じゃあどうするの?
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さてさて、よーやくエヴァなコラムに続きが書ける日がやってきました(^^; エヴァンジェリストの展開待ちだったんで、予想以上に時間が掛かってしまいました。 って言うか、更新が遅いのが全部悪いんですが。 エヴァンジェリスト2018年を読んでる方には繰り返しになります。 読んで無い方で、この後エヴァンジェリストを読む予定が有る方は、このコラムは読 まない方が楽しめるかもしれません。 なんて注意書きをおいて、本題へ。 |
エヴァという物語の主人公は常にエヴァだった、という話しは以前にもしました。 エヴァに象徴される、死海文書の謎とか裏死海文書とか人類補完計画とかSEELE の陰謀とか語られないNERVの内実とか、そういったモノを「全部象徴」して、とい う意味で「エヴァ」って言葉をはめてますが、まあそういう事。 「舞台設定」の方面ですな。 「登場人物」では無くて。 「書き割り」と「役者」と言い換えても良いです。 物語はエヴァに拠って動きはじめ、エヴァに沿って流れていました。 人間のキャラクター達は、能動的に動いているように見えてその実、世界に対しては 何の作用も及ぼさない、観察者であり傍観者に過ぎなかった。 つまり、皆がみんなケンスケレベル(^^; シンジですらそうなんですね。 世界がエヴァそのものによって進んでいく方向に、抗って、足掻いて、結局はどーに もならんかった、てな話しとも言えるんです。 更に言えば、綾波レイのポジションは「エヴァの側」に有ります。 実はゲンドウなんかより最後の最後でもっとずっと「エヴァに近い方」に行ってしまっ たんですね。 「エヴァに近い方」ってのがなんだったかって言うと、それは「人間外」という事です。 映画でキール議長が身体をサイボーグ化していたり、SEELEの委員が最後は単な るモノリスになってしまったりと言うのもその象徴なんだと思うんですよね。 「人間以外」の存在達が蠢いている、そんな舞台裏の演出だったと思います。 その存在が「なんであるのか」ってのはこの際問題じゃないと思います。 と言うのは、ここで「エヴァ」と言ってるのはある面でNERVでありユイであり、 またある面でSEELEであり、そしてレイでありカヲルでもあるからなんです。 つまりその先の、SEELEの補完計画、ゲンドウの補完計画、ユイの目論見、そし てカヲルとレイに与えられた使命。それぞれが微妙にずれてて別の場所を目指してた、 って部分も実は大して問題じゃないと思うんです(^^; 「シンジから見た場合」どれも大差無いんです。 理解の範疇を超えて、自分の問題とは思えないモノですから。 結局最後まで、シンジはシンジの物語を自分から造る事が出来なかった。 それがエヴァだったんじゃないかなあ・・・と、言うのが私の理解なんです。 |
さて振り返って拙作、エヴァンジェリスト。 2015年で使徒もエヴァも全部無くなった事にしてしまう手も有ったんです。 ですが、それはしていません。 引っ張って引っ張って、無理を重ねて(作中でも、ですね)エヴァがまだ存続している。 結果、あの話しも未だに主人公はエヴァなんですね(^^; シンジの決断でサードインパクトが防がれてから3年経ってもなお、エヴァの世界で はエヴァが主役、って事。シンジにしろアスカにしろ、リツコにしろ加持にしろゲンド ウにしろ、エヴァが中心になってそれぞれがそれぞれのカタチでエヴァに関わって、エ ヴァに振り回されてます。 んで、そんな3年間はすっ飛ばして2018年。 なんでそんな展開かって言うと、その3年間は結果的に「何も起こらなかった時間」 なので。 もちろんアスカのリハビリとか、シンジがレイを育てたりとか、物語にしたかった場 面は幾らでも有ります。でもそれは「エヴァそのモノ」からは遠い話しになっちゃう(^^; 主体から遠い所の話しをしてもしょうがないんですよね(笑)。 今、NERVが総力を結集して初号機を封印しようとしています。 これは、ストーリー上のエポックであると同時に、物語の構造自体のターニング・ポ イントでも有ります。 何故か? ヒトがヒトの手でエヴァを封じないと、意味が無いんですよ(^^; エヴァンゲリオンと言う物語、大きなストーリーのエンディングを向かえるために必 要不可欠な事項の一つが、「人類がエヴァを克服する事」だって気がするんです。 これは当然、私がエヴァと言う物語を「SFだと思っている」せいです(笑)。 SFには、人類がこれまで経験した事が無いような新たな力、新たな技術、新たな科 学が描かれます。そうしたモノが産まれた結果起こる、全く新しい社会構造とか、人間 関係とか、新しい種類の危機とか、災厄とか、カタストロフとか。 そうしたモノが物語になります。 ところが、サイエンス・フィクションが描き出そうとしてきたモノってのは、実は新 奇な科学技術とか、それによって得られる(かもしれない)新たな仕組みとかじゃないん ですね。 それだけで終わってしまっては、それは単なる仮定の「科学の小説」(^^; 在りもしない技術を、如何に面白おかしく書いても読んでもらえません。 書こうとしているのは人間なんです。 つまりサイエンスであろうがなんであろうが、フィクションとして人間を書いている 部分が主眼なんですね。 今は在り得ない状況や、科学や、社会が描けるフリーハンドがサイエンス・フィクショ ンって言う「道具」です。 現在、我々が当たり前だと思っている社会とは全く違った状況を設定して、その中に やはり「人間」を描く事で、想像の極限まで「人間の人間らしさ」のようなモノを敷衍 できる。私はそれがSFなんだと思ってるんです(^^; だから、エヴァも、「エヴァと人間はどう関わっていくのか」という関係性のトコロ に焦点が在ります。私の理解の中では。 科学としてのリアリティ、てのはそこでは問題ではありません。 エヴァを使って出来る事、出来た事。 エヴァが何故そこに在るのか、という謎。 エヴァを使って人類が戦う「敵」とは何か。 物語に散りばめられた、一見大切に見えるような謎、そして仕掛け。 それらは実は、それがなんであろうが「大した事ではナイ」ってのがホントのトコロ だと思うんです。 つまり、エヴァの世界観の下敷きにキリスト教とかユダヤ的な世界観やキーワードが 散見されますが、あれを全部リグヴェーダや古事記にとっかえても問題無い筈なんです。 焦点は 「そういうモノが在ったとして、その結果人間はどうなってしまうのか?」 って部分。 どう行動するのか、何を望むのか、何が起きるのか。 絶望するのか、何も出来ないのか、最後まで足掻くのか。 そうした「人間の業」を炙り出す為の道具なんだと思うんですね。 それが、SFという事であり、エヴァって事なんじゃ無いのかなってのが、一応、私 の「エヴァ解釈」の結論です。 |
で、話は戻って「ヒトがヒトの手でエヴァを封じないと、意味が無いんです」。 つまり、人類がエヴァを克服した、という所まで物語が行きついて初めて、エヴァの 世界でも人間が主役になれる日が来ると思うんですね。 そこからがようやく「人間の物語」。 シンジやアスカの為の「キャラクターによるストーリー」が始まります。 つまりですね、エヴァが居なくなって大団円、ではナイ(^^; そこはようやく辿り着いた、遠かったスタート地点なんです。 ・・・・・・・・・・・・・だから、気が長い話だって言ってるじゃないですか(笑)。 気長に書いております。 読者の皆様も、気長にお付き合い下さい(^^; それでわ(^_^)/~ |
次回へ続く▽ |
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