No.14 02/03/19 ◆ 萌え論:その4

萌え領域の最前線 下

【萌えには限界も境界も ナイ(笑)】
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 そうか、そういう事かリリン!

 イキナリなツカミですが、「ヤヲイ」と「萌え」の境界線は消滅しつつあるという従来からの持論をなんとかコラムにまとめようと四苦八苦中、ようやく何か一つの真理に辿り着いたような気がします(電波ですが(笑))。

 考察をまとめる上で最後までネックになっていたのは、実は「攻めキャラの立場でしかヤヲイを読まない女性読者」が無視出来ない割合で存在する、という事実でした。

 なんで無視出来ないかというと、私が書いた加持視点の加持シンに関して、とあるヤヲイ読みの方が「これ、フツーにヤヲイですよ(男性向けでは無いの意)」との感想をくれた事がキッカケです。

 つまり自分では男性向けとして作ったつもりのモノが、女性のヤオイ読者にそのまま受け入れられてしまうという事実から、ヤヲイとは何かという考察を組み立て直さざるを得なくなったんですな(^^;

 しかし、女性性を排した「理想的な愛される存在」としての「受けキャラ」の効用に関しては、以前からコラムで述べた通りではないかと理解しておりましたが、その対極に位置する「攻めキャラの視点に立つ女性読者」の心理が、男である自分にはどうしても理解出来なかったのです。

 けれど自分の視点を「シンジ萌え」に置いてみる事によって、長年の疑問であった「攻めの視点」に立つ女性ヤヲイ読者の感覚にようやく近付く事が出来た気がします(電波ですが(笑))。
 とは言え私はあくまで男性にとってのヤヲイからしか考察できませんので大きく外している可能性も高いんですが、とりあえず覚え書きとして。

 ↓ここからさらに電波強度が上がります(笑)
ヤヲイは一つの事象ではない

 これまでコラムなどで何度か申し上げた通り、ヤヲイと分類されるある種の妄想は、女性にとって「虚構の中からの女性性の排斥」という効果が有ります。
 主人公の視点を女性に置いた物語にはどうしても移入できない、女性ならではの心理と言うモノが作用するので、虚構の中から女性性を排除した方が支持を得やすい場合が有るんですね。

 男性の方は割に、自分と同性の主人公に抵抗を持ちません。
 ギャルゲーの主人公が「男では無い」というパターンはが一般化しない事に読み取れるように、男性にとっての物語は男性を主人公に進みます。

 ところが女性の方は「同性の描かれ方」に非常に敏感です。
 特に男の創作の中の「女性像」には違和感を覚える場合が多い(らしい)。
 男性の妄想が造り上げた、虚しい虚像には共感し得ないわけです。

 また、同じ女性が書いた女性像で有っても、身近な分だけ「理想の女性」には厳しい視点を持つ。
 これは言いかえれば「女性が主人公の物語を女性に認めさせる難しさ」と言えると思います。

 何故そういう事が起きるのか?
 断定するにはデリケートな問題ですが、これは女性の中に一定の割合で「自身の女性性(母性)を否定している」または「拒絶したいと思う」女性が居る、と仮定すると分かりやすいと思います(あくまで仮定です)。

 さて、そんな女性にとってのヤヲイとは何だろうか、と考えると、これは言うまでも無く「女性性を排除しても成り立つ恋愛観(もしくは物語)」なんですね。
 女性性を排除して尚も成立する虚構の恋愛=ヤヲイ。
 私がヤヲイを「使い減りしないファンタジー」であると指摘するのは正にこの点です。

 女性から女性性を排除して尚、愛される存在として「感情移入される受け」が形作られる。
 物語の中で読者に代わって愛される存在でありながら、そこには(意識的にせよ無意識にせよ)嫌悪すべき女性性が始めから無い。
 それはまさしく理想の主人公なワケです。

 と、ここまでは良いんです。従来の主張の繰り返しに過ぎません。

 しかし更にその先へ進んでいった読者が一定数居る、という現実に直面せざるを得ない。というか、むしろヘビーなヤヲイファンには「そんな程度」ではヌルイと感じている読者の方が多い(^^;

 先に「男性向けヤヲイ」と「女性向けヤヲイ」を分類して考えてみた時に、「男性向け」と定義した側でヤヲイを楽しんで居る女性読者が実際には沢山居るんですね。
 彼女達の取っているポジションを、男が「硬い頭(=従来の常識や偏見)」で理解する事はほとんど不可能かもしれません。そのぐらいフツーの男性からは思いも付かない視点で彼女達はヤヲイを楽しんで居るんです。

トランスジェンダーの先を行くヤヲイ願望

 攻めの視点でヤヲイを楽しむ女性読者の「願望」を一言で乱暴に把握すれば、「チ○コ欲しい」という事に他なりません(笑)。

 一種のトランスジェンダー願望なんですね。

 ただ、男の我々が理解出来るトランスジェンダー願望とは、一種のレズ志向でしか有り得ないんですな。

 ある女性が「チ○コ欲しい」と言ったとします。

 これが「チ○コ有ったら可愛い女の子とがんがんセックスするのに」という願望なのであれば「ああこの人はホントは男に生まれたかったんだな」という風に、共感は出来なくても理解する(もしくはしたつもりになる)事が出来ます。

 自分の持つ「男の身体」を捨て、女として生き愛されたいと願い、お金を払って性転換手術をする男性が一定数居ます。間違って男に生まれてきたので後からでも「女になりたい」というトランスジェンダーの願望ですね。
 これなら「なんとなく」分かる男性が多いでしょう。
 自分がそうなりたいとは思わないけど……と保留付きながら、性転換を選ぶ生き方に理解を示す男性はちゃんと居るんです。

 だから、反対に「女から男へ性転したい」女性が居たとしても、そういう人も居るんでしょうな、と納得出来る。

 ところが、ヤヲイ女と呼ばれる人々の願望までは理解出来ない訳です(笑)。

 前述で「チ○コ欲しい」と端折った彼女達の願望を詳しく述べるとすれば、

になって可愛い受け(の男)をヒィヒィ言わせたいから、チ○コが欲しい

 という事なんです(^^;
 これは、さっぱり訳が分からない(笑)。

 つまりですね、ヤヲイ願望にはヘテロなセクシャリズムを是とする価値観が介入する余地が全く無いんです(^^;

 そこにヤヲイが永遠に理解されない悲劇(喜劇か?)が有る(笑)。

 恋愛を「男女のモノ」と勘違いしたままそれを常識だと思っているフツーの男性に、そこまで想像を広げろというのはかなりの無理難題なので仕方が無い(笑)。
「男に生まれ変わって可愛い女の子と付き合いたい」性転換の願望とは似て非なる「男に生まれ変わってホモになりたい」ヤヲイ願望。
 どっちもトランスジェンダーの希求なんですが、ヤヲイ願望の方は理解出来るギリギリの線を、遥かに越えた先に有る……と、これまで思ってました。

 しかし、本当にそうなんでしょうか?
 男性にとっては永遠に理解出来ないのがヤヲイ願望なんでしょうか?

普遍化(無性化)する性欲

 これまで私は男女の性欲も、性差の違いに根差した「裏表」の関係に有るのだと思い込んでおりました。
 だからヤヲイの本質が理解出来なかった。
 しかし、ようやく分かりました。
 裏の裏は表だったんですね。

 ……「ヤヲイ」も「単に萌え」なんですよ。

 ジェンダーに縛られない自由なリビドーを「萌え」だと捉えて来ました。
 物語の文脈の中に、純粋な性欲以外の何物も差し挟ませないという希求こそが萌えの本質(と私は理解しております(^^;)。

 ジェンダーに縛られないとは即ち、生殖や再生産に貢献しない純粋性欲の希求であります。

 突っ込む相手が自分の分身を孕んでは「困る」という性欲。
 また、突っ込まれて子供を産まされる事まで考えたく無い、という性欲。

「健全な性欲」とは成熟した男女が対等に結ばれて「次世代を発生させる」という再生産への動機付けが根幹に有ります(無いと困るんです(笑))。
 だから実際には避妊前提の「楽しむ為のセックス」すら、ヘテロな恋愛観の延長に有る様に見えながら、その実体は歪んだ「萌えの一種」に過ぎない。

 つまり、フェミニズムが前提とする「女性の自己決定権の優先」、つまりは「抱かれるからと言って子供が欲しいとは限らない」という一種のパラダイムシフトは、正常なはずの男女間の恋愛すら、愛し愛されるという「営み」と、次代を生み育てると言う「役割」を分離してしまったんですな。

 もちろん、それが悪いと言う気はこれっぽっちも有りません(^^;

 むしろここで私が言いたいのは「避妊してセックスした事が有るならば、萌えにもヤヲイにも異を唱えるべきでは無い」という事なんですね。
「全ての変態性欲は楽しむ為のセックスの延長線上に位置しているに過ぎないのだ」という事実の指摘なのです。

 嗜好や性癖の違いがどう現れているにせよ、子供を作らない性行為である、という部分においてイコールなんですよ(^^;
 種の維持には何ら貢献していない性欲ですから、生物学的には同じ事なんです。
 ですから、避妊して行われる性行為に、目に見える性差以外の差は実は無い。乱暴に言えば、そこに居るのは男と女の姿形をしてはいても、生物学的にはもはや男でも女でも無いんですな。

 無性生物が楽しむ為に快楽を求め合っている姿に過ぎないと言えます。

萌えとヤヲイの境界線は何処だ?

 さて、男性向けヤヲイ、女性向けヤヲイ、等と言うカテゴライズは本来は不要なんですね。男性向けヤヲイ=萌えの一形態と定義しましたが、そんな定義は端から成り立たない詭弁に過ぎませんでした。

 なぜなら純粋恋愛としての「少年愛」願望も、トランスジェンダーの先を逝く「ヤヲイ」願望も、結局はそれぞれの立場で自らに課せられた性差の呪縛、性的役割の重石から逃れようとする同一の行為です。

 結局は、どっちも同じ土俵で語られるべき「同じ萌え」に過ぎない(^^;

 境界が曖昧になるほど萌えとヤヲイが「進化」してきたのでは無い。
 また男女の性欲の双方がドーナツ化して、重なり合う領域で融合し始めたのでも無い。

 実際は始めから、萌えとヤヲイは「同じ場所に有った」んですわ。

 ……なにかそらほそろしひ結論に達してしまった気がしないでも無いですが(笑)、これからはいっしょくたに論じようと思います。

 萌える皆さん、ヤヲイを気持ち悪がったり攻撃したりするのは止めましょ。
 ヤヲイ女の皆さん、ロリ萌え人外萌え妹萌えを敵視するのは止めましょう。
 どちらも共に、天に唾する行為に他なりません。

 避妊前提の男女のセックスから始まり、萌えヤヲイに至る変態性欲とは、巨大な性欲の無性化願望内包されたそれぞれの趣味や嗜好の些細な違いが有るだけでして、何処を切り取ろうが本質的な差は見出せない。
 つまり、我々は同じ魂を持つ精神の双子なのです。


 てな感じで、ムリヤリまとめて終わりたいと思いますm(_ _)m
 ↑ここまで電波です(笑)。

それでわ(^_^)/~
次回へ続く▽

制作・著作 「よごれに」けんけんZ
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