第76回テーマ館「朝起きたら…」



リフレクション 第一章(2) 夢水龍之空

第一章(1)へ


 外へ出てからも、記憶との違いが無いか注意深く観察を続けた。職業柄、物の色や形に
は敏感だ。見慣れない形の車が走っていることや、知らない自転車が家の前に停まってい
るのはすぐに分かった。だが、そんなことは日常茶飯事で、車自体に興味が無い渡川の
知っている形などたかが知れているし、自転車なんて毎日違う物を見かける。
 通りや周りの光景に違和感は無かった。行き交う人々に見覚えが無いのは、近所付き合
いさえしない渡川にしては当然だ。道端の雑草に至っては、何がどこにあったかなど全く
分からなかった。
「はぁ……」
 あまりため息などつく人間ではないのだが、この時ばかりは口から漏れた。
「あっれぇ」
 地下鉄の駅へ向かうため大通りへ出ると、初めて違和感を持った。渡川の感性が何かを
訴えているが、残念なことに、まるで興味の無かった光景の何がどう変なのか、見当も付
かなかった。
「うーん……」
 しばらくうなっていると、違和感の正体らしきものに思い当たった。たまに行く喫茶店
が閉まっているようなのだ。定休日となっている。
「昨日は開いてなかったか? いや、今日か。あーめんどくせえ」
 頭をかきながら、とにかく駅へ下りようとしたところへ、うっすらと笑みを浮かべて、
つぶらな瞳で渡川をじっと見つめる少女に気づいた。あんな子がいたっけ? と記憶を
探ってみても、知っている顔ではない。渡川が気づいたことを知って、少女は近寄ってき
た。
「こんにちは」
「あ、こんにちは」
「あなたもね?」
「え?」
「昨日と同じ日を繰り返してる」
「あ」
 渡川の背中に悪寒が走った。
「今、何て言った」
「同じ日を繰り返してる人、たまにいるよ。わたし、そういう人とよく会うの」
「え」
 息を呑んで、少女を観察してみる。
 年の頃は十代前半。紙は後ろで束ねて三つ編みにしてある。シンプルな青いワンピース
で、スカート丈は長め。靴まで青い。そういえば髪を縛ったゴムも青い。青以外の色が見
当たらない。どういうコーディネートだろうか。よく見れば、細身だが少々大人びた体つ
きをしている。顔に目を戻すと、不思議そうな目で渡川を見ていた。慌てて目を逸らす。
「約束があるんでしょ? 行かないの?」
「あ、そうだ。行くよ」
「一緒に行く」
「え?」
「いいでしょ?」
「あ、うん」
 まるで行き先まで知っているかのように、渡川と並んで歩き始めた。
「名前」
「え?」
「名前、何ていうの?」
「僕は、渡川だよ」
「渡川さん」
「うん」
「わたし、ミカっていうの」
「ミカちゃんか」
「渡川さんは、何してる人?」
「デザイナーだよ。ゲームのキャラクターとか、背景とかが多いけど、雑誌とか本のレイ
アウトもやってる」
「エディトリアルデザイナーね」
「お、詳しいね」
「色んな人とお話しするから」
「色んな人……」
「そう」
 階段を下りながら、ミカは人懐こい笑顔で、渡川に話しかけた。次第に、不気味さより
愛らしさが勝り始めて、渡川もリラックスしてきた。
「ゲームのお仕事って、どんなこと?」
「そうだなあ、僕は友達と始めたアマチュアチームで主に作るんだけど、普通は専門の制
作会社がやるんだよ。設定を考えるプランナーがいて、その商品化と販売戦略を考えるプ
ロデューサーがいて、制作を指揮するディレクターがいて、シナリオを作るシナリオライ
ターがいて、絵を作るグラフィックデザイナーがいて、音を作るサウンドクリエイターが
いて、動く物を作るプログラマーがいて、結構たくさんの人が関わってるんだ。大変なん
だよ」
「ふうん。渡川さんは、グラフィックデザイナー?」
「実は、CGって苦手なんだ」
「そうなの?」
「うん。もちろん、コンピューターで原画は作るんだけど、マップ作りとか戦闘シーンと
か、そういうのは僕じゃない人がやってるよ」
「渡川さんはやらないの?」
「うーん、なんかね、止まってる絵を作るのが好きなのかなあ。動画ってよく分からなく
て」
「ふうん」
 何も言わず付いてくるので、ミカの分の切符も買って渡した。無意識の行動だったが、
財布はいつもの場所にあり、思っていた程度の金額は入っているようだ。少し迷ったが、
中学生ならもう大人料金だろうと、大人二枚で購入した。
「渡川さんの友達って、どんな人?」
 ホームで電車を待つ間も、ミカは楽しそうに話を続けた。
「ゲームを作ってる仲間のこと?」
「うん」
 この屈託の無い笑顔を見ていると、なんだか分からないが妙に幸せな気分になってく
る。十年以上は離れていそうな渡川としては、恋愛とは違う感情だったが、こんな幼い少
女から、自分が守られているような、包み込まれているような、不思議な安心感を得てい
た。奇妙な体験の最中にあって、その体験を受け入れる者の存在であるせいか。そう思っ
て、渡川はまた己を襲う現実を思い出した。
「あいつらも、同じなのかな」
「今日のこと?」
「うん」
「どうかな」
「あいつらだけ時間が進んでるかもしれないってこと?」
「違う」
「じゃ、何?」
「自分の時間が繰り返されていることが分かってないかも」
「え、あ、僕だけたまたまそこに気づいてしまったってことか」
「うん」
「そうか、そういうことかもしれないね」
 自然にこんな会話ができる相手がいることの安堵感と、それが自然だと思えてきた感覚
の異常さに戸惑いながらも、渡川は乗り込んだ電車の広告に目を走らせていた。
 ミカがいたせいで、あまり移動することなく乗り込んだ。普段なら、降りる駅に合わせ
て移動するし、『昨日』もそうした気がする。だから車両が違えば、広告も違う。一部見
覚えはあったものの、ほとんど知らないものばかりだった。これも何も教えてくれない。
「それで?」
「え?」
「お友達のこと」
「あ、そうか」
 すっかり忘れていた。今はこのミカちゃんと、楽しくお話ししよう。渡川は開き直って
みることにした。
「友達は、鉾立っていうんだ」
「鉾立さん?」
「変わった名前だろ? 性格も変わってて、ものすごく頭がいいくせに、人付き合いが苦
手で、ほとんど家から出ないんだ」
「へえ」
「ゲームのアイディアもシナリオも鉾立が考える。プログラミングも一人でやっちまう」
「すごいねえ」
「だろ? そういうとこは尊敬するよ」
「他のとこは?」
「そうだなあ。人の気持ちを考えないっていうか、そんな言い方したら怒るに決まってる
だろってことを、平気で言えたりするんだよ。別に、悪気は無いんだけど」
「ふうん」
「あと、CGと音楽が専門のメンバーがいるんだけど、こっちは鉾立がネットで集めたメ
ンバーで、僕はあんまり関わってないんだ」
「でも、CGなら打ち合わせとかしないの?」
「そりゃするよ。チームの仕事としてね。でも打ち合わせ以外では顔合わせたこと無いん
だ」
「そっか。じゃあどんな人たちなのか、よく知らないんだ」
「まあ、でも付き合いは長いんだよ。六年になるかな。締め切り前はみんなで徹夜した時
もあるし、結構仲良くやってるつもりなんだけど」
「へえ」
 キラキラした丸い目をまっすぐに向けて、何でもない話を楽しそうに聞いてくれる少女
があまりにも可愛く思えて、渡川の気分も自然と上がってきた。
「まず、CGは橋浦って言って、誘った当時はフリーになったばかりの新鋭だった。元い
た会社のお客さんを頼って、掛け持ちしながら趣味でうちの仕事もやってくれてた。最近
は本業の方が減ってきて、困ってるみたいだったよ」
「そうなんだ」
「うん。音楽の方は、建部って言って、なかなかいいメロディーを書くんだよ。イン
ディーズバンドに曲提供することもあるし、フリーのクリエイターとして色んな音楽制作
にスタッフとして関わってる」
「他には?」
「それだけだよ。四人でやってる」
「少ないんだね」
「まあね。でも世の中には、全部一人で作っちゃって、大ヒットして大儲けって人もいる
んだよ」
「へえ」
 渡川のいる住宅街から、鉾立のマンションがある街までは、地下鉄で四十分かかる。J
Rと私鉄を乗り継げばもっと早いが、一本で移動できる便利さから、主に地下鉄を使って
いた。
 その長い時間の間、ミカはずっと渡川に話しかけてきた。最近のヒット作の話をしてい
る時に、またチームの人間の話題が出た。
「そんなに人気なら、いっぱい儲かったんだよね」
「うーん、難しいなあ」
「なんで?」
「確かに、売上は大きかったよ。でもでかいCG処理しながらシナリオ進めるプログラム
を個人で開発してるからね。設備は全部自前だから、最初の投資が大きいんだ。次はもっ
と、って思ったら、そのための予算も確保しないといけない。結局、一人ずつに入るお金
はそんなに増えないんだ。そこの理解が食い違ってね」
「食い違うって?」
「あ、いや、みっともない話だから」
「聞かせてよ」
「まあ、そうだなあ」
「お願い」
「うーん」
「ねえ」
 こんなにしつこく尋ねられるとは思わなかった。懐くような笑顔から、懇願するような
表情に変わっている。美少女にそんな目で見詰められて、放置できる渡川ではなかった。
「まあ、ちょっと、そのことで最近揉めててさ」
「誰が?」
「その、鉾立と、他のメンバーで」
「渡川さんも?」
「いや、僕はあんまり、お金に興味が無いっていうか、生活できれば十分だから」
「ふうん」
「だから、仕事が減ってた橋浦と、実績と報酬は比例すべきだっていう建部が、売上が上
がってるのに報酬を引き上げない鉾立と対立しちゃってさ」
「大変なんだ」
「そうなんだよ。僕は鉾立の言い分もよく分かってるつもりだから、どうしても二人を説
得する立場になりがちで、なんだか二対二の構図になっちゃって」
「それじゃ、橋浦さんと建部さんは、協力して交渉してきたの?」
「それがね、橋浦は単に仕事が無いから泣きついてるだけで俺とは違うって、建部が見下
すようになってさ。橋浦の方も、建部は金があるくせにせびるような真似して意地汚いと
か、お互い非難ばかりだよ。とても仲良く話し合いって感じじゃない」
「そうなんだ」
 一瞬、ミカの顔に引き締まった表情が浮かんだ気がして、渡川は目を擦って見詰めた。
だが、そこにはあどけない笑顔があり、おどけた風な目で見返してきただけだった。


第一章(3)へ

戻る