きょうの思い出

08/30

 1987年「スーパーJOCKEY」オープニング、ローラースケートを履いての登場の彼ら、たけしさんに背が高いなぁと思ったら、足元見たらローラースケート履いてて、反則技でしたなんて言われてました。
みんなちょっとヨロヨロしてた歌の後、葉書紹介のコーナーでは光GENJIと言うグループ名の由来と、それぞれユニークなあだ名があるそうで、それを教えてくださいと言う葉書を紹介。グループ名の由来は僕達もよくわかんないですと答える諸星くん。面白いあだ名は? には諸星くんに促されて、淳くんが「ばんじー」と答えたら、バンバンジーのバンジー? と言われて、チンパンジーのバンジーと説明してました。それから並んでる順に「かーくん」「カメ」「あっくん」「ひかるくん」「ひろくん」「みきおくん」って言ってったけど、晃くんの「カメ」と内海くんの「ひかるくん」はその後、こう呼ばれてるの聞いたことはありませんね。晃くんの「カメ」は諸星くんが命名してるから、メンバー間ではしばらくそう呼ばれてたのかも知れないけれど、内海くんの「ひかるくん」ってのは? で、内海くんはあなたがリーダーで光なの? って言われてました。たけしさん達は「ひかるくん」がいて「げんさん」がいて「じー」さんがいたら面白いですねなんてふざけてましたけど…。

 1990年大阪3日目。この日の「ガラスの十代」を踊ってる最中に右足の膝を痛めた淳くん、すごく痛そうな顔をするからもう心配で、心配で…。なのにMCで「手術した足が逆向いちゃってバク宙できなかった」と言ったら「じゃあここでやってください」って言われてやるんだもの。やらせる方もやらせる方だけど、淳くんも痛いならやらなきゃいいのにって、見てるこっちまで痛くなっちゃう…。その後膝にサポーターして踊ってはいたけど、晃くんの「夜を盗む」のパックで踊った後、寛くん(もしかしたら敦くんだっだかも)に支えられて捌けて行ってました。
ソロの時も「ヒット・パレード・ボーイ」はコーヒーカップに乗って登場して、足引き摺りながら歩いてたからセリ台の上には上がらなかったし、セリがなかったからか、「素敵に…」のブランコがぐるっと廻るようになりました。それ見て、後ろにだってお客さんいるのだから、最初から廻せばよかったのにって思いましたが、危険もあったかな…。淳くんこのブランコに乗る時命綱着けてなかったしね。
アメリカンメドレーの「Vacation」でだったか1列に並んで踊ってた時、寛くんが前の淳くんの頭をポンポンって触ったので、淳くんが振り返って笑ってたのが何だかこの日、一番印象に残ったシーンでした。そうそう、このメドレーの時、諸星くんが前髪を縛ってちょんちょこりんにしてたのが可愛かったです。

 1991年「ミュージックステーション」前週は大阪に行っててお休みしたので、2週間振りの出演。タモリさんに諸星がいないと静かだったぞと言われてました。更に番組途中、コメント求められた時も笑いに走っちゃうので、ずっとツアーに出てろなんて言われてたし…。
この日は敦くんのお誕生日だったので、歌前の話はまずはそのこと。18歳ですと言う敦くんに「若いなぁ」としみじみ言うタモリさんでした。そして19日から21日に行われたキャンペーンのこと。各地での写真も映って、3日間で行った先の紹介をしてました。これ見ただけでも全国大移動したメンバーもいるし、全員が風邪を引いてしまったと言うツアー中に、こんなことしなくてもいいのに…って思いますね。3日目の大沢くんと寛くんの大阪は別な場所だたんでしたっけ? 雑誌などではそれぞれ近畿・中国ってなってたと思うけど…。
歌の後、敦くんは今井美樹さんからお花をもらって、感想を求められ、18になって、これからも頑張りたいと思いますと、早口で言ってました。

 シングル「WINNING RUN」発売。CD発売前にコンサートで沢山聴いたから、ツアー中に「ミュージックステーション」で見ても同じこと思いましたが、CDで聴くと歓声も掛け声もなくて静かすぎて物足りなく感じて困りました(笑)。

 1992年横浜3日目。この日は1部に諸星くんの家族が、2部には淳くんの家族が来場してたと言うのに、「TOKYO-L.A.-N.Y.〜夢の長距離バス」での諸星くんの淳くんセクハラは止まることを知らず…ってでも、どうだろう? もう今までいろいろやってたから私はたいしたことなかったかなぁとも思ったりしましたが。1部では倒れてる淳くんの上にのしかかって、胸に顔を埋めて淳くんのGパンの前を外そうとして、内海くんに止められてました。2部では例のシーンで淳くんの横にやって来て、淳くんの顔を両手で持ってkissする振りしてました。と文章にするとやっぱり結構すごいことしてるかも(^^;)。1部はその前にもうちょっと危ないこともしてたけど、私の品位が失われると困るので(もう充分失われてるかなぁ。でも私は見たまま書いてるだけだけど…)自主規制。どうしても知りたい方はメールください。詳しくお教えしましょう(笑)。

 「BSスペシャル 時代を駆ける栄光のアイドル達」9日間の放送の最終日で、この日はジャニーズファミリー大集合。この日は生放送だったのかな、光GENJIも横浜アリーナでのコンサートを終えて、番組途中に駆けつけてました。
光GENJI(とTOKIO)が来て、全員揃ったところで、ひとりずつ、名前を言って一言ご挨拶。敦くんはきょうで19になりましたと挨拶したので、みんなから「おめでとう」と言われてました。光GENJIはずーっと見てるからこのビデオを見ても懐かしいとは思っても、この頃はこうだったよねって思うし、少年隊や男闘呼組、忍者は成長期を過ぎてるからか、あまり違和感ないし、SMAPもよく一緒に仕事してたからまーまー見慣れてるけど、TOKIOは全然今と顔が違ってて、わからない子もいますね。後、Jr.で今のKinki Kidsの2人や、TOKIOのメンバーになる前の長瀬くんがいたけど、この頃、Jr.だったのね。まだ場慣れしてないからぼそぼそと喋ってるので、元「ロンパールーム」のお姉さんのうつみさんにもっとはっきり喋ってなんて言われてました。Jr.には今のV6の坂本くんと猪ノ原くんもいて、坂本くんはJr.なのに21歳になっちゃいましたと言って、みんなにウケてました。
その後、ゲストの芸能界の先輩方の話やジャニーズで一番新しいグループのTOKIOの日々の様子のVTRが流れたり、スタジオでそれぞれのグループが歌い、光GENJIもラストに歌いました。曲は「Meet Me」と「I'LL BE BACK」。みんな疲れてるのかヨレヨレって感じ…。「I'LL BE BACK」の間奏では内海くんが「諸先輩方のみなさんが引いてくださった長いとても大きなレールを、僕達後輩一同、走り続けて行きたいと思います。これからもジャニーズファミリー一同、応援して下さい」とご挨拶してました。
他のグループが歌の前後で衣装を替えてたし、スーツ系でちょっと見フォーマルだった中、光GENJIは最初から最後まで「Meet Me」の衣装でちょっと浮いてましたね…。

 1993年横浜3日目。「MOONメドレー」で寛&山は「見つめ合い」「抱き合い」しちゃって、寛くんのやりたい放題。淳くんもずーっと笑っちゃってて楽しそう。内&赤も1部では内海くんが「僕の胸に飛び込んでおいで」と言ったら晃くんに飛びつかれて、吹っ飛びそうになってたし、2部では晃くんが「内海くんに取って置きのものをプレゼントしたい」って上着を開けるとライダーベルトしてて、それを欲しがる内海くんにベルトつけてあげたりとすっかりコントになってました。
「忍たま音頭」前のSAY’SのMCでは淳くん「ちょっとだけよ」と足を見せたり襟はだけたりして壊れてて、晃くんに「淳くんの裸なんか見たくないよ」と言われてしまいました(^^;)
ツアーもラスト間近、みんな奇怪しくなって来ていたこの日の詳しいレポートはこちらをご覧ください。

 1995年横浜アリーナ初日。2部のMCで解散後、内海・赤坂・敦啓は役者や歌手なのに、自分達はバラエティー書かれたので2人でコンビを組もうかと諸星くんが淳くんを誘ってくれました。でもそのコンビ名がことごとく「諸星和己と〜」…。淳くんは嫌がってたけど、内海くんの「でも多分、山本はついて行くと思うよ」に同感だわ、なんて思ってしまいました。こちらも詳しくはレポートをご覧ください。

 「H.I.P」この日から始まった横浜アリーナでのラストコンサートの模様が速報で20秒ほど流れました。

 本日は敦くんのお誕生日! この日の前後はコンサート前に客席で「ハッピーバースデー」歌ってるし、MCでも必ずお誕生日のお祝いがありました。大勢の人にお祝いしてもらえて、ツアー中にお誕生日があるのっていいですよね。


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