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写真は、メムノンの巨像。損傷は激しいが原形はとどめている。かつては背後に葬祭殿があったそうだが、今は野原の中にポツンとある。写真奥の山側に向かうと、葬祭殿と王家の谷がある。 |
カイロとは違い、のんびりとした雰囲気のルクソール。東岸には豪華な神殿が立ち並んでいたが西岸はというと、墓だらけ。昔エジプトでは、太陽の沈む西の果てに、あの世があると信じられていたそうだ。新王国時代には、ピラミッドは全く姿を消し、王たちはナイルの西の砂漠に墓を築いたと言われている。そして、盗掘を恐れていた王や貴族は、岩山の奥に隠すように墓を作った。そしてその数は数千とも言われる。中でも有名なのが、王家の谷と呼ばれるところ。400m四方に60以上のお墓があるそうだ。
左は、牢ではなくお墓の入り口。右はツタンカーメンの墓の入り口。 |
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王家の谷には、みなさんご存じのツタンカーメンのお墓がある。日本ではツタンカーメンで通っているが、右上の写真のように(少し見にくいが)『TUT ANKH AMON』と区切るのが本当だ。他の墓は盗掘され、装飾品などはすべて持ち去られた後だったが、このツタンカーメンの墓だけは、入り口が誰にも見つからないままでいた。そして、1922年に発掘され、今はミイラだけが墓の中にある。財宝の一つであるツタンカーメン王の黄金のマスクは、現在エジプト考古学博物館に展示されている。お墓というと、いっけん怖そうに思えるが中は照明があり明るく、しかも壁画がきれいに保存されている。ビデオはだめだが、カメラはNOフラッシュなら撮影OK。(一墓につき5LE)
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これが、ラムセス6世の墓の内部。玄室へつづく通路が1本あり、その両壁や天井には、すき間なく壁画が描かれている。色も鮮やかに残っている。 |
この王家の谷にいくまでに小さな村があるのだが、この村は新王国時代の墓の上にある。昔、盗掘者は墓の中で暮らし、財宝を少しずつ売って生計を立てていたそうだ。そしてそのままその地に住みつき、墓の上に家を建て、ほとんどの家で墓は今物置きになっているらしい…。(王様が知ったら嘆くだろうね)
ハトシェプスト女王の葬祭神殿は、ほかの神殿と比べるとすごく斬新な感じがする。彼女が生きていた時代では、すごく画期的な建造物だったのだろう。ハトシェプストはファラオであった夫(トトメス2世)の死後、側室の子どもをトトメス3世として、摂政となり政権を握った。しかし、ハトシェプストはトトメス3世をすぐに押しのけ、自らがファラオとなった。彼女は史上珍しい女性のファラオだったのだが、女王ではなくファラオとしてのこだわりを持ち、伝統的なファラオのあごひげをつけ、男装して国政の指揮を取っていたそうだ…。面白くないのはトトメス3世。この葬祭殿の奥には、ハトシェプストが女王になるまでの様子等が描かれたレリーフがあったとのことですが、「女王」を意味する部分はトトメス3世が全て削ってしまったとか。それから葬祭殿からのルクソールの眺めは、なかなか雄大である。