第76回テーマ館「朝起きたら…」



リフレクション 第一章(1) 夢水龍之空

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第一章 リフレイン

 起き上がると、いつものベッドの上だった。
 あくびをしながら立ち上がり、寝癖の付いた頭をボリボリとかいた。カーテンは開いて
いたようで、日が差し込んでいる。すっかり朝になっているらしい。
「なんかぼんやりするなあ」
 独り言は、一人暮らし歴十年で染みついた癖だ。それにしても、仕事が無くてまた寝し
たら一日終わっていた時のような、寝過ぎた感のある気怠さが漂っている。今までどこか
違う場所で寝ていたような感覚もある。重い体をキッチンへ運び、水道で水を飲んでか
ら、バシャバシャと顔を洗った。手足が思うように動かないのも気になった。
 壁のカレンダーを見て、ふと違和感を覚えた。一日が終わると、その日付を斜線で消す
のが習慣なのだが、三月二日が消えていない。
「忘れたかなあ」
 カレンダーに斜線を入れようとして、胸騒ぎを感じた渡川は、郵便受けに向かった。取
り込んだ新聞の日付を見て、愕然とした。
「うっそ……」
 はっきり書かれたその日付は、確かに三月二日である。だが、その日のことなら渡川の
記憶の中にあった。
「ちょっと待てよ」
 慌ててページをめくってみるが、記事も広告も記憶にあるものばかり。毎日読んでいる
四コマ漫画も、既に知っている通りだった。
「なんだよこれ」
 混乱する頭で考えてみた。
 新聞は、取り込んで読んだ後で、自分が入れ直したのかもしれない。一度もやったこと
は無いが、あり得ない話じゃない。そう思って安心しようと思ったが、だったら今日の新
聞はどうなったのかと気になった。戻って調べても、新聞は他に入っていない。それにど
う見ても、一度開いてたたんだという感じの紙面ではない。紙が薄いから、どうしてもそ
ういう跡は残るものだ。やっぱり、これは新しい今日の新聞と考えるしかない。
 気を取り直して、テレビのスイッチを入れた。入力がDVDデッキになっているので、
久しぶりに地上波に切り替えた。とはいえ、基本的にテレビはゲームと映画のモニターと
しか思っていない渡川にとって、どのチャンネルも見慣れないものでしかなく、比較のし
ようが無い。NHKだけは、かろうじて知っている感じだったが、ここは変わらなくて当
然だろう。『今日、三月二日』という言葉は何度か拾うことができた。
 ラジオはと思ったが、ラジオを入れたことが無いと思い出して諦めた。
「おいおい」
 改めて新聞を開いてみたものの、始めからそう詳しく読み込んでいたわけではない。何
か新しい刺激が無いかと目を走らせているだけだ。見出しやレイアウトに記憶がある程度
で、文章が同じかどうかは分からなかった。
「落ち着け。落ち着いて考えろ」
 自分に言い聞かせながら、『今日』起こったことを整理しようとした。
 ― 三月二日
 夢で聞いた声が蘇ってきた。
 ― 何があったのか詳しく教えてください。
 一体誰なんだ。その声にしっかり答えられなかったから、また同じ日を繰り返させられ
ているというのか? 鏡に映したように、全く同じ時間を。
 渡川は気が変になりそうな感じがして、頭を強く振った。
「今日は、何日だ?」
 カレンダーを見ても、新聞を見ても、間違い無く三月二日だ。
「よし、今日は何があった日だ?」
 質問の文章のおかしさに笑いそうになったが、そんな場合ではない。
 朝起きたら、確かに陽が明るく差していた。カーテンは開いていたようだ。だいたい、
閉じる方が珍しい。服装は、いつものジャージだから特に問題ない。昨日の服は、よく覚
えていないが、床に散らかっている内のどれかだろう。服装に無頓着な渡川には、自分が
何を着ていたかなど思い出せるはずが無かった。
 昨日からの続きという考え方は捨てて、『今日』の予定を考えてみた。
 カレンダーには丸が付いていた。鉾立という文字が入っている。『今日』は鉾立との打
ち合わせということだ。いつも鉾立の自宅マンションで打ち合わせるから、場所は分か
る。徹夜して昼から寝る鉾立に合わせて、午前中に行くことも分かる。考えてみれば、
『昨日』も外へ出たような気がしてきた。三月二日、やはり自分は出かけたのだ。記憶が
蘇り始めて落ち着いてきたが、同時に繰り返しているという実感もまた強まってきて、渡
川は困惑を深めた。
「今、何時だ?」
 机の時計を見ると、八時少し過ぎとなっている。念のためまたテレビをつけてみたが、
同じ時刻を指していた。テレビを消して、また考えに集中する。
「これから何が起きる?」
 洗面所へ向かって、歯を磨きながら考えた。確か、出かけるからとヒゲを剃って、着替
えているところへ……
「そうだ、宅配便」
 宅配便が届いた。えらく中途半端に服を着ていた時で、出るのに時間がかかってしまっ
た。
 それを思い出したところで、その失敗を繰り返さないよう、手早くヒゲを剃って服を着
ておいた。どうも服が若干緩いような気はしたが、このところ忙しくてろくに食事もして
いないことを考えれば、当たり前かと思った。体の時間は経過したということかと納得し
ながら待ち構えていると、果たしてチャイム鳴った。
 覗き穴には、見慣れた宅配業者の制服があった。
「はい」
「宅配便です」
 ドアを開けて対応する。まじまじと見詰めてみたが、宅配便の人間の顔などいちいち覚
えているわけがない。不審がる顔を見せたので、慌ててハンコを押してドアを閉めた。
「箱はこんなだったかな」
 サイズや重さに違和感が無いか確かめてみる。手応えは同じような気がした。
 カッターで梱包を開いて、中の伝票を確認した。
「完璧」
 前から欲しかったゲームがオークションに上がっていて、それを競り落とした物だっ
た。間違い無く『昨日』と同じ荷物だ。
 念のためにゲームのパッケージを確認して、本体に入れて動かしてみた。確か、『昨
日』はそこまでやっていない。自分の意志については、すっかり同じでもないらしい。
「あ、打ち合わせ」
 ゲームを始めようとしてから、鉾立との約束を思い出した。
 用意していた資料、これは何も考えず手を伸ばした先に存在したから、全く同じ場所に
置いてあったようで、それを鞄に詰め込んで部屋を出た。
 理解できない事態ではあっても、友人との約束は守ろうとする渡川だった。


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