「なんでジョージごときに!」 #ジョージ=紫電改

 米陸軍が誇る女性戦闘機パイロット、アスカ・ラングレーは、ひたすらに不機嫌
だった。
 不時着し大破した愛機から無線機を取り出しながら、何度も怒鳴り散らしている。

「あ〜あ、海水でバッテリーが駄目んなってるじゃないのよぉっ!もうっ!」

 珊瑚礁で囲まれた小さな砂州に不時着できただけでも僥倖というべきなのだが、
強運の持ち主らしく、そんな事はあたりまえといった風情である。
 太陽高度と時刻から、おおよその位置はつかんでいるつもりだ。
 格闘戦中に多少偏西風に流されたとはいえ、このあたりは十分に友軍の制空権下
なはずである。

「仕方ない、か。マーカー流して救助を待つしかなさそうね」

 半分海中に没した愛機――ノースアメリカンP−51“ムスタング”D型――の
コックピットの座席の後ろから、サバイバルキットを取り出す。
 梱包をなれた手つきで開けると、海水を着色する薬品を波打ち際に盛大にぶちま
ける。

「食料はともかく、飲料水が三日分しか無いってのが痛いわね」

 とりあえずコンロで湯を沸かして紅茶を入れ、ライフジャケットのポケットから
ハーシーのチョコレートをいくつか取り出す。

 戦闘行動中の糖分補給のためには、チョコレートが一番手っ取り早い。
 航続距離の長いB−29の護衛が任務なのだから、こうした準備はいつも万全だ。

「しっかし信じられないくらいにしつこいパイロットだったわね」

 アスカは自分の愛機に致命傷を負わせた、名も知らぬ紫電改乗りとのドッグファ
イトを思い出していた。


  

Sky Lover

第一話

  


「あ〜あ、退屈ねぇ。ジャップなんて影も形も見えないじゃない」

 この時期、既に日本の航空戦力は底をついていた。
 帝都防空の迎撃機も、燃料も、弾薬も……そして、優秀なパイロットも。

「ま、どうせ、この高さまで上がってこれる日本軍機なんてないわよね」

 実際、B−29の飛行する高度まで到達するのは、日本軍機にとって至難の技だ。
 実戦で役に立つレベルの過給機を持たない日本の戦闘機は、B−29の巡航する
成層圏では、高度を保つだけで精一杯だった。
 だから、チャンスはいつも1度きり。
 最初の攻撃で撃墜できなければ、しとめる機会はほぼ皆無だった。

 帝都防衛の迎撃戦闘機隊では、敵編隊接近の報を聞いていち早く上空、B−29
の飛行高度より更に上空にて待機し、急降下の不意打ちでしとめる方法を編み出し
ていた。
 だが、その唯一有効な戦法ですら、一撃で落とせなければその後は直援機に追い
回されて、結局大した戦果も挙げられずに空の塵と消えていくのが常である。

 なぜなら、一度急降下で失った高度を取り戻すのに、過給機を持たない日本軍の
戦闘機はひたすら時間が必要なのだ。
 さらにB−29は『空飛ぶ「超」要塞』の名にふさわしく、堅固だった。
 一度火を噴いたくらいでは墜ちる事は少なく、日増しにB−29の編隊は大規模
に、そして大胆になっていく一方だった。

「こーいう国に生まれた事が不運ね。」

 彼我の技術力、工業力の差を考えれば、そもそも真っ正面から戦争する事自体が
間違いと言える。アスカは巡航中のコックピットでそんな事を考えていた。

「Hey!アスカ!この任務が終わったら、一杯付き合わないか?」

 無線機に聞きなれた声が入ってきた。
 B−29「Big BOMB」のパイロット、エディだ。
 今日は殿軍を務めているはずだ。

「おあいにく様。私、爆撃機乗りには興味無いの。付き合って欲しかったらドッグ
 ファイトで私を負かす事ね」

「そりゃきついなぁ……」

 他のパイロット達からの笑い声や歓声も聞こえてきた。
 その時、そのエディの機の4番エンジンが火を噴いた。

 直後、片翼全体が爆発。

「!?」

「敵だ!真上から来たぞ!」

「殿軍が食われた!」

 一斉にがなりたてるパイロット達。
 一瞬にして空は戦場と化した。

「敵は何機?機種は?」

 アスカは聞いた。

「1機しか見てない。単発低翼、機種不明。……6時だ!来たぞ!」

 今度は2機、立て続けにやられた。
 相手はかなりの腕らしい。
 強固な防御力を誇る、B−29を一撃でしとめているのだ。

 並の腕じゃない。

「ホントに単機なの?この高度で?」

 さらに言えば、並みの機体では無い。
 日本軍の最新戦闘機「紫電改」と言えども、この高空では一旦失った高度を取り
戻すのに、こんな短時間で成功するはずが無いのだ。
 アスカが敵影が一機である事を不審に思ったのも不思議は無い。
 だが、どの方向を見ても敵影は一つだけ。

「あれは・・・?ジョージ?なんでこんな所に?」

 奴が一瞬で三機の重爆を落としたのだ。
 完全に奇襲だった。

 アスカは広い視界を持つマスタングのコックピットで、敵影を追って視線を巡ら
せる。

「メーデー!メーデー!」

 落ち行く味方の悲鳴が無線から溢れ、空域全体がパニックに陥っていた。
 紫電改は重爆3機をしとめ、さらに直援機2機を墜としていた。

「私がやるわ!残りはこのまま行って!」

「分かった!しかし、奴さんかなりの腕だ。無茶はするなよ!」

「了解!」

 レスポンスの鈍い重爆の編隊が、ようやく戦闘速度に加速して高度を上げはじめ
る。直援機編隊の内、足の長いP−38が上昇しつつB−29の下方に付く。
 P−51は散開して雲に紛れた敵影を探す。

「見えたか?」

「分からん。逃げたのか!?」

 さすがに、奴ももうB−29には追いつけまい。
 だが、だからといって素直に引き下がるようなタイプでは無い事を、アスカは直
感的に感じていた。
 上昇していった編隊機は1万メートルを遥かに超えて、依然増速中。
 敵影を探すP−51の平均高度はせいぜい7000だ。雲の頂きよりも低い。
 この高度では、マスタングとジョージの機体の差は更に縮まる。

「編隊に付いていって。この空域は私が」

 残る機体が下手に増えれば損害が増えるだけ。そう判断した時には遅かった。

「がはあっ」

 直下からラジエーターを打たれた僚機のキャノピーが、瞬時に真っ赤に染まった。
 即死だ、と思う間も無くコントロールを失って雲間に没する。

「編隊長が殺られた」

「また雲に隠れたぞ!」

 副長は既に居ない。残った隊で指揮を取るべきなのはアスカだ。

「私に任せて。全機、離脱して編隊を追って」

「り…了解」

 アスカは即座に機を翻し、眼下に映る雲の中へとダイブした。
 敵機は、もう弾薬も燃料も幾らも残していないはずだ。
 雲間から海面近くへ降下して離脱すると読んだ。

 僚機の編隊は雲の上へ。
 乱雲の中を飛ぶのは自分と奴だけ……。

 研ぎ澄まされたアスカの目が、視界の端に敵影を見つけた。
 即座に雲に遮られたが、その一瞬でアスカは彼我の速度差と敵の進行方向を見定
めていた。
 雲の中へと果敢に突っ込む。

 10・9・8・7と心の中でカウントし、0と同時に反転。
 雲を抜けると同時に、照準に敵機を捕らえた。

「もらった!」

 操縦捍を握る手に力がこもる。
 紫電改のパイロットも、真上から来るアスカにいち早く気づいたようだ。
 即座に反転、急降下しつつ回避行動に移った。

「なかなかやるわね」

 この突っ込みをかわせるのはそういない。
 引き離しにかかる紫電改、追うアスカ。

「この私を引き離そうっての?上等!!!」

 再び照準に敵機を捕らえる……が目の前の機影が突然踊るように視界から消える。

「!? ひねり込み?……やるわね!」

 今度はアスカが追われる立場になる。
 螺旋状に敵機を追いつつ、高度を下げ続ける両機。

「まずいわ」

 速度も高度も低下し続けている。
 高速性能を活かしての一撃離脱がマスタング乗りの基本だ。
 低高度での曲芸めいた格闘戦では、彼我の戦力に差が無くなるばかり。

「このマニューバについてこれる?」

 アスカは操縦捍を目いっぱい手前に引きつつ、エルロンのペダルを蹴飛ばすよう
に押し込む。
 強烈なGが身体にかかり、シートに押し付けられる。

「ぐうううううううううううう」

 アスカのマスタングは、大空に弧を描いて斜めに反転した。
 どうやら敵機は、アスカを追う間に失速、反転して離脱に移る。
 引き離されてたまるか。

「今度はこっちの番よ!」

 その後は両者一歩も譲らず、お互いめまぐるしく位置を入れ替えながらの格闘戦
が続く。
 照準の中心に敵影を捉える機会は一度も無かった。

「このパイロット……桁違いに強い」

 少なくと、も今までアスカが相手にしてきた日本軍機に、これほどの腕を持った
パイロットはいなかった。
 その間も主編隊は東京を目指して北進をつづけ、既に安全圏へと飛び去っている。

「そろそろ、終わりにするわよ……」

 敵の背後を取ったのはこれで何回目か分からない。
 しかし、その度に躱されてきた。
 アスカとしてもここいらでケリを付けたい所だった。

 敵機の加速が鈍りはじめる。
 さっきから、位置を入れ替えてもほとんど撃ってこない。
 弾薬は最後の一撃分、帰投用の燃料も心もとないに違いない。

「だからって容赦しないわ」

 発射ボタンに指をかけた瞬間……目の前から敵機が消えた。

「どこ?」

 次の瞬間、愛機に衝撃が走る。

「まさかっ!」

 それは真下からだった。
 弾はコクピットを外して、エンジンに集中していた。
 漏れたオイルが排気管に触れ、赤い炎が噴き出す。

「私にも意地ってもんがあるのよ!」

 出力の落ちたエンジンではこれが最後のチャンス。
 敵影が自分の下に有るうちしか追いつけない。

 アスカは煙を吐く愛機できりもみ寸前のダイブを敢行し、離脱しようとしていた
紫電改を捕らえた。海面すれすれで無理な反転を仕掛けた紫電改は、高度を失って
機動する機会を無くしていた。

「当たれぇっ!」

 アスカは照準機から、消え行く敵機に向けて撃った。
 有効射程ぎりぎりで、弾はコクピットやエンジンを外れて右翼を打ち抜いたに止
まる。
 急所は外したらしく火は噴かなかった。
 紫電改は海面に触れそうな高度のまま、離脱して見えなくなっていく。
 煙も噴かない敵影は、すぐに見失ってしまった。

「ふぅ……ひっさしぶりに負けたわ」

 不思議と悔しくはなかった。
 逆にある種の爽快感さえあった。

「世の中ひろいわねぇ」

 エンジンが大きく振動しはじめる。
 多分V12エンジンの片バンクは潤滑を失っているに違いない。

「長くないわね……不時着できる所を探さなきゃ」

 アスカは眼下に砂州を見つけ、そこに不時着させるべく、出力の上がらない愛機
を降下させた。




 敵とはいえ、優秀なパイロットであれば素直に尊敬できる。
 局地迎撃用の紫電改で、こんな洋上まで出てくるとは……いったいどんなパイロッ
トだったのかと考えずには居られない。
 37機撃墜のエースとして、アスカは今までに何度も修羅場をくぐりぬけてきた。
 命を落としかけた事も一度や二度では無い。
 だが、今回自分を墜とした紫電改ほど、強烈に印象に残る敵は初めてだった。

 B−29が55機。
 その直援としてP−38とP−51が30機も居たのだ。
 普通に考えれば単機での突入など考えられない。

「あいつ、燃料も弾薬も尽きてた」

 豊富な物量で侵攻する連合軍に居ればこそ、常にベストコンディションの機体に、
十分な弾薬と燃料を搭載して戦闘に赴ける。
 だが、日本軍にとっては、弾薬も燃料も限りなく貴重なのだ。
 そう、あれほど優秀なパイロットよりも……。

「片道迎撃、か。あんな優秀なパイロットなのに……生まれた国が悪かったわね」

 徐々に水平線に近づく夕日を眺めながら、アスカは見知らぬパイロットに同情せ
ずにはいられなかった。

 その時、波間に漂う何かを見つけ、逆光に目を凝らす。
 波に揺られながら、それは確かにこちらに向かって近付きつつある。
 アスカは即座に腰のガバメントを確認し、チャンバーに弾を込めた。

 セフティを外して両手で構える。
 さっきの戦闘でこの海域には何機もの不時着水機があったはずだ。
 常識的に考えれば、流れつくのは友軍のパイロットである……が、アスカには直
感で分かっていた。

「奴ね」

 波間で揺れていた頭が不意に止まる。
 もう足がつくほど浅いのだ。

「手を挙げなさい!」

 アスカは日本語でたずねる。

 母は日本人だった。
 今はカリフォルニアの強制収容所にいる。
 父は飛行機乗り……なによりもパイロットである事を誇りにしていたのに、戦争
が始まると飛べなくなった飛行機乗りだった。

 アスカは自分のために、そして両親のために軍を選んだ。
 日本人の血を憎んだ事はない。
 戦果を上げる限り、軍隊の中で差別は無い。

 日本人の血が入っていようと、女だろうと。
 それを証明するために、エースパイロットになったのだ。

「さっきの紫電改乗りね。聞こえてるんでしょう、手を挙げなさい!」

 海水に濡れて、重く身体に張り付く飛行服を引きずりながら、奴はゆっくりと手
を挙げた。

「そこにで止まって!すぐに殺したりはしないわよ……いい、あんたにはジュネー
 ブ条約が適用されるわ。捕虜の身分を選べば、アメリカ陸軍航空隊が責任を持っ
 てあなたの人権を保護します」

「そっちだって一人なのに、捕虜って事はないだろう?」

 アスカは始めて相手の声……碇シンジの声を聞いた。
 想像していた百戦錬磨のパイロットの声ではない。
 それはまるで、少年のように澄んだ声だった……。

「いいから!官姓名を名乗りなさい!」

 アスカは銃口をシンジの眉間から外さず言い放つ。

「僕は、帝國海軍、碇シンジ飛曹長。君は?」

「私は合衆国陸軍航空隊のアスカ・ラングレー少尉」

「よろしく、ラングレー少尉」

 眉間に銃口が向いているのに、シンジは無造作に手を伸ばした。

「手を下ろさないで! 撃つわよ」

 単に握手を求めただけなのは、アスカにも分かっている。
 それでも軍人として、銃口を外す事は出来ない。

 それが2人の出会いだった。




第二話へ続く

[REMAKE]目次のページに戻る
制作・著作 「よごれに」けんけんZ

返信の要らないメールはこちらへken-kenz@kk.iij4u.or.jp
レスポンス有った方が良い場合はくりゲストブックまで。