人の話しを鵜呑みにする危険
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今回のコラムはちょっと趣向を変えて 『ウェブ上に置かれた情報の「二次利用」の自己責任』って話し。 平たく言うと、一次情報を当たって自分で判断して下さい、という「お願い」です。 |
最近さすがに、いきなり「イテエぞこのヤロー」なメールはありません(笑)。 が、確認しないまま二次情報を信用して行われる「批判」は、こちらとしてはどうに も対処のしようが有りません。 説明すると長くなるんですが、例を挙げます。 ケース:0 「BさんがAを悪く言ってるんだから、Aは悪い奴だろう」 とCさんが思ったとします。 さらにCさんが「Cもそう思った」と意見を表明したとします。 ケース:01 ここで、BさんはCさんから常に信頼されているとします。 さらに、AもBさんの発言を常に信頼している、とすれば、そうした「伝聞」でも有 り難いものです。自分のやってる事を「反省」する良い機会です。 ケース:02 AにとってBさんが「信用していない」相手だったり 「信用するに足る相手かどうか判断が付かない」場合は困ります。 Bさんの信用を傷付けないでCさんに釈明する方法が有りますでしょうか? ……有りませんよね。 言われただけ損かもしれないけれど、Aは釈明の機会を失うわけです。 せいぜいCさんに「一次情報をあたって自分で判断して」と「お願い」するぐらいが 関の山です。 ケース:03 CさんがBさんを信用していないのに、Bさんの発する二次情報だけ利用する ……のはもっと「?」と首を傾げたくなる状況です。 (ネットにはこういうユーザーが驚くほど多いと思います) Bさんのような批評家に取り上げられる可能性が有る人(Aさん等、ですね)は 「誰からも誤解される事が無いように」と口数が多くなり過ぎるか、誤解の種を減らす 為に黙るかしか自衛の手段が残りません。 もしくは諦めて「批評を受ける立場」なんてモノからはきっぱりと足を洗うかです(^^; 結論 私は、読者の皆さんには最低限「一次情報」と照らし合わせた上で批評家の意見を聞 いて、自分でその批評家への「信用度」を判断した上で批評家の意見を活用して欲しい と思っています。 情報を照らし合わせるテスト期間を経て、 「この批評家の価値判断は、大体において私と同じだ」と自信を持った上でなら、二次 情報だけで判断するのも良いでしょう。 そうでない場合、二次情報には「偏り」が有る可能性を常に思っていて欲しい……と いうのが私からの「お願い」です。 ですから批評活動をされる皆さんには、一次情報の明記をお願いしたいと思います。 作品名(または作者名)だけ上げて批評するぐらいなら、無断でリンクを張られた方が まだマシです(^^; 掲示板での発言やHPに掲示された断り書きのようなモノの場合、全文引用した上で 批評するのが「フェア」なやり方ではないでしょうか? 時を経て失われる可能性が高い発言を取り上げる場合、そのくらいの配慮はして頂き たいと思います。 また、そういう配慮を当然おろそかにしないのが、優れた批評家の条件で有ると考え ます。 |
補足1 批評家を信頼するな、という話しではありませんので悪しからず。 これはネット上で発信されるアマチュア情報の全てにおいて言える事だと考えてます。 「このページに載せられた情報の活用は、自己責任の範囲で」と断り書きのつくページ が多いのも、情報の真偽の判断は、書き手の責任ではなく読み手の責任であると謳った モノです。 そうは言っても、他人を信用する事自体は良い事です。 信用に足る情報をいつも(しかもタダで)もたらしてくれるページは有り難い存在で、 ネットの便利さと存在価値を感じます。 しかしそれらを「判断もしないで使う事」が当たり前だと思うか、発信者の努力や誠 実さを感じて自分でその価値を判断するかどうかという所は、ネット利用者のモラルと して大事な部分なのではないでしょうか? 信頼できる批評家が居て欲しいと思うのは書く側も同じです。 ただ、批評家を盲信するだけで自分では何の判断もしない読者に向かって、自分の事 や自分の作品を釈明するのは骨が折れる割に実りの無い作業です。ならばいっそ、読ん で欲しいとは思わないし話題にもされない方が有り難い、というのが私の個人的な 「実感」です。 補足2 この「お願い」は、私の発する情報の利用に対して、また私に対して発せられる情報 に対しての「制限」では有りません。 私から読者の皆さんへの「お願い」ですから、これを聞き流す「自由」は、いつも言っ てます通り「読者の皆さんのもの」です。 長々とつまらん話しで失礼致しましたm(_ _)m |
次回へ続く▽ |
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レスポンス有った方が良い場合はくりゲストブックまで。 |
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