第74回テーマ館「ゾンビ」
秘境山荘の怪異 (6) 夢水龍乃空 [2009/09/28 20:50:18]
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大間が自室へ引き上げて、切山も仮眠に入ろうとしたところを、滝吉が小声で呼び止め
た。
「ちょっと聞いてくれ」
「何ですか?」
「君にだけ言っておこうと思う。電話のことだ」
「あ、何か分かったんですか?」
「ああ。やはり、外の電話線が切られていたよ」
「え」
滝吉は、さらに声を落として続けた。
「気になって、裏の窓から覗いてみたんだ。電話線が、一階の庇の下から外へ出ているの
は知っているね?」
「はい」
「そこで引きちぎられたようだ。大人なら、つかんでぶら下がれば簡単にそうなる」
「そう、ですね」
「問題は誰の仕業なのかだ」
「分かってるんですか?」
滝吉は頷いた。
「証拠があるわけじゃない。だが、物音があってすぐの間は、まだ通じていたと思うん
だ」
「え、それって」
「見間違いでなければ、君たちが二階へ行ってすぐには、通話可能のランプがついてい
た。切られたのはその後だ」
「じゃあ、三浦さんを殺した犯人じゃないってことですか?」
「だとすれば、誰だと思う?」
切山は考えた。電話線は外で切られている。あれから外出したのは二人だけだった。
「大間さんか、川名さんですね」
「どっちだと思う?」
二人が共犯でないとすれば、一人になったタイミングでの犯行だろう。それができるの
は・・・
「川名さん」
「そうだろ? まあ、俺の見間違いかもしれないんだ。それに、少なくとも三浦さんが殺
された時、全員がロビーに集まっていた。お客様の中に人殺しはいない」
「・・・はい」
「これは俺たちだけの秘密だ。特に聞かれない限り、胸にしまっておいてくれ」
「分かりました」
もやもやしたものを感じながらも、切山はベッドに入った。よほど疲れていたのか、
思ったよりもすんなりと眠りについた。
アラームの音に目を覚まして、切山は部屋を出た。ロビーでは、大間が腕組みをしなが
ら神経を尖らせていた。
「おう、交代か」
「はい。後は僕が」
「よし、頼むとしよう」
切山と入れ替わりに、大間は二階へ去った。気を遣っているらしく、いつもとは違って
静かな足取りだった。
いざ始めてみると、2時間という長さに早くも圧倒された。あらゆる物音、光の変化に
気を配りながらの時間は、あまりにも長い。まだ30分もしないうちに、眠気と疲労が
襲ってきた。
何とかしようと、冷蔵庫から炭酸飲料を取り出してコップにあけていると、外にかすか
な気配があった。足音のようだ。途端に眠気は消え去り、緊張が走った。
物音は山荘の裏手から聞こえたようだ。野生動物の可能性もある。むしろ、この時間ま
で殺人犯が潜んでいるとは思えず、大型生物の可能性が高い。下手に遭遇したら、それこ
そ命が危ない。まずは、屋内から様子を窺うことにした。
一階の奥には、共同の風呂場とトイレがある。風呂場の窓辺りがいいだろうと、灯りは
つけずにそっと窓を覗いた。
そこには、見覚えのある顔があった。
目が合ったかと思ったが、こちらは真っ暗闇で、向こうは二階から漏れる光を受けてい
るのだから、見えるはずは無い。それでも、その恐怖は切山を凍り付かせた。
三浦さん!
それは、ふらふらと探るような足取りで、確実にこの山荘を目指して移動していた。ど
う見ても人の姿であり、それでいて生きている感じがしない。不気味な存在だった。
叫びたくなる衝動を堪えるだけで必死だった。なぜ、死んだ人間が窓の外に? 見間違
いか? いや、服も顔も完全に三浦だった。
壁をごりごり擦るような音がする。ゾンビが何かしているのか? 自分を襲おうとして
いる? 大丈夫。こっちが見えるわけがない。でも、相手が超自然的な存在なら、常識な
ど通用するのか? 切山はすっかりパニックに陥った。
どれくらい経っただろうか、震える体をさすりながら、もう一度窓を覗くことができ
た。そこには、誰の影も無かった。窓を開けて身を乗り出しても、ただ地面があり、壁が
あり、闇を含んだ森が広がるだけだった。
気がつくと、ロビーで朝日を浴びていた。朦朧とした意識の中で、どうやらロビーで
座ってはいたらしい。番兵として役に立ったとは思えなかったが。
明るくなってすぐ、川名夫婦が荷物を持って下りてきた。大事な用事があるとかで、朝
食も取らずに精算して、自分の車で去って行った。
そのすぐ後に、滝吉が起きてきて約束通り車で麓へ向かい、警察を連れてきた。往復で
3時間もかかってしまった。川名を帰したことを叱責されたが、切山はそれどころではな
かった。ありがたいことにアリバイがはっきりしているため、厳しい追及は無かった。
不寝番の大間も起きてきて、事情聴取を受けた。結局誰も朝食は取らず、三浦の遺体は
警察に運び出された。話し終えた客たちは、一部は予定を早めて、朝の内にチェックアウ
トして行った。大間も下山を決めて、天崎と一谷の二人をバス停まで送ることになった。
中町と吉田は、散策がてらのんびり下山するということだった。
仕方ないなと苦笑する滝吉を置いて、切山も予定より早くバイトを終わらせてもらっ
た。
警察の調べによれば、山荘の周囲には、山荘内のどこにも無い形の靴による足跡があ
り、それが犯人の物と思われた。川名夫婦以外の靴底は警察が型を取って照合したので、
まず間違いない。特に、基本的には誰も行かない裏手の地面には、掃除した時の切山と犯
人のもの、そして壁沿いに一周する敏一と大間の足跡しかなかった。
ならば、あの三浦のゾンビは幻か? 足跡がない以上、そう思うしかなさそうだが、切
山の目にはあのリアルな情景が焼き付いていた。とても幻覚とは思えない。錯覚でもあり
得ない。
後日、滝吉の元に来た警察からの報告を、切山も手紙で知ることになった。三浦の死亡
推定時刻は、だいたい夕食時間の前後1時間くらいで、現象と一致していた。三浦の所持
品は、やはりあの袋一枚だけ。そして三浦と川名について、どちらも偽名であり住所もで
たらめで、川名は全く連絡が付かないということだった。最後に、三浦の死因は絞殺だ
が、足には蛇に咬まれた跡があり、毒が回っていたことが分かったという。侵入者につい
ては、その日麓に近い街で起きた宝石強盗が、逃亡中に立ち寄った可能性があり、その線
でも捜査するとしていた。
切山にとって、重要なのは死亡推定時刻だけだった。自分が風呂場で見たものは、間違
いなく生きた人間ではなかったのだ。その時間、明らかに三浦は死んでいた。
それ以来、切山は山に登ることも、滝吉と連絡することもなくなった。
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