No.03 00/02/24 ◆作品解説:「空の下で」と「すぎゆく夏」

キャラクターのフレーミング

【ケンスケ論の2】
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 始めに余談。言いたい事の10分の1でも表現できれば上出来だなあと言う話し(^^;

 実はこの、不定期コラムを習慣にしょうと目論んでいる家主でございます(笑)。
そうそう充実した更新が毎回出来る訳では有りませんので、覗くたびにチョコっとづつ
でも違ったモノが読めたらなあと。
 読むだけの価値が有る言葉を呟いてる自信は有りませんけど(^^;

 昔はこういう事って、あっちゃこっちゃの掲示板に顔を出してはやってたんですよね。
 時に話題提供として、また時には意見を異にする人との議論の中で吐き出してきたも
のなんですが、最近はさすがにそういうパワーが有りません(笑)。
 歳を取ったのか熱が冷めたのか、多分両方だとは思いますが(爆)、よその掲示板まで
出掛けて行ってあーだこーだとエヴァを語るなんて、もう一回出来たとしても続かない。
 議論として盛り上がりそうな雰囲気感じたら逆に引いちゃって逃げ出しそうなパワー
の無さです(笑)

 これではイカン。と思ったり思わなかったり<どっちやねん

 と言うか、語るべき事は全て作中で語れば良い話しなんですけど、それが出来るほど
器用なストーリーテーラーではありませんので(^^;
 知ってるけど、考えてるけどどうにも作品にならない部分。
 拙い文章力では描き出す事も伝える事も出来ない部分に関して、まあ独り言というか
愚痴めいた呟きでは有りますが、なんかカタチに残しておきたいなあという意図です。

 だから、読まれなくても良いし伝わらなくても良い。
 迷惑掛けないためにも自分の所でやりましょうと、そんな感じ(^^;
 何だか引退間近みたいなパワーの落ち方ですな(爆)。


 さて、予告の通りお代はキャラクターのフレーミング。
 フレーミングって言うとちょっと違うな・・・むしろトリミングか(笑)。
 この辺はカメラ用語なんでフツーの方にニュアンス伝わるか疑問ですが。
 要は立脚点と言うか視点と言うか、キャラクターの物語への関与の仕方や立場の違い
なんかの話し。

 前回「ケンスケとそれ以外のキャラ」の違いに言及しましたが、その続き。
 今回は読者とキャラクターの視点。

 チルドレン各人は、それぞれの物語を紡いでいる、と感じています。
 シンジにとっては世界はシンジを中心に回っているし、アスカにとってもそう。
(TV版終盤でそうじゃ無くなって壊れてしまいますが)
 レイは文字通り世界のカギを握っているし、使徒であったカヲルは人類の命運を握っ
ていた存在でした。

 トウジとヒカリはちょっと違う。
 違うんですが、でもやっぱり彼らなりに主人公なんだと思うんです。
 それは例えばトウジがエヴァに乗って片足を失った事であったり、そうなってしまっ
たトウジをこれからも支えていくであろうヒカリの思いであったり。

 エヴァの世界の狂言回しは「エヴァンゲリオン」の存在そのモノなんだと思うんです
ね。だから、それへの関わり方がそのまま立場の違いなのかな、と。
 エヴァ・使徒・補完計画・死海文書と言ったアイテムへの関わり方がそのままキャラ
クターの立脚点の違いだろうって事ですな。

 そうした中で、ケンスケだけ立場が“一般ピープル”なんです(^^;

 エヴァに憧れて、エヴァのパイロットに憧れて、カメラを回してミサトに直訴して。
 でも、トウジと共に偶然初号機のエントリープラグに収容された以外、彼は直接には
エヴァと関わってない。
 使徒襲来に脅えてシェルターに避難して、関わる事も変える事も出来ない巨大な災厄
(にはエヴァの存在も含まれる)がただ害をなさずに通り過ぎるのを待つしか無い、一般
市民と同じなんです。

 空前の規模の巨大台風が、自分達の住む町を直撃する。
 そう聞いたら不謹慎にもワクワクしてしまう感覚って有りますよね?
 彼が使徒襲来の警報を聞いて思う所って、そんな感じじゃないかと思います。

 シンジは、彼の決断が世界を救うか滅ぼすか、って所まで追いつめられます。
 アスカもレイも、エヴァにのって使徒と闘う場面では、いつも世界の存在そのモノを
背負っている。
 普段意識しているかどうかは疑問ですが、立場としてはそうなんです。

 ケンスケにとって、世界は自らの力が影響を及ぼす事の無い、変える事など出来るわ
けも無い大河の流れに似てると思うんですね。
 世界は広大で、歴史の流れはヒト一人の関与では毛筋ほどもその向きを変えない。
 そこには前回もキーワードになっていた一種の「諦観」が存在するはずです。

 「俺一人、ここに居ようが居まいが同じ事」って種類の諦観です。


 この立場は、読者にとってはどうなんでしょう?
 恐らく多くのヒトにとって、むしろ身近な立場なんじゃ無いでしょうか。

 ケンスケがエヴァ小説の中で描かれない、いや描かれても脇役でしかない点って、そ
の役割と立場のせいだと思うんですよね。
 彼が関わる事で、世界が変わっちゃオカシイんですよ(^^;
 主人公にはなれないってのは、そういう事なんじゃ無いかなあと。
 ラブ米要員じゃないとか、萌えキャラと関わっても討ち死にするだけとか、もてない
イメージがそうさせるだけにも見えちゃうんですが、彼が主人公になって大活躍したら
それはやっぱり多くの読者にとって違和感だと思うんですよね(^^;

 前回述べた通り、私はケンスケは嫌うどころか身近に感じる親しみやすいキャラなん
です。それでもやっぱり、ケンスケがケンスケであるためには脇役で、と思う(笑)。
 その辺が脇役の脇役たる所以なんでしょうね(^^;
 哀れ、ケンスケ(爆)

 でも、くわたろさんが描いた「そらの下で」は違ってました。
 読者と同じ、傍観者でしか有り得ないケンスケを通してしか、我々がリアルに垣間見
る事の出来無いエヴァの世界を鋭く描き出しています。
 ケンスケ視点の一人称なのに、どう言うわけかここでもケンスケは脇役です(爆)。
 いやまあ物語の体裁としては完璧に主人公のポジションに収まってますが、物語の世
界の方から見て、やっぱり脇役に止まっちゃってる。

 でも、脇役でしか有り得ないケンスケの視点で眺めるからこそ、染み入る物語なんで
すよね。その着想と確かな描写力には感服いたしました。
 あんまり書き過ぎても「CREATORS GUILD」さんの「創作談話室」に書いた感想文と同
じ内容になっちゃうのでこの辺で止めておきます(^^;

 興味有る方は「そらの下で」と合わせて「CREATORS GUILD」さんへどうぞ。
 リンクはこっちhttp://www.venus.dti.ne.jp/~daru/menu.html

 冒頭のフレーミングの話しに戻りますが、ケンスケは世界と言う写真の中で、写って
いるのに焼かれる時にトリミングされちゃう存在なんだと思うんです(笑)。
 写っていても写ってなくても大差無い、だから、メインの被写体にフォーカスするた
めにトリミングされちゃう、みたいな。
 元からフレームを「覗く側」なんですよね。
 カメラマンであり傍観者であり、その視点は読者と同じ。
 彼が作中に出てくると必ず脇役であるのはそういう理由じゃないかなあと(^^;

 さて、それが今後の「すぎゆく夏」とどう関係が有るのか?
 語るまでも無いですね(爆)
 そーゆー事です。

 んでも、その諦観まで含めてケンスケを舞台の上に引っ張り出してみたいなあと、そ
んな風に思ってます。

 でわ(^_^)/~
次回へ続く▽

制作・著作 「よごれに」けんけんZ
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