第88回テーマ館「天然」
癖の助け 3 夢水龍乃空 [2016/06/30 20:31:27]
癖の助け 1
癖の助け 2
「その場合、猪戸は普通に現場で狸沼を殺し、熊井の毛髪をおいて、熊井にメールをして、鍵
は開けたまま帰ったということですね」
「そうだ。何か問題あるか?」
「毛髪はどうにかして手に入りそうですね。メールはどうにでもなるでしょうし、防犯カメラ
の問題はなくなります」
「証拠は?」
そうたたみかけるなよ。考える時間がほしいじゃないか。
「防犯カメラには映っていて当然ですし、メールは誰が打ったかまだ分からないでしょう。携
帯の指紋はどうですか?」
「恋人だからな。指紋があっても不自然ではない」
「はい」
だから、何十人という捜査員に、一人で立ち向かえという方が無理なんだって。
「やはり、おかしくはないでしょうか。猪戸は、トラブルの多い狸沼に長年寄り添ってきまし
た。今更殺すくらいならば、とっくに別れていたのではないでしょうか? それに、意図的に
熊井を陥れようとしたことになりますが、職場が同じというだけで二人に特別な接点はありま
せん」
「動機の面に問題があると言いたいのか」
「はい」
「それは無視しろ」
「え?」
「犯罪の動機なんて人それぞれ、ケースバイケースだ。想像しかできないもんなんか、考える
だけ無駄だよ」
「無駄……」
動機の追求は捜査の基本じゃないのか。常識が常識じゃないのが『ここの常識』だというこ
とか。
「そうなると証拠の問題になってきますが、返り血を浴びた服でも見つからないと難しいと思
います」
「服は処分したんだろうな。それに熊井が浮上したおかげで、初動捜査は一本に絞られた。猪
戸の家を掘り返すような捜査はしていない」
「熊井の家からも、そうした証拠品は出ていません」
「それ以外の証拠を考えろ」
「……毛髪の入手経路とか」
「特定できそうか?」
「できるかもしれませんが、それを証拠にするのはどうかと」
「俺が何か調べてたから、それで毛髪のことを考えたってことか」
「はい。すみません」
「ヒントをやるつもりであえて黙っていたんだ。猪戸の嘘はほとんどが言葉の嘘だが、唯一物
理的な嘘が毛髪だ。そこを崩そうとするのが筋だな」
「しかし、かなり説得力のある物証です。崩すと言われましても」
考えろといわんばかりに、田村は黙って俺を見ていた。ここが勝負所と、俺も時間をかけて
考えた。そして、考えついた。
「自分は、カットのことだけを考えていましたが、熊井はパーマとカットと言っています。詳
しくないですが、パーマというのは薬品を使うのではなかったでしょうか? 毛髪に染み込ん
だ薬品の量を調べれば、何か分かるかもしれません」
「薬品は髪を洗えばかなり落ちてしまう。偽装はできなくもない。パーマ代が無駄になるが」
外したか。
「しかし、俺もパーマの線を考えた」
「と言いますと?」
「証拠品の毛髪は、微妙な縮れ具合だった。プロのパーマなら、もっとキレイにできるんじゃ
ないかと思ったんだ」
まだ分からない。
「だから鑑識へ行って毛髪を顕微鏡で見てみると、楕円形をしていることが分かった」
ダメだ。分からない。
「つまり、熊井の髪は癖毛、天然パーマだったんだ」
天然パーマ? だったらパーマとカットというのは。
「ストレートパーマをかけていたんですね?」
「美容室に電話で聞いたらはっきりした。お得意さんだそうで、もう何年も通っているらし
い。そして施術の順序は、パーマをかけてからカットをしたということだ。長さが揃わないか
らな、先にカットするわけにもいかんだろう」
「じゃ、証拠品の方は?」
「鑑識に詳しく調べさせた。ストレートパーマの効果が切れてきた頃合いのものだそうだ」
「事件当日に抜けたものという可能性は無い。それに、縮れた状態で毛先がカットされている
こともありえない。だから毛髪は偽装であると」
「熊井が自ら偽の証拠を偽装した可能性も理論上はありえるが、現実味のかけらもない」
俺たちの仕事は、事件を解決することではなく、解決できるかどうかを考えること。だとす
れば、仕事は終わりだ。
「つまらない事件だったな」
「は?」
ぼそっと呟いた田村の表情には、そこそこの脱力感が漂っていた。
「密室もアリバイも出てこないじゃないか。謎として全然魅力が無い。最近は何でもうちへ回
そうとしやがる。回すならもっと楽しい事件を回せよな」
「……密室とか、本当にあるんですか?」
「ある時はある。担当できればラッキーだ」
いや、その感覚はおかしいだろ。いくらなんでも。
「今回はつまらなかった。おまえも最初がこんな事件で、がっかりだろ」
「いえ、勉強になりました」
「ふん。課長には俺から報告しておくから、おまえはもう帰っていいぞ」
「分かりました」
そうは言っても、書類が出しっぱなしだ。
「箱に戻します」
「そうだな」
書類を片付けながら、やっぱり気になった。動機が分からないと、終わった気がしない。
「結局、動機は何なのでしょうね」
「まだ気にしてたのか」
「はい」
「メールの件から推測はできるだろ」
「熊井はそんなメールを受け取る心当たりが無いと言っていますね」
「だが猪戸はメールを打った。なぜだ?」
「あ、そうすれば熊井が部屋に来て、死体を発見すると思ったから」
「猪戸がそう思っていた。そこが動機じゃないか」
「浮気ですか? でもそれならとっくに殺していたのでは?」
「最近は落ち着いてたようじゃないか。よっぽど言い聞かせて、そうさせたんだろう」
「我慢に我慢を重ねてきて、今度やったら殺す、という心境だった」
「メールに対する反応からして、浮気は猪戸の思い込みだったんだろうがな」
「……酷い事件ですね」
「ほら見ろ。動機なんて考えても、余計な感傷を生むだけだ」
余計か。そうかもしれない。さわやかな事件なんて、そもそも無いんだろうし。
箱詰めが終わると、さらに殺風景になった。
「これ、誰が運ぶのですか?」
「本部が勝手に持ち込んで、報告後は勝手に持って行く」
「なるほど」
じゃ、ほっといていいな。
「では、お疲れ様でした」
「お疲れ」
めまぐるしい一日だった。後味は微妙だが、とにかくとんでもない部署に放り込まれたとい
うことだけは、よく理解できた。
完
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