きょうの思い出

08/31

 1988年「あぶない少年2」オープニングは内海くんの「突撃! シティージャック!!」から。でも金網に張り付いてテニスコートを見てるだけで数秒のシティージャックでした。そして敦くんのテレビ質問箱。敦くんは演技してる時、いつも腰に手を当てていますが、どうしてですか? の質問には、これは全部芝居ですとの答えでした。
1週間の部活の夏休みもきょうで終わり。毎日何となく過ごしたものもいれば、両親と旅行に行ったものもありとそれぞれ楽しい休みを満喫したようだった。大沢は1通の手紙を受け取り、中を読むなり厳しい顔となった。その翌日、なかなか教室に現れない大沢を心配する内海達。昼休みになっても姿を見せない大沢に、何か嫌な予感がすると言う内海は放課後まで大沢が帰って来なかったら、高村先生に相談しようと言うことになった。しかし、大沢は夜になっても戻って来ず、先生方も寮に集まって、大沢の行方を心配していたところへ、帰って来た大沢は、心配掛けたことは謝ったものの、それ以上は何も聞かないでくださいと言って、部屋に戻って行った。大沢を追いかけて部屋に戻った内海と諸星は、何があったのか大沢を問い詰めたが、何もないよと言い張る大沢に顔を見合わせるだけだった。
翌朝。内海が目を覚ますと大沢の姿がなかった。慌てて大沢を探しに行こうとする内海達。その頃大沢は柄の悪い男達に殴られていた。午前中、大沢を探し回っていた3人はお昼にクタクタになって寮へ戻って来た。そこへ大沢も身体中傷だらけになって戻って来たが、それでも理由を言わない大沢に、内海達は自分達が休んでいた1週間に原因があるかもしれないと、鎌倉先生のところへ相談に行った。鎌倉先生によれば、差出人不明の手紙が1通届いていたと聞き、それが怪しいと思う内海と諸星。内海達が学校へ行き、大沢がひとり寮に残っていると先ほどの男達が尋ねて来て、渚学園のローラースケート部を廃部にしろと脅しを掛けて来た。この男達は大沢に送り付けた手紙で、言うことを聞かない場合はメンバーひとりひとりの右足を使えないようにしてやると脅迫していたのだ。
この日の特別講義は番組でのアクションシーンを指導してくださってる佐藤正行さんを講師に迎えてのアクションチャレンジ篇。番組で主に立ち回りをしている内海くんと大沢くんのことを聞かれ、2人ともセンスは良いし、覚えも早いですと褒めてくれました。もうひとり相手役の人も出て来て、Lesson1は殴り方と殴られ方。ゆっくりと模範演技を見せてくれてましたが、なかなか覚えられないし、タイミングが掴めなくてか、最初にやった晃くんと敦くんは何度もやり直し。次の大沢くんと諸星くんはスピードもあってなかなか迫力ある演技をしてましたが、いつの間にかケンカシーンから踊り出してる2人(笑)。アドリブだろうにちゃんと揃ってるんだなぁ。 Lesson2は刀を使っての切られ方で、寛くんと淳くんが挑戦。寛くんが切られて倒れてました。
Lesson3の撃たれ方はお手本もなくいきなり内海くんが挑戦。みごとに後ろに吹っ飛んで、上手いって言われてたけど、「やられてないよ〜ん」と立ち上がってました。先生がお手本を見せてくれた後、淳くんが足を撃たれた場合で挑戦。片足を高く上げたまま倒れる淳くんの姿にギャラリーから笑いが…。寛くんは肩を撃たれた場合と、お腹を撃たれた場合に挑戦。倒れるところまではいいけれど、その後のカメラ目線でのアピールが上手くできなくて、途中からギャグになっちゃってました。大沢くんは首を撃たれた場合で迫真の演技。諸星くんは自分のリクエストで顔を撃たれてましたが、撃たれた後、酸っぱい顔して歩き回ってました(笑)。
Lesson4はとびおり方。と言うか、落ち方だよね。高さ3mくらいのところからかな、大沢くんと諸星くんが背中から下りて拍手を浴びてました。
「ゲーム・ざ・光GENJI」はいつかの続きの渚杯争奪バレーボール大会。この日の対戦は諸星くん、晃くん、敦くんチームVS鎌倉先生と女生徒チーム。光GENJIチームは2点先取された後、1点返したものの、その後は点が取れず、5対1で負けてしまいました。

 「夜のヒットスタジオ」名古屋でのコンサートを終えて駆けつけた光GENJIはオープニングメドレーには間に合わなかったようだけど、オープニングの話には駆け込みで参加。諸星くんはバク転しながら入って来て、「こんばんわー!」と叫んでたのを、やけくそになってない? なんて言われてました。
歌前の話はツアーのこと。コンサート終わってもファンがすごいから、ホテルから出られなくて、つまらなくないかと聞かれ、僕達は大丈夫ですと言う諸星くん。中学生の晃くんと敦くん、そして淳くんはツアー中も家庭教師がついて、勉強してたとのこと。コンサート後に3、4時間勉強してたって、頑張ってたよね。
そして、敦くんの15歳のお誕生日祝いで、チョコレートのローラースケートが乗った、大きなケーキが運ばれて来ました。このケーキ、本体はいつも同じような気がするんだけど、作りもの? 更に、今までの出演した全回のテレカをセットをバースデープレゼントとしてもらってました。柴さんのテレカ集めてるんだってねに、「えっ!?」と言う敦くん、隣の淳くんと顔を見合わせて笑ってたけど、テレカ集めてるのは淳くんなのに、どっかで情報が混同しちゃったようですね。更に更に、敦くんは夜の自転車の散歩を楽しみにしてるとのことで、新しい自転車もプレゼントされてました。
名古屋からの滑り込みで、カメラリハーサルもできなかったので、歌は事前に撮ってありますのでと言ってましたが、このVTRは7月20日放送のものですね。そして歌の後はそのまま帰ってしまいました。

 1989年「ザ・ベストテン」4週連続1位のお祝いのくす玉からは千羽鶴が…。諸星くんは先週渡そうと思ったのだけど、渡せなかったからと黒柳さんにお誕生日に寄せての手紙を渡してました。手紙を読む黒柳さんのマイクを持ってあげてた淳くん、手紙の「僕と黒い糸で結ばれているような気がします」に笑ってました。諸星くんはそんなに悪筆じゃないと思うけど、カードがゴチャゴチャしてたからか、黒柳さんは読むのにちょっと苦労してましたね。
歌はAパターンで、諸星くんと淳くんはアンダースルーしてたけど、映ったのは淳くんが潜り抜けた最後のところだけ。歌ってる時にMC席が彼らの後ろに移動して来て、他の出演者が紙吹雪きを巻いてたので、それにローラーを取られて、みんなヨロヨロしてました。特に淳くんが何度もコケそうになってて、ハラハラしちゃったわ。ローラースケート関係なく、膝をついたところでもズルッとなってたし…。

 1990年大阪4日目、ツアー最終日。前日、淳くんが「ガラスの十代」のどこの振りで怪我したのか確認しようと思ったのに「ガラスの十代」はカット。アメリカンメドレーも一部カットされててコンサートが早く終わったので、大阪でコンサート観て家に7時過ぎには帰っていたと言う…。この日は「ミュージックステーション」があって、ちゃんと彼らもスタジオに来てたから、これがあったのでカットされてしまったのかなぁと思ったけど。淳くん、番組で膝の半月盤を怪我したって言ってましたね。
この日も時々足引き摺って痛そうにしてるのに「夜を盗む」ではいつもの様に踊ってバク転までして、引き際歩けなくなって敦くんに肩貸してもらってました。怪我してる時に無茶しないで欲しいです、ホント…。

 「ミュージックステーション」大阪でのコンサートを終えて、帰って来ての出演。
聖鬼魔Uのところで、前回の出演で光GENJIのメンバーも一緒になってスタジオをメチャクチャにしたVTRが流れたのだけど、この日もデーモンさんは歌いながらMC席に乱入して来て、飾ってあったフルーツの中からバナナを取って、内海くんに食べさせてました。
この日のテーマは「この夏、コンサートであったこんなこと」。光GENJIもコンサートではいろいろありましたが、寛くんが8針縫う怪我をした話、大沢くんが鉄柱に頭をぶつけて脳震盪を起こした話、諸星くんもステージから落ちて、頭ぶつけたけど、脳震盪は起こさずに鉄柱が曲がっちゃいましたなんて、みんな笑いながら話してるけど、気を付けて欲しいです。で、昨日怪我をした淳くんは、膝の半月盤に傷が入っちゃってと言って、大丈夫なの? と聞かれて、ちょっとわかんないですと答えるし…。怪我人が続出だったこの夏のコンサート、生島さんには厄払いした方がいいんじゃないの? なんて言われてました。ホント、彼らは怪我をしてもなかなか休めないからねぇ。
歌の途中で、「STAR LIGHT」や「ガラスの十代」を歌ってた昔のVTRが挿入され、「3年間ここまでがんばれたのはみんなの応援のお陰です。どうもありがとう。これからも一緒に素敵な夢を見ていこうね」とのメッセージが流れました。
番組エンディング、提供画面でスイカを頭に乗せてる内海くんに、バナナをいっぱい持ってる淳くん…。

 1992年横浜4日目、ツアー最終日。1部の「TOKYO-L.A.-N.Y.〜夢の長距離バス」はあまり楽しいことはなかったけれど、オーラスでは例のシーンで淳くんの横にやって来た諸星くん、淳くんが自分の方を振り向いたらニコっとして、左手をスッと伸ばして淳くんの頬を触るんですもの…。私、この回はとーっても席が良くてセンターの最前席、ステージの左のコーナー辺りで見てたので、肉眼ではっきり見たこの時の諸星くんの笑顔が今でも目に焼き付いてます。
「I'LL BE BACK」を聴きながら、長かったツアーもこれで終わってしまうんだと思ってちょっと涙ぐんでしまった私ですが、この日は最後の最後に個人的に嬉しいことがあって、最後のお手振りの挨拶で淳くんが目の前に来た時、持ってたタオルを投げたら淳くんは上手くキャッチしてくれてタオルを顔に乗っけて汗拭いた後投げ返してくれたのでした。最初、そのタオルは私の手には届かなかったのだけど、受け取った子が私に返してくれたので、今も大事に保管してあります。

 1993年横浜4日目、ツアー最終日。最終回の「MOONメドレー」の寛&山は光の国の寛之くんと闇の国の山本ボン子さんのお話。ボン子さんは「ボンカレー」と言うと踊り出してしまうと言われて、淳くん「ボンカレーに新カレー」とステージを走り回ってました。
'92年の「風はオレンジ」で自分の前の席の子達にペンライトを振らせると言う技(笑)をマスターした淳くん、「STRANGER IN THE NIGHT」で自分のパートを歌ってる時、人差し指を小さく振ってたらみんながペンライトを振ってくれたので、親指立てて「Good!」。その近辺だけ盛り上がってました。この夏は光GENJIとSAY’Sと合わせて42日間で50本のコンサートを行った彼等、みんなお疲れ様でした。
この夏、ラストのコンサートレポートはこちらをご覧ください。

 1995年横浜2日目。この日の目玉は1部のMCでの諸星くんの「一匹狼」かな? 淳くんのマイクフォローが最高でしたね。晃くんの捨て身の「エクスタシー」も最高でした。その他、詳しくはレポートをご覧ください。

 「めざましテレビ」「やじうま新聞」「ザ・フレッシュ」「ビッグモーニング」前日から始まった横浜アリーナでのラストコンサートの模様を各番組が伝えてました。前2番組は新聞紹介のコーナーで、スポーツ紙の写真を写しながらのコメンテーターの言葉のみ。
「ザ・フレッシュ」はレコード売り上げの記録などを紹介しつつ、コンサートの模様を少し。「ビッグモーニング」はコンサートの様子と、「SAYONAERA 光GENJI」ってことで、デビューから8年間の栄光の歴史を振り返ってくれました。メンバーをひとりひとり徹底解剖とも言ってたけど、それは各自をコンサートのソロシーンと共に簡単に紹介しただけで、各自から一言ってのは、コンサートの最後でのそれぞれの挨拶のVTRでした。


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