第74回テーマ館「ゾンビ」



秘境山荘の怪異 (7) 夢水龍乃空 [2009/09/28 20:50:01]

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 そんな事件から数年の月日が流れ、切山はごく普通の商社で営業として働いていた。体
力が買われたのと、山荘で仕込まれた接客応対が好感を持たれ、順調に成績を伸ばしてい
た。
 その日の得意先は、普段回っている地域から離れていた。たまたま時間が空いていたの
で、同僚の仕事を肩代わりしたのだ。切山がいつもの感覚で路肩に停めていると、女子高
生くらいの女の子が怖い顔で近寄ってきた。
「あなた、ここは駐車禁止です。すぐに移動してください」
「え? ちょっとだけだよ。ほとんど車なんていないみたいだし」
 軽く追い払おうとしたら、意外にも目を吊り上がらせて食い下がってきた。腰に手を当
てて威張っているようにも見えるが、なにせ体格のいい切山に対して、半分くらいの女の
子だ。まるで貫禄が無い。
「そういう問題じゃありません! 社会のルールを守ってくださいと言っているんで
す!」
「参ったなあ。あのねえ、僕は仕事で忙しいの。お嬢ちゃんと遊んでる暇は無いんだよ」
「失礼な! 私は警察官です。今日は非番ですが、番号を控えて通報するくらいのことは
できます」
「は? 警察?」
「そうです」
 非番と言う割には、ポケットから警官バッジを取り出して、切山にぐいっと見せつけ
た。
「交通課の井倉です」
「いくらちゃん?」
「そういう言い方はやめてください」
「あ、どうも・・・」
 真っ赤なかわいい顔からは、今にも湯気が出そうだ。軽自動車の屋根より少しあるかな
という身長では、切山を見上げる姿は首が痛そうだった。
「まあ、とにかく忙しいんですよ。本当にすぐ終わるから、見逃してくださいよ」
「何という態度でしょう。結構です。免許証を見せてください。チェックしておきます。
今日が非番で助かりましたね。でも、ただでは済みませんよ」
 今度は別のポケットから小柄な手帳を取り出した。首から提げた携帯電話を開いたかと
思えば、パシャパシャと写真を撮っている。
「ほら、免許証です。出してください」
「はいはい」
 仕方なく、切山は財布から免許証を取り出して渡した。
「切山高行さんですね。車は会社の所有ですか?」
「ええ」
「それなら、名刺も渡してください」
「えぇ・・・」
 しぶしぶ、会社の名刺も渡す。なんでこんな子どもみたいなのに付き合わされるのか、
切山は自分の身が不幸に思えてきた。他人の仕事なんてもらうんじゃなかった。
「控えさせてもらいました。ありがとうございます」
「どういたしまして」
 免許証を返してもらったが、名刺は持って行かれた。まあ当然だろう。切山は小さくた
め息をついた。
「それにしても、切山さんは堂々としているというか、潔すぎるというか、警察が怖くな
いんですか?」
「別に」
 また妙なことを聞いてきた。面倒くさくなった切山は、捨てぜりふのつもりで言った。
「もっと怖いもの、知ってますから。それじゃ」
「それは何ですか?」
「はあ?」
 まさか、ここに食いつくとは思わなかった。余計に面倒にしてしまったと、切山は一層
後悔した。
「そんなに怖いものって、何ですか?」
「関係ないでしょ。何だって」
「気になります。教えてください」
「ちょっと君ねえ」
「井倉です。わたし、気になるとダメなんです」
 そんなことは知らん。振り切ろうと思ったが、さっきまでのかわいい仁王様のような目
つきが消え去り、やけに澄み切った瞳からは、何事をも見通してやろうというような、強
靱な意志を感じた。どうやら、目が吊り上がって見えたのは、元々がそういう顔つきだっ
たらしい。相変わらずかわいらしいだけで、全く貫禄は出ていないが。
「まあ、話としては単純なことなんだけど・・・」
 切山は、かつて秘境の山荘で体験した怪奇な出来事について、井倉に話して聞かせた。
 それが癖なのか、口を尖らせて、時折うんうんと何かに頷きながら、井倉は考え込んで
しまった。当たり前のことだ。いくら警官といっても、こんな非現実的な謎を解明できる
わけがない。オカルトの専門家なら、何かしら理屈をつけてくるのだろうが。
 何も期待しないまま、切山は井倉を見つめていた。しかし、予想に反して、何分も経た
ない内に井倉はぱっと明るい笑顔を見せて言った。
「どうやら、三浦さんは仲間に裏切られたようですね」
 笑って言うことか? それ以前に、何のことを言っているのか、切山には想像もできな
かった。井倉は試すようないたずらっぽい目を切山に向けながら、その推理を語った。


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