのかなぁ。子供はあの音量の中で結構寝てましたものね(^^;)。2番組とも同じ局だからか、コンサートシーンはほとんど同じでした。
1991年横浜2日目、ツアー最終日。ラスト近くはメンバーも盛り上がりで淳くんは敦くんに落されたんだけど、晃くんや大沢くんは自主的にステージから下りて客席との間を走りまわってました。最終日だからかアンコールの「CoCoRo」ではスモークや銀とピンクのラメテープが打ち出されるなど、この日だけの演出も。でも、最後なのにやけにあっさり引っ込んでしまったと思ってたら、ダブルアンコールがありました。私が光GENJIのコンサートに行くようになって初めてのことでしたが、もしかして本当に初めてだったのかも。
2度目の「WINNING RUN」は大盛り上がりで、全開に明るくなった会場のあちこちではっぴが舞ったりして楽しかったです。大沢・寛之・晃くんはローラーも脱いで裸足で駆け回ってましたが、ローラー履いてる淳くんと裸足の晃くんが並んだら、まだ晃くんの方が背が高くて…。この頃にもうそんなに身長差があったのね(^^;)
1992年横浜アリーナの初日。この日、当初18:30からのはずだったのが16:00からに変更になってしまって社会人をぬか喜びさせてくれました。私の場合はどちらにしろ、早退しないと間に合わないから同じでしたが…。
家族やら、関係者やらお客さんの多い横浜、この日はオリンピックに出場した木場選手、陣内選手、森選手がご来場。諸星くんの親も来ていたようですが、諸星くんは「TOKYO-L.A.-N.Y.〜夢の長距離バス」で淳くんのシャツを脱がし、そのまま写真を撮った後、Gパンも脱がそうとするので、淳くん、諸星くんをくっつけたまま逃げてました。
淳くんのソロで出てくるぬいぐるみ達に混ざって、内海くんの細っこいバニーちゃんもいるんだけど、そのウサギを見て「ガタイがいいな」と言う敦くん…。内海くんが引っ込む時の「ウサギ大王に叱られちゃう」って言うのが何か好きでした。
「ミュージックステーション」この日のランキング4位に「Meet Me」が初登場。生島さんにおめでとうございますと言われて、みんなで立ち上がってお辞儀してました。
「My Just Fit」は寛くんが担当。奇麗にまとめて拍手もらってました。寛くんや敦くんの時はまともと言うか、真面目に作詞してるから、笑いは少ないけれど安心して見てられますね。
横浜アリーナでのコンサートを終えての出演のこの日、歌前の話ではコンサート中にハプニングは何もなかった? と聞かれて、「きょうは」と答える淳くん。大阪では車の音で顔を右から左に向ける振りで、自分の左隣に諸星くんがいて、彼は右から左のところを、左から右へ向いたので、ブチュと。Kissしたの? と言われて、会場からは悲鳴があがってましたが、諸星くんはKissしたかったんです、1回と嬉しそう(?)でした。生島さんはいきなり山本くんの唇が目の前に来ちゃうと、ビックリしたでしょうねって言ってるけど、ビックリしたのは淳くんの方だよね。だって本当は諸星くんはKissすることを狙って、顔を近づけて待ってたんだから…。淳くんも自分は反対見てたんで、諸星くんが振りを間違えたように説明してるけどさ。
1993年横浜アリーナの初日。コンサート中盤にある「MOONメドレー」は最初、歌の間に台詞があって、それがひとつの話になってたのだけど、横浜に来るまでにいろいろ変更になって寛くんと淳くんの「Moon Talk」での部分だけがちゃんと残ってる状態で、この日から2人もここで遊ぶようになっちゃって、寛くんの台詞で「愛し合い」で淳くん自分の身体を抱きしめ「見つめ合い」で手を前に出し、「恋に落ち」で膝をガックと着いてました。このシーン、以後どんどんエスカレートしていきましたね。
回を追う毎に面白くなった横浜、初日のこの日の詳しいレポートはこちらをご覧ください。
1995年「やじうま新聞」「めざましテレビ」スポーツ紙の紹介コーナーで、前日から始まった、ラスとツアー大阪でのコンサートの模様を伝える記事をこの2番組が紹介してました。関西と関東では記事の扱いは違ったと思うけど、報知は同じ記事だったのか、両番組とも報知を使っていました。報知は解散前後に連載してて、記事大きかったから。写真付きの記事の紹介だけでコンサートの映像はありませんでした。