第74回テーマ館「ゾンビ」
秘境山荘の怪異 (8) 夢水龍乃空 [2009/09/28 20:49:44]
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「いいですか? 日本にゾンビなんているわけないんです」
日本以外にはいそうな言い方だ。切山がそう言う前に、井倉は続けた。
「ゾンビはブードゥーという宗教の中で守られてきた伝統のようなものです。何らかの神
経毒で仮死状態を起こし、甦った人間を奴隷のように使役する風習です。処刑の一種とも
言われていますね」
「へえ・・・」
それが何だというのか。だが、口を挟む余地を感じない。もしかして、これが本物の貫
禄というものなのか? 切山はとにかく話を聞くことにした。
「日本でそんな風習は伝わっていません。もちろん、首を絞められて仮死状態になり、
甦った可能性はあります。現実に、そうやって生き返った例はいくつもあります」
そうなのか。いつの間にか、切山は井倉のペースに飲み込まれていた。
「でも、状況がそれを否定しますね。足跡の問題があります」
そうなのだ。切山が見たゾンビは、確かに地面を歩いていたのに、三浦の足跡は無かっ
た。その考えを読んでいたかのように、井倉は続けた。
「その通りだとすれば、三浦さんは靴を履き替えて外を歩いたことになります。前後不覚
で生き返った人が、どこでなぜ靴を履き替えるのか、説明できません。他人が履き替えさ
せる理由もありません」
「それって、どういう?」
「自分の意志で、必要があって、靴を履き替えたんでしょう。実に計画的な行動です。実
際、その靴は発見されていないんですから、隠すことまで考えられていたことになります
ね。これは計画犯罪です。そして足跡が三浦さんのものである以上、第三者の外部犯は存
在できません。空を飛ばない限り、足跡は残りますから」
切山の目撃談を肯定することから入って、なんと隠された犯罪計画を見つけ出してし
まった。これが本職の実力か? いや、当時の警察にこんな推理をした人はいなかった。
なら、この子は何者? 切山は、目の前の少女のような警察官が、何かものすごく偉大な
存在に思えてきた。言いしれぬ興奮が沸き起こる。
「第三者を否定すれば、自ずと最初の殺人が狂言だという結論が出ます。全員にアリバイ
があるのなら、自作自演しかあり得ません」
「ああ、そうだ。そうなる」
「まず、絞殺というのが変なんです」
「え?」
「とっさに殺すという時に、格闘になりやすく殺すまでに長い時間のかかる方法は取りま
せん。普通は手近なもので殴ります」
「あ、なるほど」
「これは二重のトリックですね」
「二重?」
「まず最初の発見時、手首の脈は脇の下にゴムボールでも挟んでおけば、簡単に止まりま
す。呼吸だって、練習すれば数分止めるくらいできます。でも、首の脈は止められませ
ん」
「あ」
「でもロープが巻き付いていたら、そこで脈を診ようとは思いませんね」
確かに、大間は首に手を伸ばして、ロープに気付いて引っ込めた。そういうものかもし
れない。
「また、真犯人は、最終的に三浦さんを殺すつもりだったと思われます。その時、最初の
発見時と矛盾のある殺し方は避けないといけない。その点、絞殺は合理的です。最初の時
点で策条痕は残らないので、二度殺したことはまずバレません」
「さくじょう?」
「策条痕です。策条とはワイヤーロープのことですが、一般的に細長いもので皮膚を傷つ
けた際、皮膚に擦過傷や圧痕、つまり、擦り傷や圧迫された痕を残します。そのことで
す」
「あーそうですか」
「殺害手段がロープという時点で、疑うべきでした」
疑うべきだったのか。当然のことのように説明されると、切山は自分が何も知らない人
間のように思えて情けなくなった。
「あれ、でも死亡時刻は」
「そんなもの、どうにでもなります」
警察の言うことか? という疑問は飲み込んだ。
「それもトリック?」
「単純には、電気毛布でもかぶせておけば、死亡時刻がずっと前だったように偽装できま
す。前後1時間という話でしたが、まだ翌日の段階にして、現代の鑑識技術でその幅が出
ること自体、何かおかしいと考えるべきですね」
自分が謝ってしまいそうになる。この子にとっては、何もかもが当たり前のようだ。頭
がくらくらしながらも、次第に思考が整ってゆきつつある不思議な感覚に、切山は酔い始
めていた。
「ゾンビが消えたのは、トリックの内に入りません」
話がいきなり飛んだ。切山にしてみれば、全てが異次元を跳躍するような感じなのだ
が。
「それって?」
「単純に、窓からロープを垂らしておいて、それを登ったんでしょう。一本のロープで
も、結び目をいくつも作っておけば苦労せず登れます。縄ばしごです。直接二階へ上がっ
たんですよ。壁を擦るような音を聞いたのは、縄ばしごを登っていた時のものです」
ビシビシと断言してくる。表情にも、口調にも、一切の迷いが無い。声も姿も、ちょっ
とかわいい女子高生でしかないのに、これほど力を持つ言葉を話す人を、切山は思い出せ
なかった。
「それを見た時、普段と違う感じがしたのも当然です。ある理由から夜の森に入った三浦
さんは、そこで毒蛇に遭遇して、咬まれたんです。毒が回りつつある状態ですから、ある
意味では死にかけていたわけです」
「なるほど・・・」
「そして問題は、誰が、何のために、三浦さんを利用したのか、ということです」
超自然的なゾンビの正体が明らかとなり、そして、全ての真相が語られようとしてい
る。
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