No.10 00/10/17 ◆エヴァな雑記:その5

断絶・・・エンディングを考える

【 シンジが首を絞めた理由(わけ)】
▲雑文・INDEXに戻る

△前回へ戻る

 イキナリなサブジェクトで申し分けない(^^;
 ま、こーゆーモノのタイトルは直球勝負って事で。
 映画のエンディングシーンを絞殺する・・・もとい、考察してみます。

 エヴァの映画版、夏のエンディングシーンを皆様覚えてらっしゃいますでしょうか?
 忘れるわけがねーって声が聞こえてきそうですが、実際は忘れた事にしてたり見なかっ
た事にしてたり、アレはアレ、無かった事にしてエヴァが好きなんですって言ってる方
も大勢いらっしゃるような気がします(笑)。

 あの時点でシンジとアスカだけが描かれ、そしてああいうシーンになった意味。
 ソレを求めた時に導き出されるのは、実は「エヴァをどう理解したか」なんて話じゃ
無いと思うんですよね。解釈として正しいとか間違ってるとか、そーゆー話しじゃナイ。
 何故ならエヴァを語ってるつもりが自分を語ってしまっている・・・そんな感じになっ
てしまうのがエンデェイングの見方じゃないかなあと。

 ・・・つまり、これからする話しは全部「私の個人的な話」であって、皆さんが見た
エヴァとは違ってる可能性が有ります。

 つうか多分違う(笑)。

 百人居たら百人分の「モノの見方」が有るわけでして、それがみんな一緒のハズが無
いんで・・・と言ってしまうとミもフタも無いんですけど、でもそういう事。


 私は、あのシーンが描いていたのは「断絶」だと思いました。

 求めるだけ、甘えるだけで受容しようとしない、シンジとアスカの間の深い断絶。

 他者を理解し受容する。
 許す、受け入れる、思いやる。言葉は何だって良いんですが、シンジにはそれが無い。
 また同時に、他者から受け入れられる事を切望しながら、それが得られない事も理解
している。諦めてる。有り得ないと絶望している。

 レイも、ゲンドウも、ミサトも、シンジにとっては「理解出来ない」
 それはアスカもそうだったんですね。

 アナタは理解しようとしたの? と問われてましたが、まさにその部分。
 結局「自分が可愛い」だけなんですよ。
 自分の欲求を他者に投影し、受容される事を夢見ながら、他者を受け入れる事は無い。
 一方通行のコミュニケーション・・・いや、成立してないわけですけど(笑)。

 他者との距離感が計れてない。
 それは依然として子供が求める「子供と母親の関係」なわけです。
 子供が、自分自身の存在全てが「母親に愛され受け入れられる事」を求めるのは本能
です。だって世話してもらわなきゃ生きていかれないんだもん(笑)。
 哺乳動物の赤子と言うのはもともとエゴイストです。
 温められなければ凍えてしまう。
 乳を含ませてもらえなければ飢えてしまう。
 外敵から身を守る事も、住み処を作り維持する事も、日々暮らしていくための糧を得
る事も、どれも出来ない。

 親からすれば子を育てるというのは非常な労力です。
 けれど、種族として生き残るために子を育てなければなりません。

 結果、愛という「仕組み」が生まれました。

 親が子に注ぐ愛は本能。子が親に求める愛も本能。
 どちらもエゴでしかないわけなんですが、全くの他者にソレを求めるとなると、話が
違ってくる。

 他人は何処まで行っても他人でしかない。
 自分が自分を可愛いように、他者に愛情を注ぐためには超えなきゃいかんハードルが
有ります。先に言いましたがコミュニケーション・・・相互理解ですな。
 一方通行ではいけません。

 けれど、コミュニケーションというのはインターフェースが有って初めて成立するわ
けです。インターフェースってのは「境界面」の事ですな。
 異なる物が触れ合う境界において成立していますから、同化とは違う。
 むしろ、異化。

 自分の中に異なる他者の一部分を受け入れ、理解し、自分がそれまでの自分とは僅か
ながらに変質して行く事が「コミュニケーション」です。

 自分と異なる他者の一部分は常に心地好いモノとは限りません。
 自分自身に訪れる変化が常に心地好いモノとも限りません。
 触れ合う事で誤解し、誤解され、傷つき、傷つけてしまう。
 これまでの自分を否定されるかもしれない。
 これからの自分に変化を求めているのかもしれない。

 他者との関係性は常にリスクを背負ってるんですな。

 理解されないという恐怖。
 受容されないという恐怖。
 結局同化できないという事実。

 溶け合って全てが一つになる、ATフィールドという「自我の境界」を喪失した世界
を、シンジが一度は望んだのはそのためでは無いでしょうか?

「世界が全部自分自身なら、もう誰も僕を傷つけない」

 でもそれは閉じた世界で、果てしなく均質な世界です。
 そしてそれは変化しない世界なんですね・・・つまり、死んでるんですよ(^^;

 生きてるって事は変わるって事ですから。

 ATフィールドを解き放ち、全てのモノを一つにまとめ、変化する事も失う事も全て
拒否してしまったら、何も起こらない「停滞しきった安寧」が訪れるだけです。


 サードインパクトが起こって、LCLの海でレイとの邂逅が有りました。
 風景が青い海の水面に移って、シンジとレイの間に境界が生まれました。
 さらに、シンジとは別の背景を背負ったカヲルと、服を着たレイが現れます。

 この時点ではすでに「時間の経過」すら概念として無くなってるんですが、シンジの
主観でかなり長い時をあそこで過ごしたんじゃあないでしょうかね。
 全てを均質化して、世界の全てを手に入れたと言う事を「シンジ自身が理解する」ま
での時間が流れていたと思ってます。

 その結果が「でも僕は、もう一度会いたいと思った」です。

 カヲルやレイが、ここでは象徴として扱われていました。
 シンジに対して「好意的なモノ」の象徴です。
 自分を傷つけない、誤解しない、受容してくれるモノの象徴。
 自分の望んだ他者のシンボルが、シンジにとってのレイでありカヲルであった。

 だからあれは、ひょっとしたらレイ自身、カヲル自身では無いのかもしれない(^^;
 シンジの希望が産み出した幻影だったとしても、結果的に「同じ事」なんで。
 けれど、自分の願望が投影された幻影(かもしれないモノ)の言葉によって、シンジは
一歩を踏み出す。
「だけどそれは見せかけなんだ。自分勝手な思い込みなんだ」と、やはり自分が受容さ
れる事は永遠に無いんだという「絶望」と共に、均質な世界を「拒否」する。
 矛盾した行動なんですが、結局「誰にも傷つけられる事が無い世界」が「死んだ世界」
だと気付いた結果の行動だと思うんですよね。

 そして、他者が自分を傷つける世界にシンジが戻ってくる。
 が、戻ってくると、そこにはアスカしか居ない。

 真実のレイ。
 サードインパクトの使者としてのレイがLCLに表面に漂ってますが(巨大化した方
じゃなくて、制服着たままの方ね)、あれは「何時でも元の世界へ戻れる」事を象徴す
る記号として存在したと思います。

 つまり、世界は元に戻ってないんですよ(^^;

 シンジは自分の意志で均質なLCLを脱して浜辺に辿り着きましたが、他の存在は皆
まだレイの足元。LCLの海の中です。

 その世界で、アスカだけがシンジの傍らに居る。
 これはサードインパクトが発動した瞬間に溯れば当然の事なんです。
 アスカは「アンタとだけは死んでも嫌」と言って、シンジとの均質化を拒否しました
んで(^^;

 だからアスカも戻ってきた。
 幻影じゃなくて、実体です。
「シンジを受容しない他者の最たるモノ」として実体化したんですな。

 ぬるま湯に浸かって死んだ世界にはもうシンジは居ない。
 アスカを殺したら、アスカはLCLに戻るんじゃないんでしょうかね?
 もう「あっち」にはシンジは居ないんだから、もう戻ってこないかもしれない。

 だからシンジはアスカの首に手を掛けた。
 もっとも分かり合えない他者の存在を消してしまいたかった。
 けれど、消してしまえばそこはまた、別の意味で自分自身しか存在しない世界。
 LCLに全ての生命が還元されて、何も生けるモノが無くなった地上に一人残される、
という「究極の孤独」が残るわけです。

 シンジはアスカの手に首を掛ける。
 けど縊り殺すほどには力が込められない。
 涙を流し、その滴がアスカの頬に落ちる。

 アスカと言う「もっとも残酷な他者」がシンジにとっての最後の希望なんです。
「アンタが全部私のモノにならないなら、私なにも要らない」と断言するアスカが。

 アスカもまたシンジの裏返しですね。
 コミュニケーションを作る事が出来ない。
 シンジとの違いは「シンジ自身では無い」って事だけ(^^;

 お互いがお互いに「受容される事」を夢見ながら、お互いを理解しようとはしない。
 相手を理解して思いやって異化を受け入れる覚悟は出来ていない。

 けれど「自分は全部受け入れて欲しい」


 ヽ(´ー`)ノ<お手上げのポーズ(笑)


 成立しないんですよ、コミュニケーションが(^^;

 だからシンジはアスカの首を絞めた。
 自分を全部アスカに「与えるつもり」は無いんです。
 アスカが「全部自分のモノになってくれる」望みも無い。
 自分を傷つける他者の存在に恐怖し、その首に手を掛けた。

 けれどやはり、アスカが最後の希望。
 アスカと分かり合えれば「世界が元に戻る」可能性が残ってるわけですから。

 他者の存在を拒絶しながら、殺してしまう事は出来ない。
 自分が受け入れられるなんて事を信じる事も出来ない。
 アスカが口を開けば自分を傷つける。
 アスカという自分とは違う自我の発する「言葉」という思念の一部が自分に触れる事
が恐い。
 拒絶を付きつけられる事が。
 異化を強いられる事が。

 触れ合う事が。

 だから首を絞めたんだと思います。
 けれど、殺してしまえば再び停滞しきった世界。
 自分一人の何も起こらない(だから傷つかない)世界。

 シンジが何も出来ないでいるうちに、アスカの手が、僅かにシンジの頬に触れます。
 それが現していたのは、幻影かもしれないけれど「受容の可能性」でした。

 アスカの言葉に望みを賭けて、シンジはその力を緩めました。













 アスカが発した最初の言葉は「気持ち悪い」











 ヽ(´ー`)ノ<(笑)




 結局シンジはそこからはじめなきゃいけないって「オチ」ですな。

 現実はやはり、心地好く無い。
 自分を傷つけ、誤解し、撥ね付ける。悪意に満ちた自分以外の自我の存在を受け入れ
なければ、ヒトは生きてはいかれない。

 シンジとアスカですら、そうだった。

 共に自分を受容してくれる存在を切望しながら、お互いにそれを与える事が出来ない
でいるという、ある意味極端なまでに図式化された「ヤマアラシのジレンマ」

 それが、エヴァンゲリオンという物語が最後に与えてくれたメッセージだったんじゃ
ないかな・・・てのが、けんけんZが考える「シンジがアスカの首を絞めた理由」

 本編以上のイタモノなんて有り得ないってのが、おいらの立場です(^^;

それでわ(^_^)/~
次回へ続く▽

制作・著作 「よごれに」けんけんZ
返信の要らないメールはこちらへken-kenz@kk.iij4u.or.jp
レスポンス有った方が良い場合はくりゲストブックまで。
▲雑文・INDEXに戻る